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hello underground  作者: 達磨
1/1

天井

代わり映えのない毎日、起きて、食って、働いて、寝て、基本的にはその繰り返し。

誰かが言っていた、または何処かで読んだ話によると、『変化は思いがけない所からやってくる』らしい。

少なくとも俺にとってそれは正しいものだった。

そのとき、俺はたまの休みで、この世界の最下層に位置する自分の部屋で寝ていた。

昔から地震には敏感な質で、小さな揺れを感じては目を覚ましていた。

例によって目が覚めた俺は端末で地震予報が出ていないことを訝しみつつも、その揺れが徐々に大きくなっている事に更に違和感を覚えていた。

小学校を出た者なら分かると思うが、地震の仕組みでは徐々に大きくなるというのは些かおかしい。

耐震構造がない部屋などない昨今ではあるが、このまま激しくなり続けるようでは流石に危ない、とは思いつつ、じきに収まるだろうと思ってベットの耐震装置をオンにして、ヘッドギアをつけてもう一度眠ることにした。

目が覚めると、世界は一変していた。いや、世界自体は別段変わってはいないが。

先ず目についたのは、天井に突き刺さっている得体の知れない大きな物体(よく見たら絨毯が貫かれぶら下がっている)、そして次に天井の物体と同じくらい大きさの床に空いた底の見えない穴。

そう、それは間違いなく夢だった。目を覚ましたという感覚がある、変わった明晰夢だった。そうであって欲しかった。

だが現実は非情なようで、つねった頬は痛むし、天井からパラパラと落ちてくる粉塵が目に染みる。

この突飛な現象を前に、俺の脳みそはある判断を下した。そう、「無視」である。認識しなければそこにソレは存在しない。それが俺の持論である。

さて、そうと決まればリビングでコーヒーを飲もう。幸い穴は部屋のど真ん中から少し逸れた場所に空いており、扉までの道はある。俺はゆっくりと(足の一つが穴に落ちかけている)ベッドから下り、部屋の隅を通ってリビングに出た。

扉を開く、いつも変わらぬリビング。素晴らしい。妹のマリは既に起きており、猫のミスタとレディは仲良く丸まっている。

「おはよう、兄さん。きのうは眠れたかイ?」

「ああ、いつもと変わらず」

「そうか、なら良かったガ」

四つ歳下の妹は、何故か俺よりも大人びている

「コーヒー飲むだろウ?」

「ああ、頼む」

とても健やかな目覚め、何の不満もない。

いつもより早く目が覚め、愛らしい猫を眺め、(色々な意味で)よくできた妹にコーヒーを淹れてもらう。ネットの紳士諸君は俺のリア充ぶりに嫉妬するだろう。

「ところで、扉の隙間から見えた天井と床の話だガ」

「なんのことだ?」

「私に隠し事ができるとでモ?」

「な、なんのことだ?」

「どうせ朝目が覚めたら急に出現していテ、考えるのが面倒だから無かったことにして部屋から出てきたんだろうがネ」

バレている、寸分の狂いもなく俺の思考を読み取っている。流石研究者。

「研究者であることは関係ないゾ」

さ、流石我が妹。

「では、あの天井の物体と床の穴について、分かっている限り教えてもらおうカ、お兄さま?それまでコーヒーはおあずけだゾ」

「な、それだけは、それだけは勘弁してくれ」

なんて妹だ、俺の生き甲斐と引き換えにあのいかにも面倒な怪奇現象に関われというのか?

