キューピッドの涙
壊れちゃえばいいって、ずっと思ってた。親友の顔して、励ますふりして、本当は二人の事、ずっと……。
「もうすぐだね。ちょっとドキドキするよね」
デジカメを構えたまま、隣に座っている歩美が扉を見つめていた。花嫁の登場を待つ、たくさんの人々の囁き合う声は、祝福にどこか上擦っていて、くすぐったい。
私は肯定とも否定とも取れない、曖昧な返事を口の中で転がして、そっと俯く。膝の上で結んだ掌は固いまま、解く事が出来ない。
―― 今日、プロポーズされた。ありがとう
礼なんて言われたくないと胸の奥に潜んでいた熱に、初めて自分はこんなつもりじゃなかったのだと気がつかされた。あの時、三年越しの想いを叶えたあの子の笑顔を、私はどんな風に受け止めたのだろうか。上手く笑えた自信はない。
サイテーだ。私。
「え? 何か言った?」
ハッとして、ふやけた顔で首を振った。ひょうしに、視界に彼の姿が入り込む。しまったと思った時はもう遅い、嫌でも彼の幸せそうな笑顔が目に焼きついてしまった。
「稔也、幸せそうだよねぇ」
歩美は目を細め、レンズを彼に向ける。
あの子なんかより、ずっと前から彼の事を見ていた。仲間と笑う顔も、仕事に取り組む時の真剣な眼差しも、酔った姿も、悔しさに人一倍努力する背中も……誰かに恋をした溜息も。
髪を後ろに流した白いスーツの彼は、手袋を落ち着きなくいじりながら、隣に立つ父親と話してる。
「彼、あんたの紹介なんでしょ?」
撮った画像を確認しながら、歩美は器用にデジカメを操作する。飄々とした電子音が軽快に鳴る。
「あ、こっち見た!」
歩美が再びデジカメを掲げた。息をのむ。彼が、笑って手を振っていた。
胸が、軋んだ。
私の知らない、笑顔だった。あんなに幸せそうな彼、見た事がない。
興奮を隠しきれないのか、やや上気した頬を緩めている。その目が喜びに輝くほど、私の胸の痛みは増していく。
大好きな人の笑顔をこんな風にしか見られないなんて、大切な人の幸せをこんな風にしか思えないなんて、私、本当に……。
いつまでも反応しない私に、彼が不思議そうに手を止めた。どうした? って目で心配している。歩美は気がつき、私の手を無理やりとった。
「なに、ぼんやりしてんの?」
無理やりに笑おうとして、涙がこみ上げた。ぐっと奥歯を噛む。彼が見ている。私を、見ている。あの子を選んだくせに、心配なんかしないでよ……。ダメ。このままじゃ、本当に涙が……。私は顔を伏せた。歩美が覗きこもうとする気配を感じたときだった。
オルガンの清らかな調べが、教会に響いた。讃美歌が静かに流れ始める。聖歌隊が歌い始めたのだ。周囲のたわんだ空気が一瞬にして緊張に固まり、神聖な空気が満ちていく。
「なに? もう、感動しちゃってんの?」
歩美の小声の苦笑を聞きながら、一緒に立ちあがる。
目を瞑った。もう、逃げ出してしまいたかった。こんな場所も、こんな恋の結末も、なによりこんなに厭らしい自分自身が、大嫌いだ。
拳の上に一滴、涙が落ちた。
扉が開き、光が入るこんで来るのを、瞼ごしに感じた。
周囲が拍手に沸く。口々に彼の花嫁となるあの子を褒めそやす声がする。今、彼の胸はあの子を迎える喜びでいっぱいなのだろう。あの子は誇らしげに顔を上げ、彼の隣にこれからずっと立てる幸せに、美しく輝いているに違いない。見たくない。そんな姿、見たくなんかない!
一歩一歩バージンロードを行く気配が、傍を通り過ぎた。
「ほら、顔を上げなよ」
歩美が無理やりに私の体を持ち上げる。ぼやけた視界の向こうには、ステンドグラスを通した光に導かれ、彼の元へ向かうあの子の後ろ姿。
彼とあの子が、見つめあった。
その姿は、やっぱり大好きな二人で、なんか、悔しいのすら忘れちゃうくらい、凄く、凄く、幸せそうで……。
「おめでとう」
気がつくと、ひらいた唇から言葉が零れおちていた。