愛の巣をつつこうなどと! 新たな同居人!?
翌朝、私は体臭を嗅ぎながら姫様の朗読に夢中だ。
「こうして……オオカミは、りょうしにおいはらわれました」
「おぉ!」
「よめたー!」
「姫様、凄いです! 私は感激で涙が止まりません!!」
と、私は朝から涙を流し、姫様の朗読の前に跪いた。だって、可愛いんだもん。達成できた喜びの笑顔を私に向けて報告してくれるんだよ? たまらないじゃない。
「えへへ、いっぱい勉強したもん」
「左様ですね、私が仕事している間は部屋にこもって読んでましたし、努力の賜物です」
「これでお買い物とかできるかな?」
「それはお1人で?」
「うん!」
笑顔で大きく首を縦に振ったが、私は断固反対です! こんな可愛らしい姫様が1人で出歩くなどと……不適なやからもいるかも。
ん? それは私の事だと考えたのではと? と、枠の外へ視線を投げる。いやいや、私は誠実な想いで姫様を見守っているわけですから、そんな不埒で不健全な思考を――え? 持っていると?
――そんな時、ドアがコンコンとノックされる。
「誰で御座いましょうか?」
「おきゃくさん?」
「そんな姫様、ここには私と姫様だけしか居ないですよ」
はははー、と笑っていたものの内心は不届き者が来たかと警戒心を強め、ドアをガチャリと開ける。
そこに立っていたのは、冒険者組合のバッチを胸元に光らせる小柄な女性だった。なんの用なのかは知らないが、先日の依頼は報酬貰って終わったし……。
すると焦るような口調で小柄な女性は私に声をかける。
「あの! メイサ様!」
「何か用で御座いますか――?」
早朝からこられても迷惑な話だ。こちとら姫様の朗読会で忙しいのに。本当に何用だっての。そっけない態度の私にたじたじの組合員。
「先日はご苦労様でした」
「労いの挨拶? そりゃ感心なことで」
「あ、いえ、それだけではないのです」
「ふむ」
私って何かしたっけ? まさか死体の金品を回収しにきたのか!? いや、死体はデアボラが魔界に持って帰ったはず……証拠が残る事はない。ならば?
「組合での会議でメイサ様を上級者にと」
「ぐぇ!?」
おぉ、悪魔の神よ、この話が本当ならば私に何の罪があるというのです? などと心の中で祈るも、何かの処罰として受け入れる話ではない。んなこたぁわかってる。だが――。
「折角の話だけど、中級者で問題ないよ?」
「いえいえ、上級の任務をこなしたわけで御座いますから、当組合としては等級の格上げをと思いまして……」
「いらない、いらない。面倒な事が増えるだけだ。それに、あれは……まぁいい。でも格上げの話は受け付けないよ」
あっぶねぇ、危うく悪魔だとばらすところだった。ふぅー、ナイスワタシ。
「ですが……」
「ですがもくそもない、こっちは承諾しないのだから、用件が済んだら帰りな」
そう言うと、肩を落として、とぼとぼと廊下を歩いて行った。振り返り、寂しそうな目線をこっちに向けるが知らぬ。だが、必要のないことまでしても困る。中級者で問題なく食えてるのだからこのままで十分だ。すると私のお尻に抱きつく姫様。はわわ積極的。
「メイサ、どうかしたの?」
「いえいえ、なんでも御座いませんよ。姫様が心配するような事ではありません」
ニコリと姫様に微笑み、心配した様子の顔つきが笑顔にゆっくりと変わる。私を想ってくれて心配してくださるとは、ん――、かしこみかしこみ……え? 違う?
