日本の宇宙開発と対ラシア戦
宇宙開発編書きたくなったので書いた。後悔はしていない
さて、2027年に過去と似たような道筋をたどった異世界へと吹っ飛んだ日本。経済と第1次もしくは第2次産業が吹っ飛んだ日本だが、多角的な工場配置などである程度は保険がきいた形となっていた日本の産業界隈。だが唯一とも言っていいほど壊滅した産業が有る。
日本の宇宙技術開発産業である。日本が保有していた衛星全てを失ってしまったのだ。通信衛星、軍事偵察衛星、情報中継衛星、測位衛星、そして運用していた小惑星探査機や宇宙実証機、天気や地上観測を行う観測衛星などすべてである。
衛星を失って一番焦ったのは防衛省だった。JADGEシステムがかろうじて生きていたが、データリンクはそもそも測位衛星の情報をも視野に入れてあるし、何より通信衛星でデータリンクを行っていたりする。
この時日本の防衛力は最も低くなっていた時期と言えるだろう。そんな事実を知った防衛省の制服組はどうにかしてくれと本庁の背広組に苦言を呈し、それはどうしようもできないと突っぱねながらも文科省、経産省、総務省と内閣府の外局であるJAXAに“どうにかしてくれ”と要望をぶち込んだほどだった。
だが、JAXAにも言い分があった。今までの努力を吹き飛ばされてキレればいいのか怒ればいいのか分からない時にそんなことを言われるとは心外にもほどがあるのだ。しかも異世界転移という非科学的にもほどがある現象で衛星全てを失っているのだ。それはもう仕方ないとしか言えないが。
だが、JAXAにも一つの光明があった。日本独自で開発した準天頂測位衛星の『みちびき14号機』がH-3Bロケットで発射予定であったからである。ちなみにそのとき今すぐにでも打ち上げられるものとして、みちびき14号機の他にも、気象衛星ひまわり9号が老朽化の懸念から運用を引き継がせるために開発されたひまわり10号がもうすぐで工場から出荷される予定であった。
準天頂衛星は静止軌道32000㎞より若干高度が高い軌道高度を取るが、その軌道面は楕円型を描き、楕円上で最も地上から高度が高くなる地点を日本としている。最も地上から離れた遠地点は38000㎞で、地上から最も近くなる近地点は32000㎞である。そのために日本上空に居る時間を極力長くしているのだ。準天頂衛星は日本独自の衛星軌道であるが、楕円を描く人工衛星の軌道は存在する。ツンドラ軌道やモルニヤ軌道であるが、この話はいったん割愛する。
さて、光明が見えた宇宙開発だが、今ある投入予定の人工衛星は二桁にも届かず防衛に関係する人工衛星はその内の4つだけなのだ(天気も意外と重要な軍事情報)民間ベースの通信衛星は情報が筒抜けになる事からの懸念から利用は無しとされたためである。
てんやわんやの宇宙産業も、日本の経済の低迷により縮小を余儀なくされた。だが、細々と衛星の生産は止めずに続けて、打ち上げていた。納税額が減少していても、衛星の生産とロケットの生産は官需としてある程度有効であったからである。
青息吐息だった日本の経済も落ち着きを見せたのは、転移から一年後の1924年にはGDPが1923年度のGDPが350兆円だったのに対して1924年度には転移前のGDPとほぼ同じ500兆円台にまで復活、また投資先として日本国(連邦)内の投資が有望視されて急速的に投資が活発となり1925年の4半期で対前年比のGDP成長率が5%を記録、最終的に1925年の対前年比成長率は10%という大台を記録したのだ。
そんな波に乗って宇宙開発事業もガンガン進んだ。1924年から1926年5月の間になんと15回の打ち上げを行っている。転移直後の打ち上げを数えると20回をこえた。
1926年7月18日。太陽同期軌道に投入された日本周辺を監視する情報収集衛星が一つの事実をとらえた。
ラシア軍が極東に集結しているという情報である。自衛隊はすぐさま在日米軍に要請を行い、在日米軍はそれに答えて沖縄駐留の海兵隊所属F-35Bを極東ラシアにむけて飛行させた。
結果は黒に限りなく近い灰色だった。15個師団にのぼる大戦力が極東ラシアに集結していた。そのことが明らかになった日本政府は防衛出動待機命令を3自衛隊及び連邦軍に通達。
現在日本の外交は暫定的に国際連盟とジュネーブにある大使館で行われていた。そのため日本はジュネーブのラシアの大使を呼び出し抗議声明を行った。
なおそれに一番興味を持ったのは大英帝国、フランシェ、アメリアの3か国と言う何の皮肉かと言うべきものだった。その3か国はすぐさま日本国に観戦武官を派遣、日本もまだ戦争となっていないとは思いつつも受け入れを了承した。
だが、それも無視され1か月後の8月19日。ラシア軍の侵略行為が緊急ニュースとしてテレビのニュースに一瞬にして放送されたのである。
ラシア軍がなぜ先制攻撃と言うカードを切ってきたか。それは入念な諜報活動によって未来の軍を保有しているはずの日本自衛隊が衛星と言う物がないおかげで弱体化している事、領域の割に配備数が少ない事、そして日本側として存在は察知しているが対処までは難しいとある戦力の存在だった。それを持ってして日本から領域を掠め取る腹づもりであったのだ。
一番最初に矢面に立ったのは航空自衛隊である。防衛出動待機命令を受けていた航空自衛隊はスクランブル対処機に増槽2本と中距離空対空ミサイル4発,短距離空対空ミサイル2発を懸架し、基地にはありったけの空対空、空対地、空対艦ミサイルを搔き集めていた。
JADGEシステムにより通報を受けた航空自衛隊の樺太分遣大澤飛行場よりとびあがったタイフーン2機は比較的低空を飛行していた。何せ当該侵入機は6000ftという比較的低空で侵入していたからである。
オホーツク海で当該機をレーダーで捕捉。警告を行おうと近づいたとき空自のパイロットは思わず目を見張った。
小銃らしきものを持った軍服を着た人間が高度6000ftを200ノットで飛行していたからである。とりあえず空自のパイロットは警告をと口を開いたとき、人間がこちらに向けて小銃を向けているではないか!
