第89話 『恋の始まり』
「デンカ様は先に屋敷へお戻り下さい」
「へっ?」
武道会の閉幕の後。
優勝者不在の表彰を終えて医務室へ。
すると、廊下で教育係に出くわした。
黒髪ロングを抱いて、搬送中。
先に帰れと、奴に言われた。
「私は彼女を実家まで送りますので」
「えっ? あ、うん……わかった」
固い表情を浮かべる教育係。
負傷させたことに責任を感じてる様子。
黒髪ロングを実家に送るらしい。
軽症とは言え、怪我をしたから当然だ。
寮では何かと不便だろうから。
「申し訳ありません……デンカ様」
申し訳なさそうに黒髪ロングが謝る。
いや謝られても困る。彼女は被害者だ。
父上が怪我をさせてしまったのだ。
黒髪ロングに改めて謝っておこう。
「父上がすまなかったな」
「いえ、どうかお気になさらずに……」
「早く治る事を祈ってる。お大事にな」
困ったような表情をする黒髪ロング。
そんな顔をしないでくれ。頼むから。
優勝者の表彰状をぎゅっと握り締める。
そんなボクに教育係は事務的に告げた。
「すぐに迎えの屋敷の車が来ますので」
「ああ……わかった」
「それでは、失礼します」
最後まで固い表情だった教育係。
責任感の強い奴だ。でも、だからって。
そんなに落ち込まなくても。
結局、賞状はおろか贈り物も渡せず。
彼女達を見送ることしか出来なかった。
「なんつー顔してんだよ」
「……召使いか」
肩を落としていると、隣に召使いが。
本当に神出鬼没な男。ヘラヘラしてる。
彼はヘラヘラしながら、ボクを慰めた。
「まだ渡すチャンスならあんだろ?」
「それは、そうだけど……」
「嫉妬なんてくだらねぇからやめろ」
召使いには全てお見通しのようだ。
嫉妬なんて、くだらない。そうだ。
そんなことはわかっている。けれど。
廊下の窓からあいつのクルマが見えた。
助手席に座るのは長い黒髪の少女。
それを見て、やっぱり胸が痛む。
そこはボクの特等席なのに。
今日の帰りに車内で渡す予定だった。
教育係への大事な大事なプレゼントを。
優勝しておめでとうと伝えたかった。
これまでの1年間の感謝も、そして。
ボクの抱く気持ちも、伝えたかった。
もちろん、チャンスはまだある。
奴が帰って来てから伝えればいい。
けれど、今現在のこの気持ちは辛い。
焦燥感や、不安感、やり切れなさ。
本当にくだらない感情だ。嫌になる。
だからと言って、無視も出来ない。
痛くて、辛くて、もどかしくて。
息が詰まりそうなボクを見て。
召使いがやれやれと頭を振り。
呆れた口調で優しく諭した。
「ま、恋愛なんて、そんなもんだ」
「こんなに嫌な気持ちが恋愛なのか?」
「ああ、そうだ」
「お前もこんな気持ちになるのか?」
「そりゃあ、なる時もあるだろうよ」
「それでも恋愛をするのか?」
「やめたくても、やめられないからな」
「そういうものか」
「ああ、そういうもんだ」
まるで世間話のような会話。
彼の慰め方は不器用だが、優しい。
思わず涙が溢れそうになる。
鼻をすすると、召使いはヘラヘラして。
「おっと、泣くなよ?泣かれたら困る」
「なんで……?」
「泣かれたら抱きしめたくなるだろ?」
こいつは。こんな時でも軽薄な男だ。
静かに彼から距離を取る。白けた。
両手で身を庇いつつ、冗談で返す。
「それは困るな。わかった。泣かない」
「遠慮すんなって! 抱いてやんよ!」
「うるさい。離れろ。気持ち悪い」
普段は言わないような冗談。
彼相手ならばすんなり口に出来た。
恐らく、これが召使いの良さだろう。
彼はヘラヘラ笑って、上から物を言う。
「どうやら元気になったみてーだな」
「ああ、おかげ様で」
「じゃあ、あとは上手くやれよ?」
「うん、ありがと……召使い」
「いや、気にするな。俺の都合もある」
「えっ?」
「とにかく、さっさと恋を始めてくれ」
「わ、わかった」
「んじゃ、上手くいく事を祈ってるぜ」
意味深なことを言って、彼は去った。
召使いはボクに恋をして欲しい様子。
理由は定かではないが、言われずとも。
それはボクにとって、目標である。
教育係とキスをして、恋を始めたい。
その為の準備は出来ているのだ。
ポッケに入ったプレゼントの箱を弄る。
これを渡して、教育係を喜ばせる。
やるべきことはわかっている。けれど。
それを実行する勇気が、失われていた。
とぼとぼと、昇降口へと向かう。
とりあえず、帰ろう。すると、道中。
生徒達がいろいろと声をかけてくれた。
ボクの司会を褒めてくれたり。
武道会の成功を賞賛してくれたり。
将来のお妃様への内定を祝福されたり。
いや、最後のは完全に誤解だけどね?
