第4話:新たな日常
副業を始めて一ヶ月、副業をしながらの生活も日常となってきた
5月19日(土)四時半起床、シホとノドカはまだ眠っている中、サムは静かに布団をでる。軽食にガトーショコラ一切れとホットミルクを持って副業部屋へと向かう。部屋の出窓は三つのうち二つから日が差し込み、残りの一つは夜だった。気付いたときには驚いたものだが、これらの窓は何処に繋がっているのか常にどこかの窓から日が差すようになっているようだった。サムはまず、昨日の晩に書いたメモに目を通し、今朝やることを確認する。ガトーショコラはしっとりと甘く、それでいて焼けた面はカリカリして二種類の食感に深いチョコの香りが広がる。光の差し込む窓辺を眺めながらミルクを飲む、ひとつ背伸びをすると立ち上がり、バーチェアに座り向こうの世界、便宜上サムはサイドラインと呼んでいる。に入っていく。
視界がみるみると変わり、森の中の風景となる。右手には人化したヌバタマが、左肩には鳥の姿のままのダイフクが乗っている。自動操縦が発動しているようだ。さて状況は、と考えているとヌバタマが 「_おはようございます。サム様。4の刻限より、ゴブリン追いをしておりまして、ここより1キロ先にNorthEast側にゴブリンが数体おり、村の方へ向かっている様です。」 「_状況報告ありがとう、それじゃ追っぱらいに行こう。」
すると、ヌバタマが先導しゴブリンのいる方向へと朝露に濡れる緑の隙間をぬってゆっくりと歩いていく、村の西側の森には、蜘蛛の一族が警戒網を広げていてくれており、それによってゴブリン達が近づいていることを教えてくれる。西の森は朝方になると厚い霧に包まれて、まるで小雨の中を歩いている様な趣である、だが、そのおかげで、サム達の姿を隠してくれるし、足元の落ち葉も湿り足音を隠してくれる、そして恐らくは匂いも隠してくれる。
ゴブリンが視野にギリギリ収まる距離になると。しばし観察する。サムはむらかみよりゴブリン退治を依頼されたものの、まだ1匹もその手にかけたことは無かった。不殺のこだわりがあるわけではないが。ゴブリンの行動から彼らは何かしらの社会性をもっていると思っており、それが狩るという行為をためらわせていた。今も観察しているが、ゴブリン達は基本三匹が一組になって行動し、大抵が石や骨や木の棒などの武器を持っており、稀に金属製の武器を持っていたりする。そしてギャーギャーと常に何かしらのコミュニケーションをとっているようであった。
「_タマ、近くに他のゴブリンはいるかい?」 「_ここよりさらにNorthEastとSouthEast側さらにEast側にも数体ずついるようです。」 「_じゃあいつも通りだね。フク、警告音の準備を」 ダイフクがピッとひと声なくと、目の前のゴブリンに向かって飛んでいきその上空でゴロゴロゴロと大きく喉を鳴らす、しばらく待ってからサムとヌバタマは一斉にゴブリンに向かって走りだし、脅しをかける。サムは蜘蛛の糸で編んだ鞭を振るいピシャリと大きな音を立てる。ぬばたまはその長身から石をゴブリンの足元を狙い投げ下ろしズドンッと重い音を立てる。ゴブリン達は恐れおののき方々に逃げたしていく。うち西側に逃げる一匹は攻撃が当たってもいないのに、足を引きずりながらやや大きめの声を上げて逃げていく。
ゴブリン追いを始めた頃はこのくらいで逃げることはなかったので、多少鞭で打つこともあったが、最近は威嚇行動だけで逃げていくようになった。サムはこの行動から、ゴブリン達には高い知能があると感じたし、さらに、彼らは思い思いの場所に逃げているわけではなく、三方向に離れた仲間達の所に救援を呼びに行っているということも実体験からわかってきていた。最初の頃は、不用意に逃げた一匹の様子を見ていたら次から次にゴブリンが仲間を呼び湧いてきて危ない思いもした。どうやら三匹のうち一匹は囮になって時間を稼ぎ、まずその他二方向に逃げたゴブリンが仲間を呼び、また逃げる時の声を合図にその他周辺のゴブリンが駆けつける。といった行動をとるようでその組織の動きにサムは驚いたものだった。だが、今では救援に来たゴブリン達も遠くからこちらを見るのみでそれ以上は襲っては来なくなった。どうやらサム達は危険な存在だが近づかなければ危害を加えられることもないと認識されたようだった。そうして今では村から一定の距離に近づいたゴブリンのみ威嚇し遠ざけることで、村への被害を抑えられている。これを続けてゴブリンと人の棲み分けができればそれに越したことはないが、今後はどうなるかはわからない。なので今はただ威嚇するだけではなくて、行動パターンなどの観察も行なっている。