「ならよかった!」
「朗読会も終わって、朝食も済ませましたし……服でもみませんか?」
「おお、服! みたい!!」
私と姫様は宿屋を飛び出し、商業区へと足を運んだ。日用品から雑貨の類、食料品まで販売しているこの商業区は、他の区画と比べても賑やかさは街一番だろう。
姫様は余程に嬉しいのかクルクルと回りながら笑顔ではしゃいでいた。手持ちはオーケーだ! どんな服がいいかなぁ――。
すると、姫様は急に足を止め、しゃがみこんでいた。不思議に思い姫様に近付くと、そこにはローブに包まった何かが居た。
居たというべきよりも、あった? 気付くと回りの行き交う人間は奇異の目でそのローブの塊に目線を向け、無視を決め込み避けるように歩く。うむ、この反応。まさかとは思うが……。
「メイサ、ここの人がお腹が空いたって」
やはり物乞いか……面倒なものを見つけられてしまった。さて、選択は2択だ。物乞いに食料をあげるか否かだが、姫様の手前で無視しておくのは気分のいいものではない。
私は屋台で鳥の串焼きを3本注文すると、屋台の店主は粋のいい声で応えてくれる。そして受け取った串焼きを、しゃがんでいる姫様に近付けると、姫様は3本の串を全て手に取る。
「おなかがすいてるの? これ食べる?」
「あ……そ、それは……」
姫様の差し出す串焼きに、物乞いは虫の息で応えようと頑張って起き上がる。やれやれ、面倒ごとになりそうな予感はするが……。
「食べて、元気になるよ!」
「あり……がと……う」
ぎこちない様子で、串焼きを受け取ると、急に元気を取り戻したのか、串を3本くわえて、直立した。さぁさぁ、これで終わり終わり……ではなかった。
現れたのは猫の耳に長い尻尾。白と黄色の織り交ざった体色。これはまさか……。
「ご主人様と呼んでいいかにゃ?」
「え、えっと……うん!」
「ありがとにゃ――! ご主人様は命の恩人なのにゃ!!」
ふむ、語尾に『にゃ』とつける典型的な喋り方は……妖怪に部類されるシャムシェかな? ってそれはいい『ご主人様』とはなんぞや?
「お礼ならメイサに言って」
「おお、そうにゃ、そこの人が一緒にたすけ……げっ!」
「公然の場で言うなよ?」
シャムシェも気付いた。私が悪魔だということに。一歩引き下がる様子ではあったが、これについては仕方がない。さて、今は買い物をあきらめ、拾った猫の介抱でもと屋台でありったけの食料を買い、宿屋へ戻る。そうしないと姫様が不機嫌になりそうだからだ。
はぁ、とため息をつきながら、目の前で食べ物の山にかぶりつくシャムシェ。両手には抱え切れないほどの肉や魚となんでもござれ。無作法にガッツく姿は獣だ。ため息の理由は、姫様はシャムシェを気に入り、宿屋の部屋に招きいれ現在に至るという環境だからだ。
「おいしい?」
「ハグッフグ、ぱぁ! うまいにゃ!」
姫様のお優しいところは私は好きだが、素性も分からないシャムシェを連れて来ることもないのに。姫様にはこの私がいるでは御座いませんか!? 仲良さげにして、ううう、私の嫉妬は燃え上がりますよ?
「ねこさんはどこから来たの?」
食べるのに夢中なシャムシェは我に返ったのか食べる手を止める。
「ねこさんではないにゃ、シルル・マカリという名前で集落から抜け出してきたのにゃ」
「ふむ、複雑な理由がありそうな気もしますが?」
冷静に考えろ、確か『シャムシェ』という化け猫の猫族は人間と距離をとって生活をしているはず。そのシャムシェが集落を離れて人里に降りて来るとは……追放でもされたのだろうか?
「あなた――」
「あなたじゃないにゃ、シルルにゃ」
くっ、このクソ猫……。笑顔の中にぴくぴくと痙攣しヒクつく口元。姫様のおかげで食い物にありつけているのに。なぁんという態度でございましょう。
「シルルでいいのかしら? あなたはどうして人里に降りてきたの? シャムシェは物静かに暮らしている化け者種でしょ?」
「む――、それは話すと長いにゃ……それはウチが外の世界が見たかったから抜け出してきたにゃ」
「……」
みじけぇじゃねぇか!! 期待してたよ! 村八分にされたとか、親が死んで旅立つ決意をしたとかさぁ! もうちょっとひねりがあるだろが――!!