しかし、それを否定する気力はなく。
曖昧な返事をする事しか出来なかった。
「お待たせしました、デンカ様」
しばらく待っていると、迎えが来た。
屋敷の車から降りてきた銀髪メイド。
わざわざ迎えに来てくれたようだ。
そんなメイドに、ボクは飛びついた。
「メイド! 教育係が、教育係が!」
「おやおや、どうしましたか?」
「あいつが、ボクを置いて……!」
「お話は車内で聞きますよ。どうぞ」
ボクの背中を撫でながら乗車を促す。
素直にそれに従って、車内へ。
屋敷に向かう道中で出来事を話した。
「ふむふむ。それは災難でしたね」
「ああ、なかなか上手くいかない」
「ですが、誰にも悪気はないのです」
「わかっている。誰も悪くないんだ」
「ならば、ぐっと堪えて待ちましょう」
銀髪メイドはまるで聖母のようだった。
これまで彼女に母性を感じた事はない。
手のかかる妹だと思っていたら違った。
ボクのメイドはとてめ慰め上手だった。
屋敷に戻ってから、ひたすら待った。
メイドとジェンガをしたり。
メイドとトランプタワーを作ったり。
全てドジっ娘メイドによって崩された。
けれど、何度も繰り返して時間稼ぎ。
しかし、待てど暮らせど帰って来ない。
「そろそろ、夕食にしますか?」
「いや、待ってる」
夕食の時間になっても。
「そろそろ、お着替えをしますか?」
「いや、待ってる」
就寝の時間になっても、奴は戻らない。
「ブラックのコーヒーを淹れてくれ」
「殿下……あまりご無理をなさらずに」
「ボクはあいつが帰って来るまで待つ」
よれよれの雑誌をめくりながら。
苦い苦いコーヒーを飲みながら。
ボクはひたすら教育係の帰りを待った。
しかし、ブラックコーヒーはきつい。
渋い顔をしていると、メイドが砂糖を。
ついでにミルクも入れてくれた。
銀髪メイドは優しい娘だ。
でも、その優しさで、睡魔が。
こっくりこっくりと舟を漕ぐ。
「殿下、ベッドで待ちましょう?」
「むにゃ……いや、しかし……」
「大丈夫です。私が起こしますから」
帰って来たら起こしてくれるらしい。
仕方なく、ベッドに横になる。
もちろん、寝るつもりはない。だけど。
どんどん意識が遠のいていって。
とうとう眠りに落ちる、その間際。
窓の外から聞き慣れた排気音が響いた。
間違いない、教育係のクルマだ。
慌てて飛び起きると、メイドが苦笑。
これで役目は終わったと言うように。
恭しく一礼して、退室した。
「それでは殿下、ごゆっくり」
「ああ、ありがとう……メイド」
メイドが去って、急に不安になった。
教育係をどう出迎えるべきか。
普段通りでいい。しかしそれは無理だ。
ボクは今、嫉妬している。
黒髪ロングをお姫様抱っこして。
ボクを置いていって。
ボクの特等席に彼女を座らせたことに。
もちろん、悪意はない。作為もない。
けれど、そう簡単に割り切れない。
だからと言って、何も言えない。
結局、迷った末に、ベッドに潜った。
「ただいま戻りました、殿下」
「……おかえり」
「すみません、就寝中でしたか?」
「……いや、まだ起きてたけど」
「そうですか。今日はお疲れ様でした」
気遣うような教育係の声音。
そんな奴になんて返せばいいのか。
とりあえず、当たり障りのない会話を。
「黒髪ロングは、大丈夫だったか?」
「ええ、しばらくは実家で療養ですが」
「そうか。なら、良かった」
ほっと胸を撫で下ろして、会話終了。
いかん。どうしよう。なんとかせねば。
何か新しい話題を。武道会の事でも。
