昼食に参りましょう う、それは……
太陽が少し傾きかけた頃、それは午後が来ていたことを告げる。さすがの私もお腹がなってしまい、お腹の虫の機嫌をとるように胃袋あたりをさする。
姫様が、まさか私の帰りを待ち、昼食をとっていない事に、私は嬉しさと少々の罪悪感を胸の内に抱える。
姫様の華奢な手をつなぎ、私は宿屋を出て、この街で滞在している頃からお世話になっている食堂へとむかった。
少しだが距離がある食堂なのだが、それには理由が存在した。
といってもそこまで深刻な理由ではない。単純に人間との生活習慣に違いがあったためだ。それは、人間は一日に朝と夜にしかご飯を食べないということだったからだ。そのためか、多くの食堂は昼間に営業をしない。私の記憶だと昔は人間は朝と昼と晩の3食を摂っていた気がするのですが……それでも情報源は街の守衛。前の農村では3食でていたのですけど。ふむ、場所によって異なるということか。
魔物は違った。魔物の食生活は固体によって異なり、3食の者もいれば、6食という者までいる。この習慣や場所によっての違いに、最初は戸惑ったが、『これが人間の中で生活する事なのだ』と自分に言い聞かせる。人間の住む街で生活をしなければならないのは複雑な心境ではあるが、今は帰る場所はない。
ところで、こんな私と一緒に食事をすることを姫様は嬉しいのだろうかと考えるが、強くにぎる手とにこやかな笑顔で一緒に歩く様子は、いささか考えすぎなのかもしれないと思う。
「ひめ……外ではシャレルさまで御座いましたね」
「どっちでも気にしないよ?」
いやいや、迂闊に『姫』と公言していれば、怪しまれてしまう……でも、宿屋で叫んでましたもんね。たっは――。
考え事をしながら歩いていると、顔なじみの食堂にいつの間にか到着していた。
街の賑わう中央からそれたところにポツンと建っている2階建ての民家を改装した少々の年期がが入った食堂。二階は店主の住まいだろう。
店内に入ると、ガラリと閑古鳥も鳴くことを避けて気を使うほどに客がない、というよりは貸しきり状態だ。まぁ、姫様とゆっくり食事が出来るのは幸いというか至福の時間とも言える。他に客がいたら幸せな気分も失せる。
いつものようにと慣れた様子で私と姫様はカウンターに近い席に座る。そこへ「いらっしゃいませ」と元気よい声でエプロン姿の給仕さんが注文を聞きに着てくれる。
まっ、この時間に来る客なんて、この2人しかいないですもんね。毎度のことながら感謝はしてます。でも、店の売上に貢献しているのだから……とはいっても赤字ではないかと心配をしてしまう。
「シャレルちゃんは今日はなにがいいのかな?」
『シャレルちゃん』だとぉ!? 毎度のこととはいえ、気軽に姫様を『ちゃん』付けで呼ばないでもらいたい。
「えっとね、赤いちゅるちゅるがいい!」
「あぁ、パスタね、メイサさんは?」
「私はブレッドと紅茶でお願いしたい」
「はぁーい、少々お待ちくださいませ」
給仕は注文を受け取ると、厨房へと姿を隠す。邪魔者には早々に立ち去っていただきたい。注文をした姫様は、待ち遠しいのかユラッユラッと身体を左右に傾かせる。機嫌はいいようだ。
ところで、姫様の言う『ちゅるちゅる』とは先ほどの給仕も言っていたように『パスタ』という小麦を薄く延ばしてミミズよりも細い不思議な食べ物だ。
姫様のお気に入りなのだが……私は見た目で食欲がなくなってしまった。まぁ、過去の忌まわしい記憶とでも言おうか、ミミズを思い浮かべてしまうので遠慮したい。それに赤いパスタは見た目も色もヤツと酷似するではないか!? いかん、ここは落ち着かねば。
「メイサ、メイサ」
「どうかされましたか?」
「今日はどんなお仕事をしてきたの?」
ふふんと鼻を鳴らし、息をまいて「害獣の大型イノシシの討伐任務です」と話す。
「がいじゅう?」
「左様で御座います。シャレル様より10倍以上に大きいイノシシです」
ちょっと大げさに言ってみたり。すると姫様は目を丸くして、私の話に興味津々だ。
「ほわー、メイサは凄いね!」
よせやい、照れるじゃないか……と私は格好よく首を横に振り決め顔をしてみせた。
が――、決め顔は無視され、姫様は「このくらい?」と両手を大きく広げて、大きさを確認する。うぅーん、塩対応ありがとうございます! いえ、決して虐められるのが好きというわけではありませんよ?
