第二話 呪いの蝋燭(ろうそく)
今の生活に不満はなく、ほとんど会ったことのない祖母に特別何の情も抱かなかった私は、面倒ごとが嫌だったので祖母には「会えない」と淡々と返事を書いた。
母も私の決断に特別文句を言うことなく、日々は平穏に過ぎていくかに思えた。
しかし、そんなにはうまくいかなかった。
祖母から再度連絡が来たからだ。
無視しても良かった。
しかしその手紙には「あなたが私のお願いを断るのならば、私は自分の娘を呼びつけなければならなくなる。私にあなたの母に頼めと言っているのかしら? 散々娘を無視した私に今更頭を下げるようなみっともない真似をさせる? 私はそれでもいいけどね、私に捨てられたあなたの母はどう思うかしら?」と半分脅しのような言葉が書いてあった。
私は卑怯な匂いを感じた。
どんなお願いか知らないが、自分で実の娘との縁を切っておきながら、用があったら自分の都合で呼びつけようとするなんて。娘たちがどんな思いだったか考えもせず。
私は祖母の言いぐさにたいそう腹が立った。
無視してしまえ。
無視したって絶対に大丈夫。私が無視してそれで祖母が母に連絡を取っても、母だって祖母のことは無視するはずだ。
だって実の親だからってそんな理不尽な頼み事なんて聞く必要ないでしょう? これまで無視されてきたのよ? 調子が良すぎる。
しかし、私は母の顔を思い浮かべて、自分の考えに自信が持てなくなってきた。
……もし母が祖母を見捨てられなかったら?
母が、理不尽と思いながらそれでも情に流されて、望まずも祖母に会うような事があったら?
それは母にとってとても気の毒な気がした。
実の娘よりは孫の私の方が、祖母への感情がほとんどない分マシだと思った。
だから私は祖母の要求に応えることにした。
私は祖母に「よろしいわ。お会いいたします。でもこれっきりにしてください。そして母に連絡を寄越すのは一切やめてくださいますよう」と返事した。
祖母からは「ありがたい。脅した価値がある」と返事が来た。
私はイラっときた。
「脅した価値がある」ですって!?
なんという開き直り。
私は祖母が本当に嫌いだと思った。
それでも私は、言われた期日きっかりに祖母に指定された家を訪れた。
決して大きくない郊外の家で私を出迎えたのは、よぼよぼの家政婦だった。
私はその家に家政婦がいることにほんの少しほっとした。
どんな野蛮な偏屈な独居老人が出迎えるかとハラハラしていたのだ。
家政婦がいるからには多少の礼儀的なものは持ち合わせているかもしれなかった。
「奥様がお待ちかねですよ」
口を開いた家政婦はたいへん穏やかな口ぶりだった。
それも少し意外だった。
この家政婦が偏屈なはずの老女と良好な関係を築いているかのように思えたからだ。偏屈な老女は多少は人間味があるのかもしれなかった。
そんな私の当てが外れたような気持ちを知ってか知らずか、家政婦はにこにこしながら私を主の元へ案内してくれた。
「来ましたか、ソフィア」
2階の日当たりのよい部屋で質素な、しかし造りの良い椅子に腰かけていたのは、整った顔立ちの清潔な老婦人だった。品の良い柔らかな笑顔を浮かべている。
私は祖母の佇まいが大きく予想と違っていたので言葉を失った。
どんな意地悪ばばあかと思っていたのだ。
「ご、ごきげんよう、おばあさま」
私は戸惑いながら挨拶をした。
祖母はにっこりと微笑むと、容易に立ち上がれないほど弱った自身の体を詫び、そうして私を向かいの椅子に座らせた。
それから無駄な腹の探り合いなど不要とばかりに
「お願いというのはね」
と単刀直入に用件を口にした。
私は聞き漏らすまいと息を呑んだ。
祖母はテーブルの上の豪華な箱を指し示した。
「これをね。私が死んだら私の棺に入れてほしいということなんですよ」
とゆっくりとはっきりと言った。
私は拍子抜けした。
「それだけですか?」
「ええ」
祖母は真面目な顔をした。
「でも決して間違いなく、私の棺に入れてもらいたいのです」
あまりにも念を押すので奇妙な気がした。
「なぜあの家政婦に頼まないのですか? 私よりよっぽど信頼があると思いますけど」
しかし祖母は悲しそうな顔をして首を振った。
「こればっかりはね。身内に頼まないと」
私は黙った。
身内以外に頼めない? 金目のものでも入っているのか? でも死んでまで金目のものに拘るだろうか。
祖母は私の怪訝そうな表情などお見通しのように笑った。
「お金なんかじゃありませんよ。それに財産と呼べそうなものはほとんどあの家政婦に譲るつもりですから」
ではその箱は何だというのか?
