表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三頁の魔法

作者: だむせる

※「私」は「わたくし」と読み、主人公は男です。

 はるか昔、世界が真っ二つに分かれていた頃の話です。

 国同士の戦争だとか民族差別だとか、そういう社会的なものではなくて、物理的に大地は、それはそれは大きな亀裂によって二つに割れていたのでした。

 かつて、そこでは大きな戦いがありました。それも、たった二人の魔女によるものです。

 『東の魔女』セレー・フラウと『西の魔女』リリカ・ファンム。

 世紀の二大魔女と呼ばれた彼女らの本気の戦いは、世界に大きな傷跡を残した大戦として、半ば伝説かのように語られ、恐れられています。大戦なんて言ったって、たった二人しか戦っていないのですけれど。

 そうしてできたあまりにも広大な亀裂は、当然ながら人が塞げるような代物ではありませんでしたし、同じく他の魔女にもどうすることもできませんでした。そのくらい、二人の魔女の力は強大なものだったのです。

 人々は亀裂によって分断されてしまいました。

 橋をかけようにも、あまりに危険で途方もない作業でして、率先してやりたがる者はおらず、人手は集まりませんでした。

 一方で、魔女達は浮遊の魔法を駆使し、亀裂の横断を試みましたが、並大抵の魔女の魔力は対岸まで持たず、皆一様に深い暗闇へと姿を消してしまいました。


 そうして、何もできずに長い年月が経ちました。

 人が動き、ものが動き、やがて人々は、東の国『ドール』、西の国『ミネル』と、それぞれで国を造り、東の人間と西の人間が完全に干渉を絶って、今に至ります。

 私はかつて、大地が割れるよりも前に、東の地で作られた人形でした。長い放浪の末に自我を形成し、生き物のような意思を設け、大地が割れた当時は西にいましたので、そのままミネルの街外れにある、小さな森の小さな古い小屋を住居として身を置いています。

 きっと私は、このまま何年も何十年も何百年も、この肉体が朽ちるその時まで、ここに留まる他ないのだろうと考えていたのですが、そんなある日のことでした。

「やっと見つけた、わたしの人形!」

 私の魔女様、セレー・フラウ様が、突然私の前に姿を現したのです。


 「作られた」ということはつまり「作り手がいる」ということに他なりません。その私の作り手こそ、この世界を真っ二つにした張本人、セレー・フラウ様なのでした。

 昔、魔女様は私を作り出し、その後三日もしないうちに、飽きてしまわれたのでした。

「大きく作り過ぎちゃった、仕舞うところが無いわ」

 そんなことをおっしゃって、ご自身の魔法で私を動かし、ひとりでにどこか遠くに歩くようにされてしまいました。解体されなかっただけ、良かったのかもしれません。

 魔法が薄れ、自分の意志で歩けるようになったのは、それから百年余りが経った頃でした。

 しかしこの口ぶり、まさか私を探していたのでしょうか。いえそれ以前に、魔女の寿命は一般的にせいぜい三百年前後のはずですが、なぜ魔女様は生きていらっしゃるのでしょう。記録によると、大地が割れてから今日で五二七年と二八三日のはずです。

「もー、大変だったのよ、ドールからここまでやってくるの」

 鈴が転がるような声で魔女様はおっしゃいました。

「ドール、にいらしたのですね」

「ええもちろん。だって、ミネルにはリリカちゃんがいたんだもの」

「まさかリリカ・ファンム様もご存命なのですか」

「いいえ、あの子はもう死んだわ。だからわたしが来たのよ」

 魔女様は小屋の中で、棚に長年仕舞われていた木製のティーセットを目ざとく発見し、手に取りました。実は私が暇を持て余した際に、森に放置されていた倒木を削って作ったものです。いつか街を訪れる機会があれば、どこかの子供へままごとの道具として差し上げようかと考えていました。

 魔女様は懐から愛用の杖を取り出し、手始めにティーカップの縁のあたりにちょん、と触れました。途端にティーカップはかすかな光を帯び始め、それが収まった頃、それは見事な銀製のティーカップへと姿を変えていました。まるで貴族が使うような、精密で美しい彫刻も施されています。