「まあ、そう言ってもどうせ大したことは知らないんだろウ?」

「分かってるなら普通にコーヒーくれよ」

「いやいや、兄を現実から目を逸らさせないのも妹の務めサ」

そんな務めは無いと思う。

「きのうの揺れは私のコンピュータが感知していたシ、兄さんがあの程度の揺れならば気にしないで二度寝すると分かっていたからナ」

「コーヒーくれよ」

「いいや、知らなくても説明はしてもらうゾ、第一発見者の感覚は大事なものダ」

「コーヒー、、」

そのとき、俺の部屋の部屋から圧縮された空気の漏れる音がした。SFで近未来的な分厚い扉が開いたり、潜水艦のハッチが開いたり、とにかく大体そんな音だ。

扉の先には天井の物体から何か出てきているのだろう、微かに物音が伝わってくる。そして、扉は開いた。


ガチャ


そこには名状し難き恐怖の存在が今にもこちらに牙を剥かんとする姿が、


などということははなく、様々なポケットがついた全身を覆うツナギに丸いヘルメット、丁度海底探査服のような奇妙な衣装の人間が立っていた。

ただし、立っているのは()()である。つまり、そいつは重力に逆らって、俺達とは逆様に立っていた。

何秒、何分、はたまた何時間か、天井に立つ人と俺と妹が対峙して長い時間が流れた気がしたが、こういうときは大抵数十秒も経っていないのがセオリーだろう。

とにかくその奇妙な時間を打ち破ったのは、以外にもミスタだった。ニャオンと一鳴きしたところ、件の天井の人が、

「あ、ネコちゃん」

そう言った。確かに、ネコ()()()と。

この天井の人は、悪い奴じゃないのではないか。たとえ、人の家の床と天井をぶち破ろうともだ。そう思った俺は底なしとなけなしの両方の面を併せ持つ勇気を振り絞り、声をかけてみることにした。

「そんなところに立っていないで、此方でコーヒーでもいかがですか?」

そう、出来るだけスマートに。

「え?あ、いただきます」

やった成功だ、何故成功したのか全くわからないけれども、俺は天井の人をコーヒーに誘うことに成功した。

天井の人は扉の枠組を跨ぎ、まともに立っていたら丁度俺に重なる程度、つまり真上まで近づいてきた。久しぶりに天井の高さを実感した。

「どうも、こんにちは」

そう言って天井の人はヘルメットを脱いだ。そこにはここいらでは珍しい、黒髪に浅黒い肌を持った少女が佇んでいた。

「私はソラと言います、よろしくお願いします」

ソラ、変わった名前だ、態々そんな名前。空が下からやってくる、なんとも可笑しい。天井の人、もといソラは真下に、つまり俺に向かって手を差し出した、握手か。

「俺は大地、よろしく頼む」

俺は真上に、ソラに向かって手を手を差し出す、面白いことに俺たちの手は過不足なく丁度重なった。

「そちらは?」

視線の先に立ったまま放心しているように見える我が妹の姿があった。ただ、妹の名誉のために言っておくと、妹は放心しているわけではなく、その有り余る思考力と知識をもって現状俺が気にしないようにしている眼前の不可思議現象を分析している最中なのである。ようやくそれも終わったようで、我に返った妹は改めて空を見据え、

「兄さん、あれダ」

「ん?ああ、はいはい」

流石兄妹と言われんばかりの言葉を介さぬ意思疎通によって、ここに数年ぶりの高い高いが実現した。

「妹のマリだ、是非ともよろしく頼ム」

その目はギラギラと輝いていた、見なくても分かる。

「よ、よろしくお願いします」

さあ、コーヒーの時間だ。


じゃんけんで負けた俺は自分でコーヒーを三人分のカップに注いでいた。待てよ、どうやって飲むんだ?彼女が重力に逆らっていたとして、コーヒーが重力に逆らうはずもなく。例え口に運べたとして、嚥下した後はどうなるんだ?

透明人間の食べた物が透明になるように、彼女の場合もまた体内に取り込んだ瞬間彼女の生きる法則に従うのか?いや

「兄さん?」

危うく死や万物の根源について考えた時と同じ深みに嵌る所であったが、妹の催促によって俺は思考からの脱却を果たした。

「なあ、誘っておいてなんだが、コーヒーは飲めるのか?」

「ええ、ミルクがあれば」

「いや、そういう意味ではなく」

「兄さんは、明らかに重力に反している君が、果たしてまともに飲食できるのカ?と思っているんダ」

流石我が妹。

「ああ、なるほど、、、」

そう言ってソラは黙ってしまった。まさか俺みたいに考えていなかったわけではあるまい。机に積み上げた本の上にカップを一つと、ミルクを二つ置く。ソラの瞳は透けた青色だった。

