第2話:招かれざる客
「今日の夕食は格別に美味かった。ワインも実に美味い」
住崎大吾にとって今日は特別な日だった。大吾が経営する住崎製薬株式会社でアルツハイマー病の新薬の開発が成功し、株主総会で公に記者発表を行ったからだ。
「旦那様、奥様、食後のお飲み物は何になさいますか?」
執事の斎藤征二は静かな口調で二人にお伺いを立てた。
「私はもう少しワインをいただくよ」
「私はカモミールティーを」
「かしこまりました。沢井、準備を」
「はい」
メイドの沢井春菜はワインとカモミールティーを準備するためにすぐさまキッチンに向かった。
「あなた、今日が特別な日だからと言っても飲みすぎないでくださいね」
妻の真理子は大吾に注意した。
「わかっているよ。明日も仕事だしあと少しだけにするから」
「本当に頼みますよ」
「お話し中のところ悪いが遊びに来た」
ダイニングルームの入口には一人の男が佇んでいた。
男がこの言葉を口にするまでダイニングルームにいた者たちは誰一人として男の存在に気がつかなかった。
二〇〇七年六月二十八日午後七時半過ぎ、夕食時の突然の訪問者。大吾も真理子もこの男を招いていない。フードをかぶった男の微笑みの表情とは裏腹に、大吾と真理子は驚きを隠せずにいた。
「お引き取りください! 不法侵入で警察を呼びますよ!」
征二は男に対して厳しい口調で言った。
「呼ばなくていいよ。すぐ済むから」
そう言うと男はかぶっていたフードをめくって顔を顕にし、胸元から減音器付きの拳銃を取り出した。
「き、君は……」
大吾が何かを言いかけたその時、男は足音を立てずに大吾の右側の席に座っていた真理子のもとに歩み寄り、真理子に向けて続けざまに三発の銃弾を撃った。三発の銃弾は、真理子の心臓に二発、頭部に一発着弾した。
「お、奥様!」
征二は叫んだ。
「次はあんたの番だ。動くなよ、弾が外れるから。ま、俺は外さないけどね」
征二は大吾を守るために男に向かって駆け寄ったが発砲を阻止することはできなかった。
大吾に向かって撃たれた三発の銃弾は、真理子と同じく心臓に二発、頭部に一発着弾した。
「キャー!」
キッチンから戻ってきた沢井は、ダイニングルームでの惨状を目の当たりにし、手にしていたワインボトルとカモミールティーを乗せたトレーを床に落とし叫び声をあげた。
「叫ぶなよ、うるせぇな。女の叫び声は嫌いなんだ」
そう言うやいなや、男は沢井に向かって発砲した。撃たれた銃弾は沢井の眉間に着弾し沢井は後方に勢いよく倒れた。
「沢井ぃ!」
沢井を撃った後、男は銃のマガジンを素早く換装した。
「あんたに聞きたいことがあるんだ。こいつらの娘は今どこにいるんだ?」
「知らん!」
征二が答えた直後、男が撃った銃弾が征二の左太ももを貫通した。征二はその場に跪いた。
「知らねぇわけねぇだろ? 大学の寮にいねぇんだよ。俺が依頼を受ける前から消息が途絶えた。どこに行ったか知ってるんだろ?」
「知らん!」
男は征二の答えを聞いた直後またもや発砲した。撃った弾は右の二の腕を貫通した。
「ぐっぅう……」
大吾と真理子の娘の麗香は、アメリカ合衆国のシカゴ大学のメディカルスクールを六月十日に卒業後「無計画旅行」と称して友人の浅田由紀とともに卒業旅行をしていた。麗香から大吾と真理子のもとに毎日国際電話が入っていたが、緊急連絡先の電話番号は伝えられるものの今どこにいるのかは「帰国してからのお楽しみ」と言われ伝えられずにいた。
しかし、征二は大吾の指示により伝えられた電話番号から所在地を調べて逐一大吾に報告していた。
男は征二の苦痛に歪める顔をしばし見つめていた。
「主人への忠誠心ってやつか? あんた何発喰らっても吐きそうにねぇな……」
男は撃ち抜いた征二の左太ももを無造作に踏みつけた。靴底の硬い感触とともに激しい痛みが征二を襲った。
「ううっ……」
「自己紹介がまだだったな。俺の名は『キラーゼロ』。あんまり人に教えること無いんだぜ。教えても殺しちゃうからな」
「貴様の目的は一体何だ!」
「俺の目的? 特に目的は無いよ。依頼されたから殺した。いたってシンプルだろ?」
キラーゼロは眉一つ動かさずに口にした。
「あんたの今後の行動次第でこいつらの娘も殺すよ。あ、そうだ。とどめ刺しておかなきゃ……」
キラーゼロは大吾と真理子の遺体に近づいた。大吾と真理子はすでに絶命している。征二は目の前でキラーゼロが始めた行為に戦慄した。
「やめろ! やめろぉおおお!」
「最後の仕上げだ」
キラーゼロは、大吾と真理子の遺体と、ダイニングテーブルのテーブルクロスと、カーテンにオイルライターのオイルを振りまいてから火を放ってダイニングルームを立ち去った。征二は床にめり込んでいた左太ももを撃ち抜いた弾丸を左手に握りしめ命からがら逃げ出し、屋敷の敷地外に出た直後に意識を失った。
ダイニングルームは瞬く間に炎に包まれた。征二は屋敷の前を通りがかった者が救急車を呼び病院に搬送された。
使用人室で待機していた他のメイドたちやシェフや運転手は、すぐさま屋敷の外に避難して難を逃れた。
その日の午後十時過ぎ、征二は病院の集中治療室で意識を取り戻すとすぐさま看護師に国際電話をかけたいと頼んだ。
六月二十八日午前六時半過ぎ。アメリカ合衆国、ロサンゼルス州のホテルの一室の電話が鳴り響いた。
「なによぉ。こんな時間にぃ……」
浅田由紀は眠い目をこすりながら電話に出た。
『おはようございます。フロントでございます。日本から住崎麗香様宛てに宍倉由美子様から国際電話が入っております』
『あ、はい。今麗香に代わります』
「麗香、起きて。宍倉さんって人から国際電話だって」
「う、うぅん……。電話? こんな時間に何かしら……」
『はい。住崎です』
『おはようございます。それではお繋ぎいたします』
『おはようございます。会長秘書の宍倉です』
『おはよう、宍倉さん。こちらはまだ朝の六時半なのよ。急ぎの用事でなければ後でかけ直してくださらない?』
『それは重々承知の上です。お嬢様、気を確かにお持ちの上お聞きください。住崎会長と奥様が先ほどお亡くなりになりました』
『え? 何を言っているの? 私、昨晩寝る前にお父様とお母様と電話で話をしたのよ? お父様もお母様も元気そうな声をしていらしたわ。お父様とお母様が亡くなるわけないじゃない』
『執事の斎藤さんに代わってお伝えしている次第で、今は私も詳細がわかりませんが、お屋敷が放火にあい住崎会長と奥様とメイドの沢井さんがお亡くなりになりました。麗香様、ご旅行を今すぐ取りやめて帰国していただきたく願います』
『わ、わかりました』
麗香は宍倉の指示に返事をした後電話を切った。
「麗香、何かあったの?」
「お父様とお母様が亡くなったって……。私はすぐに帰国するように言われたわ……」
悲しみよりも驚き、今すぐに両親のもとに駆けつけたいはやる気持ち、麗香は震える手を無理矢理に動かして大急ぎで荷物をまとめて空港に向かった。