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第三章

――――明くる日。


 太陽の光を受けて輝く砂漠の入り口で、私たちは並んで地平線を見渡していた。

 その地平線まで、大よそ遮蔽物は何もない。

 どこまで広がっているのかも分からなかった。

 そして、私たちは二人とも日差しから身を守るため、分厚いコートを身に纏っていた。

 正直に言えば、暑苦しいったらないけど、仕方がない。

 加えてゼルスは、大きめの麻袋を背負っている。その姿は、一風変わったサンタ・クローズのようだ。

「ギルンデルク城までだからな」

 本来ならここで別れる予定であったが、私は無理を言ってゼルスに着いていく事にした。

 王属騎士になるにはギルンデルク城を目指す必要があり、加えて七十Pの依頼もギルンデルク城付近にあるらしく、自ずと目的地はそこに決まる。

 私も、ギルンデルクの城下町で新生活をスタートさせようと思っていたところだったので、丁度良かった。

「よろしくお願いします」

 お辞儀しながら悪戯っぽく笑うと、ゼルスは面倒臭げにため息を吐いた。

 どうやらこういうのには慣れていないらしい。

「行くぞ」

 その掛け声を合図に、私たちは砂漠へ足を踏み入れた。


――着いていく理由は当然、目的地の一致というだけではない。

 ゼルスを奇襲して、上等そうな大剣と有り金を頂く。その金を基金に、ギルンデルク城で新しい生活をつくる。お金があれば、やり直す事だって出来る。

 一文無しでは結局生活に窮して盗賊に逆戻りだ。そんなのは、嫌だった。


 ゼルスに助けてもらったとは思わない。私はひとつの隠れ家を失った。結果から言えばそれだけだ。

 まぁ親方を殺してくれたのは憂さ晴らしには良かったけど、それでもゼルスに恩義なんて微塵も感じない。表では感謝しているふうに装っているが、それは利用したいから。ただそれだけだ。


 奇襲のタイミングは選ばなければならない。懸念すべき事項が幾つかあるのだ。

 まず、彼の仲間である。流石に親方を含む二十人の盗賊を一人で討伐する事など並大抵の人物では不可能だ。

 つまり、彼には共に討伐を行った仲間がいるはずなのだ。

 今はいない、というか姿を見た事さえないのだが、もしかするとどこかから監視しているのかも知れない。

 二つ目の懸念事項はこれである。私が盗賊である事を見透かされている場合。

 何の目的で騙されているフリをしているのかは謎だが、その場合奇襲の成功確率は大幅に下がる。

 本人も警戒している事だろうし、仲間も遠目から見張っているはずだ。

 三つ目は、ゼルス本人の強さだ。

 恐らく相当のものだと思われる。少なくとも、親方と同じかそれ以上だろう。

 彼の実力を知るまで、危ない行動は控えた方がいいかも知れない。

 慎重に彼の様子を見極め、あわよくば彼の技を解析して盗んでしまえばいい。

 そうすれば、私は今後どんな理不尽な仕打ちにも対抗できるだけの力を得る事が出来る。食物連鎖の上に位置すれば位置するほど生き残れる。この世界では、常に弱肉強食の理念が付きまとうのだ。


――――


「ゼルスさん! ツッ、ツノザウルスの集団ですよ! 逃げましょう‼」


 旅を始めて数時間がした頃の事であった。

 私たちは黄土色の砂漠を延々北上し、ギルンデルク城を目指していた。

 砂に足を取られ、一歩がやたら重く感じられて、旅早々私はへとへとになってしまっていた。

 長年盗賊をしていたのに、このザマだ。普段歩いている固い土が今や懐かしく、恋しく思えた。

 一方ゼルスはどうかというと、こちらは余裕綽々と言った様子で、ちょっと癪に障る。

 対抗心に火がついて、彼の「ペース落とすか?」という魅力的な提案を蹴って、懸命にゼルスのペースに合わせているうちに血気盛んな肉食獣の群れとエンカウントしてしまったというわけだ。