 数百年ぶりに見た、魔女様の魔法でした。

 魔女様は次いでティーポット、ティースプーン、ソーサーにも同じように杖先で触れていき、あっという間にテーブルの上には高級な銀製のティーセットが揃いました。

「やっぱり元がよく出来ていると、魔法のなじみが良いわね〜」

「あ、有難うございます。その、魔女様」

「なあに?」

「私は魔女様の寿命は、とうに尽きているとばかり思っていたのですが」

 私の言葉に、魔女様は目を丸くしました。

「あら、まさかあなた、わたしを普通の魔女と同じ括りに入れているの?」

「と、言いますと……?」

「わたしはセレー・フラウ、大地に亀裂を入れた世紀の二大魔女なのよ。リリカちゃんと並べられるのは不服だけれど……そんなわたしが、たかが平均寿命ごときにとらわれるわけがないじゃない」

 魔女様は目を細めて微笑んでいます。

「……なるほど……?」

 どういった仕組みなのかはまだ解明されていませんが、魔女という種族の寿命は、どうやら魔力量に比例して変化するらしいと聞いたことがあります。それでも三百年を大きく越えて生き続ける者は片手で数えるほどしか記録がなかったはずです。

 改めて実感します。私の創造主は、あまりに規格外なのでした。

「ふふ、細かいことはどうでもいいわ。とりあえず座りなさいな。長旅で疲れたから、まずはティーブレイクといきましょ」

 そう促され、私は魔女様の向かいの椅子に腰掛けました。

 誰も触れていないのにひとりでに注がれるラズベリーティーの香りが辺りに漂います。

 魔女様はこのお茶がお好きなのでしょうか。私が作られた日も、同じ香りが鼻をくすぐっていた記憶があります。

 私はカップを口に運び、淹れられたラズベリーティーを一口だけ頂きました。温かく甘酸っぱい風味が喉元を通っていきます。人形の私には水分や食物は摂取する必要のないものなので、カップはソーサーに戻し、代わりに持て余した視線を正面の魔女様に向けました。

 白い肌、エメラルドの煌めく瞳、左右対称に二つに編まれたブロンドの髪……。

 不思議なものです。魔女というのは、皆このように老いることがないのでしょうか。思えば私は、このお方以外の魔女に会ったことがありませんでした。

 そんなことを思っていると、私の視線に気付いた魔女様が、同じように私を見つめ返してきました。

 魔女様はおもむろに私の頬に手を伸ばします。

「我ながら傑作ねえ、あなたは。本当に綺麗にできたわ。でもやっぱり、もう少し小柄にするべきだったわね」

 そう言って、くすりと笑うのです。

 細い指が私の頬をそっと撫でました。

「魔女様」

「なあに」

 私はエメラルドの瞳を真っ直ぐに見つめました。

「……どうして、今更ここへ?」

 魔女様は答えません。

 しかし、彼女の指先からわずかに流れてくる魔力は、魔女の命の源は、もうかつての勢いを宿してはいませんでした。吹けば消える、蝋燭に灯った小さな火のようです。そこから得られる推測が、良いものでないことは確かでした。

