戦争後の影響
日ラ戦争の終結は新しい体制の誕生でもあった。日本の国威増大と反比例するラシアの国際的地位の暴落。それが国際社会へと影響を与えていく事になった。
————日本————
日本国連邦建国以来最大の脅威を乗り切った日本国は得た物は無いが失ったものもあまりなかった。だが、国威増大につながった。
だがこの戦争で問題視されたのは日本連邦が防衛する規模に対する自衛隊の規模の少なさであった。今回も連邦軍の領域に対する規模が少なかったことに付け込まれた形で戦争へともつれこまされたのだ。さらに州軍の戦車等の機甲の不足も深刻だった。これは朝鮮州軍の機甲戦力が皆無で戦果の拡大にてこずった事も要因の一つだった。
如何に現行の装備が優れていても、その数が余りにも劣ってしまっていては問題である事が認識された。自衛官への成り手は、タイムスリップによって発生した経済的な混乱の余波として志願者が増加傾向であったのが救いではあった。
連邦軍に関しては世界的に見れば志願制の軍であった。
ここで、日本は州軍の機甲戦力の強化のためにとある戦車の再生産を決意する。
74式戦車である。なぜ74式戦車を再度踏み切った理由としては、整備保守が比較的楽で大陸で行動することもあり得る朝鮮州軍の事もあって以下の条件が挙げられた。
・空冷ディーゼルエンジンである事
・周辺の国家の機甲戦力を凌駕する事
・10式もしくは16式の主砲と互換がある事
・ライフサイクルコスト(維持費)が安価
・できるだけ設計コストを安価に
・安価の砲弾をも使用できること
・エアコンが付いている事
以上の無茶ぶりをすべて答える事ができたのが過去に生産していた74式戦車であった。そして、一部の装備を外したりつけられたりしたりして生産ラインを復活させて量産を開始した。
74式再生産型(これ以降26式戦車として採用されたため26式戦車と呼称する)は74式とは以下の装備差がある
・油気圧サスペンションなし
・エアコン取付
・主砲は16式の主砲と同じ105㎜52口径ライフル砲とする
・アクティブ近赤外線式暗視装置はオプションとする(導入すると高額になるが戦力が増大する効果が得られる)
・アナログ式弾道計算機をデジタル式弾道計算機(データリンク可能)とした
である。
最初期の26式は74式の簡易型というべきもので、74式より低めの値段である1両あたり2億円という生産コストであったがさらに量産効果により1.5億円程度に抑えることが可能となった。
ちなみに、州軍向けに開発していた時点で『このような戦車を州軍向けにを開発中です』と堂々とマスコミに宣伝を行っていた。もともと74式であるため実質上の74式劣化版であったから容易に性能はバレるが、どうあっても周囲の機甲戦力には圧倒できるほか、他の国に漏らすことで抑止力の一端として機能することを期待しても居た。
そのため、海外のマスコミの取材についても応じた。
その結果、フランシェが100両の売却要請をぶん投げてきたのだ。日本政府は困った。そして大英帝国もフランシェに負けじと200両の購入要請を日本に送るのだった。
困った日本政府は、州軍向けに製造しているため輸出はまだ先であると回答、日本の伝統的なお家芸を行った。それで一度引き下がってもらった日本は、次の問題に取り組み始めた。
それが、海上自衛隊の護衛艦不足と航空部隊の対地支援の限界だった。
護衛艦艇が大規模な上陸部隊をそれなりに撃滅できたのは良かったが、弾丸を打ち尽くし補給に戻らざるを得なかった状況が発生した。また、戦線となりかねない場所の警備に海上保安庁の船が警備に当たるのは海上保安庁に大きな危険が伴う。また、対航空兵対策で防空リソースが割かれ気味になったことで対地支援が十分に行えなかったことも重要視された。そこで、州軍に州海軍と州空軍を設立させ、ある程度の海と航空の防備を固めてもらうという方針とした。
だが、州海軍に護衛艦をそのまま渡すのはお金がかかるし州にとっても思い維持費がかかる物であると予測するため、基本的にローコストでかつ周囲の技術水準をそれなりに超える物として登場したのが26FFMである。
26FFMの大まかな性能は以下のとおりである。
同型艦:ファーストシップ-しらさぎ
同型艦40隻以上(増える可能性あり)
排水量:1500トン
最大速力(推定)30ノット、推進2軸(最大巡航速度30ノット、緊急速力33ノット)