「_さて、彼らの様子見が終わったら、薪でも拾いながら小屋に戻ろうか。」 と呟くと、ゴブリン達にこちらの存在が伝わるようにがやがやと話しながら薪を集める。ダイフクはまだ上空でゴロゴロゴロと鳴いていたが、しばらくすると降りてきて人化して会話に加わる。
「_ご主人様、ダイフクめはいつも思うのですが、ダイフクめが空で鳴く意味はあるのでしょうか、彼奴らめは鳴き声に反応こそすれ、逃げ出すのはいつもご主人様とタマめが攻撃してからにございます。それにゴロゴロゴロと鳴くのは我らが巣で寝る前などにございます。我らの仲間内では、もっと甲高い声で警告を発します。」 「_大丈夫大丈夫、意味はこれから付いてくるはずだよ。そうすればフクの声だけで逃げ出すようになるはずさ。あとゴロゴロゴロ音はあまり遠くまでは響かないだろ、甲高い声ではそうはいかない。もしかしたら小鳥を狙う猛禽類とかに狙われるかもだからね、これくらいがいいよ。それにその鳴き声が可愛いし期待もしているんだ。」 「_またご主人様はダイフクめに向かって可愛いなどと、ダイフクめもこう見えて齢は100を超えておりまする。」 と頬をぷくりと膨らませて話す。 「_ふふふ、そうだね、フクは僕よりも歳上だし、式だからと言って上も下もないからね。可愛いというのはやめにしよう。でもフクの鳴き声には期待しているのは本当だよ。さ、薪も集まったし、ゴブリン達も去ったようだし、小屋に戻ろうか。」
ヌバタマやダイフクとは、もっともよく居る存在なので、今ではフランクになんでも話せる様になった。ヌバタマは最初こそカチカチでなかなか打ち解けられなかったが、サムから率先して話しかける様にしてようやく自然と話せる様になった。
夜明け前の森は静かで、自分たちの呼吸音以外には、湿った枝葉を踏む音、緑を掻き分ける音と衣擦れの音、近く虫や遠くの鳥の鳴き声が聞こえてくる。朝の森のこの時間だけは、会話は少なくなる。それはサムが、呼吸のリズムは一定で頭の中は空っぽで、でもその時に聞こえた音や、見えるもの、植物達の香りに意識はコロコロとその方向を変える。そんな時間をこの世界を体で感じる時間を神聖な儀式のように考えていたからだ。そんなサムの考えを察してか、ヌバタマとダイフクは静かに歩くのが常だった。
すると遠くで何かの鳴き声とも呼吸音ともつかぬ音がする。何か生き物がいるのだろう。 「_タマ、何の音だろう。」 「_少々お待ちください。。。イノシシかなにかそのくらいの獣でしょう。生け捕りますか?」 「_肉は村の人にも喜ばれるからね。近づいてみてイノシシやシカならそうしよう。」 と静かに獣の立てる音を聞き方向を定めると、霧の中を視界に収まる場所まで近づき、タマは野球ボール大の石をその衣から取り出すと、狙える距離と角度を見つけに行く。サムは音を立てたりしないようじっとしている。その内ビュンという音と数瞬をおいてズドンと重い音が響き、それまで聞こえていた獣の声が止む。
イノシシかシカか、ゴブリンは狩るのに抵抗を感じるが、こちらには感じない、知性がないわけでないことは分かっている、食用かどうかの違いだろうか、相手の中に己を見いだせるかどうかだろうか、いや持って行って村人に喜ばれるかどうかのような気もするなと思うとサムとダイフクは獣の居た位置へと歩いて行く。獣はそれは大きなイノシシであったが、すでに足は糸で縛られ、大蜘蛛化したヌバタマに背負われていた。空が薄明るくなってきて、朝靄が輝き始める。イノシシであったものの呼吸はもう感じない。先程まで動いていたものの魂がこの輝く靄の中に融けているような気がして、サムは手を合わせる。
「_さぁ、タマ、フク、急いで戻って血抜きしよう」
