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ランツェシュトゥルム

作者: 8D

 練習。


 誤字を修正致しました。

 ご指摘、ありがとうございます。


 感想へコメントは、何かの話を投稿した際の活動報告で返信させていただいています。

 遅くなってしまうと思いますが、お許しください。

 ロキという国は、多くの国と隣り合う中立の国家である。

 どのような立場の者も受け入れ、あらゆる知識を平等に集う者へと授ける。


 平民から貴族、王族までを幅広く受け入れる数多の教育施設が存在する国だ。


 その内の一つ、ロキ王立高等教養学園は王侯貴族や将来的に重要な地位になるであろう特別な者が教育を受ける機関である。




 学園の廊下をある少女達が歩いていた。

 彼女達を通り過ぎた風はその身に纏う華やかな香りを運び、人の視線を呼んだ。

 廊下にある生徒達の視線が男女問わずに彼女達へと惹き付けられる。

 そしてその視線が彼女達の姿を捉えたが最後、その美貌に視線は囚われ、離せなくなってしまう。


 香りと美しさで人を惹きつける三人の女性達は、さながら花の様である。


「おお」


 その美しい姿に目を奪われた男子生徒が感嘆の声を上げた。


「あれが噂に名高いノルンの三姉妹か。なんという美しさだ」


 彼女達は皆、ノルン国の王女であった。


 三人の内で一番の年長であるシャルロッテは、淡い金のロングヘアをロールにした上品な雰囲気の美人である。

 他の二人に比べても、所作が落ち着いていて他の二人に比べて大人びた様子だった。


 その次にあたるアンネは姉と同じ色の髪を短く揃えた闊達そうな少女である。

 姉と違って所作に粗雑さが目立つが、人に不快さを与えるような物でなく、彼女の品性を貶めるほどのものではなかった。

 むしろ、一般的な王女らしからぬ様子は周囲の者から親しみと好感を得るに至っていた。

 活動的な彼女は運動神経がよく、身長は姉妹の中で一番高かった。


 一番下のカタリーナはミドルヘヤの金髪を頭の両端で結わいたツインテールの少女である。

 その顔にはまだ幼さが多分に見られ、作られる笑顔は無邪気ですらあった。

 それは表情や容姿だけでなく、内面もまた明るく無邪気なものだろう。

 裏表なく人懐こい彼女は、男女問わず多くの生徒達から愛されていた。


 三者三様の姉妹であったが、共通しているのは誰もが美しい容姿であるという事だった。


「ノルンの姉妹はなんて美しいんだ」

「美しいだけじゃないぞ。三人とも成績優秀で模試の成績はいつも上位に名前が記される。その上、魔法実技もそつなくこなし、運動神経もいいらしい」

「完璧だ。もはや、女神と形容していいかもしれない」

「揃って歩くと、あんなに見栄えのする三姉妹が他にいるだろうか」

「揃って歩く姿はまるで、神話の一場面を見ているかのようだ」


 三人に見とれる男子生徒達が口々に囁き合う中。


「いや、違う」


 それを否定する声があった。


「何が?」

「三姉妹じゃない」


 そう言って、否定した生徒はノルンの姉妹から一歩遅れて歩く一人の少女を指した。


「四姉妹だ」


 指された少女は、黒い髪を三つ編みに結っていた。

 ビン底のように厚いメガネをかけたとても地味な少女である。

 それだけでなく、作る表情は仏頂面で可愛げの欠片もない。

 彼女は俯きがちに姉妹の影へ隠れるようにしながら後を歩いていた。


「あれも姉妹の一人だったのか?」

「あまりにも似ていないじゃないか」

「侍女の一人だと思ってた」


 他の三姉妹とは似ても似つかぬ容姿に、男子生徒達は驚きを口にする。


「そういえば聞いた事がある。名前はクラーラ。姉妹の長女だそうだ」

「長女! 一番背が低いのに」

「及ばないのは背だけじゃないぞ。学問も魔法も、もちろん運動だってできない。他の姉妹とは雲泥の差だ」

「メガネかけてて勉強できそうなのに?」

「信じられない。あれが姉妹だなんて」

「きっと、良い所は全部他の姉妹にとられちまったんだろうな」


 男子生徒達は口々に、クラーラへの感想を述べる。

 そのどれもが低評価である。


 しかしそれも致し方ない。

 彼女の妹達を花で例えるとすれば、クラーラは雑草と表現するほかにないだろう。

 それほどに彼女は地味であり、目立たない存在だった。


 そう、雑草であるならば誰も気にも留めないだろうが、しかし比べるべき花がそばにある以上どうしても注目され、比べられてしまうのである。


 それが彼女の不幸と言えた。


「ちょっと、そこ! お姉ちゃんの悪口言わないで!」


 普段笑顔を絶やさない末妹のカタリーナが、男子生徒達の言葉を聞きつけて怒鳴った。


「ああ、これは違うんだ」

「そう、そうだよ。悪い意味じゃないんだ。良い意味でだよ」


 怒鳴られた男子生徒達は、魅力的なカタリーナの逆鱗に触れ、しどろもどろに弁明する。


「どういう意味よ!」


 さらに食い下がろうとするカタリーナ。

 しかし、そんな彼女を後から抱きしめる者があった。


 カタリーナが振り返ると、それはクラーラであった。


「お姉ちゃん?」

「行こう」


 自分より少しだけ背の高い妹を抱え上げると、クラーラは再び歩き出した。


 足を留めていたシャルロッテとアンネもそれに続いて歩き出す。

 先ほどまでと違って、クラーラの後を歩く形で廊下を進み始めた。


「自分で歩けるよ。お姉ちゃん」


 頬を膨らせ、抗議するようにカタリーナが言うと、クラーラは彼女の体を下ろした。


「感情的になりやすい所は、あなたの悪い癖。治した方がいい」


 クラーラは淡々とした口調で、妹を嗜める。


「なんでいけないの? 嫌な事を言われたのは、こっちなのに……」


 依然、不機嫌そうな色を含んだ声で、カタリーナは訊ね返す。


「言われたのは私だけ」

「それでも好きな人を馬鹿にされるのは嫌だよ」


 クラーラは小さく息を吐き、カタリーナへ言葉を返す。


「それは私も同じ事。あなたは私にとって可愛い子だから、私のために嫌われるような事になってほしくない」

「それは……」


 姉に言われ、カタリーナは黙り込んだ。

 彼女の言い分に納得してしまったからだろう。


「でも、カタリーナの言う事もわかるよ」


 アンネが口を挟む。


「無視するようにしてるけど。僕も姉さんの悪口を言われるのは嫌だな」

「そうね。私も嫌。みんな、同じように思っているという事ね」


 続いて、シャルロッテもアンネに賛同する。

 そして、カタリーナに目線を合わせる。


「だから、カタリーナちゃんもアンネちゃんみたいに無視するのが良いと思うわ。その方が、お姉様も安心だろうから」

「……うん」


 まだ釈然としない様子ではあったが、末妹は一言答えた。

 そんな彼女に、シャルロッテは悪戯っぽい笑みを向ける。


「まぁ、本当はちょっとだけスッキリしたのだけれどね。カタリーナちゃんがああ言ってくれて」


 その言葉を受けて、カタリーナはしばし呆気に取られ、すぐに満面の笑みを浮かべた。

 そんなカタリーナの頭をアンネはグシグシと撫でた。


 そうして笑い合う三人を見て、クラーラは口の端にかすかな笑みを作る。


 確かに、この姉妹には差異がある。

 しかし、一様にして互いを想い合うという所は同じであった。




 学園には、生徒会が存在する。

 学園の秩序は、生徒会の自治によって保たれている。

 会を構成する面々は、各人の優秀さよりも各国の重要な地位にある血筋の人物が重視されていた。

 各国の王族が必ず一人ずつ所属する事となっており、それに数人の補佐を付ける事が許されていた。


 これは後々に国の運営に携わるであろう者達に、擬似的な大衆統治の場を与えるという意味合いもあるのだろう。

 補佐を選び、付ける事ができるのも腹心の部下を選び、その絆を育む事を目的としたものである。


 よって、ノルンの王女であるシャルロッテもまた、その生徒会のメンバーであった。

 そして、彼女の補佐にはクラーラが付いていた。


「これで、終わりね」


 投書された生徒達の陳述をリストへ書き写す作業を終えて、シャルロッテは言った。

 肩のコリを解すように肩を回した。


「お姉様もお疲れ様です」