機関:ディーゼルエンジン×3基によるディーゼル推進
電源:ディーゼルエンジンより供給
兵装:62口径76.2mm単装速射砲1基
20mmファランクス1基
324mm3連装魚雷発射管2基
機雷戦装備
C4I:リンク対応戦術情報処理装置
レーダー:OPY-6D(日本製多機能レーダー)
ソナー:対機雷戦用ソナー
水上艦、潜水艦用バウソナー
装甲: 同時期の駆逐艦とほぼ同程度(皆無)
イメージで言うならばはやぶさミサイル艇を拡大した代物だが燃料を大量に消費するガスタービンエンジンではなく経済的なディーゼルエンジンを3機搭載する。また、対処目標が大量の上陸船団もしくは護衛駆逐艦程度であるため比較的小口径の3Inch単装速射砲にFCSが有れば常に有利な戦闘が行えると考えられたからである。
また電子戦装置も簡略化され、船体が大きくなったことでできたスペースに短魚雷発射管を追加した。
目標は海上自衛隊の監視網を抜けようとする潜水艦への対処である。
次に航空関係である。一番今回の戦力増備においては頭がぶっ飛んだ内容となっているが、この世界においては今最も最大の効果を見込める物だった。
それの内容はP-3Cを改修し使用する事とされた。また仮想敵としては、ある程度低空より侵入してくるであろう航空兵への対処もしくは迎撃のため飛び上がった戦闘機の限定的対処、そして大量の爆弾を搭載し多くの地上目標を撃破する事を目標としている。
割り当てられる任務としては長時間の哨戒、戦術・戦略偵察、対地上掃討(絨毯爆撃)、自力で対空目標に対して自衛できる空対空対処能力であった。
そうして行われた飛行可能で寿命がさらに延長されたP-3Cの改修が始まった。
改修内容は以下の通りである。
・27式空対空誘導弾通称AAM-7(81式短距離地対空誘導弾を航空機発射型に改修したもの。誘導方式はSARH)を搭載するようにパイロンを改修
・半数の機体において対潜哨戒レーダーから主に戦闘機に使用されるJ/APG-3Gフェーズドアレイレーダーに換装
・パイロンを多種多様な爆弾を搭載できるよう改修
・稼働可能機全機に機首付近に偵察ポッド、両主翼端付近にECMポッドを追加(ECM装置はこれで3基となる)
・稼働可能機全てにレーザー目標指示装置を設置
改修内容は以上のように多岐にわたった。これにてP-3Cを予定で1936年まで運用するとされた。なおAAM-7は事実上魔改造P-3Cの専用装備である。
AAM-7は航空兵もしくは低速飛行目標対処用の比較的安価な空対空ミサイルとして開発された。赤外線空対空ミサイルが低温熱源である航空兵や世界のほとんどを占めるレシプロ航空機に的確に命中するか不安視された。そのためレーダー誘導で且つ世界の航空機は日本からすれば安価にもほどがある為、ミサイル一発ができるだけ安価であることが求められた。性能は以下の通りとなる。
27式空対空誘導弾
通称:AAM-7
全長:2.85 m
直径:0.16 m
重量:105 kg
弾頭重量:9 kg
最大飛翔速度:マッハ2.4
最大有効射程:15㎞
ロケット・モーター燃焼時間:約5.5秒
誘導方式;セミアクティブレーダーホーミング(SARH)
運用はどちらかと言うと戦術爆撃機に近い魔改造P-3Cだが、この改修で型番が変化した。
P-3C→P/B-3C
と変化した。だが、この兵器の性格は哨戒機や戦術爆撃機に近しいものであり、例えるならB-25とP-3Cを足して2で割ったようなものである。
運用は基本的に対潜哨戒もしくは偵察・爆撃であり一個小隊のうち全機は爆装などを行い、そのうちの一機が護身用に空対空ミサイルを6発懸架する。対空ミサイルはAAM-7を6発搭載するが、その分爆走量は減ることになる。爆走量は翼下に3.2tの爆弾を積載可能である。
運用機関は航空自衛隊が28機、12機が海上自衛隊、台湾州軍が12機、樺太千島州軍が12機、朝鮮州が8機、南洋諸島州にて書面上は航空自衛隊所属とされる4機が配備され、合計76機で運用される。
また、P/B-3Cをきっかけに設立された各州空軍が要望として軽量低速安定性に比較的優れる練習機が欲しいとの要望を出した。また、とある州軍では軽量で安価な使い勝手が良い戦闘機が欲しいという要望を発した。
それに答えたのは防衛省の内庁である防衛装備庁だった。防衛省では現在各国の兵器売却要請に困った日本政府の意向で世界の技術開発を異様に刺激しないであるながら世界的に見れば高性能にまとまった輸出用兵器を開発せよと尻を叩かれていた。
