第8話:対峙
お盆休み明けの八月十七日金曜日、住崎製薬本社には麗香と征二と神代を訪ねてくる者があった。その者は、アメリカのケインホールディングス株式会社の社長、ケイン・ロジャースと言い、事前に面会の約束を取り付けていた。ケインの会社とはこれまでに取引は無かったのだが社葬の際に花輪を贈ってくれた。
ケインはサングラスをかけた部下とともに来社した。ケインの話によるとその部下は目が人並み以上に光に敏感だということだった。
打ち合わせは会長室と同じくビルの最上階にある応接室で行われた。
「この度のお父様、お母様の件につきましてはお悔やみ申し上げます。事態が事態なだけに麗香様の会長就任についてのお祝いの言葉は控えさせていただきます」
「ケイン社長、今日のご用件は何でしょうか?」
麗香はケインに用件を聞いた。
「はい、単刀直入にお話しします。私は御社の株式の七%を保有しております。麗香会長がご両親から相続した住崎製薬の株式すべてを私にお売りいただきたいのです」
「要するに住崎製薬を買収したいということですか?」
「はい」
麗香は、大吾と真理子から住崎製薬の株式全体のうち大吾が所有していた二十五%と、真理子が所有していた二十%、合わせて四十五%を相続していた。ケインに麗香が相続した株式をすべて譲渡した場合、ケインは過半数の五十二%の株式を保有することになり住崎製薬の買収が成立する。
「お父様とお母様は殺されたんですよ? お父様とお母様が亡くなってから五十一日しかたっていないのに株式を売って欲しいですって? あなたには人を思いやる気持ち、気遣いは無いのですか?」
「ビジネスはスピードが肝心です。お二方の四十九日が過ぎるまでお話に伺わずお待ちしたのが私の最大限の気遣いです」
「その気遣い、一生続けてほしかったです」
ケインは足を組み直してから話し始めた。
「麗香会長は飛び級で進学し、シカゴ大学のメディカルスクールを首席で卒業した才女だと伺っております。しかし、企業の経営についてはずぶの素人なのではありませんか?」
「そ、それは……」
「お父様とお母様を殺した犯人は自殺したそうじゃないですか」
「あなたはなぜそれをご存知なのですか?」
征二が口を挟んだ。
「私の部下には私のビジネスを迅速に進めるために働いてくれる有能な者がおりましてね。麗香会長に代わって私が御社の経営のお手伝いをさせていただきます。買収後の麗香会長の役職は斎藤様と同じ特別顧問でよろしいでしょうか?」
「話を勝手に進めないでください! 私が所有している株式は絶対にあなたには渡しません!」
「わかりました。今すぐご決断はできないでしょう。それでは一週間お待ちします。私は今日の夕方日本を発ちますが、副社長のショーン・ギルバートが一週間渋谷のホテルに滞在します。一週間後までにショーンの方にご連絡ください。麗香会長、もっとシンプルにお考えください。私はビジネスは生存競争だと思っています。『生きるか死ぬか』で考えても良いでしょう。あくまでビジネスの話ですがね。神代副会長と斎藤特別顧問のご意見を参考にした上で最終的なお答えをお聞かせください」
会話の主導権はいつのまにかケインが握っていた。
「神代と斎藤の意見を聞いても私の判断が変わることはありません! あなたの提案は絶対にお断りします! これ以上あなたのお話は聞きたくありません! お引取りを!」
「わかりました。今日はこのへんで引き上げます。最後に斎藤特別顧問、麗香会長に最適なご意見をお話しください。あなたのご意見次第で麗香会長の今後が決まるのですから」
征二はケインの言葉に違和感を覚えた。ケインの言い回しはキラーゼロの言い回しに似ていた。
「一週間後と言わず、結論が出たらすぐご連絡ください」
ケインはそう言い残すと席を立ち応接室のドアに向かった。ケインとともに同席していたサングラスをかけた部下がドアを開けた後ケインは応接室から退出した。ケインの部下は麗香たちにお辞儀をした後、征二をほんの少し見つめてから退出した。ケインの部下の口元はニヤリと緩んでいた。
ケインたちが応接室を後にしてからしばらくの間沈黙の時間が流れた。
「あの、会長……」
神代が口を開いた。
「失礼を承知で申し上げます。役員会で了承を得られたことではありますが、今の麗香様には会長職は荷が重すぎると思います」
「……、斎藤はどう思っているの?」
「私も神代副会長と同じ意見です。今の麗香様には荷が重すぎます」
「あなたたちはあの男の話に乗れと言うの?」
「いえ、そうではありません」
「それならどうしろと?」
「社の経営については私がこれまで以上に全力で取り組みます。麗香様が経営面で表に出る機会を極力減らします」
「彼の話していた内容はまるで脅迫です。最後に彼が私に話した言葉は旦那様と奥様を殺した犯人が言った言葉に似ています」
征二はケインの言った最後の言葉を頭の中で反芻した。
「……あ、あああ!」
征二は今までのケインとの会話の中で覚えた違和感と、ケインの部下が退出直前に征二に向けた表情を思い出し、自らが導き出した答えに驚きの声をあげた。
「斎藤、どうしたの?」
「か、神代副会長、しばらく麗香様と二人でお話ししたいので席を外していただけないでしょうか」
「は、はい。わかりました。それでは失礼します」
神代は征二に返事をすると応接室を後にした。
「麗香様、落ち着いてお聞きください……」
「どうしたの? 斎藤、あなた顔が真っ青よ」
「ケインと一緒にいたサングラスをかけた男、あの男が旦那様と奥様を殺した犯人のキラーゼロです。最後に私に向けたあの表情、あの口元、間違いありません。奴に旦那様と奥様を殺すように依頼したのはおそらくケインです」
「う、うそ……。斎藤、犯人は自殺したって言ったじゃない! なんで生きているの? ケインは会社を乗っ取るためにお父様とお母様を殺すように依頼したというの?」
「おそらく……」
「そんな……」
斎藤の言葉を聞いた麗香は声をおさえて泣き出したが、こみ上げる感情を抑えられず大声で泣きわめくことを我慢できなかった。
「麗香様、お気を確かに。今の状況では麗香様の身に何が起こるかわかりません。至急別のホテルを手配します。この件を警察に連絡した上でケインとキラーゼロが逮捕されるまでボディガードを雇います」
征二は麗香を一人残し応接室を出て携帯電話で電話をかけ始めた。麗香の泣き叫ぶ声は征二のいる廊下にも響いていた。