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序章~4

そこで私は、しばらく7カ月のお腹を抱えて漫画喫茶に寝泊まりを始めた。約8時間パック。それを出るとホストクラブのお店を渡り歩き、知り合いの田中社長のbarCROSSでごはんを食べさせてもらっていた。

 そこを朝出て、また漫画喫茶に寝に帰る。それを1カ月続けたらお金も無くなった。食べられない。携帯代も払えない。寝られない。とても妊娠8カ月では無理だと感じて、新宿の区役所に生活保護を受けさせてもうために向かった。

 最初に行ったのは、そんなに拘束のない母子寮だった。夜も自由に出てスカウトの仕事をしにホストクラブに行けたし、普通のマンションだった。2週間くらいそこにいて次に移された所も、夜は出られないけど裏口から毎回出て携帯で連絡してた卓也に会っていた。その頃から病院も一緒に毎回行ってくれていた。

 ある時から、こっそり裏口から部屋に彼と忍び混んで一緒にいれた。私は、その頃ずっとホストクラブの男の子の指導係や新しいキャストを捜したり、お店の買い出しや、お客さまの年齢確認などの仕事をしていた。

 いよいよ出産が近づき、拘束の厳しい母子寮に移される事に。何としても卓也に会えなくなるのが嫌だった。そんな事を考えていたら陣痛が来た。病院なら自由に卓也に会えた。 そしていよいよという時に、彼は、その時していたボーイズバーの本営の女がお店で倒れたと呼び出された。

 私は我慢した。卓也がいるときに産みたかったから。ギリギリで病院に戻り、私は我慢できずに息んだ。

 あげはが産まれた。

あげはは、ホストをしていた彼が沢山女の子がいたので被らせたく無かったのと、歌舞伎町で有名なキャバ嬢の名前でいつでも一番になってもらいたくてつけました。

まだ意味は、有りますがそれは、漢字の意味なので伏せておきます。

 卓也は、うえぇーって気持ち悪そうな、顔をしていたけど嬉しかったのか、可愛いと言って写真とメールを母親に送っていた。

 8月19日に退院するまで何回も会いに来てくれて、私がトイレから帰るとの、必死にオムツを変えようとしている。髪の毛を盛られて、ホストスーツ姿の卓也がいたパパになったのだ。

 それから退院していよいよ母子寮へ。会えなくなった。

朝起きてごはん食べて、あげはにミルクあげて昼間ごはん食べて、ミルクあげて夜ごはん食べてミルクをあげるその繰返し。

気晴らしも出来ず卓也にも会えないストレスから、まだ出産から8日くらいで母乳が出なくなりました。

夜になると毎日泣けた。外に出ることも出来ず、唯一出られたのは病院の時だけ。

 あげはが、熱を出して入院した。

泊まりで看ると話して卓也に会いに行った。やっぱり会えないのが辛かった。入院から、4日後あげはが退院する時、卓也と私はあげはを連れて逃げた。でもダメだった。あげは連れて泊まれる所もなく、まだ生後1カ月たたないくらいの子供を振り回せなくて帰った。その事があってか、そこの母子寮を出されて女性センターに連れていかれた。

 携帯は没収。でも私は一台隠し持っていた。地下の鉄格子つきの何も無い部屋。あるのは、テーブルイス2脚、座布団、タオルケット。会議室見たいな所にユニットバス。ベビーバスもなく、あげはを膝の上に抱き、シャワーで洗うしかなく、あげはの頭皮は、ボロボロに。ゴキブリの死骸が部屋に落ちている。衛生的ではない…

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