第11話:別世界への入口
征二は村野からバーの名前とともに住所と電話番号も教えてもらっていた。麗香たちは約一時間半をかけて目的地のバー「スターライト」に着いた。
年季の入った木材がふんだんに使われた外観と、灯されていないいくつものネオンサインは、アメリカの片田舎で長年営んでいるバーを思い起こさせた。大きな窓があるがブラインドが下ろされていて店内をうかがい知ることはできない。麗香と征二は恐る恐るドアを開けて店内に入った。
店内の壁は外観と同じく木材が打ち付けられており、いくつもの小ぶりなネオンサインが掛けられている。店の奥にはビリヤード台が二台とダーツマシンが四台置かれていた。天井には木目調のシーリングファンが吊るされていてゆっくりと回ってかすかな風を作っていた。カウンター内には三十代と思しき男性と白人男性、そして、テーブル席には一人の五、六十代と思しき男性がテーブルに突っ伏して寝ていた。
「すまないがまだ準備中なんだ。時間を改めてお越し願えないか」
カウンター内の三十代と思しき男性は、入り口に立つ麗香と征二を見やることもなく落ち着いた口調で言った。
「つかぬことをお聞きしますが、こちらに『別世界』というカクテルはありますでしょうか?」
「ありますけど。あまり美味いカクテルじゃないのでお勧めしませんが。失礼ですがあなたのお名前を伺えませんか?」
「私は斎藤征二と申します。申し訳ありませんが別世界を一杯いただけませんか」
「かしこまりました。ただし、営業時間外なので倍額お支払いいただけませんか。そちらのお嬢さんは何か召し上がりますか?」
「アールグレイティーをいただけないかしら」
「ここはバーなのであなたのお望みの紅茶はありません。カクテルの材料のアイスティーで我慢していただけないでしょうか?」
「わかりました」
「村野さんから斎藤さんのことは聞いています。そこのテーブル席に座ってお待ちください」
麗香と征二がテーブル席に座ってしばらくすると、カウンター内にいた男はカクテルとアイスティーを持って二人のもとにやって来た。男は二人の手元にカクテルとアイスティーをそっと置くと二人の向かいの席に静かに腰を下ろした。
「俺は黒田丈太郎。話を伺いましょうか」
丈太郎は重々しい口調で話した。
「すいませんがお人払いをしていただけませんか。話はその後で」
「あいつはボビー。本業も副業もあいつと二人でやっています。そこで寝ているのはここに居着いているただの酔っ払い。寝たら何しても起きない。気にしないでください」
麗香は静かにアイスティーを一口だけ口にした。麗香は相変わらず険しい表情をしていた。征二は麗香に了承を得てからカクテルを口にした。
「これは……」
「ジントニックです。別世界というカクテルはありません。別世界は副業の依頼に対する合言葉みたいなものです」
「なるほど。それでは本題に入らせていただきます。こちらのお嬢様が今殺し屋にお命を狙われて――」
「お嬢さん、自己紹介くらい自分で言ってくれないかな?」
「……、私は住崎麗香と申します。現在、住崎製薬株式会社の会長を務めております」
「ほう、若いのに会長を務めるとはすごいねぇ」
「望んでやっているわけではありません!」
「麗香様は四年前の十月にお祖父様の仁衛様を亡くされ、二年前の三月にお兄様の慎吾様を不慮の交通事故で亡くされました。今回、先代の会長でした麗香様のお父様とお母様とメイドの一人が殺し屋に殺されたことにより、近親者は誰もおらず麗香様は天涯孤独の身となってしまいました。今は麗香様のお命が危険に晒されている状況です。殺し屋と依頼者の目星は既に付いていて警察に通報しております。殺し屋と依頼者が逮捕されるまでの間、麗香様のボディガードをお願いできないでしょうか?」
カウンター内にいるボビー・ヘイワードは、開店準備の仕込み作業の手を止めて三人の会話に耳を傾けていた。
「ボディガードか。殺し屋と依頼者に目星が付いていると言ったが、そいつらの名前は知ってるのかい?」
「殺し屋は自らをキラーゼロと名乗りました。依頼者はケインホールディングス株式会社の社長、ケイン・ロジャースで間違いないでしょう」
二人の名を聞いて丈太郎の表情は険しくなった。
「そのキラーゼロの特徴は?」
「二十代前半の日本人と思われる男です」
「そうですか……」
征二からキラーゼロの特徴を聞くと丈太郎の表情はより険しくなった。
「報酬は黒田様の言い値で構いません。麗香様からもご了承いただいております」
「ボビー、お前ならいくらだったらこの依頼引き受ける? 俺とお前の取り分の合算で考えろ」
「そうね……、僕だったら二十億かな。諸経費は抜きでね。僕の取り分は七億で良いよ。正直言ってできることならキラーゼロに関わりたくない。変な言い方だけどキラーゼロは普通の殺し屋じゃないよ。麗香ちゃんとキラーゼロのどちらかが死ぬまで警護しなくちゃならないよ」
「良い値付けだ。俺と大体同じだ。でも自分の取り分を減らしてリスク回避するな」
「ごめんなさい。だって正直嫌だもの」
「私もこのくらいの金額は想定しておりました。私どもの依頼お受けしていただけますでしょうか?」
征二は民間の警護会社の警護費用の相場を知っていた。民間の警護会社ではハイリスクの要人警護の場合、警護人員一人に付き一時間一万円程度からが相場となっている。一日で二十四万円程度、一年で八千七百六十万円程度の費用がかかる。ボビーの提示した金額は法外な金額だった。
「斎藤さん、切羽詰まってるみたいだな。わかった、この依頼引き――」
「いえ、あなたたちにはボディガードを頼みません」
「麗香様、何をおっしゃるのですか?」
「黒田さん、あなたのことは世界屈指の傭兵だったと斎藤から聞いています。でも、そんな可愛いTシャツを着たあなたが本当に世界屈指の傭兵だったとは信じがたいわ」
丈太郎は強面の顔に似合わず可愛いペンギンのイラストが描かれたTシャツを着ていた。
「お嬢さん、このTシャツと俺の経歴は関係無い。俺がその気になればあんたの首、二秒でへし折るよ」
丈太郎は冷静な口調で述べた。麗香は丈太郎の言葉を聞いても動揺することなく、瞬きせずに丈太郎の顔を見つめていた。
「そうですか。それではボビーさんの提示した金額の倍の四十億円をお支払いします。ただし、私のボディガードではなく、キラーゼロとケイン・ロジャースへの復讐を依頼します」
麗香は丈太郎を見据えて静かな口調で申し入れた。