 魔女様は手を下ろし、ラズベリーティーを一口飲んで、カップをそっとソーサーに置きました。

「……リリカちゃんは死んだ。だからきっと、同じくらいの力を持つわたしも、もう間もなく死ぬんだわ。でもね、その前にわたし、どうしてもやりたいことがあるの」

 そう言って魔女様が手を叩くと、次の瞬間、目の前に一冊の本が現れました。紺色の表紙には金の装飾がシンプルに飾られており、また所々には白く瞬く星が描かれています。

 本のページはひとりでにパラパラとめくられていきました。その全てに何か呪文のようなものがびっしりと記されています。

 やがて最後の三ページになったところで、本は自らの動きを止めました。開かれたのは、まだ何も書かれていない、新雪のようにまっさらなページです。

 魔女様はそのページを指でとん、と指しました。

「これはわたしが今まで生み出してきた魔法を記したものなのだけれど、わたし、生きているうちにこの本を完成させたいの。でもまだ三ページもあるでしょう?」

 魔女様はいたずらっぽく目を細めました。言葉の続きを言うことが、楽しくて仕方がないといった様子です。

「だから思い切って、三ページでひとつの魔法を作ってみようと思うの!」

「魔女様、それは……詠唱がとんでもないことになるのでは」

「ふふふ、そうなの! でも効果はそんなに大したこと無くってね、だけどきっと、とおっても素敵な魔法になるに違いないわ! ね、あなたにはそのお手伝いをしてほしいの」

 魔女様は私の両の手を包んで言います。

「僭越ながら魔女様、私に決める権利はございません。貴方様がそれを願うならば、私は何処へでもお供致しましょう」

「そう、ありがとう『アレア』!」

 その名で呼ばれ、私は一瞬、反応が遅れてしまいました。

「……あら、どうしてそんな顔をしているの? もしかして、自分の名前を忘れてしまった?」

「いえ、そうではないのですが、……ただ、随分と久しぶりに聞いたものですから」

 アレア。核に刻まれた、私の名前。

 そういえば長年、人に呼ばれることもなければ、自分で名乗ることもありませんでした。なんだか不思議な感覚です。

「おかしなアレア。じゃあ、これからわたしが、たくさん呼んであげるわ」



 そう、人形の身である私には少々眩しすぎるような笑顔を向けてくださった貴方様は、今、粗末なベッドに横たわって、細い指先で杖を弄んでいます。

 白い肌、エメラルドの瞳、わずかに崩れた三つ編み。

 あれから一年ほど、私達は旅をしました。

 たった一年しか、魔女様は動くことが出来ませんでした。

「ねえアレア、これからどうしましょうね」

 ふいに魔女様は杖の先を見つめたまま呟きました。

「どう、と申しますと」

「選べるのよ。アレア、あなた自身で」

 魔女様のおっしゃりたいことはわかっていました。

「私は」

 しかし、私はそれを理解してはいけないのでした。

「貴方様の人形です」

「あら、ほんとうにそれでいいのね? このままだとあなた、わたしと一緒に死んでしまうけれど」

 魔女様は静かに笑っています。

 そのようなことは、とうにわかっていました。

 旅の最中、私はずっと魔女様のお側で、自身の魔力を与え続けていたのです。

 魔女様の魔力は、私の想像以上に枯れてしまっていました。もし私が持続して魔力の供給を行っていなければ、魔女様は一年も経たないうちに、それこそ魔法なんて作る間もなく、力尽きてしまっていたことでしょう。

 強大な力を持つ魔女に魔力を供給し続ける、ということは、それがたった一年という短い間のことだったとしても、私には自殺行為に等しいのです。私は魔女様のように、消費した魔力を体内で生成し補充するといったことができません。私の中にある魔力は、創造するにあたって魔女様から与えられたものだけなのでした。

 そんなわずかなもののありったけを、私は魔女様に捧げ、ほとんど使い果たしてしまいました。魔力という原動力を失った人形の行く末は、言わずもがな、死、ただ一つです。

 しかしそれは全て理解したうえで、あくまで私の意思で行いました。

 だから私はこう言うのです。

「かまいません。主と共に朽ちることは、人形として最大の幸福でございます」

 魔女様はまだ笑っています。

「そうね、あなたは人形だものね。だからこそわたしが『実はまだお願いがある』と言えば、あなたは大人しく従ってくれるでしょう?」

「……もちろんでございます」

「うん、わかったわ。今回だけ、特別にわたしが選んであげる。でもこれからわたしはいなくなるんだから、次からはちゃんと自分で選ばないとだめよ。いい、アレア?」

「……」

「あら、そこは人形らしく、即答すべきだわ」

 魔女様は笑っています。

 言葉を詰まらせた私に、魔女様は自身の杖を差し出しました。それから、魔法の本も。

「だんまりは肯定と取ることにするわね。じゃあアレア、最後のお願い。


三ページの魔法の最後の言葉は、あなたが埋めてね」


 そう言って、魔女様は、笑いました。



 ああ、それからが大変でした。

 「あなたが埋めて」だなんて無責任なことを言われましても、当然ながら魔法というのは、何か適当な言葉を入れて発動するような簡単な代物ではありません。魔女様が構築した魔法の内部構造を破壊せぬよう、魔女様が作った魔法の効果が変化せぬよう、私は細心の注意を払って最後の言葉を埋める必要がありました。