そしてサムとヌバタマ、ダイフクは無為の家へと到着する。ヌバタマはとってきたイノシシを庭の神木に括り付け、血抜きを始める。獣の血はその神木の根が忽ちに吸い取っていく、そのとき何処からかその神木の精のユベシがやってきて、サムの脛にその頭と背を擦り付けるようにする、気のせいかその毛艶が良くなっているような気がする。サムはユベシの頭と背中をしばらく掻いてやり、ひょいと持ち上げると庭の縁側からただいまとその家人に告げると、縁側に座り、膝の上に座らせたユベシの顎下、耳周り、首周りそして背中とゆっくりと優しく掻いてやる、ユベシは喉をゴロゴロとならし満足げである。気がつくとサムの隣に、一人の薄緑の衣を纏った童女、蛍雪がいて羨ましそうに覗き込んでいる。サムはいつも部屋を照らしてくれてありがとうと言うとその頭を撫でる、蛍雪は私、子供じゃない、と言いつつも、どこか嬉しそうな表情に見える。ダイフクも羨ましそうに見ていたが、ユベシのことが苦手なようで近づいて来ない、普段ユベシのいないときには鳥の姿になってサムの手に頭を押し付けて来る、その時には頭を掻いてやるのが常であったが、一度突如現れたユベシにとって喰われそうになってから、この家では鳥化しないのが常になってしまった。
そんなサム達を見ながら、雲龍と萩ノは小上がりに腰掛けてお湯を飲んでいた。その後ろにはすでに朝食の準備がされており、湯気が立っている。萩ノが「_サムさん、ヌバタマ、ダイフクおかえりなさい、さてお爺様も蛍雪も朝ごはんよ。」 と言うと、食事が始まる。サムも式達も神通力のお陰で、本来は食事を必要としないが、村人が来ても怪しまれずに済むように、朝昼晩は何か作って食べるようにしている。式達からしたら食事は嗜好品に値するらしく、いつも楽しそうに食べている。サムもサムで、その食卓での会話やこの世界の食べ物の味、驚いたことにサムはこの世界で味覚も感じられ、食事を味わうことができる為、この食事の時間を式達と同様楽しみにしていた。流石にお腹までは膨れないようで、少し物足りなさはある、でもそうするとこの後の元の世界の家族と朝食が食べられなくなってしまうので、それはそれで助かっている。また、サムはちょいちょい元の世界からレシピを持ち込み、料理を皆に振舞ったりしている。そうして式達の普段の協力に報いようとしていた。
途中、萩ノが 「_サムさん今日のご予定は?」 と聞いてくるので、 「_今日はゴブリンが来ない限りは、植物採集ですね。」 とサムは返す。すると、 「_ではお弁当の準備をいたします。」 とその準備を始める。サムは小屋近くの村人には自身のことを狩人兼薬師見習いと説明しており、森の植物を採集しては、村の薬師のおばあさんに見てもらい教えを請うということを続けている。この世界のことを何も知らぬサムにとっては、普段の会話の中に含まれる情報ですら、新しい発見や気付きを含んでおり、緩やかではあるが、サムの中でのこの世界の広がりを感じることができてそれに対する喜びを日々感じていた。ああそうだイノシシが獲れたので村の人に引き取りに来てもらおうと、ダイフクに指示を出すことも忘れない。朝食が食べ終わる頃になると、雨戸の隙間から朝日が差し込んでくる。そして、今日もこのサイドラインの夜が明ける。サムはこの世界の発展を申しつかっているが、今は特に何をしようとも考えていなかった、ただこの世界のこの場所の今を日常をよく感じようと、そう感じているのであった。
サムは雨戸を明けて、朝日を全身に浴びて背伸びをする。ユベシは既に縁側の日の当たるところで丸くなっていた。サムの伸びの声に反応して、そちらをちらりとみると大きな欠伸をする。 「_さて、あとは夜までは自動操縦にしちゃうから、よろしくね。」 サムはそういうとキーボードのESCキーを押して元の世界に帰る。
そうしてまたテーブルに腰掛けると今朝起きたことを思い返してメモをして、時間が七時になると空の皿とコップを持って副業部屋をあとにする。シホとノドカは目を覚ましていたようで、ノドカの元気な鳴き声が響いている。さてこれはミルクかオムツかと思いながらこちらの世界の日常へと戻って行く。さてさてこちらも朝から戦いだ、サムは二人におはようというと、ノドカのオムツの青いラインを確認して新しいオムツを取り出して交換する。交換しても泣きやまない為、シホとアイコンタクトしミルクを作り始める。シホは大人の朝食の準備中だ。ミルクの調温が済むとミルクを飲ませる。ノドカは待ってましたと言わんばかりに哺乳瓶を咥えると飲み始める。サムはさぁ一日が始まりだしたぞと思うのだった。