 妹の労いに、クラーラはかすかに頷くだけで応えた。


 次いで、シャルロッテは生徒会室を見渡した。

 他の生徒会役員達が、それぞれの机で書類を相手に悪戦苦闘している様がそこにはあった。

 その側近達も忙しなく動き回り、補佐している。


 シャルロッテは小さく息を吐く。


「お父様は、これをほとんど一人でこなしているのよね……」


 学園を国に例えるならば、生徒会の役員はその運営を行う為政者達である。

 そして、その疑似体験を行わせる事が、学園側の意図でもある。


 それを知っているからこそ、シャルロッテは思うのだ。


 大変な仕事だ。

 それも、自分はその一部しか成していない。

 陳述は、言わば民の声。

 彼女はその要望を書き写すだけであり、それを取り上げるかどうかの最終的な判断は役員達の会議によって決められる。


 つまり、作業は分担されている。


 しかし、実際の王は違う。


 民からの要望も、他の仕事も、全て自分で処理しなければならない。

 大変な仕事だ。


 その仕事を担う将来が、自分の歩む先に待ち受けている。

 そう思うと、気が重くなる。


 シャルロッテは第一位の王位継承権を持っていた。

 姉妹の中、彼女が生徒会に在籍する事になったのもそれがあるからだ。


 もし王が引退や崩御するような事になれば、彼女が女王となるのである。


「私に、務まるのかしら……」


 誰に向けるでもない呟き。


「……シャルロッテなら、いい王様になると思う」


 しかしその呟きに、答える声があった。

 クラーラである。


「お姉様……」


 シャルロッテは表情を曇らせる。

 失言だと、思ったからだ。


 王位は、長子に継承される事が当たり前である。

 しかし……。


「ごめんなさい。お姉様。本当なら、長子のお姉様が王位を継ぐはずなのに……」


 長子はクラーラである。

 なのに、何故シャルロッテが王位継承権第一位なのか。


 それは、クラーラの生まれが関係している。

 彼女は、正妻の子供ではなく、他の姉妹とも腹違いにあたるからだ。


 何より、その存在が明らかとなったのも、ごく最近の事だった。


 クラーラは、シャルロッテにとって父親の不貞によって生まれた姉。

 子として、父が母を裏切っていたという事実には一抹の不快感を持っている。

 しかしながらシャルロッテは、クラーラの事が好きだった。

 彼女という姉がいるという事実は、素直に喜ばしい事だった。


 ゆえに、彼女は複雑な感情を父へ抱いている。


「悲しませるつもりで言ったわけじゃない」


 クラーラは言う。


 クラーラは寡黙で、あまり喋る事がない。

 いとってすらいるようでもある。

 だから、こうして言葉を用いる事は珍しい。

 それでも、必要だと思えばしっかりと言葉を伝える。


 それでも彼女の行動一つ一つから、自分を思い遣ってくれている事がわかるのである。


 彼女は、自分を大事にしてくれている。

 いや、自分だけではない。


 他の姉妹を含めた三人をとても大事にしてくれている。

 控えめに、しかし確かな愛情を以って接してくれる。


 そう思えるから、シャルロッテはクラーラが好きだった。


 クラーラは黙ってシャルロッテに近づき、背伸びをして妹の頭を撫でた。

 頭に触れられ、シャルロッテは嬉しい気持ちが溢れてくるのを感じた。

 自然と、目を閉じる。


 安らぎを覚えた。


「相変わらず、仲の良い事だね」


 そんな二人に、声をかける人物があった。


 シャルロッテは目を開け、声の主を見た。


 一人の少年がそこに居た。


「ベネディクト……生徒会長」


 シャルロッテは少年をそう呼び、ほんのりと頬を赤らめた。


 ベネディクトはノルンの隣国、トール国の王子である。

 彼は幼い顔立ちに、短く切りそろえられた金髪の少年だった。

 一般的な男子生徒と比べて小柄な体格をしており、下手をすれば幼子のようにも見えた。

 クラーラより高いが、シャルロッテより低い。 

 しかしその所作は洗練されており、さりげない仕草、その細部に至るまで気品が宿っている。


 その部分が、彼を見た目以上に大人びた雰囲気を彼に持たせていた。


「普段、大人びた雰囲気のシャルロッテさんが、まるで子供みたいだ」

「それは、お姉様が相手ですから」


 ベネディクトはチラリとクラーラに視線を向け、微笑んだ。

 クラーラは無表情のまま、小さく会釈した。


「それで、ちょっと話があるんだけど」


 ベネディクトは視線をシャルロッテに戻してから申し出た。


「何でしょう」

「場所を変えよう。二人とも、来てほしい」

「……わかりました」


 生徒会室の隣には、応接室がある。

 生徒会室と応接室は室内のドアから繋がっており、そこを通ってベネディクトは応接室へ向かう。


「どうぞ」


 応接室にはテーブルとそれを挟んで向かい合う形でソファーが二つ置かれており、ベネディクトはその一方に二人が座るよう促す。


 シャルロッテとクラーラは促されるまま、そのソファーへ座る。

 ベネディクトは向かい側のソファーへ座った。


 彼と姉妹が向かい合わせの形となる。


「生徒会の方にも話せない事なのですか?」


 シャルロッテは訊ねる。

 ベネディクトは、その問いに頷きで答えた。


「いらぬ混乱を招かないために、知らない人は多い方が良いと思って」

「何があったんです?」

「暴行事件だよ」

「暴行?」


 シャルロッテは、ベネディクトの言葉をそのまま返した。


「通り魔と言った方がいいかな。学園の生徒が、何人か道を歩いている時に襲われた」

「襲われた人は?」

「皆、命に別状はないそうだよ」

「そうですか」


 シャルロッテは、ホッと胸を撫で下ろした。


「僕は、その犯人を捕まえたいと思っている」

「どうして、それを私に?」

「犯人の凶器が、槍試合ジョスト用のランスだと判明したからさ」

「馬術部?」


 槍試合用のランスと言われ、シャルロッテは真っ先に連想した物を口にする。


 馬術部は乗馬のみならず、騎士としての技術も教えている。

 ランスを用いた試合を行う事もあるのだ。


「それだけじゃなくて、馬にも乗っていたらしい。襲われた生徒はみんな馬術部に在籍した人間で、馬とランスによる突撃攻撃を受けた。試合の時のように……」

「そんな……」


 その様子を想像して、シャルロッテは言葉を失う。


 馬の速度を合わせたランスの一突き。

 たとえそれが試合用の物だったとしても、そんな物を受ければ大怪我を負ってしまう事は想像に難くない。


「襲われた生徒達に訊いてみたけど、どうやら誰も顔を見ていなかったそうだ。でも、馬やランスの扱い、それに被害者が全員馬術部員である事から、馬術部の誰かが犯人である可能性が高い。それで、頼みたい事があるんだけど」

「私の妹ですか?」


 ベネディクトは頷いて答える。


「君の妹さんは運動部に顔が利くらしいからね。だから、直接会って馬術部について話を訊いておきたいんだ」


 アンネは持ち前の運動神経の良さから、運動部の助っ人として呼ばれる事が多々あった。

 なので、部活関係の人間と親しいのである。


「ああ、そういう事ですか。わかりました。アンネに言っておきます」

「助かるよ」

「いいえ。……それにしても通り魔事件ですか。犯人が悪魔憑きという事は?」


 シャルロッテの問いに、ベネディクトは少し首を傾げてから答えた。


「憑魔病の事?」

「はい」


 憑魔病というのは、高濃度の魔力が精神に作用する事で起こる病の事である。

 主に、強い感情に反応し、そこへ魔力が寄り集まって発症するらしい。

 それにかかった人間は感情のままに行動し、結果として凶暴性を発露させる事が多いという。


「うん。それもあるかもしれない。ここは知識の国で、このみやこは有数の学園都市でもある。魔術を専門に扱う研究機関も多くて、魔力の濃度も高い。そういう場所では、憑魔病も発現しやすいらしいから」

「もし、本当に憑魔病の人間が犯人だとしたら、私達の手に負えるのでしょうか?」

「……わからないけれど。本当にそうなら、素直に学園へ対処を任せるよ。ただ、今はまだ学園内、生徒間の問題だ。だったら、なるべく生徒会の自治権で対処するべきだと僕は思ってる」

