その女の子、小悪魔的
「あ、買い忘れた物があったのを思い出した」
瞳は何も見なかったかのように棒読みでそう言い、くるりと背を向けてその場を立ち去ろうとした。
「お兄さん、どこ行こうとしてるの?逃がさないよ」
弥紗は瞳の腕をぎゅっとつかみ、虚ろな目でじっと彼を見つめる。
瞳はため息をつき、抵抗をあきらめて、仕方なく笑顔を作った。
「久しぶりだね、西村さん」
「そうですね、久しぶりです。でも、お兄さんは私の顔を見た瞬間に逃げようとするなんて、ちょっとひどくないですか?」
「うっ、ごめん。なんか、用事でもあるの?」
瞳は少し考えたあと、言い訳をやめて素直に謝った。
「うん、ちょっと聞きたいことがあって」
「ん?ちょっと待って、それって結衣のことと関係あるわけじゃないよね?」
瞳は何かに気づいたように目を細めた。
「少しだけ関係あるかな。」
途端に、瞳の表情も引き締まる。
「まさか、誰かが結衣にちょっかい出そうとしてるのか?それなら、兄の俺が絶対に許さない!」
「もちろん、私だって許すわけないでしょ!あんな連中、結衣ちゃんには全然釣り合わないし……って、あーもう!違う違う!お兄さんに話を引っ張られちゃうとこだった。今回の話はそうじゃないの!」
「なーんだ、そういうことか。それで、何の用?」
瞳は首をかしげながら聞いたが、弥紗が何を話したいのかまったく見当がついていなかった。
「お兄さん、最近新しいゲーム作ってるでしょ?」
「なんで知ってるの?……ああ、結衣が言ったのか。」
「そう。結衣ちゃんが教えてくれなかったら、私ぜんぜん知らなかったよ。どうして声優探してるのに、私を誘ってくれなかったの?」
「あ……」
瞳の胸に「しまった」という思いが走る。弥紗の顔から、ぱっと笑顔が消えた。
「分かってるよ。お兄さんにとって、私はあまりいいイメージないかもしれない。でも、お兄さんのゲームのためなら、私、できることはなんでもするよ」
「ん……?」
瞳は「なんでもする」という言葉にネタに走りそうになるのを、必死でこらえた。
「結衣から聞いてるか分からないけど、今回作ってるのは音楽ゲームなんだ。」
「うん、ちょっとだけ聞いた。結衣ちゃん、もうテスト版をプレイしたって言ってたよ。」
弥紗は少し羨ましそうに言った。
「今回の主人公は、ボイスだけじゃなくて歌も必要だから、ちょっと大変なんだ」
「うん、それは分かってる。こんなこと言うと自信過剰に聞こえるかもだけど、私、歌にはちょっと自信あるんだよね」
弥紗は胸に手を当て、誇らしげに言った。
「それは聞いてるよ。本当は、天歌のオリジナル曲がゲームの雰囲気にすごく合ってたから、最初は彼女にお願いするつもりだったんだ。」
瞳はうなずいて、そう認めた。
「じゃあ、今は?」
「ちょっと予想外のことがあってね……今は頼むのが難しい状況かも」
「じゃあ!」
弥紗の目がぱっと輝き、嬉しそうに一歩前へ踏み出した。
「うーん……もう少し、考えさせて」
瞳が迷っている理由は、つい先ほど「歌奈の体調が回復してから、依頼内容を確認することを待っている」と言っていたことだった。
今、弥紗に声をかければ、まるで歌奈を裏切るように感じてしまう。
「じゃあ、お兄さんからの連絡、待ってるからね」
瞳は、弥紗の真剣な眼差しを見て、少し心が揺れた。
「……うん。ちゃんと考えてから、答えを出すよ」
「うん!ずっと待ってるから!」
弥紗は力強くうなずき、そして何かを思い出したように、少し恥ずかしそうに言った。
「それとね……お兄ちゃん、私もそのテスト版、遊んでみたいな。いい?」
「え?でも、あれはまだまだ未完成で、かなりラフな出来だよ?」
「いいの!お願い!」
弥紗は瞳の手をぎゅっと握ってぶんぶん振った。まるで小悪魔みたいに迫ってくる彼女に、瞳は苦笑いを浮かべた。
もし普段から絢音と接していなければ、彼女と同じ年の男子ならこの誘惑に耐えられなかったかもしれない。
瞳は少し考えた。結衣の友達なら、ゲームの情報を外に漏らすようなことはしないだろう。
「……じゃあ、結衣に送ってもらうようにするよ。でも、絶対に他の人には言っちゃダメだからね?」
「うん!ありがとう!」
弥紗は目を輝かせ、年相応の無邪気な笑顔を見せた。
「先生のゲーム、すっごく楽しみ!」
瞳は彼女の笑顔を見つめながら、つい口をついて出た。
「それとも、うちの部屋で直接遊ぶ?パソコンにはもう入ってるし」
言ってから相手が絢音ではないことに気づいたが、もう後の祭りだった。
「いいの?じゃあ、お邪魔しちゃおうかな」
弥紗は何のためらいもなく即答した。
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