まだまだ時間があるさ
瞳はパソコンの前に座り、ろくに進んでいないゲーム制作をじっと見つめていた。
あの日以来、どうしても集中できなくなっていた。
恥ずかしさもあってか、この間、二人の間にほとんど連絡はなかった。
二人の関係、そしてあの日起きた出来事について、瞳は頭の中で何度も反芻していた。
「こんなんじゃダメだ、とにかくゲームを完成させないと」
瞳は自分の頬を軽く叩き、無理やり気を引き締めた。
曲については歌奈からすでに許可をもらっていて、ボイスは弥紗にお願いすることになっている。
予想とは少し違ったけど、これはこれでいい落としどころになったかな。
ゲームの構成はすでに決まっていて、最初の出会いから始まり、世界の果てまで、全部で五章に分かれている。選択によってプレイできる曲が変わり、エンディングも分岐する形だ。
「もともとは一本線のストーリーにするつもりだったけど、やっぱりプレイヤーに新鮮さを感じてもらいたいしね」
この判断が良かったのかどうか、今はまだ神のみぞ知る、というところだが、現在公開されている体験版の評価は悪くない。
もちろん中には「退屈だ」「合わないなぁ」と感じるプレイヤーもいるが、全体的には好評だ。
瞳はプレイヤーから寄せられた意見をもとに、ゲームのバランスを調整していた。
ストーリーの部分はほとんど完成しており、残すはエンディングの分岐部分だけだった。
「エンディングと言えば……告白すべきかな。じゃない、また話が逸れてる」
瞳はもう一度頭を左右振って、雑念を振り払う。
幼馴染に対して好意があるかと問われれば、答えはイエスだ。
だが、今の絢音はVtuberとして活動していて、いわばアイドル的な存在だ。
そんな彼女と個人的な関係を持つことは、世間の反感を買うかもしれないし、ファンに対して誠実ではない気もする。
今の関係でさえ、熱狂的なファンの中には許せないと感じる人もいるかもしれないが、まだ「ちょっと仲の良い異性の友人」の範囲に収まっている。
「ダメだ、そろそろ決断しないと。このままじゃ前に進めない」
そう覚悟を決めた瞳は、長く悩み続けた思いを振り切るように、絢音に電話をかけた。
「もしもし? どうしたの?」
絢音の声には少し緊張が混じっていたが、瞳の方も同じだった。
「少し時間ある?」
「う、うん、あるよ」
「話したいことがあるんだ。会えるかな?」
「あ、うん。ちょっと待って」
絢音は何か嫌な記憶を思い出したように、警戒するような声で尋ねた。
「まさかまたこの前みたいに、ゲームの話じゃないよね?」
「違うよ。安心して」
「本当に? ……わかった。どこで会う?」
絢音はまだ少し不安そうに聞き返してきた。
「三十分後、近くの公園でどう?」
「うん、三十分後に」
電話を切ったあと、瞳は深く息を吸い込んだ。
この三十分は、お互いの心の準備のための時間。
着替えを済ませ、瞳は家を出た。
公園の隅、橙色に染まった空の下で、瞳はひとり立っていた。
時間帯のせいか、周囲にはほとんど人影がない。静けさが、かえって心の鼓動を強調する。
そこに、風に揺れる白いワンピースを着た少女が現れた。
長い髪をひとつに結んだポニーテールが、夕陽を浴びて金色に輝いている。
彼女は瞳を見つけると、花が咲くようにふわっと笑い、軽やかな足取りで駆け寄ってきた。
「来たよ。……で、話って、なに?」
少しだけ赤くなった頬と、髪をくるくると指先で弄る仕草が、やけに可愛く見えた。
瞳はひとつ深呼吸をし、意を決して言葉を紡いだ。
「絢音、君のことが……好きだ」
一瞬、風の音すら聞こえなくなった。
絢音は目を見開いたまま、ふっと動きを止めた。
「……ほんとに?」
声が、震えてた。
そう言いながら、絢音は両手で口元を覆い、目尻にはじんわりと涙の光が浮かんでいた。
「ほんとだよ。……でも」
「でも?」
言葉の続きを待つ絢音の声は、かすかに震えていた。
「……しばらくは、幼なじみのままでいよう」
そう言った瞬間、瞳の心臓が、ほんの少しだけ軋んだ気がした。
「……なんで?」
絢音の瞳に、驚きと戸惑いの色が走った。さっきまで髪をいじっていた指も、ぴたりと止まる。
彼女の気持ちに気づいているからこそ、瞳は慎重に言葉を選んだ。
「君は今、配信の仕事を心から楽しんでる。Vtuberとしての君を、俺は知ってるし、応援してる」
「うん」
「きっと、君はファンをがっかりさせたくないんだろ?」
「……うん」
絢音は小さく頷いた。その瞳には、少しの寂しさと、ほんの少しの安心が入り混じっていた。
「俺たちには、まだたくさん時間がある。焦らなくていい。……いつか、みんなが納得できる形で、ちゃんと伝えるから」
「……わかった」
彼女は微笑んだ。でも、その笑顔はどこか切なくて。
瞳の胸が、少しだけ痛んだ。
「ごめん。今はこれが、俺なりの精一杯なんだ」
「ううん。あなたが真剣に考えてくれてるの、ちゃんと伝わったよ。私、ファンを裏切るようなことは、やっぱりできないから……」
そう言って、絢音はふっと目を伏せた。
でも、次の瞬間、瞳の目をまっすぐに見つめ返してくる。
「でもね、あなたが私のことを好きだって知れただけで、今日はもう大満足だから」
「……そっか。でも、まだ絢音の気持ちは聞いてない」
「ナイショ」
そう言って、絢音は人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく笑った。
「ちゃんと答えが出たら、教えてあげるね」
「……それ、ずるくない?」
「ふふっ、教えなーい」
彼女は数歩、後ろに下がると、くるりと回って夕陽を背に立った。
「さ、帰ろっか」
「……ああ」
二人は並んで歩き出す。
その影は、夕焼けに照らされた道に長く伸び、そっと重なっていた。
「ほんと、バカだよね」
ふいに絢音が、小さな声でつぶやいた。
「え? なんか言った?」
「なんでもなーい」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もしよろしければ★★★★★とレビュー、それにブックマークもどうぞ!
励みになりますのでよろしくお願いいたします!