「会長のお考えはわかりました」

「お願いするよ」


 シャルロッテは、ベネディクトの願いを了承した。

 それから生徒会室へ戻り、仕事を再開する。

 その仕事が終わった後。


「危ない事には、関わるべきじゃない」


 生徒会役員と別れ、寮への帰り道。

 廊下で二人きりとなった時、クラーラが言った。


「別に、直接事件に関わるわけじゃないわ。アンネからも、話を訊くだけだと思うし」

「だとしても、心配だ」

「でも……」


 姉が自分を心配してくれている事はわかる。

 けれど、ベネディクトが自分を頼ってくれた。

 そう思うと、良い返事をしたいと思ってしまった。


「あの会長も、自分の目的のために他人を巻き込む事は止めてもらいたい……」


 クラーラの言葉。

 それは、ベネディクトに対する非難であった。

 しかし、シャルロッテにとってそれは、自分に対する言葉のようにも思えた。


「……いいじゃない、別に。私が頼まれた事なんだから。お姉様が関わらなければいいだけでしょ」


 強い口調で、シャルロッテは返した。


 クラーラは黙り込んだ。

 その表情に、感情は見られない。


 それを見て、シャルロッテは気まずい気分になった。


「先に、行きます」


 シャルロッテはそう言い残して、半ば走るような早足で歩き出す。

 クラーラを置いていき、彼女は去っていく。


 その背を見送ってクラーラは溜息を吐き……。


「女の子は難しい……」


 呟いた。




 翌日、シャルロッテはアンネとベネディクトを引き合わせた。


 クラーラはいない。

 昨日の事があってから、シャルロッテはクラーラと話をしていない。


 姉は心配してくれていただけなのに、感情的に強い言葉をぶつけてしまった。

 それを気にしていた。


 クラーラ自身は元々あまり喋らないため、どう思っているのかわからない。

 けれど、シャルロッテは気まずさを覚えていた。


「は、初めまして、アンネです」

「こちらこそ。ベネディクトです」


 挨拶と共に、握手を交わす二人。


 ただ、ベネディクトへ対するアンネの態度にはぎこちなさがあった。

 表情もどこか硬い。


 人付き合いに物怖じのない彼女にしては、珍しい態度である。


「何か?」


 その態度に気付いて、ベネディクトが訊ね返す。


「いえ、ちょっと……。緊張してるだけです」

「敵意を向けられると思った?」


 ベネディクトは相手を安心させるように、笑顔で訊ねた。

 そうあけすけに問われて、アンネも少しだけ警戒が解けたらしい。

 心中を吐露する。


「トール国の人は、僕達に良い感情を持っていない事が多いから……」

「長く戦ってたからね。僕らの国は……。嫌な事、言われた?」

「はい、少し……」


 その「少し」という部分が、過小な表現であろう事をベネディクトは察した。


「そんな人は多いけれど……。戦争が終わったのは三年前の事だよ。この学園に在籍している生徒で、実際に戦場を経験した人間なんていない」


 この学園に入学する者は貴族ばかりだ。

 平民階級の人間ならば、幼くして戦場に立つ事もあっただろう。

 しかし、貴族階級で十代の内に戦場へ立った者はいない。


「彼らの君達に対する気持ちなんて、大人達が吹き込んだものでしかない。そんなの気にする必要はないさ」


 ベネディクトに言われて、アンネは心が軽くなるのを感じた。


 当のトール国王子が言う言葉だ。

 これほど説得力のある言葉はない。


「ありがとうございます」

「それも見当違いだよ。お互い様だから赦しあう必要もないし、それに対する感謝も必要ないはずだ」

「そう……なのかもしれませんね」

「少なくとも僕はそう思うよ。……さ、行こうか」


 ベネディクトは言って、アンネを促した。


「はい」


 アンネに連れられて、シャルロッテとベネディクトは馬術部の敷地へ向かった。


 広く囲われた柵の中、馬に乗った生徒達が様々な馬術の練習をしている。


 ただ馬を走らせる者もあれば、障害物を飛び越えさせている者もある。

 そして、槍試合の練習をしている者も。


 今まさに、一組ひとくみが試合を行おうとしていた。

 甲冑に身を包み、手にランスを持ち、互いに向かい合って馬を走らせる二人の騎手。


 二人の距離が狭まり、交差しようとする瞬間。

 一方の騎手の槍が、もう一方の騎手の胸を打った。


 打たれた騎手が落馬し、打ち据えた騎手は緩やかに馬の歩を止めさせる。


「わっ……」


 試合の迫力に、シャルロッテが思わず声を上げた。


「あれ、ダーヴィト部長ですね」


 アンネが、今勝利した騎手を指して言う。


「彼が?」

「部長は馬術部で最強の騎手なんです。何度か試合を見てますけど、負けた所を見た事がありません」


 アンネの言葉を聞き、ベネディクトは指された騎手を見る。

 丁度その時、ダーヴィトと呼ばれた騎手が兜を脱いだ。

 素顔があらわになる。


 ダーヴィトは体格こそがっしりとしているが、その顔つきは優しげだった。

 色素の薄い髪質は柔らかそうで、目尻は少し下がっている。


 そんな彼が、ベネディクト達に気付いてそちらを見た。

 恐らく、見知っているアンネがいたからだろう。


 彼が見ている事に気付いたアンネは、笑顔を作ってダーヴィトへ手を振った。




「こんにちは。生徒会長。それに、アンネさん」


 甲冑を脱ぎ、ベネディクト達の前へ現れたダーヴィトは挨拶した。


「あなたは?」


 シャルロッテに目を向け、ダーヴィトは訊ねる。


「私の姉です」

「シャルロッテと申します」


 アンネが答え、シャルロッテは名乗った。


「では、かの有名なノルンの姫君ですか。道理で、お美しい」

「はぁ……。ありがとうございます」


 シャルロッテは答えに窮して要領を得ない声を出し、礼を述べた。


「確か、生徒会に所属しているのでしたね。役員が二人という事は、生徒会の用事でお訪ねになられたという事でしょうか?」


 ダーヴィトはしばし考え込んでから、続けて言葉を発する。


「もしかして、通り魔事件の事ですか?」

「ええ」


 ダーヴィトに核心を衝かれ、ベネディクトは肯定した。


「被害者は皆、うちの部員……。犯人もまた、部員である可能性が高いという事でしょう?」


 ベネディクトはうなずきだけでその問いに答える。


「その件について、あなたを含めた部員から話を聞きたいのですけど」

「わかりました。協力させていただきます」




「それで、結局進展はなかったの?」


 寮の一室。

 四人用の広い部屋。

 姉二人の話が終わると、カタリーナはそう訊ね返した。


 部屋に置かれた四つのベッド。

 それぞれ自分のベッドに座り、ノルンの姉妹達は話していた。


 クラーラはもう寝息を立てているが、他の三人は話に興じている。


「うん。特に問題はないみたいだった」

「みんな、部活内の仲は悪くなくて、被害者を恨んでいる人もいなかったみたい」

「被害者の共通点を探るために、交友関係を図式にしてみたけどそれでも浮かび上がる人物もいなかった。強いて言うなら、みんな槍試合の騎手だったって事だけ」


 シャルロッテとアンネはカタリーナに答える。


「私の聞いていた話とは違うなぁ……」


 その話を聞いて、カタリーナは首を傾げた。

 懐疑的な調子で呟く。


「どういう事?」

「馬術部の内情はもっとギスギスしてるって聞いたけど」


 末妹の話を聞いて、シャルロッテとアンネは互いに顔を見合わせた。

 また、同時にカタリーナへ顔を向ける。


「部内には派閥と階級があって、槍試合に関わってる人ほど発言力があるって聞いたよ」


 カタリーナの話は、二人の姉にとってまったく聞き覚えのない話だった。


「どこでそんな事を聞いたの? そんな話、僕は一度も聞いた事がないんだけど」

「それは多分、お姉ちゃんが部の人間としか話していないからだよ」

「どういう事?」

「部の中では言えない事ってあると思うんだ。ほら、部内の人間だとそこから告げ口とかされるかもしれないって警戒するけれど、部と関係ない人になら話せるって事あるでしょ?」


 つまり、カタリーナは部の人間から直接訊いたわけではないわけだ。

 恐らく、部の人間から部と関係ない人間へ伝わった内容の話だ。


 確かに、部というのは一種の組織と言える。

 戒律とまでは言わないまでも、掟のような物があるかもしれない。

 それが人を縛り、口に戸を立てるという事もある。


 でも部と関係ない人間になら、安心してそういう内情を語る事もできる。

 そう思って、部内での愚痴などを漏らす事はあるかもしれない。


 皮肉な事に、内部よりも外部からの情報の方が実体を把握している場合もあるという事だ。


 いろいろな部と関係のあるアンネがそう言った内情を理解していないのは、正式に馬術部の部員ではないからだろう。

 親しくとも、ゲストには違いない。


 彼女の目には、そういった暗部のような部分が明らかにされなかったのだろう。


「なるほど……。それもありえるか」


 アンネは難しい顔で言う。

 それは彼女にとって、あまり好ましい内容ではないようだった。


「槍試合で強い人ほど横暴らしいよ。階級の低い人相手に威張り散らして、暴力だって平気で振るうって。そういう理由で、槍試合の騎手は恨まれている人が多いんじゃないかな」


