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紫の薔薇は海を越えて  作者: 春奈恵
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第一章 1

「いかがなさいますか、陛下。今日こそ返答しないわけにはまいりません」

 大臣からの問いかけに、コローニア国王フェルディナンドは、ため息をついて、壁に掛かった肖像画を見上げた。

 絵の中で二人の娘が並んで微笑んでいた。緩やかに波打つ見事な金色の髪と快活な紫色の瞳をした愛らしい少女と、少し小さい、同じ色の髪と水色の瞳の気弱そうな少女。それぞれが瞳の色と同じ色のドレスをまとっている。

「……もう、後には引けぬ。呑むしか有るまい」

 王の執務室に飾られた肖像画。それは彼の誰より愛おしい二人の娘。いずれどこかに嫁いでもいいようにと、最近描かせたものだった。

 しかし、そのうち一人を、異大陸に嫁がせなくてはならなくない事態が来るとは、夢にも思わなかった。

 この大陸の西にある西大陸のディルダウ帝国とコローニア王国は、十年ほど前から君主同士が鳥を使いにして文書のやりとりをするという、ささやかな親交があった。

 ディルダウ帝国は、皇太子と王女との結婚を申し出てきたのだ。正式な国交の証として。

「西大陸は……遠いな」

 フェルディナンドは、そう呟いた。航路さえも確立されていない遠い異大陸。

 執務室の窓の向こうで、大きな褐色の鷹は、用意された大きな止まり木で翼を休めていた。返答を待つように、淡い褐色の瞳を注意深く周囲に向けながら。

「ヴィオレッタを呼んできてくれ」

 王はそう命じながら、もう一度ため息をついた。

 二人の王女の中でも「小レッタ」の愛称で親しまれている長姫ヴィオレッタは、明るい気性で人々に愛されていた。

 ヴィオレッタは十五歳。ディルダウの皇太子は二十歳だと聞いていたから、釣り合いは悪くない。先方もそのつもりなのだろう、名指しで縁談を申し込んできた。

 しかし、あのヴィオレッタがどういう反応をすることか。

 王は話す前から軽い疲労を覚えた。

 やがて、足音も高らかに勇ましく、一人の少女が現れた。

 整った愛らしい顔立ちに、ひときわ強烈な印象の鮮やかな紫の瞳。一文字に引き結んだ小さな薔薇色の唇。金色の波打つ髪を頭の後ろでひとまとめに束ねて、紫色のリボンを飾っている。

 そして、新緑の色のドレスの膝を軽く持ち上げ素早く一礼するや、国王から問いかけられる前に即答した。

「お父さま。私、ディルダウに参ります」

「……小レッタよ。お前はまた、考えなしにあっさりと」

 フェルディナンド王は額を手のひらで押さえた。

 物見遊山ではないのだ。遠い異大陸に嫁ぐのだぞ。

 それとも、この姫に人並みの反応を期待した方が間違っていたのだろうか。

「あら? だって、ご用件はそのお話だったのでしょう? 仮にも先方のお力をお借りするには人質を出すしかないのでしょうし。我が国には王女しかおりませんから、来るとしたら政略結婚しかないと思っておりましたのに」

 ヴィオレッタは強い輝きを持つ紫色の瞳を父に向ける。腰まで覆うような波打つ金髪が、ふわりと揺れる。

「私、ずーっと考えていましたの。王族に生まれたからには、政略結婚など、来るなら来てごらんあそばせ、所詮私の敵ではありませんわ、という気構えで臨むべきではないかって」

 縁談を返り討ちにしてどうする。国王は思わずそう言い返したかったが、ヴィオレッタはその隙を与えずに、喋り続ける。

「何があろうとも、私はコローニア王女として、粛々とその役目を果たすだけです」

 王は、思わずため息をついた。

 我が娘ながら、この情け容赦ない気丈さは何なのだろう。

 一方、娘の方は、父の苦悩など爪の先ほども気にしていないように、父親に向き直った。

「お父さま。国王なのですから、びしっと命じてくださいませんこと? 雪解けまでにディルダウの皇帝陛下に援軍をお願いするためには、悩む時間さえ惜しいですわ。我が国だけでは、あの勢いづいた蛮族どもを退けることは不可能です。ディルダウの皇帝陛下が援助をして下さる。それが私一人の身で贖えるのならば、安いものではありませんか」

 フェルディナンド王は顔を上げて、まじまじと目の前の少女を見た。


 この国に近づいている脅威。それは北方から下ってくる蛮族だった。北部の新興国家ブレッディ。元は遊牧民族であった彼らは、北方で日照りや天候不良が続くと、南下して近隣国に攻め入ってくる。ことに、今回の南下は大規模なものとなっていた。

