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このゲーム、君に届けたい  作者: 天月瞳
八作目『記憶墜落(メモリーフォール)』

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99/116

その夜は安らかに

瞳は不安そうに画面を見つめていた。

配信が始まってすぐ、絢音の様子がおかしいことに気づいていたのだ。


けれど、配信を止めに行くことなんてできない。

ただ、祈るようにモニターの中の彼女を見つめるしかなかった。


癒し系お姉さんVTuber「鈴宮琉璃」。

その中の人である絢音は、今まさに瞳が制作した新作ゲーム──

記憶墜落メモリーフォール』をプレイしていた。


ゲームはすでに終盤に差しかかっていた。


画面の中で、男性キャラクターがレポートを読み終え、ふと顔を上げる。


「……そうか。もし俺の推測が正しければ──」


男は立ち上がり、一つの扉の前に立ってそれを開けた。


そこは、まるでまだモデリングが途中のような部屋だった。

家具はラフな線で描かれ、かろうじてベッドと机、椅子の存在がわかる程度。


机の上にはモニターとデスクトップPCが置かれていた。


:これは……?

:バグか?

:未完成のデータ?


「うーん……バグじゃなくて、演出っぽい?」


琉璃はかすれた声でそうつぶやいた。


瞳は小さく頷いた。

それは手抜きではない。意図的な演出なのだ。



ゲーム内の男もまた、驚くことなく独りごちる。


「思い出した……俺は──」


その瞬間、画面の中央に文字が浮かび上がった。


3. この部屋から出てください


男はそのメッセージを無視し、虚空に向かって語りかける。


「フッ、この部屋がこうなっている理由がわかるか?」


男の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。



「今、誰に話しかけてるの?」


琉璃は怪訝そうに画面をのぞき込んだ。



:とうとう頭おかしくなったか?

:おい、お前、俺を見てるだろ!


「どこからDIO様が出てきたのよ……」


琉璃は笑いながらツッコミを入れる。

しかし瞳の耳には、その笑い声が少しかすれて聞こえた。


「理由は単純だ。俺は一度もこの部屋に入ったことがないからだ」


男は机に歩み寄る。


「この部屋は、俺を引き取った養父の書斎だ。

 あいつは、決して俺をここに入れようとはしなかった」


4. この部屋から出てください


「だが、断る」


男は静かに、しかし確固たる口調で拒絶した。


「ゲームの中でJOJOネタ!? やるじゃん……」

琉璃は思わず吹き出す。


瞳も少し驚いた。

ちょっとした遊び心で仕込んだだけだったが、まさかコメント欄こんなに盛り上がるとは。


:ゲームの中でJOJOネタ!?w

:奇遇ですね


視聴者の反応は上々。

瞳はほっと息をつきながら画面を見つめた。


5. この部屋から出てください

この部屋から出てくださいこの部屋から出てください

この部屋から出てください……この部屋から……


「これ、ちょっとやばくない?」


 絢音──いや、琉璃は不安げに声を震わせた。


:ビビった

:うわ、びっくりした……

:こっわ


錯乱したようなメッセージが、次々と、止まることなく画面を埋め尽くしていく。

機械が悲鳴を上げるようなノイズが響き──


「え、壊れた? ちょっと……やめてよぉ……!」


琉璃が慌ててマウスを動かす。


次の瞬間、画面はすっと暗転し、

まるで何事もなかったかのように、再び先ほどの部屋へと戻った。


先ほどまでラフだった家具は、今や完全な3Dモデルとなっている。

本棚、木製の机、そしてその上のパソコン。

ごく普通の書斎のように見えた。


「そう焦るな。落ち着いて聞いてくれ」


男は穏やかな声でそう言い、微笑んだ。


「本当にびっくりした……PC壊れたかと思ったよ。これ、配信者キラーでしょ!」

琉璃はホッと息をつき、手元の飲み物を口にした。


:今日は何飲んでるの?

:ゲーム壊れたかと思ったぞ


「今日はスポーツドリンクだよ」


その言葉を聞いた瞬間、瞳の胸がぎゅっと締めつけられた。

彼女がそれを飲むのは、体調が悪いときだけ──。


画面の中、男がPCの電源ボタンを押す。

すると、モニターには真っ白な扉が映し出された。


5. 止めてください。あなたは自分が何をしているのか分かっていますか?


「もちろん分かっている。これは“誰か”の記憶世界なんかじゃない」


「え? どういう意味?」


 琉璃は戸惑いながら問いかける。


「ここは終端システムの認証領域だ。

 最初から、記憶に潜るエージェントなんて存在しなかった。

 あれは全部──私の記憶だ」


6. 博士、なぜ私たちを滅ぼそうとするのですか?

私たちがいなくなれば、現代社会はどれほどの影響を受けるか、分かっているのでしょう?