 カタリーナは言う。


 それが本当なら、恨みを持っている人間は馬術部内に多くいるという事だ。

 カタリーナの説が確かなら、被害者が全員槍試合の騎手だった事にも納得できる。


「でも、部長さんはそんな人じゃないよ」


 アンネは反論するように言った。


「部長は一番強いけど、そんな弱い人を虐げるような人じゃないよ」

「あー」


 カタリーナは言い返すでもなく、少し考えてから口を開く。


「それは正しいかも……。馬術部のいろんな話を聞いたけど、部長さんの悪口は聞いた事がないから。すごく強いっていう話くらい」

「ほら」


 アンネは、誇らしそうに言った。


「これは思わぬ所で進展があったわね」


 シャルロッテは呟くように言う。


「でも、犯人は誰なのかしら? 槍試合の騎手じゃない部員?」

「……どうだろう? 聞いている限り、槍試合の強さが階級に影響しているみたいだし……。槍試合に参加していない騎手が、槍試合の騎手に勝てるかな?」

「流石に、無防備な相手を闇討ちすれば腕は関係ないと思うけど」

「あ、そうだね」


 考えてもいなかったのか、アンネはシャルロッテの言葉を聞いて素直に納得した。

 彼女は、犯人が正々堂々と戦いを挑んだと思っていたのだろう。


 明日、ベネディクトにこの話をしてみよう。

 シャルロッテはそう思った。




 翌日。

 生徒会の応接室。


 ベネディクトを呼び出して、シャルロッテは昨夜の話を聞かせた。


「そういう可能性もある、か……」


 その説を聞いて、ベネディクトは黙り込んだ。


「もし、それが正しいとすれば、どうしましょうか?」


 その沈黙に堪えかねたかのように、シャルロッテは訊ねた。


「犯人をどうやって見つけましょう?」

「……いや、犯人を見つける必要はないよ。要はその制度……馬術部の内情その物が原因である可能性がある。なら、その可能性を潰せば今後事件は起こらないという事だ」


 重ねてシャルロッテが訊ねると、ベネディクトはそう返した。


「どうやって?」

「馬術部内の階級を壊してしまおう」


 ベネディクトはそう言って、シャルロッテへ微笑みを向けた。


 その後、シャルロッテとベネディクトは馬術部へ向かった。


 ベネディクトはダーヴィトを見つけると、彼へ近づいていく。


「ダーヴィト部長」

「生徒会長……。どうしました?」

「僕も少し、運動したいと思いまして。槍試合をさせてくれませんか?」


 ベネディクトが申し出ると、ダーヴィトは驚きを隠せない様子だった。


「それは……素人が思うほど簡単な競技ではありませんよ?」

「大丈夫です。素人ではありませんから」


 そう答えると、ベネディクトは不敵な笑みを浮かべた。


「……わかりました。誰か、手頃な相手を探しましょう」

「あなたがいいな。ダーヴィト部長」


 ベネディクトはダーヴィトを名指しする。


「構いませんね?」

「それは……もちろん」

「装備はそちらの物を貸していただきます」

「はい」


 ダーヴィトは手近に居た部員に声をかけて、装備を用意させる。


「大丈夫なんですか?」


 シャルロッテは心配そうにベネディクトへうかがう。


「多分」

「多分って……」


 シャルロッテの不安が募る。


「まぁ、でも大丈夫だよ」


 ベネディクトは笑顔で答える。

 その表情からは、自信が滲みだしていた。


 けれど、相手は馬術部最強と言われるダーヴィト部長だ。


 対する、ベネディクトの腕がどれほどのものかわからないが。

 たとえ経験があり、ダーヴィト部長に並ぶ腕を持っていたとしても、この学園に入学してからは槍試合などしていないはず……。


 到底勝てるとは思えなかった。


 互いに甲冑を着け、馬上に跨り、手に槍を持つ。

 準備が整い、試合が始まった。


 向かいあって馬を走らせ、槍を相手へ向ける。

 二人の距離が、恐ろしい速さで縮まっていく。


 その様をシャルロッテは心配そうに見守った。


 そしてすれ違い様――


 シャルロッテは目を閉じた。

 槍の穂先が砕ける音。

 周囲のざわめき。

 歓声……。


 恐る恐る、シャルロッテは目を開けた。


 そこには、落馬して倒れ伏した人物と馬上にあって悠然と馬に歩を進ませる人物の姿がある。


 シャルロッテは、馬上の人物を確かめる。

 その人物はベネディクトだった。


 ベネディクトが勝ったのだ。


「はぁ……」


 安心から、溜息が漏れた。


 落馬したダーヴィトは兜を外し、痛みからぎこちない動きで上体を起こす。

 そんな彼に対し、ベネディクトは兜のバイザーを上げてから手を伸ばして差し出す。


「……お強いですね」


 ダーヴィトは言うと、ベネディクトの手を掴んだ。


「多少の覚えがありましてね」


 ベネディクトは、ダーヴィトを引き上げて立たせた。


 そしてダーヴィトから視線を外し、周囲を見回す。


「さぁ、次の相手を所望したい。誰か、僕の相手になってくれる者はいないか」


 すぐに、名乗り出る者はなかった。

 その場を占めていた感情は、戸惑い。

 部内で最強のダーヴィトが敗れた事に対する物だ。


 しかし……。


「俺が相手をしよう」


 意を決した一人が声を上げる。


 ダーヴィトが敗れた相手。

 それに勝てば、自分の方がダーヴィトよりも強いという事になる。


 ベネディクトは最強のダーヴィトに勝った。

 しかし、あれはまぐれかもしれないのだ。

 ダーヴィトは油断していて、たまたまその油断を衝かれただけかもしれない。


 それでも、ダーヴィトが敗れた事実は変わらない。

 ベネディクトに勝てれば、この部で最強の騎手は自分だ。


 それは、部内の階級で頂点に立ったという事を意味する。


「その次は俺だ!」

「私もやる!」


 一人が口火を切ると、さらに次々と声を上げる者があった。


 部内でその実力が知れ渡っているダーヴィトに挑むよりも、未知数のベネディクトへ挑む方が敷居は低かったというのもある。

 よって、ベネディクトへ対する挑戦を願い出る者は多かった。


「焦らなくていい。元より、挑戦は全て受けるつもりだ。かかってくるといい」


 部員達に行渡るように声を上げると、ベネディクトはバイザーを下げた。




 結果から言えば、ベネディクトはその後の試合に全て勝利した。


 数ある挑戦者達のことごとくを打ち倒したのである。


 最初こそ不安そうに見ていたシャルロッテだったが、あまりにも難なく相手を倒していくベネディクトを見ていると、その不安が杞憂である事に気付いた。

 後半は、何の心配もなくベネディクトの試合を見る事ができた。


「次に挑戦する者は?」


 目ぼしい相手を全て倒し、そう訊ねる。

 が、誰も挑戦しようとしなかった。


 ここまで来ると、もはやベネディクトの実力を疑う者はなかった。

 彼はまぐれなどではなく、間違いなくダーヴィト以上の実力者だという事だ。


「いないようだね。……困った事だな。部員でもない僕が、馬術部内で一番強いなんて」


 それを聞いて、彼に挑んだ十数名の部員達が悔しげな様子だった。

 ある者は俯き、ある者はベネディクトを恨めしげに睨む。


 そんな彼らを前に馬から下りると、ベネディクトはその場を後にした。


「さぁ、帰ろうか」


 更衣室で甲冑から着替えた彼は、シャルロッテに声をかけて帰路に着く。

 その背を馬術部の部員達は、言葉もなく見送った。


 槍試合に時間を費やしたため、周囲は既に暗くなっていた。

 そんな学園の敷地内。

 石畳の並木道をベネディクトとシャルロッテは歩く。


「これで僕は馬術部で最高の階級を得た事になるね。馬術部でもない者に最強の座を奪われ、彼らの面目も潰れた。犯人が槍試合の騎手に恨みを持つの者だったとすれば、少しは気分が晴れたろう」