「あ、ありがとうございます」

「、、、」

「、、、」

「、、、」

懐かしき静寂が再び訪れた。もしかしたら考えていなかったのかもしれない。

「逆立ちして飲むとか?」

妹が「そりゃないだろウ」とでも言わんばかりの表情をこちらに向けてきた。仕方ないじゃないかもう沈黙が痛かったんだから。

「いいですね、それ、私逆立ち得意なんですよ!」

そういう問題か?と思ったが、ソラは曲芸師よろしく逆立ちし、片手で体を支えたまま器用に片手でミルクを二つとも注ぎ、コーヒーを一口含んだ。因みに短く揃った髪は文字通り逆立っており、プラスチックの下敷きで頭を擦ったときのようだ。

「いやあ、訓練も役にたつもんですね」

「訓練というのは?」

妹が少々食い気味に質問する。

「ちょっと前に受けた訓練で一週間逆立ちで生活するっていうのがあったんですよ、いやぁ、あれは辛かったな」

なんの訓練だ?逆立ちしたままなんて血液循環が滞るのでは?それに排泄はどうするんだ?俺の疑問を余所に、何かに納得した妹はニヤニヤしている、少し気持ち悪い。

「さて、本題に入ろうカ」

この妹の言葉により、天井からぶら下がっているように見えてその実天井で逆立ちしているソラと名乗った特殊な訓練を受けた少女もとい不思議の塊との本格的な対話が始まった。