「もうちょっと大きいです」
「もっと大きいの?」
目を輝かせ、私を直視する目線……たっはぁ――。もうかわいいの一言では言い表せない、お持ち帰りしたい、いや、真剣にって……一緒に寝てるんですけどね。
――あ、鼻血垂れそう。
そんな話をしていると、給仕は私たちが頼んだものをテーブルに運んできてくれた。笑顔をたやさない接客の姿勢は好感触だが、私には姫様がいる!
「わぁ、ちゅるちゅる!」
「熱いから気をつけてね」
私の前には、湯気の立つ紅茶と、今朝方に焼いたのであろう、少し硬くなったブレッドが置かれる。わぁーミミズだぁ。などと口が裂けても言い出すことはできない。
「どうぞ、ごゆっくり」
「あぁ、ありがとう。シャレル様、お、美味しそうでございますね
「えへへ、うん!」
姫様はいまだ慣れない手つきでフォークにミミズを絡ませる、いや比喩としては最悪なのだが、それ以外の言葉が見つからない。食事中に口にするのも恐れおおい。
「はふ、はふ……おいし――!」
「では、私も」
ここは姫様の手前、淑女のような振る舞いが必要だろう。姫様を先にお食事いただき、私は二の次といったところ。
「シャレル様、お味はいかがで御座いましょう?」
「うん、おいしいよ」
すると姫様はクルクルとフォークを回転させて、ひと巻きすると私の目の前に差し出した。『えっ?』と思う瞬間。
「メイサにもあげる」
ニコリと微笑む仕草は天使、だが差し出されたパスタは私にとっては異物の塊……ミミズ……いやいや、姫様が私に分けて下さるご好意を蔑ろというのか!? くぅ……そんな酷な真似はできない。そして、姫様の輝く視線が眩しい。
私は目の前の天使が差し出すフォークを前に生唾をのむ。
「メイサは嫌いなの?」
悩む私の目の前で、姫様は憂いた表情をみせる。これではだめだ! と思った私は開眼した様に目を見開いた。
姫様が悲しそうにしておられる……心の中で食べるか、断るかの葛藤ものの数秒で終わる。姫様が差し出されるモノを食べぬ奴は処刑台に立って断罪の時を待てばいい。それが私の答えだぁぁぁ!
「いただきまーす!!」
「どうかな? おいしい?」
「見た目は慣れませんが、おいしいものですね」
「えへへ」
無理して食べた甲斐があったってもんだ! こんな微笑がご褒美ならば、どんな泥水でも舐めきろう! うむ、今日も姫様は太陽みたく眩しい、心の天使……魔族ということを除いては天使。そこ大事。
すると、私の紅茶にはいつの間にか赤く染まっていた。様子の変わった私の風貌に姫様はそれとなく気付いた。
「メイサ、鼻から赤いのがででるよ?」
「ジャムです」
「ジャムって鼻から出るの?」
「悪魔種は特殊でありますから、ははは」
嘘です! 不覚にも鼻血を垂らしているとは……おのれ、脆弱な神経め、私と姫様の一時を邪魔するつもりか!?
その後、私は鼻から垂れる血をブレッドに塗りたくり、笑顔で食べる。
だが、血の味しかしなかった。自分の体から出た血を戻す行為。
私の出血に気付いたのは給仕さんでした。すみませんお気遣いなくと喋ろうとしたが、給仕は急いで私に布を手渡す。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、いきなりどうされたのかと心配しましたが……あの、体調でも悪いのですか?」
「あ、いや……アノ日といいますか……」
「あぁ、それはそれは。お大事になさってください」
まぁ、それもあるけど、姫様に対しての興奮が極限まで達していたとは言えない。変態扱いされては困るからな! ビシィ! っと決めるぜ?
「メイサ、『アノ日』ってなに?」
「え、あ――。何と言いますか、女の子の日で御座いますね」
こんな説明でいいのかな?
「あ、誕生日!」
「ちょっと違います。いずれはシャレル様にも分かる日が来ると思いますよ」
「ちょっとだけワクワクするね」
うん、なんだか勘違いしているけども、まぁ、それでよしとするならば……うーん、この辺の教育はいい加減だったからなぁ。ちょっと間違えたか。