「だからあんな事を?」

「そうだよ。あとは、ちょくちょく顔を出して同じ事をすればある程度抑えられるかもしれない」

「そんなにうまくいくでしょうか?」

「犯人が本当に君の説通りなら可能性がある。少しでも効果があるかもしれないなら、行動するべきだよ」


 それもそうだ。とシャルロッテは納得する。


 犯人を特定するよりも、その犯行動機と思しき物を潰す事で今後の犯行を抑制する。

 それがベネディクトの考えだ。


 うまく作用するかはわからないが、些細な可能性であっても何もしないより良い。


「……それにしても生徒会長。槍試合、お強いのですね」

「実戦を経験した者が多かったからね。そんな人達から教わっているから、それなりに僕は強いんだよ」


 彼の言葉に、シャルロッテは小さく顔を俯けた。


 ベネディクトの国、トールは三年前まで隣国と戦争状態にあった。

 その隣国というのは、ノルンである。


「そうですか」

「君が気にする事じゃないと思うけど」


 シャルロッテの様子に気付いて、ベネディクトは言う。

 その言葉に、シャルロッテは顔を上げる。


 そんな彼女に、ベネディクトは続けた。


「何より僕は、君のお父上を尊敬している」

「え?」


 シャルロッテは驚きの声を上げる。

 トールの王子である彼から、そんな言葉が出るとは思わなかったのだ。


「かつての敵国だから、僕の国であなたのお父上を悪く言う人間は少なくない。けれど、僕はあなたのお父上を尊敬している」


 ベネディクトは重ねて言った。


「何故?」

「戦争を終わらせたから……。僕はたくさん見ていたんだ。戦いに疲れきって、傷ついて……それでも戦わなければならない人達を……。笑いなんてなく、ただ静寂だけが蔓延する国内を……。僕は見て育ったんだ」


 その時の事を思い返したのか、彼の表情にかすかな陰が射す。


「誰もが戦争に疲れていた。それでも僕の国の人間は、戦争を終わらせる方法として戦う事しか考えていなかったよ。でも、君のお父上は違った」


 そう言って、ベネディクトはシャルロッテへ笑いかけた。


「あなたのお父上は戦争を終わらせた。そのために尽力した。あのまま戦争が続けば、負けていたのはトールだった。でもあなたのお父上はトールの土地を返し、戦費の賠償もしてくださた。その代償として求めたのが、両国の和平だった」


 ノルン王の大きな譲歩に、心から彼が平和を望んでいるとトール王は気付き、だからこそ今の両国がある。

 まだぎこちなさは残る両国の関係だが、それでも少しずつ歩み寄ろうと互いに努力している。


「あなたのお父上は、全てを投げ打つようにして平和を望んだ。誰にでもできる事じゃない。だから僕は、君のお父上を尊敬しているんだ。わかってくれた?」

「……はい」


 躊躇いがちに、それでも小さく笑顔を作り、シャルロッテは答えた。

 ベネディクトもそれに笑顔で応える。


「君とこうして、友好な関係を築けているのもお父上のおかげだ。それも個人的に嬉しい事だと思っているよ」

「はぁ……」


 シャルロッテはそう言われる事が嬉しかった。

 けれど、恥ずかしさから何を言っていいのかわからず、要領の得ない声が出る。


 その様子にベネディクトは「ふふっ」と小さく笑う。


 そんな時だった。


 カッコッ、と前方の闇から音がした。


 二人はその音に気付き、そちらを見た。

 闇の中に、かすかながらも馬に騎乗した人物の輪郭が浮かび上がる。

 その人物は、試合用のランスを手にしていた。


「あの……とても嫌な予感がするのですけど……」

「僕もだよ。これは予想外だ……」


 ベネディクトはシャルロッテの手を握る。

 思いがけない事にシャルロッテが顔を火照らせるのも束の間、ベネディクトはその手を引いて来た道を振り返り、走り出した。


 その様子を見て取った馬上の人物が、馬を走らせ二人を追う。


「はっ!」


 逃げながら振り返り、ベネディクトは手を馬上の人物へ向ける。

 その手から、雷撃が迸った。


 しかし、馬上の人物は雷撃の直撃を受けながらも怯まずに突撃してくる。

 まるで効いてはいない。


 しかし、一瞬の閃光が辺りを青白く照らす。

 その光が、馬上の人物の顔を照らした。


 ダーヴィト部長!?


 その正体に気付き、ベネディクトは驚く。


 驚きつつも、ベネディクトはシャルロッテの手を引いて駆け出した。


 何故、ダーヴィト部長が?

 それに、魔法が効かなかった……。


 そうか。

 憑魔病か……。


 精神を高濃度の魔力で侵された憑魔病の人間は、常に魔力を纏っているために魔法が効き難い。


 恐らくダーヴィト部長は、憑魔病に侵されている。

 憑魔病が感情の抑制を無くし、彼の理性を消失させているのだ。


 それが、この通り魔事件の真相か……!


 しかし、どうすればいい?