 ツノザウルスはこの辺りでは特別珍しい魔物というわけではない。

 その名の通り頭部から一メートル近いツノを持っている大柄な四速歩行の肉食獣である。

 普段から十から二十匹で群れを成し、集団で小型の獣を狩って生きている。

 彼らは目標と定めた相手以外には基本的には無害で、特に人間を積極的に襲おうとはしない。

 しないはずなのにそれでもこうして、こちらに向かって突進して来ている様子はどう説明すればいいのだろう。

 不可解だが、現状そうなってしまっている以上何とかしなければならない。


 パニックになって、突進を避けようと横へ走り出しかけた私は波のような砂に足を取られ、横ばいに倒れてしまった。

 立ち上がろうにも、混乱する思考に、柔らかい砂が立ち上がるのを妨害する。

 ツノザウルスの砂を掻き蹴る音はすぐそこまで来ていた。


 倒れたまま立ち上がれない私の前に、すーっと黒い影が現れた。

 その影は言うまでもなくゼルスのもので、彼は背中に預けた銀の大剣を引き抜き、柄を両手で握ると姿勢をやや前方へ傾けた。大剣は力なく地面へ向いている。

 ようやく膝を突く姿勢まで持ち直した私は、愛剣を握ったまま静止するゼルスに甲高い声で叫んだ。

「む、無理ですよ! 勢いを味方につけたツノザウルスを真正面から打ち破ろうだなんて、不可能です!」

 それでもゼルスは微動だにしない。ツノザウルスの集団はもう間近に迫っているというのに。

「仕方ない……!」

 このままではゼルスと諸共あの世逝きになってしまう。数瞬後には二人ともツノザウルスのお腹の中だ。

 そうならないためにも、ツノザウルスの“弱点”を突かせてもらう。


 懐から取り出したのは煙玉である。盗賊時代からの愛用品だ。本来なら、あまり使いたくない代物だった。

 何故なら、ゼルスから見て一般人であるはずの私がそんな武器を持っているのは不自然極まりないからだ。

 せっかく盗賊の私を、ただの拉致被害者と勘違いしてくれているのに、ボロを出す真似はしたくなかった。

 だが、状況が状況である。私はそう割り切った。


 手のひらサイズのそれを、あまり狙いもつけずにツノザウルスに向かって思い切り放り投げる。

 煙玉が発動するのは衝撃を受けて玉が破れた時であって、砂の地面に投げたって発動しない。

 何か固いものにぶつけなければならない。その対象は、ツノザウルスの他になかった。

 運の良い事に煙玉は先陣をきっていたツノザウルスのツノの先端に当たったようで、勢いよく煙が噴出した。

 見通しのいい砂漠だというのに、白煙は辺りを完璧に覆い隠してくれる。

 そして、ツノザウルスは視界を塞がれる事に滅法弱いのだ。


 きっと今この瞬間にも多くのツノザウルスが動揺して進路を変えたり、もしくは横転している事だろう。

 これでしばらくは安全だ。そう思い、心に余裕が広がると身体の動きも着いてきてくれるようになる。

 素早く立ち上がると、いまいち状況が理解出来ていないらしいゼルスの腕を引っ張って、

 やはり走り慣れない砂の上を一目散に駆け回った。


――――


 日は落ち窪み、夜行性の動物が周囲を蠢いている気配がする。

 私たちは依然砂漠の真ん中にいた。

 よく考えれば、この国の多くは砂漠で覆われているので、突破するしない以前の問題だ。街以外のどこに行ったって、砂漠から抜け出る事はあり得ない。

 街や城以外のほぼ全域が砂漠という可能性も十分にあり得るのだから。

