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第四章


――――――――夜明け。


「おい、起きろ」

 声で目覚め、瞼を開く。

 明け方なのだろう。洞窟の入り口から微かに差し込んだ光が、内部を薄く照らしていた。

 半身起き上がり、寝ぼけ眼を擦る。正直、固い床で寝ていたせいで寝心地は最悪だった。

 普段も酷いものの、藁を敷いたりしているから、ここよりは幾分マシだった。

 全く身体が休まった気がしない。

 しかし、そんな泣き言を言っている暇はない。

 同行者はこの化け物、ゼルスである。

 そもそも寝たのかも分からない彼は、すでに旅準備万端で、今にも「さぁ、行くぞ」と声をかけてきそうだ。


 果然、長い徒歩の旅はすぐに始まった。

 夜間とは真逆に、ひりつくような日差しとうんざりするほど沈む砂漠の上を、どんよりした気持ちで歩んでいく。

 時折、ゼルスが持参していた水筒で水分を補給する以外、特に会話もなく、立ち止まる事もなく、ギルンデルク城に向かって邁進した。

 そもそも、何で私たちはこんな大砂漠を徒歩で通過しようとしているのだろう。

 通常、砂漠を渡るには馬車を使用する。

 都市間を定期的に行き来しては人々を運ぶ乗り合いバスを用いるのが一番現実的だ。

 無一文である私が言うのもおこがましい話だが、ゼルスならばお金は湯水のように持っている事だろう。

 尚更、不思議でならなかった。


 もちろんそんな疑問をぶつけるわけにも行かなく、ただ黙々とゼルスの背中を追った。

 相変わらず、とんでもない速度である。

 男女間で体格差があるのだから、歩幅が違ってくるのは当たり前なのだが、それを差し引いたって彼は早い。

 砂に足を取られる事もなく、すたすたと歩くその姿には思わず敬服させられる。


 燃え上がる太陽を傍目に、前進を続ける。

 シーフとして培ってきた運動能力をもってしても、この砂漠を越えるのに凄まじい消耗を強いられる。

「はぁっ、はっ……」

 昨日よりも数倍つらい。

 暑さからか、視界は陽炎のように揺れ、足には幾つかの肉刺が出来ていた。それが、踏み切る度に激痛を走らせるのだ。

 それでも懸命に、機械のように左右の足を交互に前へ突き出す。

 決して弱音は吐きたくなかった。

 ゼルスに頼めば、ペースを下げたり、最悪おぶって行ってくれるのだろう。

 だけど、それはプライドが許さなかった。

 私だって、これまで数々の修羅を潜り抜けてきたのだ、という有難くない気位であった。


 しかし、この砂漠には一切の目印がないのだ。

 今までにどれほど歩き、そしてこれからどれだけ歩けばいいのか分からないというのは、精神を疲弊させるのに十分だった。

 ふらふらと、力なく歩く両脚に、力なく垂れ下がった両腕、そして黙々と地平線をむき続けた両目。

 ついに、遥か彼方に都市の影を見た。

 間違いない、あれがギルンデルクだ。

「ゼ、ゼルスさんっ!」

 幾ばくか取り戻した気力で、ゼルスに呼びかける。

 彼はただ黙って頷き、変わらぬペースで都市を目指した。

 ようやくなんだ……。

 人間の身体というのは不思議なもので、テンションが上がれば自然と身体も追いついてくる。

 心は踊り、足取りもいつの間にか、軽やかなものとなっていた。



――――――――ギルンデルク城下町

 ギルンデルクという国家は、特に秀でた軍力を持った国である。

 そして、その軍力の頂点に在り、国王と首都の守護を司るのが、王属騎士なのだ。

 僅か五十名ほどで構成される騎士団は、それぞれが卓越した技量を備えており、臣民からも畏怖の念を抱かれるほどである。

 町を歩けば尊敬の眼差しを受け、族のアジトを訪れれば戦慄を与える。

 ――そして今、ギルンデルクの町を騒がしいのは無理もない話なのだ。

 王属騎士の約半数、騎士体長以下二十余名が中央通りを毅然たる隊列の元、行進しているのだから。――



 町に辿り着いた私とゼルス。まず私は、この町が放つ圧倒的な活気に驚愕させられた。

 黄土色の町とは比べ物にならない。

 町の入り口たるゲートから遥か遠方に聳える城まで続くメインストリートは、そこらの川より遥かに太く、そしてそのほとんど全てが人や屋台で埋まっていた。