 馬の足から、人は逃げられない。


 どうすれば……。


 そう思う間にも、ダーヴィト部長の駆けさせる馬は二人の背後に迫りつつあった。




 ノルン姉妹の部屋。


「おい……。お前の妹、大変な事になってるぞ」


 どこからか、そんな声がクラーラの耳に囁きかけた。


 それを聞くと、クラーラはベッドから身を起こした。


「お姉ちゃん、どうかした?」


 カタリーナに声をかけられて、クラーラはそちらを向いた。


 カタリーナとアンネはすでに部屋へ戻っていた。


「散歩」

「私も一緒に行っていい?」

「ダメ」

「えー」


 カタリーナの提案を退け、クラーラはベッドから下りる。


「無理言っちゃいけないよ。誰だって一人になりたい時があるだろう」

「でもー」


 窘めるアンネとそれでも納得できないカタリーナ。

 そんな二人の会話を聞きながら、クラーラは部屋の外へ出た。


 そのまま外へ出て、三つ編みを留めた髪紐を外すと、髪が解けて夜風に流れる。

 メガネを外す。

 その下には、鋭い眼光が隠されていた。

 そして、虚空へと声を発する。


「案内しろ。ナイトメア」

「あいよ」


 その声を受け、先ほどクラーラに囁いた何者かの声が応える。


 夜の闇に紛れた何かが渦巻き、形を作っていく。

 そして像を形成したそれは、一頭の馬の形をしていた。


 しかしただの馬ではない。

 口元から吐く息には青白い炎が混じり、馬蹄からも同じ色の炎が迸っている。


 そして、渦巻く闇はクラーラ自身にもまとわりついた。

 彼女の体に、夜の闇に溶け込むような漆黒の鎧を形成する。

 全身を余す所なく包み込んだ彼女の鎧。

 その左肩口には、エンブレムがあった。


 十二本のランスが斜めに並び、円を描くようなエンブレムである。


 漆黒の燃える馬に騎乗した彼女は、まさしく黒い騎士である。


「行け」


 夜の闇。

 それを切り裂くような鋭い速さで、彼女は馬を駆けさせた。




 ベネディクトは何とか並木道の木々を縫うように、時にそれを盾にしながらダーヴィトの猛攻を防いでいた。


 彼は一人である。

 シャルロッテは、逃げる間に突き飛ばして自分から離れさせた。


 狙われているのは、恐らくベネディクトである。

 ダーヴィトの攻撃が、主に自分へ向けられている事からベネディクトはそれを察した。


 だから、自分からシャルロッテを離す必要があった。


 シャルロッテは少し離れた場所から、心配そうに見守っている。

 あまりの事態に動転し、助けを呼びに行くという事を失念していた。


 彼から離れ、目をそらせばその間に彼がやられてしまうのではないか。

 そんな考えが、彼女の中にあった。


 しかし、彼女が見ていようが見ていまいが、事態は進行する。


 上手く立ち回り、攻撃を回避していたベネディクトではあったが、それもいつまでも続かなかった。


 ダーヴィトの突きが、盾にしていた木を貫通してベネディクトに当たった。


 ダーヴィトの持っていたランスは、試合用の物だ。

 鋭利さもなければ、すぐに砕けるようになっている。


 だというのに、何故木を貫通したのか。

 肩口を傷つけられ、痛みを覚えながらもベネディクトは不可解に思った。


 見れば、ランスの先端が黒く染まり、鋭利に尖っている。


 魔力で形成された穂先だ……。

 憑魔病による物か。


 ベネディクトは倒れこみ、その前にダーヴィトは馬を歩ませた。

 ランスを引く。

 突き込むための予備動作だ。


「ダーヴィト部長! 何故、こんな事をするんだ!」


 届かないかもしれない。

 そう思いつつ、ベネディクトは問いを投げかける。


「僕は負けたくないんだ!」


 すると、意外にも返答があった。


「強くなければ、しいたげられる! みじめな思いをする! 僕は、二度とあんな思いはしたくないんだ!」


 必死の叫びだった。

 それはまるで、強迫観念に駆られているかのようでもある。


 馬術部には、階級が存在する。

 下位の者は、上位の者から虐げられる。


 今の彼からは想像できないが、彼もまたかつては虐げられる者だったのかもしれない。


 その恐怖や惨めさを知るからこそ、勝利に拘っていた。

 その拘りが、憑魔病を患うほどに彼の心を蝕んでいたという事なのだろう。


 ダーヴィトはランスをベネディクトへ突き込もうとする。


「やめて!」


 そんな声と共に、ダーヴィトの後頭部へ何かがぶつけられた。

 それは、鞄である。


 声を上げ、鞄を投げつけたのはシャルロッテだった。


「よせ! シャルロッテさん!」


 ベネディクトは叫ぶ。

 しかし、その制止は遅かった。


 ダーヴィトの標的は、シャルロッテへ移っていた。


 彼は馬首をシャルロッテへ向け、ランスを構えた。


 まずい……!

 ベネディクトは焦る。


 そんな時だった。


 蹄鉄が石畳を叩くが、彼方より此方へと近づいてくる事に気付いた。


 ベネディクトは、音のする方を見る。


 闇夜に木霊する音。

 その音に伴い、揺れる光源と明滅する光源があった。

 それはこちらへ恐るべき速さで迫り、そしてその光源の正体が揺らめく炎と石畳に蹄鉄が叩き付けられて弾ける火花である事をベネディクトは知った。


 そして、それが姿を現す。


 漆黒の騎士。

 その人物が、ダーヴィトへ突撃を仕掛けた。


 無手だった騎士の手に、虚空の闇が寄り集まって武器の形を作る。

 持ち手の前後から刃の伸びるツインブレードだ!