 偶然見つけた浅い岩の洞窟で、私たちは一夜を過ごす事にした。

 夕食は、この辺りに多く生息しているミドリトカゲという体長三十センチほどのトカゲだ。

 見た目はグロテスクでも、味は一級品である。もちろん焼く必要はあるが。

 幸い洞窟の内部には少し前まで人がいたらしく、多少の木材が残されていた。

 焚き火をするには十分な数だったが、問題は火である。

「ゼルスさん、火興しはできるんですか?」

 焚き火のベースを組み立てながらも、不安になって聞いてみた。

 どうやら、杞憂だったようだ。

「あぁ、問題ない。火打ち石を常備しているから」

 そう言って、麻袋の中から相当に使い込まれた石を二つ取り出した。それだけ長く旅を続けているのだろう。

 お金だってたくさん持っているし、必需品も欠かさず準備している。相当の場数を踏んでいそうだった。


 カチッ、カチッ、と石同士がぶつかる音がして、それから小さな灯が焚き木に灯った。

 少しずつ勢いを増していき、やがて煌々と瞬きはじめ、焚き火としては充分なまでに燃え始めた。。

 小さく音を立てながら燃える炎をぼんやり眺めて、うとうと眠りそうになる。

 今日は、随分歩いてきたから、疲れてしまった。

「どうした、眠いのか? 寝るんだったら食ってからにしとけよ」

 棒切れで串刺しにしたミドリトカゲを数匹、焚き火に突き立てながら、火を挟んで真向かいのゼルスが言う。

「明日も、相当歩く予定だからな」

 何でもないようにさらっと話すゼルスは、やはり只者ではなかった。

 見たところ、体力的を消耗している様子も見えない。

 もしも睡眠という概念がなくて、そして私というお荷物がいなかったら、彼はきっと夜通し歩き続けても大丈夫なのだろう。

 まさに底なしだった。

「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから」

 強がって言うと、彼はぼそっと「子供だろ……」と呟いた。

 何だかムッとして、「失礼ですね! 私これでも十四歳ですから。そういう貴方は幾つ何ですか!」とやや喧嘩腰で問いただす。

「……………………」

 すると予想とは裏腹に、やや長い沈黙が流れた。

「あれっ、もしかして自分の歳忘れ……」

「十七歳だ」

 全力で思い出したのだろう。勝ち誇ったように言うゼルスだが、彼の年齢は見た目不相応に若かった。

 正直、成人と言われても差し支えない程度には大人びているのに。

 しかし、それはそれ、これはこれだ。

「たった三歳差じゃないですか!」と意気込んで返すも、鼻で笑われる。

「分かった分かった、子供じゃないのは分かったから、さっさと食うぞ」

 気がつけば、ミドリトカゲはコンガリいい色に焼けていた。

 とはいえ、食欲を誘うような見た目ではないが。

 むんずと一本掴むと、小さく一口齧る。

 正直、歩き疲れた今の私にとってはご馳走のように美味しかった。

 しかし、昨日親方に蹴られたせいで口内が切れていて、電流が流れるように痛かった。


 ふと顔を上げ、向かいを見れば、ゼルスは黙々と平らげていた。

 特に感想もなさそうだ。何というか、感情の希薄な男である。

 それから特に会話もなく、各々数匹のトカゲを腹に詰め込み、食事はお開きとなった。今までだって独りで食事をしてきたのだから慣れたものだが、こうも会話がないと気まずい。かと言って、振る話題もないし、あまり親しくなると情が湧いてしまう。

