序章~3
まおが小学校2年生の頃から、一人の寂しさや、言うことを聞かないまおに疲れて来ていた。仕事と子育てだけ。恋愛がしたくて始めた出会い系では、無いかもしれないけどGREEと言うサイト。そこで知り合った彼と引かれあった。離婚してから久しぶりの恋だった。
24歳の佐賀県の人で、会うことになった。子供を連れて会うと、とても優しい青年で、電話で話してた通りの人だった。そう思った。
佐賀県までまおを連れて彼の実家に遊びに行った。唐津くんちと言うお祭りに連れてって貰って楽しかった。帰って来て家の祖母と祖父にも紹介した。結婚したいと言ってくれていた言葉を私は、信じていた。
それから数日後。一通のメールが来た。 ごめん別れよう。 私は、意味がわからなかった。悔しかった。別れたく無かった。その時、原子力発電所で働いていた彼に私は、新潟まで新幹線で会いに行った。どうしても別れたく無かったからだ。そこで話してもダメだった、彼の気持ちは、変わらなかった。その時の彼が言ったのは、まおくんと合わないからだった。
埼玉の自宅に帰った私は、失意のどん底だった。まおの事を考える余裕もなくとにかく捨てられたショックから、まおの見ている前でバッファリン80錠を酒で一気に飲んだ。簡単に死ねると思った。苦しかった、生きるのが。少したつと私は、苦しさのあまりのたうち回った。何を話したかその時の事は、頭に残ってないが、父に最後だと思い電話をかけていた。意識がとんだ
3日後、目が覚めた。そこは病院のベッドだった。足元で泣いている父がいた。助からないかもしれない、助かっても意識が戻らない可能性が高いと言われたらしい。泣いている父は、凄く小さく見えた。今思えば、その時死んだのかもしれない何かが。
病院から帰ると、もうまおはいなかった。父が連絡して施設に引き取られていた。
本当に一人になった。
その頃まおの友達のママ友に会いに鳥取に行った。羨ましかった旦那さんがちゃんといる事が。そこの家族も父の家族も祖母の家族も。私は、離婚したことを後悔した。
帰って来ると、寂しさからホストにはまった。お金を使えば優しさと時間を売ってくれる疑似恋愛に堕ちていった。寂しさを埋めた気持ちになっていた。ホストの仕事に興味が湧いた。
その頃色んな人と知り合った。私が、尊敬する人barCROSSの田中社長、私をきちんと諭してくれるし周りが余り言わない事もきちんと言ってアドバイスしてくれたり時には、励ましてくれたりしてくれた人。 私はホストをやりたいと言う子を見つけるのスカウトと言う仕事を始めた。その頃まだ埼玉にいた私は、家のそばのホストに行った。そこでも疑似恋愛しようと思っていたけど違った。埼玉のホストは、私から見て本気の恋愛のように感じた。
最初の彼と新所沢で同棲。長く続かなかった。途切れず次のホストの彼と武蔵藤沢で同棲。それが始まりだった。
彼は、バツ1で子供も2人いた子供は、前の奥さんが引き取ったと聞いていた。
私も、バツ1で子供がいたので最初は、話が合っていた。
彼の離婚の原因は、教えて貰えなかった
少し続いた彼と結婚の話しもしながら、施設にいるまおにも会いに行った。
私は、その頃入曽のキャバクラで働いていた。彼もラーメン屋の店長とホストをしていた。付き合って2カ月頃、それは始まった。
やはり相手がホストだし、女の子の事で揉めたりお金の事で私が頼り過ぎてると言われ、DVを初めて受けた。男の人からの暴力。殺されると思い下着姿のまま部屋を飛び出した。悔しかった。 そして元彼の新所沢のホストの家に帰らせて貰った。
また寂しさ埋めるためにホストに行きだした。そこで次の旦那になるしずくにあった。凄く優しくしてくれて側にいつもいてくれたし私は、そんなしずくを好きになりはまった。
そしてラーメン屋の店長から逃げて住まわせて貰っていた、元彼の新所沢の家でみんなで一緒に住まわせて貰う事になった。
ずっと一緒にいたかった。最初は、しずくもそれに答えてくれていた。元彼とその彼女と私としずくの4人の生活が元彼の家で始まった。私は、まだその時元彼に未練が少しあった。
しばらくしてホストを辞めさせた。それからは、家で毎日私としずくは一緒にいて毎日セックスをする、起きてごはん食べてまた寝る。働かなくなっていたお金は、友達から借りたり、私がたまに新所沢のキャバクラに出たりして何とかしていた。そんな時体調が悪く不安になり市販の妊娠検査薬を使ったら陽性だった妊娠した。
しずくから私の中で卓也になった瞬間だった。ホストから普通の男の子に見えた。結婚しよう、そう言ってくれた。彼の親もおめでとうと言ってくれた。所沢防衛医科大学の産婦人科に行くと、妊娠してないそう言われた。
私は、愕然とした。 卓也の決心が崩れた。子供が出来てないなら別れたいと…。 1週間後、吉田産婦人科に行ったら妊娠が判明。やっぱり妊娠していたのだ。でも一度崩れた気持ちは、戻らなかった。私は、また一人で産む決意をした。これは私の勘だけど彼は、戻って来ると何故か思えたから。生活保護を受けている彼の実家の、引越しが決まったのもそれから1、2カ月の事だ。私は、帰る場所が無かった。でも引越しにも着いていけず、立ち会いだけはしてくれると言う彼を信じて、小さな鞄一つと卓也がくれた10万円を持って歌舞伎町に帰った。