第2章 共鳴と別離― 息を合わせて 外してまた 探す朝 ―
午後の光は、やわらかく机の角を撫でていた。
真央が、ストローを指先でくるくる回す。
「みさと、あんた、ちゃんと息してる?」
冗談みたいに言って、目だけがまっすぐだった。
みさとは笑ったつもりだった。
胸の奥で、呼吸が少しだけ転がる音がした。
「してるよ。たぶん」
「“たぶん”は、だいたいしてないのと一緒」
真央は氷を鳴らし、軽い音で空気の蓋をはずした。
昨夜の夢の残り香が、まだ喉の奥にいた。
言葉にならない音。
息を吸うたび、あの珠の光が脈を打つ気がする。
それでも昼の街は、何も知らないふりで明るい。
店を出ると、風ではなく、誰かの息が頬に触れた気がした。
振り向けば、そこに悠真がいた。
買い物袋を片手に、少し驚いた顔。
「……偶然ですね」
その声は低く、やさしい温度を保っていた。
「うん、偶然」
言い終える前に、真央が一歩進んだ。
「こんにちは。わたし、真央。みさとの古い友だち」
彼の瞳に、短い戸惑いと、すぐに戻る整った呼吸。
「悠真です。いつもお世話になってます」
三人で交差点を渡った。
信号の音が、昼下がりの心拍を数えている。
ゆっくり歩幅を合わせようとすると、
わたしの息だけが少し速い。
「ねえ、先に行ってて」
みさとは笑い、真央に目で合図した。
真央は一拍置いてから、あえて明るく頷く。
「了解。わたしは角の花屋で時間つぶしするわ。二人は二人のリズムで」
彼女が離れると、街の音が少し静かになった。
並んで歩く。
肩が触れない距離。
触れないからこそ、そこに確かな温度が生まれる。
「この前、朝に会ったよね」
「ええ。空気が気持ちよかったから」
短い会話の間に、呼吸の出入りが揃いかけて、
すぐ、外れていく。
交差点でもう一度信号が変わる。
その瞬間、彼がふと立ち止まった。
「……最近、元気、ない?」
やさしさは、ときどき痛みに似ている。
「大丈夫。ちゃんと息してる」
答えながら、胸の奥で珠が揺れた。
彼はそれ以上、何も言わなかった。
沈黙にも、種類がある。
守るための沈黙と、見失うための沈黙。
今日は、その中間。
真央が戻ってきた。
手には小さなミントの鉢。
「これ、みさとに。呼吸が浅くなったら、葉っぱを触って。
ね、匂いって記憶の近道だから」
軽く笑って、わたしの手に押しあてる。
葉の表面の冷たさが、皮膚の上で溶けた。
それを見て、悠真が微笑んだ。
やわらかい笑い。
けれど次の瞬間、彼は時計を見て、すこし困った顔になる。
「すみません、行かなきゃ。……また」
また、の後ろに、言わない言葉がいくつか揺れた。
手を振る。
彼の背中が人混みに吸いこまれていく。
呼吸の合図が、耳の奥で途切れた。
真央が肩を寄せる。
「別れる練習じゃないよ。
合わせたり、外したり、そのうち“ちょうど”が見つかる」
彼女の声が、昼と夜のあいだに橋をかける。
帰り道、ミントの匂いを指先に移しながら歩いた。
部屋のドアを閉めると、静けさが肺に触れる。
窓辺の鉢を置く。
葉を撫でるたび、かすかな息が立つ。
――共鳴は、いつも最初に外れる。
それでも、もう一度合わせようとすること。
それが、わたしたちの練習。
息を寄せ 外してまたも 確かめる
触れない距離に 恋の温度は。