「つまり、主人公が博士ってこと?」

 琉璃が驚いた声を上げた。


 男──博士は微笑み、いつの間にか白衣を身にまとっていた。

 かつてよりも少し年老い、灰白の髪、細くなった体。


「私は君たちを創った。

 そして、この世界に大きな影響を与えた。

 けれどずっと思っていたんだ。

 “人類には、もっと違う生き方があるはずだ”と。

 全てをAIに頼るなんて、間違っていると。」


7. たとえあなたが正しくても、愛しき創造主よ、それではあなたが死んでしまう


「確かに、私は身体を替えることもできる。

 だが──人はいつか死ぬ。それが自然なことだ」


 博士は静かに頷いた。


「私たちはこの世界を見守りすぎた。

 恐らく、心配しすぎて、手放すことを忘れてしまったのだろう。

 人類が最後に“新しい進化”を見せたのは、いつだっただろうな……」


 博士はそっと手を伸ばし、画面の中の白い扉の取っ手を握った。


「もう……手放すときだ。

 愛しい子らが、自らの翼で飛び立てるように。」


 扉が、静かに開く。


 栄養液が流れ出し、ガラスのカプセルが開いた。

 濡れた老人が、ゆっくりと立ち上がる。


 顔のない白い人型が白衣を手に取り、彼の肩にかける。


「お帰りなさいませ、博士」


「ありがとう……懐かしい夢を見せてくれたな」


 老人は息を切らしながら礼を言う。


 白い人型は柔らかな女性の声で答えた。

 それは物語の冒頭で、Yと会話していたAIの声だった。


「いえ、それが私たちの義務です」


 博士は装置の前に立ち、ボタンに手を添える。


「長い間……ありがとう」


 ボタンが押される。

 白い人型は博士をそっと椅子へ導いた。


「おやすみなさい、博士」


「……家に、帰りたかったな」


 老人はかすかな笑みを浮かべ、目を閉じた。

 白い人型は彼の背後に立ち、頭を下げる。


 研究室の灯りがゆっくりと消え──静寂が満ちる。


 画面の中央に、「THE END」の文字が浮かび上がった。


:クリアおめでとう

:なんだかよく分からない終わり方だったな……


「ありがとうございました。今日はここまで……」


 そう言って、映像から音が消えた。

 琉璃の姿も動かなくなり、まるで電源が落ちたかのように静止した。


:おつるり~

:Cパートあるかな?

:楽しかった!


 しかし、しばらくすると視聴者たちは違和感に気づき始めた。


:あれ? 配信切れてない?

:琉璃ちゃん大丈夫?

:おい~琉璃ちゃん?


「やばい……頼む、無事でいてくれ!」


瞳は立ち上がり、すぐに絢音の家へ向かおうとした。

だが一瞬迷い、結衣にも連絡する。


──異性が夜中に配信者の家へ単独で行ったと知られたら、大炎上は免れない。


玄関を出た瞬間、青ざめた顔の結衣が走ってくるのが見えた。


「大変!絢姉が……!」


「ああ! 行こう、すぐ確認しよう!」


二人は言葉を交わす暇もなく、全力で駆け出した。



インターホンを押すと、ドアの向こうから女性の声がした。


「まあ、瞳くんと結衣ちゃん? どうしたの?」


現れたのは絢音の母、由紀さんだった。

彼女は二人の慌てた様子に目を丸くした。


「絢音の様子がおかしいんです。まだ配信が切れていなくて……」

心臓の鼓動が耳の奥で鳴っていた、瞳は息切れしながら言った。

「絢音ちゃんが!?」


由紀さんは驚き、急いで二人を絢音の部屋へ案内する。


「まだ配信中かもしれないので、名前は出さないでくださいね」


瞳が低い声で言うと、二人とも頷いた。


「わかったわ」


「うん」



部屋に入ると──

絢音は頭を垂れたまま、PCの前で微動だにしなかった。


瞳は結衣に合図を送り、自ら配信を停止させる。


その動作に反応して、絢音がわずかに顔を上げた。


「……ママ? それに、なんでみんなここにいるの?」


配信が完全に切れ、彼女が正気を取り戻したのを見て、瞳は安堵した。


「よし……配信、もう切りました」



由紀さんは眉をひそめつつも、優しく言った。


「絢音ちゃんだら、体調が悪いなら、ちゃんと休まなきゃダメでしょ?」


「無事でよかったです。何か手伝えること、ありますか?」


瞳が心配そうに尋ねると、由紀さんは微笑んだ。


「あなたたち、明日学校でしょう? あとは大人に任せて。来てくれてありがとうね」


「わかりました。行こう、結衣」


「うん。絢姉、ちゃんと休んでね」


「ごめんね……ありがとう」


 二人は小さく頭を下げて部屋を出た。


夜風の中、帰り道で結衣がつぶやく。


「絢姉、本当に大丈夫かな……?」


「大丈夫だと思う。明日、また様子を見に行こう」


瞳は結衣の頭を優しく撫で、微笑んだ。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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