 まだ、私はシーフなのだ。

 ゼルスの首を切り落として、莫大な財産を得る事で、私はシーフを卒業できる。それまでは、油断してはいけない。

 愛想は振舞いつつ、常に首を狙い続ける。

 そうしなければ、私が望んだ明日はやって来ないから。

「……さっきも言ったが、明日も相当歩く。休めるうちに休んでおけ」

 食後間もなく、ゼルスは洞窟の入り口を見ながら言った。

 夜風が吹いて、若干肌寒い。昼間とは間逆だった。

 砂漠とは、往々にしてそういうものだった。


「……おやすみなさい」


 なるべく洞窟の奥の方で、マントに包まって横になる。

 ざらざらして堅い地面はとても寝心地が悪い。

 朝起きた時、身体中が痛いだろうな、と思いながら目を瞑った。

 パチパチパチ、と時々なる火の音に安堵する。

 焚き火のお陰で寒さは半減している。

 いつの間にか、眠りの海へ沈んでいった。

 ゆらり、ゆらりと、ゆっくり、ゆっくり。


 夢の中で『これは夢だ』と気が付く事は、私にとってはそう難しくもない事だ。

 私が見る夢は大抵悪夢だった。

 日々悪い夢のような現実と戦ってきた私にとって、悪夢のような現実感のないものにはすぐ気が付いてしまうのだ。

 『現実はこんな摩訶不思議じゃない』と。


 そして今回も、そうそうに気づいた。

 まずおかしい点その一。真っ暗闇の中で突っ立っている。

 おかしい点その二。自分の身体がよく見えない。あやふやな、モヤがかかったような感じだ。

 おかしい点その三。身体がうまく動かない。まるで縛り付けられているかのように、重たかった。

 おかしい点その四。あいつがいる。

 真っ暗闇の遥か向こうには、首なしの騎士が一人。すでに抜かれた十字剣は、いつ見ても赤黒く塗れている。いったいそれが何なのかは、考えるまでもない。

 やつに〝現実〟で出会ったのは僅か二回。

 一回目は、私が幼少の頃だった。私が両親と暮らしていた集落を襲い、私以外の全員を切り伏せた。

 二回目は、私が盗賊の生業を始めてからすぐの事。大きめの街の主であった公爵の屋敷に盗みに入った時、偶然にもやつが現れた。

 囲いを飛び越えて、誰にも気づかれずに屋敷に進入した私と違い、紅きデュラハンは正面より堂々と現れた。

 不気味に光るその剣一つで、屈強な警備兵約五十人を全滅させた。

 全ての兵の血をその剣に吸わせた後も、やつは屋敷の中をうろついていた。

 まるで、何かを探しているかのようであった。

 私はそんなやつの姿を見届けてから、こっそりと屋敷から撤退した。

聞く噂によれば、名うての王属騎士すら打ち破ったと言う。そのデュラハンは今やこの国でも名を馳せる〝最上級要注意人物〟となっていた。

 人物かどうかは別として。


 さて、この状況をどうしようか。

 今すぐに目覚めてしまいたい。どうせ碌な結末が待っていないのだから。

 音もなく近づくデュラハン。段々とその姿がはっきりしてきても、慌てる事はなかった。これはただの夢、私がこの世界の創造主なのだから。

――なのに、なのに、覚めてくれない。

 起きろ、目覚めろ、といくら思念したって何も変わらない。

 抗えないほどの恐怖心が全身を支配する。何もされない、と分かっていても、安らぐ事は出来ない。

 動悸が激しくなっているのを感じた。首なしの騎士の、その風貌はいつもより更に赤黒く塗れていた。

 視界は揺れた。



 一段と強い風が吹いて、目を開いた。額には、じんわりと汗が滲んでいる。

 そこは眠る前と同じ、洞窟の内部であり、薄明かりに照らされ静寂を保っていた。

 焚き火を見れば、木が燃え一回り小さくなっている。

 灯火に照らされた洞窟には、私以外誰もいない。

 暗がりにいるのかも知れないと周囲を見渡すが、気配はなかった。

「ゼルスさん?」

 その名を呼ぶ。

返事は、ない。