 頭上には色とりどりの旗が掲げられており、それぞれに店の宣伝の類が書かれていた。

 また、時々飛んでいく風船や紙ふぶきは賑やかさを一段と掻き立てている。

 お祭りをそのまま町にしたような処であった。

「この国に、こんな大きな町があったんですね……」

 呆気に取られていると、ゼルスも隣で苦笑を洩らした。

「俺もここに来るのは初めてだが、想像以上に騒々しいな」

 ひとまず私たちはゲートで配られていた地図を入手する事にした。

 大量の地図を抱える人の良さそうなお姉さんに声を掛けると、すぐに地図を手渡してくれた。どうやら無料配布のようだ。

「…………」


 二人で、広げた地図を覗き込む。

 そして、この町のあまりに簡単な造りに感嘆を洩らした。


「……基本商業関係は全て、この中央通りに集約されているんですね。この道から一つでもずれれば、閑静な住宅地が広がっている、と」

 ある意味、この町は大樹のようであった。

 一本の太い幹から、複数の小さい枝が伸びている。

 太い幹を埋め尽くしているのが商店、枝の周りにあるのが住宅地。

 あまりに太い幹のため、商業地区が小さいとは感じなかった。

 これだけ大きなメインストリートを埋めているのだ。

 相当の数だろう。

 そして、その莫大な市場人口を総出で支えているのが、この町の〝中央通り以外〟というわけだ。

「とりあえず、泊まれる場所を探すぞ。何をするにも、まずは拠点確保が最優先だ」

 ゼルスの指示通り、地図上から宿屋を見つけようとする。

 地図上に細々と書かれた文字を一つ一つ流していく。

 そして探し当てた、宿屋の二文字。

 中央通りを真ん中まで上り、そこから路地裏に逸れた処に一つ。

 その地点を指差すと、ゼルスは頷き、「早速、向かおう」と言った。

 そして人でごった返す中央通りへ視線を向け、二人してゲンナリした。


 人と人の間、屋台と屋台の間を縫うようにして先へ進む。

 一歩進むたびに誰かとぶつかりそうになり、あるいはぶつかって弾き飛ばされる。

 その先にも人がいて、ピンボールのように目まぐるしく移動していく。それでも何とか努力してゼルスの背中だけは常に視界に留め続けた。こんなところで迷子など、真っ平ごめんだった。

 進んで進んで、されど進めど進めど、相変わらずの喧騒が私たちを包み込んでしまう。

 進路を塞ぐ人の波は永遠に続くかのように思われたのだが、しかしその波はある場所を境に、ぷっつんと途絶えていた。

 急に開けた場所に出て、思わず戸惑う。

 私の横で、ゼルスは正面を向いていた。

 その視線の先を追う。

 その先にも道は続いていた。

 人だっていないわけじゃない。

ただ、左右に分かれているだけだ。

 屋台も、人も、道を譲るように端っこへ移動している。

 私たちの周りだって例外じゃない。

 続々と、これから来るであろう彼らのために道を造る。

 そう、百メートル向こうに見える小さい、しかし確かな威圧感を放つ僅か二十余名の騎士集団が元凶であった。

 私はゼルスの裾を引っ張って、道の脇へと逸れた。

 放って置けば、ゼルスは平然と道の真ん中に突っ立っているような気がしたのだ。


 やがて、瞳に騎士団の姿が明瞭に映った。

 先頭には黄と白で基調された鎧に身を包む尊厳な顔立ちの男が一人。背中に吊るのは体躯以上の長さを誇る、白銀のランスだ。

 そして、彼に二列の隊列が続く。一目見るだけで一人一人が実力者だという事が分かる。

 鍛え抜かれた身体、使い込まれ鈍い光を放つ武具、一糸乱れぬ隊列、行進。

 町の人々が感嘆を洩らし、道を造るのにも頷ける。

 彼らの行く手を阻むなど、常人には出来やしない。

 出来るとしたら、例えば私の隣にいる彼くらいしか。いや、彼でも無理だと思うけど。

「ゼルスさん、あれがきっと王属騎士だと思うんですけど……」

「ああ、間違いなくそうだ」

「町の真ん中を闊歩して、いったいどうしたんでしょうね」

 素朴な疑問を投げかける。

 こんな人がたくさんいる道をわざわざ選んで行進するなど、定期的に行っていたのでは人々の不満が溜まるに決まっている。

 しかし、彼らに不満の色は見られない。むしろ、声援を送っている始末だ。

 これは余程珍しい事態なのだろうか。

 そして、応援するほど、人々は騎士団の行進を待ち望んでいた?