私は箱の中身について聞くべきかどうか迷った。
正直中身はどうでもよかったのだが、祖母がこうまでして『身内』に頼みたい理由は何なのだろうか。というより、もし棺に入れなかったらどうなるのか、そっちの方も気になった。
しかし、私から聞くのはなんだか祖母のペースに乗せられているようで少し悔しかった。
とはいえ、ここで今聞かなければ、祖母が死んでしまってからではもう一生理由を聞くことはない。
何やら祖母にとっての大事な用件に巻き込まれているのに、自分はその役目も何にも知らされずに言いなりになっているのは、それはそれでモヤモヤするのだった。
私の迷いを祖母は気づいたようだ。急に真面目な顔になった。
そうして無駄のない動作で優雅にすっと箱のふたを開けた。
中には、三挺の蝋燭が入っていた。箱の重厚さには似合わない、なんの変哲もない素朴な蝋燭だった。
私は戸惑った。
なぜこんな古ぼけた蝋燭を後生大事に棺に入れなければならないのか?
祖母は私の戸惑った表情をゆっくりと見て、それから覚悟を決めたように息を吐いた。
「絶対に誰にも言わないで頂戴。これは呪いの蝋燭なの」
呪い?
私は、急に話が陳腐になったので、むっとした。
そんな子供だましを聞かされて、少し祖母に興味を持ってしまった事を残念に思った。
しかし祖母はいたって真面目な顔をしていた。
「信じていませんね。ええ。信じないまま、棺に入れてほしいわ。でもよからぬ人の手に渡るとたいへんなことになるでしょうから、絶対に誰にも言わないでほしい。特に日々の生活を回すことで精いっぱいのあの家政婦とかには。どんな悪い考えが過るとも知れませんからね」
どうやら祖母は本気で『呪いの蝋燭』だと思っているようだった。
私は呆れていた。
しかし頭ごなしに祖母を否定するのも面倒だったので、半分は調子を合わせながら、
「そんな秘密とやらを……一番身近な家政婦には伝えず、私には言ってもよいというのはどんな理屈なのですか」
と冷静に聞いた。
祖母の目が一瞬光ったような気がした。
「棺に入れろという私の言いつけを守らず、あなたがこの蝋燭を使って不幸になるならば、それは私の悪い血の星巡りだとあきらめるしかないわ」
思いのほか強い口調だった。
私は祖母の考えを探るので精いっぱいだった。
祖母の『悪い血の星巡り』?
……とりあえず、祖母があの善良そうな家政婦を巻き込みたくないと思っているのは確かそうだった。そして私はただ血がつながる身内として何かの後始末をさせられようとしている。
何やら忠告はしてくれているが、もしこの件で私に何か不幸があっても仕方がないらしい。
……しかしいったい『悪い血』とは何なのか。祖母は私に何の責任を取らせようとしているのか。
私の疑問をよそに祖母は続けた。
「呪いたい人の名前を唱えながら火を灯します。でも決まりごとがあります。1挺に火を灯すだけではダメ。3挺同時に火を灯さなければだめ。それもね、3挺とも同じ人の名前ではダメ。1挺ずつそれぞれに一人ずつの名前を言うこと。つまり、この蝋燭で人を呪うには同時に3人を呪わなければだめなの」
どうやらこの蝋燭の使い方らしい。
私は急に話が具体的になったので困惑した。
もしかして呪いの蝋燭というのは本当なのだろうか。
祖母はゆっくりと頷いた。
「疑っていますね。本当かどうかは分からないわ。でもあなたが今から聞く話で、どうぞご自由に判断して頂戴」
ここまでお読みくださいまして、どうもありがとうございます!
次話、祖母の過去が明かされます……。