第四話 婚約破棄された悪役令嬢の過去 後編
私はのろのろと頷いた。
ようやく話が還ってきた。祖母はそこで使ったのだ、『三挺の蝋燭』を。
「でも、おばあさま。蝋燭は3人同時に呪わないといけない、と……」
私はかすれた声で言った。
そして私は祖母の凄みのある目に気付いた。
祖母は低い声ではっきりと言った。
「ええ、私もピンクブロンド嬢の名前を唱えてから気づいたの、3人必要だってことに。慌てて『他に誰か呪わなくちゃ』って思って、そうして、ぱっと思いついたのが、現国王陛下と現王妃でした」
「国王陛下と王妃様……」
祖母は自嘲気味に笑った。
「咄嗟に出たのだから、それが本心だったのだわ。悪いことにね、もう、ピンクブロンド嬢の名を唱えたときに『子よ生まれるな』と呪った後だった。だから、国王陛下と王妃の間には子は生まれなくなった。私の呪いは王家の血脈まで変えてしまった」
「ちょっと待って!」
私は急いで祖母の話を止めた。
「ピンクブロンド嬢のお子は知りませんけど、国王陛下と王妃様の間にはお孫さんまでおられるではありませんか! おばあさまの呪いは成功していませんわ!」
祖母は悲しそうに首を横に振った。
「いいえ。ピンクブロンド嬢はその日のうちにこっそりと死産したし、国王陛下のところも何度も駄目だったはずよ。呪いをかけた本人だもの、そんなこと知りたくなくても何でか分かってしまうのよ。国王陛下のたった一人のお子さん(※現王太子殿下)はね、生まれなかった最後の子の替え玉。王妃の親戚筋のどこかからやってきた子なのよ」
私は絶句した。
王妃様の親族の子?
「それって……」
現王妃の親族たちは、死産した子の代わりに家族ぐるみで身代わりの王子を仕立て上げたのだ。何度目かの死産。死産を理由に離縁されたら、せっかくの王宮での権力がパーだものね。
そしてハッとした。
ピンクブロンド嬢が孕んだときに「王太子の子ということにしてしまえ」と言い放ったピンクブロンド嬢の親族が思い出された。
「ピンクブロンドさんのご親族も現王妃様のご親族も、言っていること・やっていることはおんなじですのね」
祖母は暗い顔をした。
「そうね。正直者とは言えない人たちだわ。でもね、そうなるように呪いをかけたのは私だから」
私は深くため息をついた。
とんでもないことを知ってしまった。
知らん顔をし続けるのか、それとも何か行動を起こすのか、心は決まらない。しかし今まで通り純粋に王宮の人間を信頼することができるかというと、それはできない気がした。
何だか私はやるせない気持ちでいっぱいになった。
「それはそうと、ピンクブロンドさんの疑惑は? 国王陛下が現王妃様と結婚なさっているということは……お腹のお子がいなくなっても疑惑は晴れなかったのかしら?」
「疑惑はね、晴らそうとしてらっしゃいましたよ。だってもうお腹にお子がいないんですからね。ピンクブロンド嬢は子を死産してすぐのボロボロの体で王太子殿下(※現国王陛下)の前まで這っていったようです。どうしても潔白を証明したかったのでしょうね。現王妃の方が驚いていました。『お腹も目立ってきていたのに、なぜ?』と。王宮はざわざわしました。現王妃の方が嘘をついていたのか、とね」
私は、まあそうなるよなと思った。
しかし祖母は乾いた笑みを浮かべた。
「まあでも、もう時は遅かったのです……。現王妃の親族たちはピンクブロンド嬢の一族を追い落とすために、すでにあらゆる糾弾の材料を集めていたのです。ピンクブロンド嬢が無実を訴えるはずだった場は、そのまま現王妃の親族たちによる告発大会になりました。さらには現王妃の弟が王太子の婚約者に横恋慕し想いを遂げた罪を大々的に自白して、なんとその場で自ら出家してみせるという公開パフォーマンス付きでした」
「なんです、その地獄のような状況は」
私はあまりの修羅場に絶句した。
祖母は頷いた。
「まあ、ピンクブロンド嬢の大敗北です。ピンクブロンド嬢はそのまま王太子と結婚してはいけないような雰囲気になりますよね。何やら偉い人たちの間で彼女の処遇が話し合われ、結局修道院に送られたことになったそうよ」
それから祖母の目は宙を仰いだ。
「私の呪いは……いったい何だったのかしらね。あのときは、確かに何か変わる気がしたのだけれど。……私は、ねえ……いったい何をしたのかしらね……」