言葉の正確性は欠くものの、概ね正しい意味で向き合った俺たちは互いについて話し始めた。と言っても情報らしい情報を得たのは妹だけだったが。

「まず、君はどこから来タ?」

「と、言いますと?」

「国、あるいは地方、なんだっていいガ、出身、或いは君が出発した地点ダ」

「なるほど、私が生まれたのはアメリカです。ここにはネバダ州のとある場所から来ました」

随分遠いところから来たな。

「うんウン、そうか、では、どうやって来タ?」

「あの調査艇に乗って来ました」

そう言ってソラは俺の部屋の天井に突き刺さった物体を指した。

「ああ、俺の部屋に刺さってるやつか」

「えっ、あそこ大地さんのお部屋だったんですか!?」

ソラの顔から血の気が引いた、これは逆立ちのせいではなさそうだ。

今さらだが俺の名前は大地だ。

「そんなことはドウでもいいんダ、もう一つ聞かせテくれ、君は何でココに来タ?」

「あ、ええと」

「待て、興奮しすぎだ、落ち着け。それに部屋についてはどうでもよくはないと思うの」

ほぼ上に机を乗り出した妹を抑え、ぬるくなったコーヒーをすする。

「ごめんな、妹は職業柄君みたいなのに対して興奮し易いんだ」

「いえ、大丈夫です」

「マリ、時間はいくらでも有るんだから」

「あ、ああ、そうだナ」

妹は座り直し、コーヒーを舐めた。

「えっと、妹さんはお仕事されてるんですか?その、とてもそういう歳には、、」

「ああ、いくつに見えル?」

「あの、怒らないでくださいね?」

「それは君次第ダ」

「は、八歳ぐらいかなって」

俺はコーヒーを噴出した、妹はまたにやけている。ソラは顔を赤くしている。

「そんなに違うんですか?」

「じゃあ、俺は?」

腹を抱えながら聞いてみる。

「えと、二十歳くらいかと、、」

「ほう、中々いい線ダ」

なんだつまらん。にしても、八歳、と、いうのは、駄目だ、腹痛い。

「笑いすぎだゾ」

「実際は何歳なんですか?」

「俺は二十二」

「ワタシは十八ダ」

驚いた様子のソラは妹の顔を穴が開くほど見つめている。

「そんなに見つめられると照れてしまうナ」

「あ、ごめんなさい」

一通り笑ったところで。

「散々笑ったお詫びだ、何でも質問してくれ、今なら個人情報も教えるぞ」

「じゃあ、その、ここはどこですか」

「まあ、そりゃあそうか、ここはJ‐H‐SA11地区の第4023階層だ、アメリカと違って複雑だし、分かるとは思わないけど」

案の定ソラは理解できず、そして理解することを諦めたようで、俺が妹の理論を聞いてよくする表情を浮かべた。

「確かに、聞いても分かりませんでした」

「他に質問はあるカ?」

「えっと、そういえば、お仕事って何をしてるんですか?」

「俺はホールの店員、んで、妹は、」

「ワタシは『空想科学者』ダ」

妹は腰に手を当てジョジョ立ちの如く身体をひねりドヤ顔で眼鏡をクイッとやった。

「空想科学者、ですか、、」

「まあ、職業としては極めて稀だがナ。人は私を『最下層の科学姫』と呼ぶのダ」

「な、なるほど?」

「因みにこの辺の奴らは肉体労働がほとんどだな」

「へー」


その後も互いにいくつか質問し、そこそこ時間が経った。

「ここら辺にしないか?首痛くなってきた」

「そうだな、時間はいくらでも有るしナ」

「わかりました、、、そういえば、私どうすればいいんでしょうか?」

「何が?」

「いえ、ずっとお邪魔するわけにもいきませんし」

「別に構わんだろウ?外に出たところで君は目立つし目的が達成できるとは思えんしナ、なあ兄ヨ」

妹はいつになくしっかりと目を合わせてきた。

「まあいいけど、、」

「ありがとうございます。あれ、私目的言いましたっけ」

「気にするな、妹は先読みが得意なんだ」

「わ、分かりました」

ともかく人が増えるなら、大家であるボスに連絡しなくては。

待てよ、どう言えばいいんだ?女の子が床ぶち破って来たのでしばらく泊めますって?どこを切り取ってもマズい気がする。いや、きょうはせっかくの休みだし、あした考えよう。うん、それがいい

その後は三人と二匹で飯を食い、その後ソラは計器のチェックをするために例の物体に戻っていった。曰く、コールドスリープとやらの影響が抜けておらず、かなり眠いらしい。俺たちが起きるタイミングで起こしてくれとだけ言って俺の部屋に入っていった。


「なあ、兄ヨ」

「ん?」

「ソラについてどう思ウ?」

「どうって、まあ重力に逆らってるのは変だけど、それはお前らの分野だろ?他は別に変わったところもないし。まあ悪人ではないだろうから、普通のアメリカ人の女の子だろ」

「確かに、彼女自体は悪人ではないガ、彼女がここに来てしまったことによっテ、我々の世界は大きく変化することになるだろウ」

「なんだそれ」

「ふは、まあいずれ分かるサ、兄さんだって頭はいいんだからナ」

褒められてはいないな?

「ああ、くれぐれもマダムには上手く伝えてくれヨ?もし彼女がここから去ってしまえば、ワタシは生き甲斐を一つ失うことになるだろうからナ」

「そんな大げさな、、」

「大げさなものカ、私の名前は真理(マリ)、真理の追求こそ我が生き甲斐ダ」

そう言って妹は部屋に戻って行った。特にやることもないので、俺も早々に寝ることとしよう。

リビングに猫二匹を残し、部屋に戻った。

相変わらず天井には例の物体が刺さっている。改めて存在を認めた上で見てみると、表面は真っ黒だが、ごくわずかに窓のような影が見える。昔読んだ漫画に出てきたボール型のポッドに似ている。それを見上げながら足を踏み外しつつ、ベッドに戻る。そういえばこの穴はどこに続いているのだろうか。アメリカか?試しに手近にあったボールを落としてみた。ボールはぶつかる音もせず闇に消えた。そしてそのボールはミスタの気に入っているボールの一つだった、まずい。非常にまずい。また顔に傷が増えてしまう。あした考えよう、そうしよう。そして俺は寝がえりについて考えつつ、眠りについた。


目が覚めると、視界の殆どが真っ黒だった。一部分はミスタ、もう一部分は例のポッドだった。どうやらきのうの記憶は夢ではなかったらしい。ということは、俺は貴重な休みを何一つ有意義なこともせずに過ごし(つぶし)、今から出勤しなくてはいけないということだ。

ミスタが一鳴きし、体を起こすと、手痛い一撃によって俺はもう一度仰向けになった。バレたな。その後の猛追を甘んじて受け、幾分か収まったところで改めて体を起こす。今日の悩みが一つ減った。

