ミッドネア
目を覚ました時、俺は再びベッドの中にいた。
先ほどと同じ天井が見える。
頭を返すと先ほど見た絵が見えた。
どうやら部屋は変わっていないらしい。
てっきりそのまま殺されるか鎖につながれて地下の牢獄にでも入れられるのかと思った。
しかし状況はそれとあまり変わらないようだ。
手足こそ縛られていないが俺の首元には槍の穂先が付きつけられている。
槍を構えた男達の目に先ほどの恐怖はなく、むしろ怒りで煮えたぎっていた。
クシャミやしゃっくりをしただけでも俺の喉は生け花用の海綿よりもあっけなく穴だらけになるだろう。
「申し訳ありません。このような真似は止めるように言ったのですがどうしても聞き入れなくて。」
先ほどルノアリアと名乗った少女の声がした。
頭を返すと椅子に座った少女、ルノアリアが見えた。
若干憔悴してはいるが先ほどの涙はもう見えない。
ルノアリアは椅子から立ち上がると手を胸の前で組んで片膝を床に着いた。
どうやらこれはこの国での座礼、もしくは土下座を意味するらしい。
「手荒な事をしてしまい、返す返すも申し訳ありません。
先ほどのご無礼は必ず償わせますのでどうかご容赦ください。」
俺は大きく息をついた。
「いや、…さっきはこっちが悪かったよ。いきなり怒鳴り散らしちゃって。」
気絶した事で俺の怒りも消えていた。
そこで俺は先程どつかれた頭が全く痛くない事に気付いた。
頭蓋骨骨折か下手したら脳挫傷になってもおかしくない位の衝撃だったのに微かな疼きがあるだけだ。
「ところで、頭が全然痛くないんだけど、これはあんたがやったのか?」
「はい、僭越ながら多少の一助になれればと…」
「凄いな、全く痛くないよ。さっきの光とか魔法って奴なのか?」
「我々はこれを魔術と呼んでいます。
魔術とは本来は森羅万象にあまねく存在する魔力を制御する術であり、魔力を理解し制御して一定の手順で組み合わせる事で任意の力を引き出すことができるのです。
最初は治癒魔術を施そうと思ったのですが、貴方様はどうも耐魔術の体質があるらしく上手く効果が出なかったので痛みのみを取り除き、治癒自体は貴方様の回復力を増進させる方法に切り替えてみました。
こちらも通常の人よりは効果が出なかったのですが、元々の回復力が凄まじく高く……」
「待った待った待った。」
突然始まった長口上を俺は慌てて遮った。
なんかこの人突然早口になったぞ?
「つまりその魔術というので怪我を治してくれたわけだ。それで十分だよ。」
とりあえず話を繋げる事にした。
状況は全く変わっていないが、気持ちは落ち着いてきている。
まずは自分がどういう状況に置かれているのか知らなくては。
俺は周りで槍を構えている男達を刺激しないようにゆっくりと身を起こした。
俺が起き上がるのを察して男達の眼に緊張が走ったがルノアリアがそれを手で制した。
俺は上半身を起こしてヘッドボードに身を預けた。
マットレスは程よい硬さで、上にかかっていた羽毛布団は信じらない位の軽さだった。
相手の緊張を解くためにも両手は掛布団の上に出しておく。
「まず、俺をここまで連れてきた理由を聞かせてくれないか?
そして何で俺を戻せないんだ?」
言葉にすると改めて状況の理不尽さを実感してきた。
ここに来てからどれ位の時間が経ったのだろうか?