祖母の声は最後の方は自分自身に向けられているようだった。
私は言葉がなくなってしまった。
変な言い方だけど、呪っただけ損だったのだ。ピンクブロンド嬢は追放されたし現王妃はこうして今も権勢を誇っているのだから。
呪いは、ただ祖母にだいぶ後味悪い思いをさせただけだった。
しばらく沈黙が流れたが、私は何か言わなければならないと思い、ようやく絞り出すように
「まあでもほら……。もしおばあさまが婚約破棄されていなければ、おばあさまがそんな目に遭っていたかもしれないと思うと……。もしかしたらおばあさまは命拾いしたのかもしれませんよ」
と論点のずれたことを言ってみた。
祖母はゆっくりと首を横に振った。
そして余計に苦しそうな口調になった。
「命拾いした? とんでもない話です。あなたにはまだ分からない話かもしれませんけどね。私はたいへん後悔しているの。人を呪うなんて何があってもやっちゃいけないことだったわ。王族の血が穢れたのは私の呪いが元凶だし……。でもね、一番きつかったのは私が別の人と結婚し、自分の子どもが生まれてからでした」
私はドキッとした。
私たち家族の問題に話が及んだからだ。
私は食い入るように祖母を見つめた。
祖母は申し訳なさそうな顔をしていた。目が潤んでいた。
祖母はそっと目を伏せた。
「あなたのお母さんや伯母さんね、本当にかわいくて仕方がなかった。こんな幸せはこの世にあるのかと思ったわ。女は本当に都合の良い生き物ね。子供が産まれた途端、もうすべての過去から解放されて、私にこの子たちを与えてくれた神に感謝したものだわ」
私はハッとした。
祖母は母や伯母のことを愛していたのだ。
しかし祖母は暗い顔をしていた。
「でもね、それと同時に、私は3人の人間からこんな最上の幸せを奪ったことの恐ろしさに気付いてしまったの。自分の子がかわいくて仕方がなかったからこそ、骨身に沁みたわ。私は罪に苛まれ、我が子の顔を見て幸せになるたびに、あの3人の顔が脳裏にちらつくようになってしまった。そして心のバランスがとれなくなったの。……娘たちや夫には……本当に申し訳なかった……。私が人を呪うなどという……愚かな人間であったばっかりに……」
最後は涙声だった。
私は何と答えていいのか分からなかった。
一先ず私は、両親やアンリエッタから聞き及んでいた祖母の話が実際とは大きく異なることを理解しなければならなかった。
祖母は母や伯母のことを愛していた。
祖父と離縁したのは男児が生まれなかったせいではない。他人の幸せを奪ったことに対する罪悪感から精神的不安定に陥ったせいだった。
娘たちを避けてきたのもそういった理由からだった。
離縁後実家に帰らず一人細々と暮らすのも、おそらくは懺悔の気持ちがあったからだろう。一人黙々と罪と向き合って生きてきたのだ、この人は。
決して心無い人間だからではなかったのだ。
むしろ、自分を罰する良心を持ち合わせている人間だったということだ。
しかしそれを母や伯母は知らないし、今更二人がこれを聞いたとしても、幼いころに母や伯母の負った傷はきっと深いものだろうから祖母を許せるかどうかは別の話だろうと思った。夫であった祖父も、当時はきっと悩んだに違いないし。
私には言えることはほとんど何もないと思った。
私はただの疎遠な孫でしかないのだ。会ったことがなかったのだから、実質、他人とたいして変わらない。
私は下を向いた。
「えっと……おばあさま、あなたの仰った『悪い血の星巡り』については理解いたしました。責任をもって私が蝋燭を処分いたしますわ」
私は自分にできる精一杯のこととして、それだけは祖母に硬く約束した。
それから、私は密かに、この胸いっぱいに広がるモヤモヤを何とかできないかと思った。
『呪いで死産させた』など科学的根拠はないとはいえ、もし死産が確実に祖母のせいだというのなら、確かに祖母のしでかしたことは重大な犯罪になる。
それでも、祖母はあの時の一瞬の衝動を後悔し、忘れることなく真面目に生きていた。
祖母も家族も十分すぎるほどに苦しんだ。
少しは祖母の肩の荷を下ろしてやれないものだろうか。
ここまでお読みくださいましてどうもありがとうございます!
蝋燭を使っちゃいましたね……。人を呪ってはいけません……。
次話、腐った王宮を何とかしようと画策いたします。