防衛省は、今現在各国の兵器輸出要請に対応するため軽量低速な戦闘・練習機を兼ねる機体を開発中であるということを回答した。すなわちこれは、輸出用の機体だがそれでも良いか?という問いかけでもあった。
それにないよりはましであるという考えで各州は承諾。
翌年に設計修了・初飛行を済ませ量産体制に入った機体は、日本国連邦内でも大きく取り上げられさらに各国マスコミの取材に応じたことから軍関係者から多くの注目を浴びた機体は……
T/F-6
である。性能は以下のものとなる。
T/F-6
発動機:IHRR-S8 水平対向6気筒550馬力エンジン(無加給)
乗員: 二名もしくは一名
最高速度:387km/h
巡航速度:325km/h
航続距離:500㎞
搭載可能武装:20㎜単砲身機関砲2丁(州軍向け)
12.7mm機関銃4丁(州軍もしくは輸出用)
7mm級機関銃6丁(輸出用)
なし(練習機)
爆弾各種(200㎏まで)
全金属製で作られた機体はほぼすべての戦闘機を超越した代物だった。
———アメリア———
日本がラシアに勝利したことでラシアの圧力が消えた満州で経済活動を活発化させた。食料に関しては、品質が良く適正価格であるならば日本はほぼほぼ無限に買い取っていく為、どれ程生産しても問題が無かった。日本はうまいもの好きな国で、食べることすら命を懸け始める。そんな国が食料を買うのにためらうことなどあるだろうか。
そんな事より満州は溢れたアメリアの金の投資先として活性化していく事となる。また、観戦武官が報告した優秀な日本製のトラックや耕作機械が急激に注目され販売されはじめた。
アメリアと日本の(経済力)の差は貨幣のレートで対応してはいるが、それでも限界があった。
日本製の耕作機械は高額であったが、頑張って背伸びすれば買えなくはないような値段だった。同時にその能力もアメリカ製の工作機械やトラック等とは段違いであった為、満州に入植したアメリカ人にとって日本製の耕作機械を買う事は、1つのステータスシンボルとなっていった。
農業のみならず、土木作業などの現場でも日本製のものがその性能もさる事ながら故障が異様に低いことから人気を博す。
それにより日本の中古市場で稼働するトラックや土木工事の作業機を片っ端から買いあさり満州に売るビジネスがはやるが、基本的に有利だったのは日本資本の企業だったりする。
満州への中古の流入で、新車がどうしても買えないものに中古の物を買うという選択肢が増えたという事は満州に入植したアメリア人も歓迎すべきことだったが、同時に頭を悩ませても居た。
新車であっても中古であっても日本製は高く売れる傾向にある為盗難が多発するのだ。そこでちょっとした悩みの種になっていくのだが。
だが、日本製作業機械の流入などもあって満州の開拓の急速な発展が発生した。そこで満州に油田が見つかったのだ。
唖然とするアメリア政府だが、これもチャンスだととらえる。石油を満州に持ってくるには、日本から石油を買うか本国から持ってくるかのどちらかだが、日本に関しては利益率が上乗せされるが輸送代は安く済む。本国から持ってくると輸送代も高くつく。
そのため主流は日本から買い付けるか本国から持ってくるかが7:3の割合で石油を持って来ていた。日本企業が上乗せする利益率よりも本国から持ってくる方が高くつくためである。それが、満州の発展の妨げの要因になっていたのだ。
だが、それらの必要が薄くなるという事である。これを機にアメリアはアジアの大陸という土地にどっぷりと嵌ってゆく。
———北京王国———
アメリアが行っていた満州の利権に目の色を変えた。特に、輸送機械の主力燃料になっていて軍需物資でもある石油があったのも大きかった。
大陸に位置する大きいだけの王国はアメリアに返還要請を強めていく
――フランシェ――
観戦武官からの報告書を元に、対ドイッチュランド戦を前提とした戦備の構築に努めていく事となる。重視したのは機動戦であり、同時に野砲であった。大火力をもって数に劣勢だった戦線を保っていた日本連邦軍の戦闘レポートから結論付けられたことであった。
事前砲撃の重要性を再確認した。上空の航空優勢を奪取し、一方的に爆弾を降らせることがどのように戦闘を有利に運べるかを目にした。だが、世界大戦の被害から完全に復活した訳では無いフランシェとしては、出来る事はそう多くは無かったのである。
