長谷川くんさ、そういうことだぞ
午前中ずっと資料を調べていた瞳は、借りた本をリュックいっぱいに詰め、帰る前に浅海先輩に挨拶しようと思った。
「それじゃあ先輩、そろそろ帰りますね」
「ん?ああ、ちょっと待って。私もちょうど終わったところ。一緒にご飯でもどう?」
浅海先輩は机の上の本やノートを片付けながら、瞳を呼び止めた。
「ご飯ですか?…はい、いいですよ」
瞳は少し驚いたが、断る理由もなかったので素直に頷いた。
ファミリーレストランに入り、席に着くと浅海先輩が口を開いた。
「この前はご馳走になったから、今回は私が奢るね」
そこでようやく瞳は、彼女の意図に気づき、苦笑しながら返した。
「ありがとうございます、先輩」
それぞれ料理を注文し、料理が来る前に二人は雑談を始めた。
「長谷川くん、この前出した新作ゲーム、遊んでみたよ。なかなか面白かった」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「でもさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「どうぞ」
「このゲーム、難しすぎない?私、最高でもBランクしか取れなかったよ」
浅海先輩は不満げに眉をひそめながら言った。
「先輩が設定した難易度は?」
「ノーマルだよ」
「それなら普通ですよ。音ゲー未経験の人なら、それくらいが妥当です」
実は難易度は調整済みで、ノーマルはジャンル内ではむしろ簡単な部類なのだが、瞳はそれを言えなかった。
「そうか、やっぱり私が慣れてないだけか…あ、ごめん、本当に聞きたかったのは別のことなの」
「……どうぞ?」
「今回のボイス、なんで絢音ちゃんじゃなかったの?何かありました?」
浅海先輩は心配そうに少し口をすぼめながら聞いた。
「いや、最初は彼女に声をかけたんだけど、どうしても断られてしまって…だから他の人に頼んだんだ」
瞳は苦笑して答えた。
「そうなんだ。てっきり何かトラブルでもあったのかと思ったよ」
浅海先輩は安心したように胸を撫で下ろした。
「何もなかったよ。なんでそんなふうに思ったの?」
瞳は不思議そうに尋ねた。
「知らなかったの?最近、Vtuber界隈でちょっと過激なファンが問題を起こしてて、ニュースにもなってるんだよ」
「ニュースで見たことはあるかも」
「絢音ちゃんにもちゃんと気をつけるように言ってあげてね。『ガチ恋勢』の行動って、時には本当に危ないから」
「ガチ恋勢って?」
瞳は聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「アイドルのファンみたいに、自分の“推し”と付き合いたいとか、中には“自分が相手の恋人だ”って思い込んでる人もいるんだよ」
「そんな人たちがいるんですね…。でも、先輩、詳しいですね?やっぱりお仕事関係ですか?」
「まあ、それもあるけど……実はね、私もちょっとやってみようかなって考えてるの」
浅海先輩はふっと笑って、その仕草がどこか恥ずかしそうで頬に指を当てた。
「えっ、先輩もVtuberに……? 忙しいのに、そんな余裕あるんですか?」
驚きとともに、瞳は思わず聞き返す。
「もちろん、本格的には無理だけど……最近、すごく流行ってるじゃない?」
浅海先輩は視線をテーブルに落としながら、少しだけ声を低くした。
「会社には入れないよ。宣伝にもなるし、他の活動の幅も広げたいので、挑戦してみたいと思って、大学の研究にも役立てられるし」
「なるほど…。でも、先輩はすごく綺麗だし、普通に配信者やった方がもっと人気出るんじゃないですか?」
瞳は浅海先輩を見つめながら、つい本音が漏れてしまった。
「うぅ…君って、女の子にそんなこと、よく言うの?」
浅海先輩は少しのけ反り、頬を赤らめた。追いかけてくる人は多いが、こんなに真正面から褒められたことはあまりなかった。
「え?はい。……変なこと言ったかな?」
瞳は首を傾げる。その表情は、まったく悪気のない純粋そのものだった。
「…自覚ないんだ……」
浅海先輩は小さく息を吸い込み、ぽつりと呟いた。
「お待たせしました、お料理になります」
その時、店員が料理を運んできた。
「ありがとうございます」
二人はそれぞれ礼を言い、料理を食べ始めた。
食事を終えた二人は、大学生活や絢音の日常について、もう少し雑談を続けた。
「今日はごちそうさまでした、先輩」
瞳は軽く頭を下げて礼を言う。
「うん、気をつけて帰ってね」
浅海先輩も微笑みながら頷いた。
「はい」
瞳は家に帰るとき、
「ねえ」
浅海先輩が、ふと瞳を呼び止めた。
「はい?」
「ちょっと余計なお世話かもしれないけど……彼女がいる人は、あんまり他の女の子を褒めすぎない方がいいよ。誤解されやすいから」
「え?俺、彼女なんていませんけど」
「えっ?じゃあ……絢音ちゃんは?」
「幼なじみですよ。昔からの」
「うそ……あの関係で、まだ付き合ってないの?」
浅海先輩は、信じられないと言いたげにぽつりと呟いた。
「先輩、今なんて?」
「……なんでもない。とにかく、気をつけなさいってこと」
彼女はややそっけなくそう言って、目をそらした。
「え、あ、はい……」
瞳はよくわからないまま頷いた。
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