 まるで大地を食らいつくす『蝗』のように。

 近隣諸国は次々に蹂躙されてしまった。

 コローニアを囲む山脈の雪が解ければ、いずれ彼らはこの国にもやってくる。

 この小国の軍事力では立ち向かえないのは、明らかだった。

 最後の手段として、フェルディナンド王は決意した。大海を隔てたディルダウ帝国に援助を求めることにした。

 かの国にとっては、何の見返りもないに等しいのに、皇帝からは正式な国交を持つ提案と、援軍の準備を始めるという返答があった。

 そして、この縁談はその代償なのだ。


 ヴィオレッタは花が綻ぶように微笑んだ。

「私は大丈夫です。どうかご下命を」

 心配していたことさえ、すっかり見抜かれている。王は、愛娘が一人前の貴婦人に成長したという感慨で、胸が熱くなった。

「お前……」

 ところが、その感慨もぶちこわすような言葉が、ヴィオレッタの口から飛び出した。

「私、常々ディルダウに行ってみたいと思っていましたの。一生に一度の冒険の機会ですもの」

 自信に満ちた表情で握り拳を震わせて、ヴィオレッタは言い切る。

「……冒険?」

 王は場違いな単語に眉をつり上げた。

「かの伝説の冒険家マルティネスも西大陸までは行っていないのですもの。ぜひ西大陸のことを知りたいですわ。誰も知らない国々。未知の生物。謎の遺跡。とても楽しみですわ。それに、これを逃したら、こんな機会はもう巡って来ないでしょう?」

 何かが違う。冒険ではなく縁談なんだが、と王は頭を抱えたくなった。

 ごく普通に大人しくしていれば、ヴィオレッタはこの上もなく美しい姫である。

 紫の瞳、白磁の肌、陽光に映える金色の髪。明るく生命感に溢れた表情。

 しかし、この紫の瞳はどうしたわけか、コローニア王家の強烈な個性の持ち主に現れる。

 建国王ガルティエロも紫眼の持ち主だったとされる。

 フェルディナンド王は重い息を吐き出した。

 ヴィオレッタは冒険家マルティネスを師と仰ぐ変わり者の姫だ。未知の世界への憧れが強い。恐れを知らない、というのはこのことだろう。

 たとえ、ヴィオレッタが冒険目当てであろうと、快く縁談に応じてくれる、というのなら喜ぶべきなのだろう。

 今は、このヴィオレッタの気丈さが唯一の救いだ。

「……では、そなたにディルダウ行きを命じる。彼の国の皇太子妃にふさわしく、両国の友好の証となるよう振る舞うように。くれぐれもコローニアの名を汚さぬようにな」

「大丈夫ですわ。お父さま。私の猫かぶりは完璧でしてよ?」

 ヴィオレッタは小首を傾げて、愛らしいとしか言い様のない仕草をする。

 フェルディナンド王は言葉に詰まった。

 見かけだけなら完璧な姫君だ。見かけだけなら。

「……言っておくが、あちらで宮殿の庭に穴を掘ったりするなよ。木や塀をよじ登るのもダメだぞ」

「あら。だめですの? ではしばらくは我慢いたしますわ」

 鈴を転がすような上品な笑い声で、ヴィオレッタは答える。

 王はしばし沈黙した。

 ヴィオレッタは冒険の練習と称して、今まで何かと騒動を起こしてきた。そんなことをやらかしたら、別の意味で破談の危機になりかねない。

 けれど、父の心配などヴィオレッタには関係ない様子だった。

 まっすぐに紫の瞳を父に向けて、すっと背筋を伸ばす。

「建国王ガルティエロの名にかけて、私ヴィオレッタは、必ずやディルダウとコローニアの友好の礎となりましょう」

 マルティネスの名にかけて、ではなかったことに王は安堵した。

「……すまぬな」 

「どうかご心配なさらないで、お父さま」

 ヴィオレッタは背筋を伸ばし、気丈に微笑んだ。

 それから彼女は勢いよくバルコニーに駆け出て、王宮の塔から伸ばされた大きな止まり木にいる使者の鷹に、大きく手を振った。

「鷹さん。私が、あなたの国に参ります。覚悟なさってね」

 小さく愛らしい姫君の雄々しい言葉に、鷹は一瞬ぎょっとしたようにこちらを振り向いた。


 コローニアの第一王女ヴィオレッタと、ディルダウの皇太子エディアルドの婚約。

 それは、二つの大陸を初めて結ぶ縁談となる。


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