「とうとう、騎士団が引っ張り出されたか……」

 しわがれた声でそう呟いたのは、私の横、ゼルスとは反対方向にいた老父であった。

 杖で身体を支え、白髪さえも疎らにしか残っていない翁は、咽たように咳を吐く。

 咳が収まったのを見計らって、私は彼に声を掛けた。

「あ、あの、すみません……。あの騎士団は何をしに行くんですか?」

 翁はこちらを見ずに、掠れた声で囁くように言う。

「討伐じゃ。相手は近隣の洞窟を根城にする、化け物じゃよ。腕利きのハンターは皆やられてしまったから、とうとう騎士団に声がかかったのじゃ」

 老父は溜め息を洩らすと、杖を突いて路地裏へと去っていった。

杖の地面を叩くカツンカツン、と音が響き、やがて静けさに呑まれてその姿も見えなくなった。

「……まずいな」

 珍しく焦った様子のゼルスの声。

「えっ?」

「今のじいさんが言っていたそれが本当なら、騎士団の目標は……」

 ひらり、とローブから滑り落ちた一枚の羊皮紙。

微かに見えた【300万G+70P】の文字。

「……あっ!」

 一拍遅れて察した。

 ゼルスが狩ろうとしていたその獲物と、騎士団の討伐目標が同じである可能性。

 零ではない。むしろ、有り得過ぎるくらいだった。


「……ひとまず俺は、騎士団を追う。お前は……そうだな、金と荷物を渡すから、宿屋を借りておいてくれないか?本当はこの町に着いた時点で別れようと思ったが、事情が変わった。俺が戻るまで、好きにしていいから」