怒りの化身ミスタを抱え穴を避けてリビングに出る、いつものように妹がいて、いや、いない。レディもいない。珍しいこともあるもんだ。ほんのちょっぴりだけ心配になったので、妹の部屋の扉をノックしてみた。数秒後、隈をこさえた妹が眠そうな表情で何やら紙の束を携えて出てきた。

「、、おはよう」

「おはよう、ど、どうした?」

「いやなに、ソラに質問することについて数千項目ほど纏めていただけサ」

「な、なるほど?」

妹はぐったりしたまま椅子に向かい、フラフラと座った。本来は妹も俺と同じくよく眠る方なので、不眠不休の作業などはあり得ないのだが、、、

「コーヒーいるか?」

「いただこウ」

久しぶりに手ずからコーヒーを淹れる。しかしあの紙の束にびっしりと書かれた文字、あれだけの質問をぶつけられると思うと、全くソラには同情する。

コーヒーを机に持って行くと、妹は半目でカップを受け取り、老人のように震えながら啜った。膝の上にはしっかりと意識をもったレディがいる

「ひと眠りするか?」

「いや、もう少し経ったらソラを起こしテ、、、、、」

起こして?

「、、、起こしてから色々質問するサ、あとついでにここいらのことも教えてやるヨ」

「今一瞬寝たろ」

「寝てなイ」

「寝たろ」

「寝てなイ」

「寝t「寝てなイ」

「、、、」

「、、、」

絶対寝てたのn「寝てなイ」

心を読むなよ、頼むから。


「じゃあ、俺はもう行くぞ」

カップを洗い、ミスタとレディに飯をやり、玄関で支度を終え、リビングにいる妹に声をかける。おそらく「いってらっしゃイ」だと思われる半ば形になっていない声を確認し、外に出る。

「あれ、絶対に寝てたよな?ミスタ」

”間違いない”

「だよな」

ミスタの機嫌も直ったようで、俺はマダムに対する説明を考えながらゆっくりと職場に向かう。

通りは人通りもそこそこで、声をかけてくる陽気な部類のやつらはまだ出てきていなかった。出勤と言っても遠くはなく、三曲ほど脳内で流せばすぐ職場だ。

『Smart Solution』

我らが愛しきホール、煙とアルコールと偽フルーツの(比較的)健全なお店。つまりは肝臓と肺と脳の一部をぶっ壊す施設だ。

「おはようございまーす」

従業員用の『秘密の扉』から中に入る。

「おう、おはよう」

今カウンターの方から返事した黒くてでかい男がマスター、名前は知らない。この迫力はサングラスだけのせいではないだろう。きっと肌が黒いのと、スキンヘッドだからだ。白ネズミのリリィだけでは中和できまい。

きょうも制服がキマッている、何故同じ制服なのに俺が着たときよりも格好いいのだろうか?

「きょうは早いな、何かあったか?」

「まあね、ボスは?」

()()()な、いるぞ、奥だ」

「ありがと」

そう、きょう俺にはやるべきことが二つあった、一つはミスタを宥めること。こっちはもう終わった。

"終わってないぞ"

終わった。そして二つ目はボスに家のぶち破られた床と天井、そしてソラについて報告しなければならないということだ。これは非常に面倒臭い、ボスは自分の所有物には煩いし、上手いことやらないと俺の給料が跳ぶ。前に壁に穴を開けたときは(正確には妹が開けた)実際に給料が1/3になった。そんなことを考えながらもロッカールームに向かう。ボスに会うときは制服を来ていかなければならない。これは研修の時から耳にタコができるほど言われた。まあ、上司に私服で会うというのもおかしな話ではあるが、そこまで言うほどかとは思う。

ロッカールームの扉を開くと、靴紐(靴も指定なんだ)を結ぶ我が愛しき猫耳の同僚、ヤヤがいた。

「あら、きょうは早いね、何かあった?」

「まあ」

マスターといい、ヤヤといい、何故俺が早く来ただけで何かあると思うのか。

"日頃の行いだよ"

うるさい。

「おはようミスタ」

ニャオン

待てよ、もう数分早く来ていれば、、、

"下らないこと考えないの"