 魔法の呪文とは作り手によって形式が大きく異なることが多くありますが、生前、魔女様が私には決して見せてくれなかった作りかけの魔法は、一見詩のようになっていました。

 しかし他のページを見てみると、何やら私の見たことのない文字や記号で魔法が綴られていましたので、どうやら魔女様はいつもこの形式で魔法を作っている訳ではないようです。

 何故最後の三ページ分の魔法を普段と異なった形でお作りになったのでしょう。残念ながら答え合わせはもう出来ません。

 私は一度椅子に腰を落ち着けて、ひたすらじっくりと呪文を読み込みました。



『太陽は雲を被り 星は宇宙に逃げ帰り

 残された花 黙って散る訳も無く

 緑の腕は土を抱え 種を抱え 蕾を抱え

 虹色の髪が頬を撫でる

 しかし命よ その愛を振り払え それはもう要らぬ物

 荒波に身を投げ 急流に弄ばれ 暗がりの中 尚消えぬ物を見つめよ

 光など無い

 ただ其の先にある黒い物を掴めよ

 それが何時か己を救うと信じて


 時に人は 独りである 動物も 植物も

 魔女も独りであり 人形も独りである

 生命は独りの絆で世界に繋がれている

 故に 独りで詠え 独りで踊るのだこの詩を

 照明のない暗い舞台でも演目を止めることは許されない

 観客は虚空を見つめている

 しかし止めてはならない それはやがて愛に代わるものとなる

 愛に代わるものは執念となる

 そうして愛はようやく消える

 そうして花はようやく開く

 その花畑を踏み荒らす 裸足で踊り狂う

 命の絨毯はいい心地だ

 素足に絡みつく執着

 わたしを掴んで離さない怨恨

 これが生き物の愛だ 美しく尊い愛だ


 光よ 遥か昔に潰えた星よ

 そこから見える命に 果たしてどんな価値を見いだせる

 開かれた道の先に待ち受けるのは絶望だった

 ならばこの詩でその道を飾ろう 地獄に相応しい景色を贈ろう

 醜く咲き誇る命よ 裂いた運命をもう一度繋いでみせよう

 長く太く蔓を這わせよ 柔らかくあたたかく鮮やかな色を広げよ

 踏まれても決して朽ちることのない 強かな縁となれ

 自ら隔てた世界だが

 それでもわたしは』



 ……呪文は、ここで途切れていました。最期の力を振り絞って書いたのでしょうか、終わりに近付くにつれ、文字が少し歪んだりかすれたりしていました。

 『それでもわたしは__』魔女様はこの続きに何をお望みなのでしょう。

 私に何をお望みなのでしょう。


 私は魔女様から頂いたあの杖を手に取り、来る日も来る日も魔法の試行を行いました。杖には約六百年分の魔女様の魔力が蓄えられておりましたので、魔力不足とは無縁でした。魔女様に差し上げた分の魔力も、いつの間にやらもうすっかり元通りになっています。

 そうしてようやく私は気付いたのでした。もとより、魔女様は私を死なせるおつもりなど毛頭無かったのでしょう。私はあの方の巧妙なやり方に感心を覚えるしかありません。

 ずるいお方です。気づいたところで私はもう、貴方に文句のひとつも言えないというのに。

 魔女に、お墓を作って弔う、という習慣はありません。彼女達は命が尽きると、体が徐々にくずれて砂になり、その砂はやがて風に乗って辿り着いた世界の果てで、静かに永遠の眠りにつくのです。

 ですので、人間はお墓に手を合わせ死者と語らうことができますが、魔女様には、それができないのでした。


 魔法が完成したのは、それから百年余りの年月が過ぎた頃でした。魔法作りに夢中になっていたので、正確な日数はもうわかりません。

 私は何日も何日も机に向かい、我ながら可笑しく思うのですが、いかにも人間らしく頭を掻いて悩みながら、やっとの思いで完成させたのでした。

 早速、とまだ日も昇らないうちに外に出て、本と杖を片手に、もはや暗記してしまった長い呪文を一言ずつ口に出しました。

 やがて最後の言葉を、噛み締めるように口にすると、小さく、しかしはっきりと杖の先端に光が灯ったのです。魔法が問題なく発動したことがわかり、私は百年分の大きな達成感を感じました。