「えっ、ちょっ……」

 有無を言わさず、麻袋を預けてくるゼルス。剣と、最低限の装備だけとなったゼルスは、私の頭にぽんと手のひらを載せた。

「じゃあな」

 相変わらずフードに隠れた表情は読み取れず、頭に触れられた手のひらはグローブがしてあって本人の熱は感じられない。

 その声はやっぱり少年のようにも、大人のようにも聞こえる。

 仲間がいるのか分からず、その力量はどれほどなのかも分からず、素顔も分からない、私が殺そうとした相手。

 金品を巻き上げようとした相手。

 その彼が、金品を私にほぼ全て預けて、私の目の前から去ろうとしている。

 『じゃあな』のその声が、最後になりそうで、親方に金貨袋を取り上げられた時のように、弱弱しい手を伸ばす。

 しかし今回も届かぬまま、ゼルスの手のひらは私の頭から離れ、その身体は向こうを向いて、マントが翻り、次の瞬間には雑踏の中へと消えていく。

 声も出なかった。身体も動かなかった。

 重い荷物を抱えて、呆然と突っ立っていた。


 騎士団の通り過ぎた後の中央通りは元の喧騒に包まれ、商人魂燃え盛る人々の声が飛び交う

「ユーラス国から輸入した、極上の魚は如何かね!」

「眠気を覚ます、ツユサグサ、特売だよ~!」

「明日、遠方からキャラバンが来るって噂だぜ」

「おおう、マジかい! そりゃ物々交換の準備をしとかなきゃなぁ!」

「騎士団風ストラップ限定発売!」

「迷子の猫を探してまーす!」

 地面が揺らぎそうになる。吐きそうになる。

 この町で、誰もが他人で、誰もが私に興味など持っていない。

 まるで透明になったみたいだった。

 それが良かったはずなのに、それがとても悲しかった。


 ゼルスから預かった麻袋を見つめる。

 紐を緩め、中を覗けば、大量の金や道具がそこにあった。

 これを全て持ったまま、トンズラする事も出来る。

 そうすれば、念願の……。

 頭を振って、思考を振り切った。


 今、私が求めているのはお金じゃないんだ。人との繋がりだったんだ。

 騒々しいこの町で、一人で生きていける自信なんてなかった。

 そして、私を信頼して荷物を預けてくれたゼルスを裏切ろうとも思わなかった。

 殺そうと思って着いて来たのに。今では、一人が不安で仕方ない。


 喧騒から逃れるように、路地裏へ駆け込んだ。

 この付近に、宿屋があるはずだ。

 明かりさえ届かない、冷たい路地裏。廃棄された莫大な数のゴミに群がるネズミ。

 目を背けて、奥へ。暗がりを走る。走る。走る。

 いつだったか、あの町で追いかけられていた時みたいに。石畳の、灰色の地面に転がる煙草の燃えカスを踏み潰す。

 気がつけば、道に迷い、同じ場所をぐるぐる回っていた。出口すらないように思えた。

 道幅は狭くて、壁が迫ってくるような感覚に戸惑う。

 そうだ、地図だ。地図を使おう。

 と、路地裏では目立つ、赤いレンガで出来た建物の前に座り込み、地図を広げ覗き込む。

 付近の地形から推測し、指で現在地を追う。そして見つけたここは。

 宿屋の目の前であった。


 一見開かないように見えた頑丈そうな鉄の扉は、体重をかけて力を込めると重々しく音を立てて開いた。

 宿屋だというのに、こんな非歓迎的な扉は有りなのだろうか。

 開いた扉から中を覗き込むと、外観とは違い、平穏な雰囲気が漂っている。

 木製の床に、幾つか置かれたソファとテーブル。

 客だろうか。数人が、テーブルを囲んで談笑しているのが見える。

 中に入るきっかけが掴めず、ぐずぐずと扉の外から中を覗いていると、中を歩いていた性別不詳の、多分オカマがこちらに気づいた。

 数秒、目が合う。謎の威圧感を感じて、離せない。

 とても怖くて、身体が震えそうになると、刹那、オカマが笑顔になった。

 本当に急に、信号機が赤から青に変わる時くらい急に笑顔になった。

「あ~ら、可愛い子ねェ~! ほら、そんなところに立ってないで、入っておいでェ~」

 多分オカマから、モロオカマに格上げされた。いや、格下げかな。

 語尾を裏声で伸ばすのを辞めてほしい。ビブラード効き過ぎ。

「お、おじゃまします……」

 恐る恐る足を踏み入れれば、アットホームな空気が全身を包んだ。

 ここはラウンジなのだろうか。

 ソファに寄りかかり、机を挟んで談笑をしていた人たちが、一斉にこちらを振り返る。

 皆男性で、興味津々と言った様子でこちらを見ている。

 どうやらこの人たちはオカマじゃないようだ。思わず安心してしまった。

「それで、そんな大荷物を抱えちゃって、ここに泊まる予定かしらァん?」

 オカマ特有のくねくねした動作と共に距離を詰めて来る。

 近い、顔が近い!

「は、はい。私と、もう一人来る予定なんですけど……」

 半歩後ずさりしながら引き攣った顔で応える。

 するとオカマはまぁ、と口に手を当ててオーバーリアクションを取った。

「二人もお客さんなんて、今日はなんて素敵な日なのかしらァ!」

 オカマは謎の小躍りを始めてしまった。

 明らかに泊まる宿屋を間違ってしまった。

 もっとまともな宿屋ならいくらでもあるだろう……。

 客二人でこんなに喜ぶなんて、やっぱり曰く付きだ。主にこのオカマが。

 数秒で小躍りを止めたオカマは、満面の笑みで、手招きをした。

 そしてそのまま、階段を指差す。

「二人部屋でいいのよねェん? 階段を登って登って、三階に出て角を曲がってすぐ右手にある扉よん」

「分かりました。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると、視界の左端にあった木製のボロい階段を登っていく。

