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「水夫射ち」はどこから生まれたのか

 話が逸れました。

 そう、「水夫射ち」です。非戦闘員の射殺。

 これは、個人的に嫌いですね。

 というより、好きな人はいないでしょう。古今東西、普通の人は忌避することだと思います。


 義経の水夫射ちについては、「勝てば官軍」「勝たねばならない戦いだったから仕方ない」「形式にこだわる方(平家)が愚かなのだ」という方々もいます。

 もちろん、そんな理屈には納得いかない方も多いでしょう。私もそんな価値観は好きではありません。

 しかし私が提示したいのは、そんなマッチョな理屈による義経正当化ではありません。

 そもそも、「義経の水夫射ちは本当にあったのか」です。ただこれは、タイムマシンでもなければ分かりませんね。

 そこで、「義経の水夫射ちは何を根拠にしていて、どの程度正当性があるのか」を見ていきます。


 「義経の水夫射ちをどう思いますか?」ではありません。

 「なぜ、義経が水夫射ちをしたと思ったのですか?」ということなのです。


 この根拠がなければ、「勝てば官軍」などという理屈は全く的外れなものになります。架空の話に、勝ったも負けたもないのですから。


 厭味ったらしい言い方になってしまいましたが、とにかくこの、「義経、卑怯だけど勝てば官軍説」はむかーしからドヤ顔で披露する人がたくさんいて、その誰も根拠を示さずに、あたかも義経が水夫射ちをしたのが史実みたいにイバッてるものですから、ついつい辛らつになってしまうのです。すみません…。

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