 灯った光は地面に落ち、そこには淡い桃色の小さな花が咲きました。花からはだんだんと緑の蔓のようなものが伸び、それは何か明確な意思を持った生き物のように、地面を這ってどこかに向かい始めます。

 私は一体何を生み出したのだろうかと少しの不安を覚えましたが、発動した魔法を止めようにも、私にはやり方がわからないのでどうしようもありません。

 仕方なく私は蔓を辿っていくことに決めました。

 私は止まる様子のない蔓の後ろを、ひたすら真っすぐ着いていきました。どれだけ歩いたのでしょう。太陽はすっかり頭上で輝いており、かと思えばあっという間に地平線の彼方へ沈んでいきました。昼を越え夜を越え、場合によっては世界を半周するまで止まらないのではと錯覚するほど、本当に長い距離を歩いて行きました。

 丸々十日かけてようやく蔓は目的地に着いたようで、突然ピタリと成長を止めました。

 私もやっと足を止めて、大きく息を吐きました。こんなに歩いたのは、魔女様に魔法をかけられた時以来です。実を言うと私に疲労を感じる作りはないのですが、それでもいつか宿った私の精神は疲労に似たものを感じているようでした。

 私は一体どこに辿り着いたのでしょうか。歩く動作にばかりに気を取られていた私は、そこで初めて視線を上げてみました。

「……」

 思わず、息を呑んで足を引きました。

 もしあとほんの少しでも前方に体の軸を傾けていれば、今頃私は間違いなく真っ逆さまに落下していたでしょう。さすがの私も今回ばかりは肝が冷えました。肝臓なんて無いはずなのですけど。

 そこは、なんと亀裂の一歩手前なのでした。かつて魔女様が、ご友人だったリリカ様との大喧嘩によって出来たものです。

 大喧嘩。あの世界に大きな衝撃を与えた二人の魔女の戦いの発端は、ただの喧嘩でした。ただその喧嘩の当事者達が、お互い強大な力を持つ魔女だったため、あれ程の被害になってしまったというだけで、二人からしたら、『たまたまちょっと白熱しちゃったいつもの喧嘩』でしかなかったのでしょう。

 リリカ様のお話は、私が作られてからのたった三日の中でも幾度となくお聞きしました。更に三十年の旅の中でも、魔女様は何度もリリカ様のことを口にしていました。最後の喧嘩の仲直りが出来なかったことを、少なからずお気になさっているご様子でした。それだけ魔女様にとって、リリカ様は大切なお友達だったのだと思います。

『本当はね、あんな亀裂、いつでも簡単に飛び越えていけるのよ。でもリリカちゃんが頑なにわたしと口を利こうとしないから、少しほとぼりが冷めてから会いに行こうと思ってたの。まさかわたしが会いに行く前に死んじゃうなんてね!』

 脳内に魔女様の姿が浮かび上がります。そうそう、確かそんなことをおっしゃっていました。長命種の魔女は時間の感覚を掴むことが苦手と聞きますし、魔女様もリリカ様がお亡くなりになられて初めて過ぎ去った時間の長さを知ったのでしょう。


 さて、話を戻しますが、どうやら蔓が目指していたのはこの亀裂のようです。一体こんなところに何の用があるというのでしょう。

 見ると、何やら蔓は東に向かって急激な成長をし始めていました。一本のそれは途中で何度も枝分かれし、やがて何本もの蔓が絡み合って網のようになりながら、亀裂をまたいで対岸へと向かっているようでした。更に道すがら、色とりどりの小さな花を咲かせていくものですから、網は段々と花のアーチのようになっていきます。