そのタイフーンのパイロットはすぐさまタイフーンのEJ200ターボファンエンジンの推力を最大に叩き込みアフターバーナーを点火。ハイレートクライムで難を逃れた。その小銃弾は空中を割いたが、タイフーンがもしそのままであったのなら撃墜は無いにしても命中はしていた可能性がある。
僚機のタイフーンパイロットはすぐさま官制に発砲を受けたと連絡。27㎜リヴォルバーカノンで警告射撃を行った。その後、撃墜許可をもらったタイフーンが空を飛ぶ兵士とタイフーンが空中戦を行ったが、最終的に空飛ぶ兵士を27㎜機関砲で針の糸を通すかのような攻撃で撃墜。落下していく兵士が海に落ち居ていくのを見送った。
が、話はそれだけではなかった。同時刻、ラシアと日本国との了解の境界線付近で大量の船舶が近づいていることを確認した海上保安庁の巡視船がモールス信号にて警告を行った。
ラシアからの返礼は……ラシア海軍の駆逐艦が前に出てきて、主砲を発射した事柄がモールス信号への返礼だった。
その時点で、日本政府はラシア軍による先制攻撃であると認識。連邦軍の役割と州軍の役割とが明記された改正版日本国憲法にて国家の自衛権に基づき自衛の範疇における最小限度の反撃を行う事を宣言したのだ。
そして、その後数時間後。朝鮮においても越境が確認された。朝鮮州に存在する連邦軍は2個師団の旧大日本帝国陸軍の再編部隊である。
が、侮ってはいけない。装備には暫定的ではあるが89式小銃や74式戦車を装備していて、かつ将兵が大日本帝国軍人であったからである。彼らが2個師団でなんと7個師団という大軍を食い止めたのだ。装備の優劣はあれども数で押し切られかねないこの状況で、である。
2個師団で7個師団を食い止めていたのは良いのだが、早くも日本国側の補給が滞り始めて居た。物資不足ではない。では何か?
先ほどタイフーンが撃墜したと書いた空飛ぶ兵士によって補給線に妨害を受けていたのだ。そのことを知った日本国の防衛総省(連邦の防衛を担当する行政機関。日本の防衛省と事実上は同じ組織だが建前的には別物である)は本格的に対策を練り始めた。
最初はタイフーンなどの防空リソースを投入しての撃墜だった。タイフーンの中距離空対空ミサイルや陸自の防空網を駆使して対処を図っていた。
だが、その撃墜には費用対効果が薄いのだ。防衛総省が調べたところによると、空飛ぶ兵士の訓練に要する訓練費は中距離空対空ミサイルの1/10にも満たないのだ。
試行錯誤で撃墜を狙う防空の要である航空・陸上両自衛隊だったが、とある報告書で状況が一変する。
連邦軍に所属していた旧大日本帝国軍再編部隊の補給隊が空飛ぶ兵士の返り討ちに成功したのだという。内容としては、大和魂で恐れずM2機関銃で弾幕を張ったところ撃墜したとの内容だった。
補給線の維持は最重要であったため、すぐさま戦訓を取り入れ補給隊すべてにM2ブローニングを配備。場合によれば87式自走式対空砲を随伴にすることもあった。そのことにより補給部隊の損失は減ることになった。
朝鮮州に駐屯していた第17、第18師団と本州から救援としてきた第4師団は数の圧力を受けつつも戦線を瓦解させずにじりじりと後退しキルゾーンへと誘う。自衛隊と旧大日本帝国軍再編部隊には部隊間の交流は存在しないが、信じられない連携で秩序だって作戦を遂行していた。
それにラシア軍は相手が圧力に押されていると勘違いして攻勢をかけ続ける。ラシア軍は朝鮮方面に3個師団を追加し総勢10個師団で攻勢をかけたのだ。