はい、すいませんでした。


挨拶もそこそこに、着替えが終わった俺はボスの部屋に向かった。さて、どうしたものか。

「、、、、、」

"早く入りなよ"

「分かってるよ」

ええい、ままよ。軽くノックをし、返事を聞いて中に入る。

「おはようございます、ボス」

「ボスと呼ぶのはやめろと言った」

眼光鋭く俺を見つめるボス、つまり雇い主、ホールのオーナーは煙管を傾け、灰を落とした。姿が煙くて見えづらい。

「なんだ、珍しいなダイチ。なんの用だ」

声はハスキーで、体は小さいのにマスターとは別の迫力がある。

「まさか、また壁に穴を開けたわけではあるまいな?」

図星、そう、まさに図星だった。妹といいボスといい何故こうも察しがいいのか。どう言ったものか。

「ボス、怒らないでくださいね?」

「それはお前次第だ、まあ座れ」

「失礼します」

ボスの正面の座布団に座る。まだはっきりとではないが、ボスの輪郭が見えた。妹と同じぐらい小さいが、圧倒的に発育がいい。人間の神秘を感じつつも、俺の脳内には謝罪の文言が駆け回っていた。

「どうした、謝ることが有るんだろ?」

皿に灰を落とす音が響く。

「天井と床に穴を開けました」

「よし、クビだ」

「待ってくださいお願いします」

それから俺の全身全霊をかけた言い訳が始まった。この人に同情は望めないので、真実を出来るだけ具体的に。かつなるべく多くの表現で適格に。

そして数分後。

「お前は今、自分が何を言っているか分かっているか?」

正確にはどれだけ信じ難い話をしているか、ということだろう。

「はい、、分かってます」

「そうか、ならばあした、その娘をここに連れてこい」

「あしたですか?」

「そう、あしただ、出来ないのならお前はク」

「分かりましたあした連れてきます」

最後の二文字を遮るように答えた。

マダムは煙管に口をつけ、音をたてて灰を落とした。

「よろしい、では仕事を始めろ」

「イエス、マム」

「ああ、それと、ヤヤにはその事を話したか?」

「いえ、話してませんけど」

「まったく、、、まあいい、行け」

さて、では早々にこの部屋から出よう。

「あ、そうだボス、写真じゃだめですかね?」

「あ?」

「ナンデモナイデス、ボス」

「ボスというのはやめ

最後まで聞かずに扉が閉まってしまった。けしてわざとではない、けして。

因みに彼女がボスと呼ばれたくないのには理由がある。可愛くないからだそうだ。しかしマダムも可愛くはないと思うのだが、女心は分からないものだ。

さて、きょうの仕事はほぼ終わったと言ってもいいだろう。なんせ重大な任務を二つもこなしたのだから。

カウンターに戻ると、マスターが紙の煙草を巻きながら俺を待っていた。

「用事は終わったか?」

「ああ、なんとか無事終わったよマスター」

「そうか、じゃあ清掃から頼む」

「あいよ」

俺はヤヤと合流し、開店準備を始める。

「言い訳は上手くいった?」

「まあな」

「聞いてもいい話?」

「別にいいけど、、いや、面倒だからあした話す」

「あ、そ」

八割型掃除を終えたところでいつも俺と同じくらいに出勤する調理担当(といっても肴を作るかフルーツカットぐらい)のギンがいつものようにブツブツ言いながら入ってきた。あの感じだときのうの賭けは負けたらしい、そっとしておこう。その後も照明の点検、備品の再確認、その他諸々の準備を始める。

よし、今日は俺がBGMを選ぶ日だ。旧式のジュークボックスは度重なる改造によって中身は新型とほぼ変わらないスペックで、新曲も日々更新されている。

だが、俺の趣味でいくとそれらは一切流れない。何故かって?最近の曲は厚さも濃度も薄いからね。どうもコンピュータが作った曲は肌に合わない。懐古風味な思考を帯びつつ順番を吟味し、スイッチを押す。重低音がほんの微かに床を揺らす。


哀れなモグラの溜まり場。


愚かなトカゲの隠れ家。


虚ろなキツネの安息地。


今日もクソッタレな1日を!

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