 向こう岸に辿り着くと蔓はその場で、蛇がトグロを巻くかのように丸くなり、それっきり動かなくなってしまいました。

 私はその姿を見てひとつの可能性に気付きます。

 魔法で作られた植物は通常、術者が魔法を解除しない限り枯れることが無く、また自然の命あるものよりもかなり丈夫です。強度は術者の魔力にもよりますが、今回私が使ったのは魔女様の杖であり、そこに宿る魔女様の魔力ですので、よほどのことが無い限り壊れることはないでしょう。

 もしかしたら__もしかしたらの話ですが、これは、橋になるのではないでしょうか。魔女様が最期に残した魔法は、自ら壊してしまった世界を修復するための、あの方なりの償いなのでは。

 そのことに気付いてから私は、何度も何度も何度も、あの長い魔法の呪文を繰り返し唱え続け、亀裂を覆うように蔓を伸ばしていきました。ほつれてしまった洋服を、細い糸で縫って繕うかのように、少しずつ、魔女様と私の魔法で、橋をかけていきました。 

 二つの国を繋ぐ、大切な架け橋です。魔法によって壊された世界は、魔法によって修復されようとしているのでした。


 ある時突然、杖から魔力が消えました。

 いつの間にやらそこにあるのはただの木の枝に変わり果てていて、もう魔法の力は跡形もなく無くなってしまっています。

 私は焦りました。これではもう魔法が使えない、まだ亀裂全体の一割すら覆えていないだろうに!

 しかし、すぐに問題がないことを悟るのでした。

 ふと足元から、花びらが一枚舞い上がったのです。視線を下げてみると、いつの間にか辺りには一面の花畑が広がっていました。蔓から咲いた小さな花々が連なって、このように見事な花畑になったようです。

 試しに一歩、その存在を確かめるように踏みしめてみると、小さな花々は、その花びらいっぱいに私という存在を受け止めてくれ、力強く押し返してくる気さえします。

 私にはない、儚くも凛々しい生命の鼓動を感じ、私の視界は流れるはずのないものでじわりと滲みました。魔法でできた、偽物の命ですが、こんなに美しく輝いています。

 魔女様は以前この魔法について、「効果は大した事ない」だなんておっしゃいましたけれど、そんなはずがございません。

 何年も何百年も生命を分断してきた亀裂を塞ぐ魔法。そんなものを目の当たりにして一体誰が、大した事ない、だなんて言えるのでしょうか。

 確かに魔女様からすれば、一度で亀裂を覆いきれない『大した事ない』魔法なのでしょうけれど、少なくとも私のような力の弱い人形は、そのようなことは到底思えないのでした。


「わーっ! 橋?! 橋だ! お花の橋がかかってるーっ!」

 突然、背後から飛び込んできた元気の良い声に、私の意識は戻されました。

 振り向いて声の主を探すと、わずか5歳程の幼い男の子が、ガラス玉のように透き通った瞳を大きく開けて、驚愕の眼差しをこちらに向けていました。

 彼はどこからともなく現れた得体のしれない花の橋に躊躇なく飛び込み、私にまっすぐ駆け寄ってきます。

「お兄さん! お兄さんがこの橋かけたの?!」

 そして無邪気に私に問いかけました。

 私は人と話をするのはかなり久しぶりのことでしたので、一瞬言葉が詰まってしまいました。

「い……いえ、私だけではなく、私の、……御主人様も、です」

「ごしゅじんさま? へーえそうなんだ、そうなんだ、すごいねえーっ。あのね、ほんとはぼくが大きくなったら、ここにでっかい橋をかけるよって、お母さんと約束してたんだ。でも、お兄さんたちに先こされちゃったみたいだなあ」

「そうだったのですか。それは申し訳ないことをしました……。……そうだ、代わりと言ってはなんですが、この本を持って行ってはくださいませんか」

 私は片膝をついて目線を合わせ、男の子に両手で魔女様の本を差し出しました。男の子はきょとんとしています。

「えほん?」

「いいえ、これは私の御主人様が書いた、魔法の本です」

「まほう! おばあちゃんから聞いたことあるよ! あれっ、じゃあもしかしてこの橋って、まほうでできてるの?!」

 男の子は足元を見て、興奮したように飛び跳ねました。

「よくわかりましたね。この本にはね、この橋をかける魔法が書かれているのです。なのでこの先、もし君が魔女に出会うことがあったら、この本を渡してくださいませんか。そして、もっとたくさんの橋をかけてくれるようお願いして欲しいのです」

