珈琲
「マリーは珈琲が大好きだったよな? これは推測だが、お前に珈琲を淹れるよう命じてくるはずだが、違うか?」
「その通りです……マリー様は帰宅なされてから、私が用意した夕飯を食べた後、必ず珈琲をご所望になられます。それを淹れてから、私は帰宅するのです……」
「成程、やはりな」
オレは冒険者のリュックを背中から下ろし、顆粒の入った小瓶をロロナに見せた。
「それを珈琲の中に入れろ。これは命令だ」
「い、いえ。それだけはどうかご勘弁を。どう見ても、この顆粒は毒じゃないですか? この私に恩義があるマリー様を殺せというのですか!?」
「そうだよ」
冷酷な調子で言い放った。
そして、リュックから魔法の棒を取り出す。それは指揮者が持つタクトの形状に似ている。
「そ、それは。まさか、魔道通話が出来る魔法の棒ではないですか!?」
「その通りだ。この魔法の棒で、オットーの街にいる仲間と即座に会話できる。もしお前がオレを裏切り、珈琲の中に小瓶に入った毒を入れなかった場合、即座に仲間に連絡して、お前の両親を殺すよう命令する」
「そ、それだけは! どうかそれだけは止めてください!」
ロロナは慈悲を乞うよう縋りついてきた。
だが、オレはそんな彼女を突き飛ばし、顆粒入りの小瓶を彼女の顔の前でぶらぶらとさせる。
ロロナは床に手を突いたまま、まんじりともせず動かなかった。
それでも、刻は進んでいく。残酷に秒針を刻んでいくのだ。
長い沈黙の後、体を震わせていたロロナであったが、意を決したように立ち上がり、オレに手を差し出してきた。
彼女は両親とマリーを天秤にかけていたようだが、どうやら両親の命を選んだようだ。
オレは毒入りの小瓶を彼女の掌に収めた。
それから、ロロナに案内をさせ、3階に行った。部屋の扉を開けると、箪笥やクローゼットや書棚などが並んでいる。どうやらここは物置部屋のようだ。
ロロナの言うには、この部屋の真下がマリーの私室らしい。
ロロナに出て行くように告げ、冒険者のリュックを下ろす。
その中から釘抜きを取り出し、床板を止めている釘を全部引き抜いた。
そして、床板を外し、2階の天井裏に降りた。
そこで錐を持ち、2階の天井に小さな覗き穴を掘った。
その際、木屑がマリーの部屋のベッドに落ちてしまったので、1階に戻り、ロロナに木屑の落ちたシーツを変えるように命令した。
彼女は渋々とマリーの部屋を掃除し、ベッドメーキングをした。
時計を見ると、午後4時を過ぎていた。あと1,2時間でマリーが帰ってくるだろう。
その間、オレは2階の階段にいた。
ロロナがおかしな行動をとらないか、また玄関から出ていないかの見張りも兼ねて。
そうして息を潜め、待つこと2時間。
「ただいまー」と玄関からマリーの声。
「お帰りなさいませ、マリー様」
ロロナがマリーを玄関まで出迎えた。
「ああ、腹が減ったわ。ロロナ、夕飯の準備は出来てる?」
「はい、マリー様。いつものようにキッチンに」
「献立はなに?」
「マリー様の大好きなビーフシチューになります」
「やった。だから、ロロナのことを大好きなのよ、私は」
マリーの嬉し気な声がする。
精々喜ぶがいい、マリー。それが貴様の最後の晩餐となるのだからな。
マリーとロロナの声が遠ざかっていく。どうやら1階の奥にあるキッチンに行ったようだな。
オレは<忍び足>のスキルを発動し、階段を下りた。
キッチン近くの廊下で、聞き耳を立てる。
マリーとロロナは親し気に話をしている。時折笑い声を交えながら。
その様子を息を殺しながら聞いた。
「ご馳走でした。あー、やっぱりロロナの作ったビーフシチューは最高ね」
「それはよかったです」
「じゃあ、私は部屋に行くから」
「はい」
「ロロナ、悪いのだけれども、食後の珈琲を私の部屋まで運んでくれる?」
「畏まりました、マリー様」
「それじゃあ、よろしくね」
椅子を引く音がしたので、オレは音もたてず、大急ぎで3階へと行った。
そして、物置部屋の扉を開け、中に入る。
外した床板から2階の天井裏へと行き、覗き穴からマリーの私室を覗いた。
それから間もなくマリーの私室の扉が開く。
そこからマリーが部屋の中に入り、机の前にある椅子に座り、寛いだ。
少しして部屋をノックする音。
「マリー様、失礼します。珈琲をお持ちしました」
ロロナが入室してきて、机の上に珈琲を置いた。
「ご苦労様、ロロナ。じゃあ、これで帰っていいわ。玄関の鍵は閉めておいてね」
「はい、畏まりました。それでは、また明日。失礼します、マリー様」
「うん、それじゃあ」
マリーは笑みを浮かべながら、手を振っている。
ドアが閉まる音がしたので、ロロナは出て行ったのだろう。
マリーは机の脇にあるブックスタンドから、何かの資料らしきものを取り出し、それに目を通し始めた。
左手に資料を持ち、右手でコーヒーカップの取っ手を掴む。
早く飲め! そのカブドリの毒が入った珈琲を早く飲むんだ。
オレは息を飲み、見守る。
マリーは資料を一旦机の上に置き、グラスを傾けた。
2、3回カップに口を付けた後、一気に珈琲を呷った。
その様を見て、オレはニヤリと笑う。
よし、これでマリーはお終いだ。