そんな風に焦っていると。
不意に召使いの言葉がよぎった。
嫉妬なんてくだらねぇと、彼は言った。
それで冷静さを取り戻した。
本当に、くだらない。どうかしてる。
ボクがやるべきことなんて、簡単だ。
「教育係」
「はい、なんでしょう?」
「こっち来て」
「かしこまりました」
布団に潜ったまま、手招き。
教育係が近寄ってくる気配。
よし。勇気を出そう。しっかりしろ。
自分に喝を入れて、布団から顔を出す。
すると、何故か教育係がぎょっとした。
「で、殿下!泣いていたのですか!?」
「えっ? あ、これは……」
言われて気づいた。
ボクはどうやら泣いていたらしい。
ぬぐっても、ぬぐっても、涙が溢れる。
そんなボクを見て、教育係が勘違い。
ぎゅっと抱きしめてきた。慌てる。
びっくりしたボクに奴は謝罪した。
「妃候補を負傷させて、すみません」
「いや、違うんだ。お前は悪くない」
「ですが、全ては私の弱さが……!」
「お前は弱くなんかない。強いよ」
この時、ボクはようやく、理解した。
教育係は己の弱さを責めていたのだ。
きっと召使いに指摘された件だろう。
彼は教育係を甘いと言った。
そして弱くなったとも。だが、違う。
昔よりも、確かに甘くはなった。
最近は色々な表情を見せてくれる。
それを召使いは弱さと言った。
だが、違う。それは弱さでは、ない。
「お前はきっと優しくなっただけだ」
「殿下……?」
「だから、弱くない。お前は強い」
優しさが強さに繋がるかはわからない。
でも、そう信じたい。じゃなきゃ困る。
だってボクは、そんな奴が好きだから。
「……殿下は優しすぎます」
「そうでもない。ボクは自分勝手だ」
「そうなのですか?」
「ああ。だから、ボクは我儘を言う」
ボクは自分勝手だ。優しくなんかない。
勝手に憤って。勝手にもやもやして。
勝手に嫉妬して。勝手に落ち込んだ。
我ながら酷い奴だ。びっくりだ。
ここまで失態をして、開き直った。
開き直って、ボクは我儘を口にした。
「ボクとデートをしてくれ」
「デート……でございますか?」
「ああ、優勝者の権利だ」
優勝者の権利を景品であるボクが行使。
なんとも意味不明だが致し方あるまい。
たまにはこんな我儘をしてみたいのだ。
教育係はポカンとしている。
ややあって、要求を理解したらしく。
くしゃりとボクの頭を撫でて、頷いた。
「わかりました。デートをしましょう」
画して、ボクらは夜のデートをする。
「星が綺麗だな」
「ええ、月も綺麗です」
デートと言っても近場だ。
ボクの行動範囲は限られている。
教育係のクルマに乗って、裏山へ。
山頂でぼんやりと夜空を眺める。
眼下にはボクの通う学園が見える。
まさかあの学園に通うことになるとは。
この1年で、沢山の出来事があった。
妃候補達と出会い、親しくなったり。
銀髪メイドと打ち解けたり。
舞踏会に連れ出されたり。
そして、学園に通ったり。
その全てが、教育係のおかげだ。
こいつが来てから、変わった。
環境も、人間関係も、そして心境も。
軟禁生活で乾いた心が、潤った。
出れないと諦めていた外に出れた。
ボクに新しい世界を見せてくれた。
そんな教育係に、心からの感謝を。
「教育係」
「はい、なんですか?」
「これを受け取ってくれ」
「これは……?」
「ボクからの……プレゼントだ」
やっと、渡せた。ついに、渡した。
小箱を受け取った教育係。困惑してる。
きょとんとしながら、箱を開く。
中に入っているピアスを見て、驚いた。