仕事はどうなったんだ?無事に納品は出来たんだろうか?俺がいないと先輩は全ての業務を肩代わりする事になる。
俺がなんの連絡も無しに納品をすっぽかす事を上司は絶対に許さないだろう。
上司の事を思い出すと背筋が寒くなり冷や汗が流れてきた。
俺の言葉にルノアリアが立ち上がり、胸の前で腕を交差して床に片膝をついた。
「まず、今までの事を正式に謝罪させてください。」
「異邦者様のご意思を確認せずに急に召喚した事、召喚してからの数々の非礼、誠に申し訳ありませんでした。
この非礼の償いは必ず…」
俺はその言葉を慌てて遮った。
「いや、いいよそれはもう。
謝られても今更どうしようもないんだし、だったらまずこの状況がどういう事なのか教えてくれ。」
俺の言葉にルノアリアが顔を上げた。
「寛大なるお心遣い感謝いたします。
それではご説明させていただきます。
我が国はミッドネアといい、人口四百万人ほどの小さな国です。
我が国は代々ミッドネア家が統治しており、私が二十三代目となります。
我が国はノーザストとサウザンという2つの大国に挟まれており、近年この二国の緊張状態が高まっており、我が国は両国から併合を持ちかけられています。
併合とは言え、これは体の良い占領でありどちらかに併合するとそれを口実に我が国に侵攻されるのは確実です。
そうなると何万もの無辜の民が虐殺されかねません。
私の家には王国が危機に瀕した際に異邦から救国の英雄を召還する術が代々伝えられています。
それを実行し、貴方様を召還したという訳です。」
ルノアリアはそう言うと、申し訳なさそうに目を伏せた。
「貴方様を帰すことができない、というのもそこに理由があり、私が家に伝わっているのは召喚する術のみで帰す術は伝わっていないのです。」
そうきたか。
まあうすうすは気付いていましたよ。
術があろうがなかろうが、こっちはいきなり異世界に呼び出された身の訳だし無いと言われても本当にないのかあるのか知る術がない。
よしんば力づくで聞き出せたとしてもそれを実行してくれるかどうかという問題だってある。
俺は大きく息をついた。
終わった。
六年間必死で勤めてきた会社だが、これは流石に馘首だろう。
最悪馘首は免れても一生出世は望めそうにない。
散々使い潰されてメンタルを病んだ挙句に雀の涙程度の退職金で放り出されるのがおちだ。
いや、退職金すら望めない可能性の方が高い。
いっその事、こっちから退職届を出した方が良いだろう。
ここで俺は自分がスマホを持っていない事に気付いた。
いや、スマホどころか着ていたはずのスーツもない。
今、俺が着ているのは真っ白なシャツとボクサーパンツよりも少し長めのステテコのような下着だけだ。
両方共俺がここに来る直前まで着ていた服ではない。
「……ところで、俺の着ていた服はどこに?」
俺の問いにルノアリアは顔を赤らめて下を向いた。
「その…事なのですが…異邦者は召喚の際に魔力的に分解されてこの世界で再顕現する訳なのですが、その際に肉体以外のものは魔力に変換されて再顕現はされないのです。」
「つまり…俺は裸でここに召喚されたと?ターミネーターみたいに?」
「そのターミネーターというものがなんなのかは分かりかねますが、つまりはそういう事です。」
ここで俺ははたと気付いた。
裸で召喚されたという事は…そしてルノアリアが顔を赤らめているという事は…
俺は布団に顔を伏せた。
まさか、本物の女性の裸を見る前に見られてしまうとは。
しかもこんな可愛い女の子に。
恥ずかしさのあまりこのまま布団の中に潜り込みたくなる。
しかし、今はそんな事をしている場合じゃない。
自分の今いる状況を把握しなくては。
「…ま、まあ、その事はいいや。
じゃあ俺はこの世界に呼ばれたというよりはこの世界で作り替えられたという事なのか?」
「…詳しい事はまだ分かりませんが、おそらくそれに近い事が行われているはずです。」
分からないのか。
俺の落胆を察してかルノアリアが慌てて言葉を続けてきた。
「す、すいません…この術は初代ミッドネア王が組み上げた我が一族秘奥中の秘奥の術でして、私もまだ解析をしている途中なんです。」
「そう言えば、あんたが今の王なんだっけ?じゃあ…」
そこまで言って俺は自分の失言に気付いた。
「はい、両親は半年前に事故で身罷り、私が急遽その称号を受け継ぎました。」
ルノアリアはそう言って寂しそうに微笑んだ。
「…その、なんて言うか、お悔やみを…いや、ごめん…」
「いいのです。もう喪もあけましたし、今はこの国を治める事が私の仕事です。」
気丈に振る舞っているが、その眼に一抹の寂しさと諦めが見えた気がした。
「それよりも、今貴方様が置かれている状況の説明を続けましょう…」