序章~5
あげはの目やにが止まらなくなった。部屋についていたインターホンで病院に見てもらいたいと私が言っても、生活保護の担当と繋がらないと病院に出して貰うことすら出来なかった。
次の日の昼過ぎにやっとあげはを眼科に連れて行くことが出来た。何でもっと早く連れて来なかったのかと医者に言われて、悔しくて泣いた。
私は、卓也に言った。すると入間の市役所に話してくれた。部屋が変わった。大分違う普通の畳のテレビのある部屋に移ることができた。それでも出られない事に変わりはない。あげはを施設に預ける話しが持ち上がった。先の見えない生活不安と自由の無い生活に私はダメになりそうだった。
その頃から卓也は、変わった。メールや電話で「お互いあげはのためにやろう」「かならず出してやる」と卓也は言った。私は、それを信じるしかなかった。卓也が19歳の頃の話だ。
3人で会う話しが来た。あげはを抱き卓也に会った瞬間、泣き崩れた。話しが始まる。私は、耳を疑った。結婚するから2人を引き取らせて欲しいと。住む所は、卓也のお姉ちゃんの家だと。信じられた私は、幸せだと感じた。それから1週間後くらいに出ることになった。長かった。
お姉ちゃんのアパートにつき新しい生活が始まった。この時まだ卓也は、ボーイズバーの仕事をしていた。卓也のお陰で自由になれたのに、仕事で女の客と帰って来ない卓也に少しずつ不満が募っていった。
喧嘩が増えた。手が出ることも。それでも約束通り、9月21日の夜中、どしゃ降りのなか婚姻届けを出しに言った。夫婦になった。
そこからだ、歯車が徐々にずれていったのは。
DVと浮気の始まりだった。お姉ちゃんのアパートを出て、卓也の実家に移り、そこでも女の事で喧嘩になになり記憶無くなるくらい殴り倒される車イスになったり右手が動かなくなったり、毎回のように近所の通報で警察もくる。いつも怪我。でも一通り暴力が収まると優しかったしそれでも好きだった。実家にいるから駄目なんだと2人で話し合ってアパートを借りる事にした。埼玉県仏子。やっとの思いで見つけたアパート引越しの前日、卓也が女を部屋に連れ込んでいるのに遭遇。喧嘩になり警察が。
何度目だろう。そう、いつも喧嘩の原因は卓也の浮気。私は、彼を誰にも取られたくなかった。アパートに移っても喧嘩は止まらない。せっかく見つけたアパートもそのせいで出ることになった。卓也との大きな喧嘩で部屋に穴は空くし、包丁が私に向けられ、大声を出した。
警察が来て卓也は、連れていかれた。10日間勾留に、前科もついた。傷害罪。勾留中会いに行くと離婚を迫られると思っていたら、泣きながら謝って、早くあげはと私といたいと手紙まで書いてくれた。引越しも迫っていてどうしようもなかった。弁護士を捜した。何とか引越し前に出ることが出来た。
私の親から10万借りて後は、アコム5万、卓也の親から2万、何とか引越す事が出来た。
また新しい生活。家が変わって3カ月、私の理想の家族、がそこにあった朝9時に送り出してお昼は、家でみんなでごはん仕事に戻って夜ゎ8時に帰宅仲良くごはんを食べてテレビを見ながら話をしてお風呂に3人で入って寝る良い旦那であり良い父親だった。
3カ月後また元に戻っていった。続かなかった。最後好きな人ができたと言われてあまり帰って来なくなった卓也。駅で大喧嘩になり警察に。別居が始まった。向こうにも好きな人ができ、私も寂しかった。スマホを持った私は、またサイトを始めた。
そこで石川県の彼氏と出会った。20歳。どうやら友達同志やっていたようだ。私は、最初は本当の事を書いていた。するとまぁ冷やかしだった。頭に来た私は19歳と偽りラインのチャットで知り合った彼と付き合った。テレビ電話とメールの世界。彼は、私にどうやらはまったようだ。でも彼の好きなのは私では無い。続かなかった。
未だに本当の事を全て自分からは、言えていない。
その時彼と一緒にいた尚仁に、私は、連絡するようになった。これは、私の感だけどどことなく説明は、難しいけど最初から卓也に似ていると思った。本当の事を言う決意が着いたのは、電話し出して3日目。話したら楽だった。
まあ半ば来ないと思っていたら、本当に石川県から車で埼玉県まで会いに来た。本当に驚いた。会ったとき凄く嬉しかった。
お互い最初は、ギクシャクしていた。でも1時間から2時間がたつと緊張感が緩んだ。一緒にいたいと思えた、幸せを久しぶりに感じられた。なおとが言った、若く見えるし可愛くて全然ありだと。子供も受け入れてくれた。あげはも可愛いと、あげはもパパと呼ぶようになり、私は家族が出来たと思うようになっていた。
尚仁20歳。本当に好きな人。そう思った、今度こそ幸せになれると思えた。自分達の子供も作ろうと言ったね、桜の咲く頃に男の子が欲しいと。私も賛成できた、この人の子供なら産みたいと思えたから。危険日とわかりながら、それから毎日子作りした。この時は、尚仁が2週間くらい埼玉にいてくれた。私は、直ぐに確信した、妊娠したと。
尚仁に妊娠がわかったと言うと喜んでくれた。結婚しようと。一回石川県に仕事で帰る日が決まってギリギリまで伸ばしてくれた。保育園のお迎えも一緒に行ってくれた。久しぶりの家族だった。