 もしかして、置いて行かれた? 先に行ってしまったのだろうか。

 本当にゼルスは睡眠を必要としない底なしの化け物だったのかもしれない。

「いやいやいや、そんなわけないない」

 よく見れば、麻袋はきちんと焚き火の傍らに置いてある。

 ひとまず立ち上がり、洞窟の出口へ向かってゆっくりと進んでいく。

 夜霧に紛れる獣の声と、怪物のうめき声のような風も無視して、ざらざらな洞窟を抜けていく。


 洞窟のすぐ入り口にゼルスはいた。岩壁に背中を預け、遠くの方を見つめている。

 寒くないのかな、と心配になったが、寒いなら中に入るだろうな、と考える。

 ふと見上げた空は分厚い雲で覆われていた。

「眠れないのか?」

 こちらを見向きもせず、彼は私に問う。

「それはこっちの台詞です」

 洞窟の入り口で、地平線を遠望しながら問いを返す。

「…………」

 言葉は返ってこなかった。

 彼が何を考えているのか、分からない。もしかしたら、疎ましく思われているかもしれない。

 でもそんな事はお構いなしに、ゼルスの横に腰を下ろした。

 拒絶されたら消えればいい。


 数刻の間、静寂が流れた。

 移ろう雲が、視界の端から中央まで流れた時、ようやく声が聞こえた。

「眠れなかった」

「あ、もしかしたら寝なくても生きていける系の人?」

「どういう系だ、それは」

 少し、雰囲気が和らいだ気がした。

 今、彼がフードを被っていなければ、きっと微笑している彼が見えるだろう。

 苦笑かもしれない。笑っているなら何でも良かった。

「もしかして、私が居たから……?」

「そうとも言える」

「私、まだ十四歳なんで……」

「そういう意味じゃない」

 少し語調が強かった。

 はぁー、っと大きなため息が聞こえる。

「随分長い事、一人で旅してきた」

 遠くで、ハイエナの目がギラリと銀色に光った。

「十年も流れるように流離い、ひたすら修練に明け暮れた。

 だから、時には人との付き合い方も忘れてしまうものさ」

 凄腕の剣士に、それでも私は同情できた。

 私もまた、物心ついてからずっと一人だったから。

 人と接する事はあっても、あくまで裏の顔で接する。

 誰も信じられず、汚れた路地裏を駆け回るネズミのような生活。

 今だって、ゼルスを出し抜こうと仮面を被って……。

「時に、自分を見失ってしまう事もある。これで良かったのか、と」

「……誰だって、そうです」

 自分が正しいか、正しくないかなんて、そんなものは二の次にして生きてきた。

「こんな事を、お前に言うのも何だけどな」

 私の事をただの一般人だと思い込んでいるはずの彼はそう言って苦笑する。

「……そういえば、ゼルスさんはどうして王属騎士を目指しているんですか?」

 王属騎士は高給だし、名誉ある職ではあるものの、正直ゼルスがそれになるのは想像がつかない。

 彼はどちらかといえば、傭兵とかそういう雰囲気である。彼自体、自由そうな感じだし、騎士なんて規律だらけのものは敬遠するものではないだろうか。


「別に王属騎士自体になりたいわけじゃない。ただ、国家を動かせるだけの権力があればそれでいい。

 王属騎士になって、騎士隊長まで上り詰めれば、軍を動かすだけの権力は手に入るだろう」

 彼の答えは、意外と言えるものであった。

 まさか王属騎士を目指す動機が権力志向だったとは、夢にも思うまい。

「へ、へぇ~……。ゼルスさんって、そういうのを目指していたんですか……」

 豪華な椅子の上でふんぞり返っているゼルスを想像して、噴出してしまいそうになった。

 私の様子に気づいた彼は、面倒くさそうに補足する。

「言っておくが、別に俺は権威の類が欲しいんじゃない。俺はあくまで、魔王と戦うために手数を増やしたいだけだからな。魔王を討つ事、それが俺の旅の目的であり、その目的を成すには味方が必要なんだ」

