【晴香】この世界、まともなやつ一人もいなくない?
小野晴「はぁ〜……つかれた……」
配信を終えた少女が、ふぅっと息を吐く。
小野晴「……なんか、視線を感じる気がする」
「やめて、そういう怖いこと言うの!」
晴香が緊張気味に言いながら、キャラクターを操作して室内を見回す。
窓はすでにカーテンが閉められており、部屋には角のダンボールと、壁際の棚に置かれた──前の住人が残したらしい観葉植物。そして、さきほど配置したばかりの家具だけ。
小野晴「気のせい、かな……よし、ご飯買いに行こう」
伸びをしながら、少女は部屋を出る。
アパートを出ると、外はすでに夕暮れが終わりかけていた。
小野晴「この先にコンビニあったよね。今日はそこで済ませちゃお」
少女は細い路地を歩く。時間はまだそこまで遅くないはずなのに、人影はほとんどない。
???「ちょっといいか」
突然、横から手が伸びて小野晴の進路を塞ぐ。
「だ、誰っ!?」
思わず声を上げる晴香。画面に映ったのは──警帽をかぶった中年の警官だった。
「警察……さん?」
安堵の息が漏れる。
男の警官は無言のまま小野晴をじろじろと見つめ、ようやく口を開いた。
「見ない顔だな。最近引っ越してきたのか? それとも通りがかっただけか」
小野晴「え、あ……はい、引っ越してきたばかりで」
「女の子がこんな時間に出歩くもんじゃないぞ。この辺り、最近ちょっと物騒だからな」
警官は壁に貼られた張り紙を指で叩く。
そこには【不審者注意】と赤字で記されていた。
「不審者って……晴ちゃん、なんでこんなところ選んで引っ越してきたの?」
晴香がぼやく。さっきの“視線”の伏線が頭をよぎり、嫌な予感がこみ上げる。
「だから引っ越し前に周囲の環境チェックは必須なんだよ」
絢音が淡々と言う。
「たしかに……私も引っ越す前は周りの環境をちゃんと確認する派だ。みんなも引っ越すときは気をつけてね」
晴香が視聴者に呼びかける。
:はーい
:事前チェック大事
:てかこの警官の顔、怖すぎん? 不審者側じゃね?
「やめなって……まぁ、ちょっと怪しいのは分かるけど」
晴香は苦笑しつつも、画面を進める。
主人公は無事コンビニに到着し、弁当と飲み物をレジに置く。
「1200円になります。……袋は──どうされますか?」
青年の店員はそう言いながらも、差し出されたお金をすぐに受け取ろうとしない。
青年は無表情で小野晴を見つめている。
小野晴「……あの?」
「1200円、ちょうどですね」
ようやく金を受け取り、温めた弁当を渡す店員。
しかし、さっきの妙な間には一切触れず、淡々と接客を続ける。
「この店員もなんか怪しいね」
絢音がぼそりと言う。
「ていうか今のところ、まともなやつ誰もいないの?」
晴香が絶望したように言う。
:ほんとそれ
:これぞホラーゲーあるある
:正常な人間などいない世界
弁当を手にアパートへ戻ると、入り口で腰に手を当てた巻き髪の中年女性が待ち構えていた。
「やっと捕まえたわね。アンタが2-3号室の住人でしょ」
小野晴「え、はい……そうですけど」
「この数日、何の騒ぎよ! うるさくてたまんないんだけど。常識ってものないわけ?」
小野晴「えっ……でも、今日引っ越してきたばかりで……」
考えられるとすれば、引っ越しの作業音くらいだろうか。
「とにかく、静かにしなさいよ」
意外にも、それ以上は絡まず、捨て台詞だけ残して去っていった。
ようやく弁当をテーブルに置き──
小野晴「とりあえず、手を洗おう」
洗面所で顔を上げると、鏡の中にはどこか疲れた顔の少女が映る。
特に目の下の濃いクマが目立ち、少し不健康そうに見える。
「……配信者って、やっぱり夜更かし多いの?」
晴香がぽつりと呟く。
隣を見ると、絢音は「へへ」と苦笑いして頭をかく。
「やめ時が分かんなくて、気づいたら朝になっちゃった」
「もう、ちゃんと休みなよ……」
晴香が呆れつつも、どこか優しい声で言う。
:てえてえ
:休み大事
:わかる、やめ時は分からないよね
弁当を食べ終えた小野晴は、ベッドに横になる。
──画面に日付が表示される。【7月23日】
「今日はこれで終わり、って感じかな……」
晴香はそう思った瞬間、日付表示が一瞬だけバグったように点滅し、画面にノイズが走った。
「えっ? ちょ、なにこれ!?」
カメラが窓の方へ向く。カーテンの向こう──
人影。
大きな何かが、じっとこちらを見て立っている。
「だ、誰!? 幽霊……じゃないよね!?」
その影は何もせずただそこにじっとしている。
そして再びノイズが走り──日付が【7月24日】へと強制的に切り替わる。
「もう!意味わかんないんだけど!!!」
晴香がコントローラーを握りしめ、半ば叫ぶように画面に突っ込む。
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