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4.

「――ただいま」

「――っ、お父さん!」


 結局父が帰ってきたのは10時近くになってからだった。

 母の生前は父が台所に立つことも多くなってはいたが、母を喪ってからは、少しずつ、「今までやっていたことをやらなくなってきている」父。

 何も言わずに姉妹で食事当番を分担していた私たちは、今日の当番である妹が作った肉じゃがを指して父に訊いてみた。


「どう、お父さん…?肉じゃが、作ってあるけど……」

「……」


ネクタイを緩めながら――とても、とても緩慢な動きで――ゆっくりと食卓を見つめてから、ぽつりとこう言った。


「……肉じゃが……瞳が作ったの……うまかったな……」

「――お父さん……?」

「……今日はもう風呂に入って寝る……明日……食べるよ……」


 瞳、という言葉が出て、私も妹もドキッとした。

 母が亡くなってから、私たちはどこか意識して母の話題を避けていたような気もする。

 特に父の前では母のことを話題にすることなんてなかったし、父の方から母の名が出ることも今までなかった。

 久しぶりに聞く母の名前に、あの温かかった、優しい母を思い出す。妹は、せっかく作ったのに、とぷりぷり怒りながらも、父の様子がおかしいことに気付いたみたいだった。


「ねぇお姉ちゃん……お父さん、大丈夫かな……?」

「うん。……ねえ、実はね、昨夜……」


私は昨夜見たことを話し、今朝から感じていた違和感のことも話した。


「……私の気のせいならいいんだけど……でもなんだかお父さんの様子が最近特におかしくて……」


妹も同意したように続ける。


「お姉ちゃんもなんだ……私ね、実は……お父さんが、夜中に部屋で泣いてるの、知ってたんだ……」

「――え?泣いて…る?」

「……うん……本当に小さく、すすり泣く声が聞こえるの。それに……たまに私の顔を見て、お母さんの名前を呼んだり……」

「――っ!!」


ぎゅっと目をつぶる。

 切なくて、胸が握りつぶされそうだった。


確かに、私は父のほうに似ていて、妹のほうが母により似ていた。


父は――ずっとずっと探してるんだ。

もう今はいない、一番好きだった人を、ずっと今も追いかけてるんだ。


そう思うと、やりきれなかった。


私たちの前では、普通に振る舞って、仕事にもすぐに復帰してた父。


でも――割り切れるわけがない、残酷な一つの事実に、一番苦しんでたんだ――



「……どれくらい前からなの……?」

「えっと……もう2カ月以上になるのかな……ハッとしたように、ばつが悪そうにしてたけど、最近は私のことをじっと見てることも多くなってきて……」

「……そういえば、確かに私もお父さんの視線を感じる。気がついて何、て聞くと、ごまかすように笑って……」


私たちの向こうに、愛しい人の姿を見ている。

やりきれない気持ちだった。


「それにね、お父さん…最近、目の下に隈ができて、ずっと取れてないの。眠れてないんだよきっと……」


私たちだって、今も母のことを考えると胸が張り裂けてしまいそうだ。


目を閉じても、耳をふさいでも、私たちの名前を呼ぶ母の姿と声を思い浮かべられる。


でも、それはお父さんも同じはずで――


必死に私たちを現実に戻らせてくれて、そのくせ、自分のことは後回しにして……。


 医者ではないしよく分からないけど――父の状態が、決していいわけではないことだけははっきりした。


「……明日の朝、お父さんにちゃんと訊いてみよう。ね?」

「……うん……そう、だよね……そうしよう、お姉ちゃん……」


そう。

朝になるのを待てばいい。


そう思った。


 だって、今聞きに行ってもすぐには答えてくれないだろうし、なんというか、ちゃんとした話し合いの場というか、雰囲気が必要だと思ったから。

 幸い、明日は日曜日だし、私も妹も何も予定はない。父も仕事はないはずだった。

 それにさっきの様子から、なんだか疲れ切って今日はもう寝ているんだろうと思っていたのだから。

 だから私たちは早々にそれぞれのことを終え、床に就くことにした。




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