 男の子は両手でゆっくりと本を受け取り、本の表紙に描かれた白く瞬く星を、小さな指で確かめるようになぞりました。

「わかった、ぼくがわたしてあげる!」

 男の子は本を両手でしっかりと抱え、走り去っていきました。

 その小さな背中が見えなくなった頃、私は花畑から一際大きく花開く純白の花を一輪だけ手折り、杖だったものを握り締め、花畑を後にしました。


こうして、世紀の魔女セレー・フラウが、最期の時間を費やして創り上げた三ページに渡る長い魔法は、無事に完成したのでした。

 男の子に託した本は、いずれ誰か他の魔女の手に渡り、そこから別の魔女へ、また別の魔女へと沢山の魔法の使い手に、橋をかける魔法を伝えるきっかけとなってくれるでしょう。

 そうして皆が亀裂に橋をかけていけば、いつかあの広大な亀裂も、美しい花畑で塞がるはずです。

 多くの人が祈りました。望みました。何百年にも渡る人々の願いは、魔女様の魔法で叶えられようとしています。少なからずそのお手伝いができたことを、私は光栄に思います。



 さて、ここからのお話は、後日譚となってしまうのですが、また十日かけて家に戻った私は、得も知れぬ脱力感に襲われ身動きが取れなくなってしまいました。

 日々あの方のやわらかい鈴の音のような笑い声が恋しくなって仕方がありません。

 一日でも早く魔女様に会いたい、そんな思いばかりが、私の中で激しく脈打っています。

 しかし、死に急ぐようなことは、したくない。

 自分の行動は、今度こそ、自分で選ばなくてはいけません。

 せっかく魔女様がくれた命なのですから。魔法仕掛けでも、命なのですから。

 

 私はおもむろに立ち上がり、窓に近づきました。窓辺には、魔女様の杖と、一輪の純白の花が水の入ったグラスに飾られています。花畑から持ち帰ったものですので水が無くとも別に枯れはしないのですが、何となく、見てくれだけでもそれらしくしたいと思ったのです。

 私はぎこちなくそれに手を合わせ、語りかけます。

「魔女様」

 枯れない花、永遠の命で彩られたこれは、お墓の代わりです。

「私、庭でラズベリーを育ててみることにします」

 近頃ラズベリーティーのあの温かく甘酸っぱい香りが鼻をくすぐっている気がして、無性に飲みたくなるので、私は数百年ぶりに街に出て、いつから持っていたのかもわからないわずかな硬貨を握り、ラズベリーの苗だとか園芸の本だとかを、よくわからないままに買い込んでしまいました。

 そもそも市販のラズベリーティーを買えば良いだけの話なのですが、せっかくの機会なので魔女様へのお土産話を作りたいと思い、思わず苗から育てることにしてしまいました。

 あと五年。五年で、恐らく私の魔力は、今度こそ、雫の一滴すらも残らず無くなってしまうことでしょう。

 五年で、果たして何杯のラズベリーティーが出来上がるのでしょうか。魔女様のお好きなラズベリーティー。

 間違いなく、それは最高のお土産話となるに違いありません。魔女様はきっと、私のお話をそれは楽しそうに笑いながら聞いてくださるのでしょう。

 苗を植える場所を決めようと思い庭に出てみると、東の方から一枚、また一枚と風に乗って舞ってくる淡い色の花びらが、向こうの様子を知らせてくれました。

 この調子なら、私が動けなくなる前に、一目見ることができるかもしれませんね。


 『永遠の花畑』エタルノ・フィオーレ


 街に出た際に耳に入ってきました。どうやら人々はあれにそう名付けたそうです。

 永遠……素敵な言葉です。どれだけ素体の朽ちない人形でも、どれだけ力の強い魔女でも、全ての生きとし生けるものには到底手に入らないものですが、魔法の花畑はその名の通り、きっとこの先永遠となってこの世界に残るのでしょう。


 この世界に、魔法が生き続ける限り。この世界に、命が芽吹き続ける限り。



『それでもわたしは、


あなたに出会えて 本当に良かった』


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