「大変だったね」
「そうにゃ、大変だったにゃ」
違うよ、そういうのほほんと意思の疎通をしないで! 姫様は何も分かってない様子。ばか猫は――ばか猫か。
「とにかく、ご飯を食べたら集落に戻りなさい!」
「それはお断りにゃ、もうこの子はウチのご主人にゃ。それにそういう契約がされたにゃ」
姫様に対し、指をさす猫に、私の怒りは収まらない。眉間にしわを寄せ、無言で姫差を指さす手を払いのける。
「なんにゃ?」
「気安く指をさすのではないわよ! このお方を誰だと思っているの? 魔物王、魔王様のご息女であらせられるシャレル様よ!!」
「お前は、あの魔王の娘なのかにゃ?」
「う、うん」
グギギと奥歯を強くかみ締める。姫様になんと無礼な口の訊き様、この猫あとでもう一度捨て来るか?
「でも、魔物は滅んだにゃ」
それ禁句――!! だが、私の心配をよそに姫様ははにかむ笑顔でニコリと笑って答える。
「滅んじゃったけど、今はメイサがいるから寂しくないよ」
オー、イエス! 鼻血もののご回答あざっす! 私の心の奥底では、姫様のお言葉に反応し心は踊り、今は華やぐ舞踏会……じゃなくて――!!
「お前は魔物にしては気配が薄いにゃ」
シルルは指先をペロペロと舐め、素っ気無い疑問を姫様に投げかけると、姫様はうまく説明できないのか口をきゅっと閉める。
「それは私から説明するわ。姫様は人間との混血児なのよ。だから魔物の命の源といわれる『魔水晶』が壊されても生きていられるの、人間としてね」
「お前は人間に近いのか、通りで匂いが薄いと思ったにゃ、微かには感じるけども、目立つほどじゃないにゃ」
ぐぬぅ、さっきから姫様を『お前お前』と言ってからに――!!
「いい、ばか猫。『お前』ではないのよ! シャレル様というちゃんとしたお名前があるのよ! 覚えておきなさい!!」
「ばか猫じゃないにゃ、でもわかったにゃ。今度からそう呼ぶにゃ、よろしくにゃシャレル」
「うん、よろしく」
なんとか一件落着? ん? 今度からってどういう意味だ? そういえば、ちょっと前に戻るが『契約』とこの猫は言っていた……まさかっ!?
「ちょっと聞きたいのだけど今度からってなに?」
「んにゃ? だからシャレルとは主従関係にあるのにゃ、証拠はほらこれにゃ」
「え?」
シルルが差し出した右の手のひらには煌々と輝く『シャレル』という人語が書かれていた。確かに、うん……うぅん!?
「いにゃー、魔物の使う字じゃ効果がにゃいからシャレルが人語を書けてよかったにゃ」
「それって……」
「ウチもシャレルの傍に居るにゃ」
何食わぬ顔で宣言する様子に私の怒りは限界突破――!! てめぇに明日を生きる資格はねぇ! ってか裏目に出ちゃったよ――!!
「まてまてまて! そんな契約は無効だ!」
「無理にゃ、一度契約したら、主人が死ぬまでは継続される契約にゃ」
「うぐ、ぬぅ……」
なまじ契約という縛りに厳しい悪魔族の出身。契約が完了してしまえば何も言えないし、効果を打ち消す方法はシルルの言う『主人が死んだ時』だ。いやいや、姫様をお守りする身の私が姫様を手にかけろというのか? それはできない……悔しいが、私の負けだ。
「シャレル、これからはご主人と呼ぶにゃ」
「姫様はよろしいのですか!?」
「わたしは楽しくなるから別に……」
「ぬぅ……」
すると姫様は、上目遣いで『駄目?』という仕草をする。私の心はズキューンと打ち抜かれる。く……胸に矢を受けてしまってな。
「仕方ない……私の負けです。私はメイサ、姫様をお守りする侍女と思ってもらえればいいです。ところでシルルは戦えるの?」
「わかったにゃ、ウチの民族は狩りもするから戦闘系にゃ、格闘は得意にゃ」
「わかったわ、では明日は装備の買出しと……姫様の服も買いに行きましょう」
「わーい! よかったねシルル」
「ご主人のおかげだにゃ」
「私は少し用事があるので失礼します」
喜ぶ二人を他所に、私は影をしょったまま部屋を出て、宿屋の店主のおやじさんに3人部屋を用意してくれることを頼みに行った。