第8話 『匂いの力』
「おい、教育係」
「なんでしょう?」
書類仕事をしながら問いかける。
書類と言ってもそれは恋文だった。
こうして毎日沢山の恋文が届く。
それに目を通すのがボクの日課だった。
「今朝の一件で侍女に嫌われた」
「殿下を嫌うなんてあり得ません」
「そうか?」
「ええ、恐らく照れているだけかと」
ふむ。そう言われると悪い気はしない。
しかし、あれは照れる場面だったか?
それどころの騒ぎではなかったような。
「くんかくんかっ!」
「……教育係」
「くんくん……なんでしょう?」
「さっきから何をやっているんだ?」
「殿下のパジャマを嗅いでいます」
教育係はさっきからこんな調子だ。
賭けで奪ったパジャマを嗅いでいる。
苦言を呈さずにはいられない。
「パジャマは嗅ぐ物じゃない。着る物だ」
「楽しみ方は人それぞれかと」
「元はボクの物だ」
「今は私の物でございます」
不毛な舌戦を繰り広げる。
教育係に口で勝つのは不可能だ。
なんとかして、嗅ぐのをやめさせたい。
そしてボクは閃いた。
「そうだ、もっと良いものをやろう」
「期待して、よろしいのですね?」
「ああ、ボクの靴下をやる」
「有難き、幸せ……!」
靴下をやると言ったら、喜ばれた。
おかしい。靴下でどうしてこんなに。
いや、これが普通なのだろうか?
とりあえず、パジャマを嗅ぐのをやめてくれるのならば、それに越したことはない。
「代わりにパジャマを返せ」
「嫌でございます」
「チッ。なら、貴様の靴下を寄越せ」
「よろこんで!」
なんだこの流れは。
まるでボクまで変態みたいだ。
えっ?なんだ、これ。
「では、足をお上げ下さい」
「う、うむ」
事態が飲み込めないボクの靴下を、教育係は跪いて、恭しく脱がす。
あっと言う間に両足を脱がされた。
そして次は自分の靴下を脱ごうとする。
それをボクは、そっと押し留める。
「殿下……?」
「ボクが脱がせるのが、筋だろう」
自分で言ってて意味不明だ。
王位継承を持つボクが、どうして教育係風情の靴下を脱がせるのか。
それでも、それが正しいと思ったのだ。
「足を出せ」
「殿下の御心のままに」
教育係の足が差し出される。
なんだか胸が苦しくて、顔が熱い。
変に息が荒くなる。教育係も同様だ。
急かされるように、靴下を脱がせた。
ちょっと乱暴だったかも知れない。
だけど、教育係の素足が見れた。
それだけでボクは満足だった。
「嗅がないんですか?」
「……後でな」
「殿下は天邪鬼ですね……もぐもぐ」
ボクを尻目に、教育係は靴下を貪る。
比喩ではなく、本当に食っていた。
正気ではないと思う。狂ってやがる。
だけど、ほんのちょっぴり羨ましい。
自分に正直なところが、好ましかった。
やはりこいつには勝てない。
ボクは肩を竦めてそう結論付けたのだった。