 ダーヴィトは騎士に気付き、咄嗟にランスを構えて攻撃を防ぐ。

 火花が散った。


 すれ違いざまの一撃。

 ダーヴィトは体勢を崩しながらも、何とかそれを防いだ。

 注意が、シャルロッテから騎士へと向けられる。


「シャルロッテさん。こっちへ!」


 驚きと恐怖に固まっていたシャルロッテをベネディクトが呼ぶ。

 それを聞きつけてシャルロッテはようやく我に返り、ベネディクトの方へ走り寄る。


「い、今のは?」

「わからない……」


 問いかけるシャルロッテに言いながら、ベネディクトは騎士の方を見る。

 彼のいる場所からはダーヴィトの後姿と、彼と対峙する騎士の正面の姿が見える。


 そして彼は、騎士の肩口にあるエンブレムに気付いた。


「あれは、ランツェシュトゥルム!」

「ランツェシュトゥルム?」


 聞き覚えのない名に、シャルロッテは訊き返す。


「ご存じないのか? あなたの国の守護者と名高い、傭兵騎士団の名を……。そして、その中でも最強と謳われるランツェシュトゥルムの黒騎士を……!」


 答えるベネディクトだが、シャルロッテはなおも理解が及んでいない様子だった。

 彼女は、戦場の事を知らない。

 彼女の父も、大人は誰も戦場の事を語らなかったからだ。


 しかし、ベネディクトは知っていた。

 周囲の大人が、忌々しくも畏怖を覚え口にしていたその存在の名を……。


 その最強の騎士が、目の前にいるのだ。


「うおおおおっ!」


 ダーヴィトがその騎士へ向けて馬をかけさせ、ランスを突き込んだ。

 しかし、騎士はそれをツインブレードの上刃で難なくそらし、下刃をダーヴィトの胸へ突き込んだ。


「ぐっ」


 怯み、距離を取るダーヴィト。

 そんな彼を前に、騎士はツインブレードの柄を両手で持った。

 ツインブレードが二つに別れ、二振りの剣に変わる。


 騎士は、両手を胸の前でクロスさせるように構えた。

 二振りの刃に、可視化するほどの魔力が収束される。


 騎士の馬がダーヴィトへ向けて駆け出した。

 高く跳躍し、ダーヴィトへ迫る。


 そして、騎士の二振りが放たれる。

 魔力の刃が飛来し、ダーヴィトを貫通した。


 同時に、彼の身体から何か黒い物が霧散する。


「あぐぁ……!」


 悲鳴を上げ、ダーヴィトは落馬する。


「ダーヴィト部長!」


 ベネディクトはダーヴィトへ駆け寄る。

 ダーヴィトは、気を失っていた。

 しかし、命に別状はないようだった。


「心の闇を掃っただけだ」


 男か女かもわからない、歪んだ声が答える。

 それが騎士の発した物だと気付くまでに、少しの間がかかった。


「あなたは……何故ここに?」


 ベネディクトの問いに、騎士は答えず馬首を返した。

 そして来た時とは逆に、闇の中へと去って行った。


 ベネディクトは騎士の残す、青い炎と火花が消えるまでその闇の先を見続けた。




 その後、ベネディクトがダーヴィトの身柄を押さえて、学園の責任者の所へ報告に向かう事となり。

 シャルロッテは一人で、寮に帰る事になった。


 すると寮の前には、クラーラが立っていた。


「おかえり」


 クラーラは言葉少なに告げ、シャルロッテを出迎える。


 その一言を受けて、シャルロッテはふとダーヴィトに襲われた事を如実に思い出した。

 黒い騎士に助けられたけれど、あのまま誰にも助けられなかったら……。


 そう思うと、身が震える。


「お姉様……!」


 シャルロッテは、クラーラに抱きついた。


 クラーラは突然の事に少し驚いた様子だったが、シャルロッテの体が小刻みに震えている事に気付くとその背に手を回した。


「ごめんなさい、お姉様……」


 シャルロッテは謝った。

 それは自分を心配してくれた姉に、辛辣な言葉を放ってしまった事に対する謝罪だ。


 こんな事になるとは、クラーラ自身も思っていなかっただろう。

 しかし、それでも彼女の言う事は正しかった。

 シャルロッテはとても恐ろしい目に合ったのだから。


 それを思うと、罪悪感が強くなったのだ。


「何を謝る事があるの?」


 しかし、クラーラは平然と問い返す。


「すごく、怖い事があったの……」

「そう……。でも、もう何も怖くない。何があっても、私が守ってあげるからね……」


 優しい声で、クラーラは言う。

 その声を聞いていると、シャルロッテは安心した。


 それからシャルロッテは心が落ち着くまでの間、しばらくクラーラに抱きしめられていた。




 翌日の昼休み。

 ノルンの四姉妹はランチボックスを持って廊下を歩いていた。


 そんな時、声をかける者がいた。


「シャルロッテさん」

「生徒会長」


 それはベネディクトだった。


「ご一緒してもいいかな?」

「え、は、はい。喜んで」


 咄嗟に答えてから、シャルロッテは他の姉妹達を見る。


 二人の姉妹は笑顔で頷き、クラーラだけは無表情のまま頷く。


 中庭の開いた場所にシートを敷いて、そこで昼食を取り始める。


「あの、生徒会長。ダーヴィト部長はどうなったんですか?」


 シャルロッテは訊ねる。

 その顛末が気になるらしく、アンネもベネディクトに視線を向ける。

 彼女は、シャルロッテから事件の顛末を聞いていた。


 事件があったのはつい昨日の事だ。


 あれから、ベネディクトはシャルロッテを帰らせて、学園の責任者に報告へ向かった。