 さらりと言ってのけた彼の言葉を理解するのに、ざっと十秒は要した。

 ようやく思考が聴覚に追いついた時、私はここ最近で一番の驚声を上げた。

 魔王、それはこの世界の腐敗の原因であり、且つ、実質的にこの世界を統べている者である。

 一説では、現魔王はかつて正義を志す者だったらしく、しかし前魔王に勝利した後何故かその後を継ぐように悪の道を進んだという。

 今や他の追随を許さぬほどに強力となり、世界中を意のままに操る事が出来るのだ。

 暗黒時代の到来とはつまりそういう事である。


 当然、魔王に歯向かう者はこれまでにも数え切れないほどいた。

 しかし、その全てがまるで歯が立たず、むしろ魔王に辿り着く事さえなく、取り巻きや部下に惨殺されていた。

 だから、近年では魔王と戦おうとする者などほぼ皆無となっていた。

 数ある国家郡ですら、魔王が支配する大国の横暴には黙認を貫いており、耐え忍んでいる状況だ。

 本格的に戦争を吹っかけられて初めて、それも絶対敗北の悲壮感を漂わせながら武器を手に取る、そんな感じだった。


 故に、ゼルスの宣言は私とって驚くべき事だった。

 いや、私だけではない。誰が聞いたって正気を疑うレベルだ。

 だから、一瞬冗談かとも思った。

 しかし、私の横で真っ黒いコートをはためかせている彼はやはり真面目なようであった。


「……これはあくまで宿命のようなものだ。魔王と俺はかつて師弟であり、そして戦友であり、友であった。やつが引き起こした世界中の悲劇は、元を辿ればやつを止められなかった俺が原因でもある。清算はきっちりつけなきゃならない」

 やっぱり、この人は強い人だった。改めてそう思う。

 自分がどう足掻いても、天地がひっくり返っても敵いそうにない、と思わせるだけの静かな力がそこにあった。

 彼をだまし討ちで殺そうなんて、甘い考えも良い所なのかも知れない。

 睡眠中……もしくは戦闘中に不意を討つしかなさそうだ。

「ッ……」

 ふと、我に返る。

 淡々と、彼を殺す手順を考える自分が怖かった。

 一日以上一緒に居るのに、何の躊躇いもなく殺そうと考えているなんて、自分には感情が欠落してしまったのか?

 それとも、これも覚悟と呼ぶのだろうか。彼の魔王を討つというその覚悟同様に。

 首を振った。そんなわけがない。私はあくまで利己的に生きている。彼とは正反対の人間だ。

 覚悟なんて、そんなかっこいいものじゃない。

 やっぱり、私とゼルスの間には決定的に、何もかもが、違うのだ。


 急に押し黙った私を不振そうに見るゼルス。顔は見えないけど。

 慌てて言葉を返す。

「あ、ま、魔王と師弟だったって……本当ですか?」

 とりあえず一番気になる部分だった。もしそうであれば、彼はいったい何者なのだろう……。

 彼と魔王の過去に、いったい何があったのか、とてもだが推し量れない。

「あぁ。やつが、まだ善の心を持っていた頃の話さ。

 ……さぁ、もう遅い。そろそろ戻って寝た方がいいぞ」


 あまり突っ込まれたくない話だったのだろうか。

 半ば強引に会話をぶった切り、彼は有無を言わせない勢いで言う。

「……うん」

 おとなしく引き下がる。

 私自身、ちょっと寝足りない。明日に備える意味でも、充分な睡眠は必要不可欠だ。


 小さい声でおやすみなさいと声をかけると、洞窟の奥へ引き返した。

 最後に覗いた空は、やはり雲に覆われていた。


 洞窟の中は、外と比べれば断然暖かく、冷えた体温が一気に戻ってくるような感覚がした。

 焚き火は先ほどよりさらに一回りばかり小さくなっていた。

 揺れる火と光に、私の影が混ざり合う。

 火というのは心理的に落ち着きを与える効果があるらしい。

 しかし、それでもかき消せない心のざわめきは、いったいどうすればいいのだろう?

 結局私は、ゼルスを殺せるのだろうか。殺さなければならないのか。恩を仇で返すような事をしていいのだろうか。

 覚悟も曖昧なまま、眠りに落ちた。


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