「こ、これを私にくれるのですか!?」
「ああ、優勝祝いと……記念日だ」
「なんの記念日でしょう?」
「お前が教育係となり1年の記念日だ」
「殿下っ!ありがとうございます!!」
どうやら喜んでくれたらしい。
ぴょんぴょん飛び跳ねる教育係。
可愛い。可愛いな。うん、可愛い。
微笑むボクに、奴がハグしてきた。
ゴリゴリした教育係の平らな胸。
痛いけど、今日は咎めない。
星空の下で、しばらく抱き合う。
すると、奴の様子がおかしい。
肩を震わせて、冷たい雫を降らす。
ボクの教育係が、泣いていた。
「ど、どうしたんだ?」
「だって……嬉しくて」
泣きながら、はにかむ教育係。
そんな奴がいじらしくて、可愛くて。
世界で一番大切な存在に思えた。
そうだ。教育係は大切な存在だ。
以前、奴は言っていた。
初めてのキスの作法を。
本当に相手を大切だと思えた時。
まさに、今だ。今しかない。
よし、いこう。考えるまでもない。
この流れで、ボクは恋を始めよう。
「ボクはお前にキスをする」
「へっ?」
「嫌なら逃げてもいい」
教育係の頬を挟み込む。
無論、逃がすつもりはない。
というか、もうだいぶ近い。
ボクは詰めの一言を口にする。
「好き」
「ふぇっ?」
「好き。好きだよ。大好きだ」
「ふぇぇええええっ!?!!」
効果は覿面。完全に抵抗心を奪った。
奴のとろんとした瞳にボクが映る。
吐息が触れ合って、脳が溶けそうだ。
「だから、キスがしたい」
「うぅ……そんな言い方、ずるいです」
「ボクはお前が大切だ」
背伸びして、首を傾ける。
背の高い教育係も、身を屈めた。
心臓が高鳴る。もう、待てない。
「私も殿下が大切……んむっ」
あっさりと接触した。
教育係の言葉を遮って、キスをした。
触れるだけ。それだけで、とても熱い。
柔らかな奴の唇の感触が伝わる。
す、すす、すごい。なんてすごいんだ。
これがキス。これこそが、恋の始まり。
しばらく、陶酔感に浸り、唇を離す。
どちらも名残惜しげに、吐息を漏らす。
息を整えながら、見つめ合う。
次に言うべきことはわかっている。
もう恋は始まった。その関係を言葉に。
声に出して言葉にしないと伝わらない。
「教育係」
「はい、殿下」
「ボクの恋人になってくれ」
よし。言った。言ったぞ。
顔が熱い。そして今更不安になる。
と、とと、とんでもないことを。
勢いで、ボクは、言ってしまった。
そんなボクに奴は悪戯っぽく微笑み。
「くふっ。かしこまりました」
快諾して、今度は奴からそっとキス。
じわりと喜びが広がる。やった。
嬉しい! やった! 大成功だ!
今日くらいはにやけても良いだろう。
喜びを噛み締めていると、欲が出た。
ボクは欲望のままに、奴に懇願する。
「ね、もう一回キスしよ?」
「はい、これでよろしいですか?」
ちゅっと教育係がキスをする。
だけど、ボクの望みはそうじゃない。
もっとすごい姫君達がやってたような。
「そうじゃなくて、舌を入れて!」
「ぶっふぉっ!? げっふぉっ!?」
教育係が盛大にむせた。
なんだこいつ、大丈夫か?
怪訝な視線を向けると、奴がじと目。
赤い顔をして、ボクの頬をつねった。
「んあっ! なにをするんだ!?」
「おませさんへのお仕置きです」
「ボクの恋人の癖に生意気だぞ!!」
「年下の恋人の癖に生意気ですよ」
結局、ボクは子供扱い。奴は意地悪だ。
まあ、今はそれでも構わない。我慢だ。
それ以上の喜びを得られた。幸せだ。
この日、教育係はボクの恋人になった。