 段を踏むたびに不気味な音が鳴るし、大量の荷物を抱えているせいで大変な労力だ。

 下から、談笑している人たちの「おうおう、がんばれー」と声援なのか野次なのか分からない声が飛んできて、顔を少し赤く染めながらも二階へ到着した。

 そのまま、回れ右をして三階への階段へ挑戦する。

「荷物が、重すぎるよ!」

 息も絶え絶えに、言葉を洩らす。

 莫大なお金は紙幣だけではなく、金貨も含んでいるからやたら重い。

 他にも、生活必需品だとか、冒険必需品が多くあって、とても線の薄い少女一人に持たせる量ではない。

「でも…………」

 考えろ。ゼルスは、この荷物をずっと持って、あの砂漠を抜けたのか。

 そう考えると、やはりあの人は化け物のような存在だ。

 そうこうしている内に三階に辿り着いた。

 息を整え、麻袋の荷物を抱えなおし、廊下を渡る。

 すぐに突き当たりがあり、右手に曲がると、すぐ右手に扉が一つ。

「ここで、いいんだよね」

 質素な木の扉を開いた。


――――


 荷物を簡素な造りの部屋に置き、伸びをする。

 必要最低限の置物しかない部屋であった。

 大きめの窓からの見晴らしはよく、町の風景が堪能できる。

 それだけで、頑張って三階まで荷物を引っ張ってきた甲斐があるというものだ。

 どの方角を向いているのかは分からないが、視界のほとんどは住宅が埋めていた。

 人通りもあまりない。メインストリートがあの騒ぎだったのだ。相対的に、他の場所は静かなのだろう。

 そして、町の切れ目の奥、地平線には大きな岸壁が存在した。

 初めて見た、という事は、私たちが来た方角とは別の方角なのだろう。

 もしかしたら、あそこにゼルスや騎士団の狙う獲物がいるのかもしれない。

「そうだ。とりあえず、宿代を払わないといけないよね」

 麻袋から金貨の入った巾着を取り出した。その瞬間、小さな棒のようなものが袋から転がり落ちる。

「? 何だろう、これ」

 金属製の、二十センチもないくらいの、銀色の棒。先端には何か、ガラスのようなものが付いている。

 首を傾げ、とりあえずポケットに入れて部屋を出た。

 手に持った巾着はチャカチャカと賑やかに奏でる。

 階段を降り、ラウンジの掃除をしているオカマの元へ。

「部屋は分かったかしらァ?」

 相変わらず語尾の音域が跳ね上がる。

「はい、大丈夫です。それと、料金はおいくらですかっ」

 巾着袋を胸元で握り締めた。

「あらァん、それは最後でいいのよ。でもでもォ、そんなに高くないから安心してねん」

 ウィンクのオマケ付きときた。今に投げキッスとかして来そうで怖い。

 というかこの人、私が泊まるだけ泊まって、そのまま逃げるとか考えていないのだろうか。

 お人好しなのか、平和ボケしているのか。

「それに、お連れの人はまだいないでしょン?」

そういえば、最初にもう一人来るって言ったんだった。

「ま、ゆっくりしてて頂戴。暇ならどこかぶらぶらしていてもいいのよん。それか寛ぎたいなら、お菓子と紅茶を出してあげるわよォ」


 どうやらこのオカマは悪いオカマではないみたいだ。

 町に出たって、また道に迷うのが関の山だろうし、お茶でも貰おうかと思ったそんなその時。

 机の上でトランプに興じていた男性たちの会話が耳に入った。

「そういや聞いたか? ついに騎士団がお出ましだってさ」

「あぁ、アレだろ? あいつだろ? 流石に騎士団でもないと手に負えないからなぁー」

「最近はあの岩穴を根城にしてるって聞くしな。こんな目と鼻の先じゃ、仕方ねえって」

「騎士団だって、敵うかはまだ分かねえけどな。だって――」


 その先の言葉を聴いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 カラフルなキャンパスが、一斉に色を失う。


「――は、この国で〝最凶〟かつ〝最強〟って噂だぜ」

 瞬間、私は巾着を放り出して、宿屋を後にした。オカマの声が背後から聞こえるが、返事はしない。

 一歩踏み出す度に鳴る、いつも煩わしく思っていたこの短剣が、この時ばかりは心に一抹の勇気を与えてくれていた。


 ――急がなきゃ。

 私は駆ける。

 三階の窓から、地平線に見たあの岩壁の方角目掛けて。

 大丈夫、私はシーフだから、スピード勝負なら自信がある。――


 額を伝った汗を拭って、不安に怯える身体に鞭を打ち、路地裏を疾駆した。

 このままでは、ゼルスが死んでしまうから。

 絶対の確信が、そこにあった。


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