尚仁が石川県に帰った後、私は、また一人の寂しさを感じていた。次の約束の日、尚仁は来なかった。私は妊娠していたし、不安だし、寂しかった。
尚仁と話してお金が無くて来れない事が分かった。親にも話したと尚仁は言って、再び埼玉県に会いに来た。私は、心底嬉しかった。尚仁の気持ちを聞いたその時は、同じ気持ちだと思った。
尚仁がある時財布を落とした。埼玉県で働くつもりだったみたいだけど、免許書まで落として働くどころか、帰る事も出来なかった。少ない生活費で彼まで食べさせるのは大変で、喧嘩になった。
一人で帰ると言い出した彼に私は、今手放したらもぅ会えないと思って、酒を飲んでリスカした。それを見た尚仁は、出ていこうとしたけれど、泣いてすがる私を離さないでくれた。一緒に行こうと。
それから彼の叔父さんと石川県に向かった。初めての石川県だった。彼の両親にもあったし優しそうな両親だなと思ってホットしていた、これなら彼がいればやれると思っていた。
免許を取り直して帰ると、卓也ともめることになった。いつまでいるのかと家賃も光熱費も入れないでと。引っ越さないとならない状況になってきた。決断を迫られた。私は、不安も期待も両方あった。それでも信じていたからついていくと決めた。
引越しの前に離婚はちゃんとしてと尚仁に言われて言われて、直ぐに離婚届けを書くつもり無かっただろう卓也を怒らせながら離婚届けを夜中に尚仁と出しに行った。はんこうが違ったけど受理された。
いよいよ石川県に引越し。着くとやっぱり最初は、尚仁の家族や親戚の人達と気まずかった。方言もわからず、何をして良いか?ダメか?右も左も分からない。そんな感じの中つわりがやって来た。
彼とのセックスが辛くなってきて、仕事も続かなかったり見つからなかったり。地元に帰った尚仁は、遊びたい気持ちも出て来て喧嘩をするようになった。最初は、出て行こうとする尚仁を、止めるのに必死で車に掴まれば止まると思ったから掴まったら車で引きずられた。それが今思えばきっかけだった。
別れたい子供もいらない初めて彼の口から言われた時私は、絶望にうちひしがれた。3回目。知らない土地。帰る宛もなく突き放された。つわりは酷いし、生きる希望を無くした。しばらくすると尚仁は、仕事も辞め、友達と毎晩遊び歩くようになった。
ある時友達のBBQから帰ったと思ったら、決心した。結婚しよう。子供も産んで欲しい。と気持ちが戻ったようだ。直ぐに信じる事が出来なくなっていた私は、尚仁の様子を伺ってた。私も我慢が苦しくなってきていた。
ますますつわりが酷くなり、動ける時間が限られて来た。お金も無いし。私の自由が減った。車無しだと生活がとても厳しい、そんな感じの所だし。いつからかは、覚えて無いけど昔からあった鬱も再発。何も手に着かなくなってしまった。決意をしたはずの尚仁から、また別れたい、私の事は、何も考えない、どうでも良い宣言。
正直疲れた。あげはの事まで1回つねられる、私は、お腹殴ったり蹴ったりされる始末。限界が来た。
子供がいても死ぬ人はいる、そんな事考え出した。最初は、尚仁の子だし産みたい、そう思っていたけれど、自分の子だから産みたい、そう思うように変わった。
そんななか、産婦人科でガンが見つかった、詳しい検察したくてもお金が無く出来ない。子供は、産めるそう言われた。でも出産に体力がもつか。妊娠中、治療は出来ない。
それでも産もうと思った。子供に未来を託したい。そんな風に思ったけれど、苦しい。帰る場所が無い。もう母子寮は、二度と嫌だ。
頭が回る。つわりが和らいできた。
お腹の鼓動を感じる。
人は弱い。でも、私はそれよりさらに弱い。もう限界。死のうそう思った、それにこの先同じ事繰り返す変えられない自分に気がついた、そんなとき親友が頭に浮かび話したくてたまらなくなった、海外に行くと聞いていたので半ば諦めていた親友と話せた。まだ日本にいた。私は、さっき死のうと決めた事や、同じ事をどうしても止められない人生も今までの事全部話した。
責めて破滅する前に、私は、自分の人生残しても良いのかなと。あげはの時にも思った。子供を一人で死なせてのうのうと私は生きる自信がない。外に出てなくても、生きている。無責任と言われても私は、自分をかえるつもりもないし、今までの人生ろくなものでは無いけれど私は、生きていたのだと。残しても良いのかなと。
次はカラスになりたい。貪欲に生きたい。
ねぇ、未だに私は、どれが本当の私で何が本当の愛で好きなのか?分からないでいる…
私を見つけられる人に出会う事が出来なかった…
まぁ全部悪い事ばかりでは無かったけど、もう終わらせたい。今この家には敵しかいない。変わらない、変われないから…これから先がもぅ見たくない…
でも自分だけは、自分に言いたい…
頑張ったよね。
お疲れ様…もぅ良いよね?
ありがとう。
愛仁まなと…
本当ゎ家族にみんなでなりたかった。
最後まで家族が欲しくて羨ましかった…
何でこうなったのか分かれば繰り返さない。でもお互い変わっていった結果なんだろう。きっとこれから先私は、繰り返して行くだろう。理想の家族を追い求めるうちは。同じ思いをするのだろう…。簡単に見えて家族でいることを保つのは、難しい。
私は、愛してほしい。その思いが人1倍強いから失敗するのかもしれない。