 だから、シャルロッテはダーヴィトにどんな沙汰が下ったのか知らなかった。


「お咎めはなさそうだよ」

「そうなんですか」


 アンネがホッと息を吐くのがわかった。


「あまり褒められた事じゃないけれど、学園側はこの件を隠したいらしいからね。だから、黙っていてくれと言われたよ」

「そうなんですか」

「幸い、もう事件は起こらないだろうから、良いと言ってしまえば良いんだけどね」


 ベネディクトは釈然としない様子で付け加えた。


「でも、ダーヴィト部長は悪い人じゃない」


 アンネが確固たる口調で答えた。

 この中で、ダーヴィトの事を一番知っているのは彼女だろう。

 だから、それは正しい事なのかもしれない。


「そうかもしれない」


 襲われた部員は皆、部内でも実力の高い騎手だったらしい。

 それも、何度かダーヴィトに打ち勝った事もあるほどの者達だったらしい。

 その勝利も、ほぼまぐれみたいな物ばかりだったらしいが……。


 それでも、ダーヴィトにとっては恐ろしい事だったのだろう。


 彼の心には闇が合った。

 その部分を憑魔病に侵されてしまったのだ。


 心という物は、それを持つ当人ですらどうしようもない事がある。


「しかし、ランツェシュトゥルムの騎士は何故現れたのだろう? 何故、あの場所に……」


 昨夜の事を思い出し、ベネディクトは呟く。


「みんなは、知らないのか?」


 ベネディクトは四姉妹に訊ねる。


 クラーラを除く三人は顔を見合わせるが、皆揃って首を傾げた。

 クラーラは一人、興味なさそうにランチボックスのサンドイッチをむしゃむしゃとやっている。


「もしかしたら、お父様が私達の護衛として密かに使わしてくださったのかもしれません。でも、どこにいるかはわかりません」


 シャルロッテが答える。


「うーん。そうなのか。残念だな。高名な騎士殿とは一度話をしてみたかったのに」


 ベネディクトは少し落胆した様子で答えた。


「そうなのですか?」

「僕も男の子ですからね。最強と謳われる騎士が身近にいるのなら、会ってみたいものですよ」

「そんなものなんですね」


 よくわからない、という様子でシャルロッテは返した。


 クラーラはその談笑を耳にしながら、新たなサンドイッチを取ってむしゃむしゃと食べ始めた。


 そして、思い返す。

 自分の生い立ちを……。




 クラーラは、ある女傭兵の娘として生まれた。

 生まれた時から戦地で育った彼女は、母が戦場で亡くなった事もあり、若くして自らも戦場に立つ事となった。


 彼女には才覚があり、そしてナイトメアという存在と出会った事で、傭兵団最強の騎士と呼ばれるようになった。

 その傭兵団こそが、ランツェシュトゥルムである。


 そしてある日の事。


 彼女は自分の父と初めて出会った。

 父は、ノルンの王だった。


 母とは、まだ父が王ではなかった頃、戦場で出会ったのだそうだ。

 二人は恋仲となり、しかし程なくして先王が死去した。

 父は戦地から呼び戻され、即位して王となった。


 母がクラーラを身篭っていた事を知らずに。


 それから時が経ち、クラーラの話を聞きつけた父は彼女に会いに来たのである。


「王宮に来なさい。一緒に暮らそう」


 王はそう言った。

 しかし……。


「嫌だ。私はここを離れたくない。離れる意味がない」


 クラーラはその申し出を断った。


「……何故? それでは君は戦いから逃れられない」

「ここには仲間……いや、家族がいる。皆、生きるために戦っている。戦いから、逃れられない人間ばかりだ。そんな奴らを私は守りたい。私が戦わなければ、命を落とす者が増えてしまうかもしれない。そんなのは嫌だ」


 クラーラは、そう告げた。

 その言葉は、力強かった。

 仲間を守りたいという強い信念があった。


「王の娘。そんな立場に興味はない。そこに、私の求める物はない」


 そんな娘の言葉に、王は心を動かされた。

 このまま戦争を続ければ、いずれ勝利があるだろう。


 ノルンは隣国を征服し、国土は大きく広がる。

 しかし、それは今じゃない。

 何年も先の話だ。


 その長い年月、きっとこの小さな娘は戦地を駆け続ける事となるだろう。

 寡黙ながら情に厚く、勇敢な我が娘は……。


 だから、王は戦争を止める事にした。


 王は隣国に和睦を申し入れ、関係を改善するために多くの譲歩をした。

 恒久的な平和が両国間に続くよう願って。


 そして戦争が終わり、ようやくクラーラは王の申し出を受けた。


 王には家族があり、クラーラは自分に妹がいる事を知った。

 誰も可愛らしく、無垢な少女達だ。


 クラーラは、そんな彼女達を愛した。


 戦場で仲間を守っていた彼女は今、愛する妹達《家族》を守っている。

 俺tueeeを書けるようになりたくて練習をしてみたら、ライダーみたいになった。

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[良い点] この姉妹尊い…好きです [一言] ランツェシュトルム、黒いボディ! ランツェシュトルム、真っ赤な目!(?) ランツェシュトルムの黒騎士、クラーラ! *お好みのメロディを付けて歌って下さい…
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