それ故にフランシェは先制攻撃は基本的に戦闘を有利に運びやすいことから、ドイッチュランドが軍備を再建しようとした時に先制攻撃する事こそが肝要であると判断していた。先制攻撃でルール工業地帯などを占領する事で、ドイツの戦争遂行能力を破壊するのだ。
その為に必要なモノは機械的信頼性の高い戦車、歩兵装甲車両群、機械化された砲兵、兵站、優秀な航空機等様々なものを揃える必要性があった事は分かっていた事だった。
とは言え、全てを更新するだけの経済力はフランスには無い。逆に装備更新を涼しい顔で行えるのはアジアのヤバい国家こと日本とチート国家アメリア、日の沈まぬメシマズ帝国こと大英帝国くらいだろう。だがそれ故に、フランスは戦車と装甲車両に注力し、砲兵は代替を航空機に行わせる事で対処させる事を考えていた。
そんな時、日本が輸出向けとして大々的に戦闘機を開発中であるとの情報をえて飛びついたのだ。ある程度の値段は張るが、優秀な火力と高速性能に目を引かれたのである。
ここでフランシェは日本に申し入れを行い、州軍向けの生産が落ち着き次第フランシェ向けの生産をするよう申し入れたのだ。
———大英帝国———
一番観戦武官が持ち帰った情報で異彩を放っていたのは大英帝国であろう。観戦武官は確かに日本国連邦軍の武器、性能、戦術をわずかな間ながらも収集しレポートにまとめあげたのだが、多くの人数を送ったことで多種多様な情報を手に入れることができた。
例えば、国力増勢につながる経済理論の要約(マクロ経済学)やこれからの大英帝国がたどる可能性のあるイギリスと言う国家の日本が保有していた歴史であったり多種多様多岐に及んだのだ。
特に大英帝国がたどる可能性のあるイギリスと言う国家の歴史に一番怯えた。植民地の次々の独立によって凋落する大英帝国は想像もしたくなかった。だが、そこで直視せずそっぽを向くといった事はしなかったのだ。
大英帝国はここでなり振るわぬ国力増勢に取り掛かる。日本の利益にもなるからとインフラの投資の享受を受けていた大英帝国だが、工業の近代化を推進し近代化についていけるよう教育制度の抜本的見直しが行われた。
そんな時、海を隔ててフランシェが日本製戦闘機を買うという事を聞きつけた大英帝国は、対抗心を燃やし日本政府にフランシェと同程度の機数の輸入を決意した。
————ポーランド王国————
ポーランドは東欧でWWⅡで瞬殺された国家である。だが、その国家が消えたという歴史をポーランド政府は知ってしまったのだ。国力が無いため観戦武官を二人だけしか送れなかったポーランドだが、片方の観戦武官がポーランドの歴史を持って帰ってきたからである。資料として彼が持って帰ってきたのは日本の世界史の教科書であったが、逆に言えば事実を書いていた。
さらに裏付けをとる為彼は独自で在日波外交官の接触に成功し、ポーランドの歴史書の写しを持ってきたのだ。
総合的に考えて事実らしい事を確認したポーランド政府はドイッチュランドを潰すことを考えた。ポーランドを亡国とさせる訳にはいかないのだ。最後の砦である守護獣も強さは基本的に国力によって変化する。守護獣同士の戦いになったとき、勝つのは国力が高い方が勝つのだ。
ポーランドはラシアの国威減少による背面の圧力の減少に伴いドイッチュランドにフランシェと連携して圧迫していく。
———ドイッチュランド———
フランスとポーランドによる挟撃と、経済の混迷が国家社会主義政党に結果的に力を与える事となる。さらに経済的活動を活性化させる為、ラシアとの経済関係を深めていく事となる。ラシアがやはり共産主義に染まっていなかったのも大きいかもしれない。
とりあえずドイッチュランドとラシアは第2次ラパッロ条約として纏まり、ドイッチュランドはラシアの国力拡張に関わる5ヵ年計画に関与していく事となる。
———日本———
ドイッチュランドとラシアの接近にいち早く気づいたのは日本だった。日本政府は国家の永劫的仮想敵国として既に中国(北京王国)とラシアと定め、耳目を集中して傾けていたからである。そこでドイッチュランドの技術力とラシアの数が合わさると厄介なことになりかねないと考えた日本は、戦線の分担を敵に強いらせるためにフランシェ王国連邦と大英帝国、そしてポーランド王国に目を向けていくことになる。
その一環が防衛兵器の輸出だった。T/F-6の売却要請に州軍の生産がひと段落を終えたところで輸出を本格化させるのだった。