第78話 『トイレと水音』
「ト、トイレに、行きたいのか……?」
「はい、左様でございます」
夜中に何処かに向かう教育係。
何処に行くかと思えばトイレらしい。
奴はおしっこをしに行くつもりだ。
ならば、引き止めることは出来ない。
どうぞ、ご自由に行って貰いたい。
だが、しかし。現状、それは危険だ。
だって、部屋に1人ぼっちになるから。
この頃、毎晩聞こえるあの足音。
その正体は未だ不明なのだ。怖い。
1人で部屋に残ることは避けたい。
どうしたものかと考えあぐねていると。
教育係は再び先ほどの提案を繰り返す。
「一緒に、トイレに行きましょう」
手を差し伸べて、誘ってくる。
しかし、行き先はトイレだ。
一緒に行くような場所ではない。
常識的に考えれば部屋に残るべきだ。
だけど、それでも、どうしても。
1人ぼっちには、なりたくなかった。
「……わかった。一緒に、行く」
「くふっ。聞き分けがいいですね」
画してボクらは2人でトイレに向かう。
「さて、殿下」
「なんだ?」
「個室の外で待ってますか?」
トイレの個室の前で奴が問いかける。
外で待っているか、否かを。
もちろん外で待つべきだ。当たり前だ。
けれど、今は深夜で真っ暗。
そんな中、ボクは待つことになる。
駄目だ。そんなの、耐えられない。
だからボクは、教育係に懇願する。
「お願いだから、中に入れて」
「くふっ。よろこんでっ!」
そうしてボクらは2人で個室に入った。
「う、後ろ向いてるからっ!」
入って早々、奴はズボンを脱ぐ。
ボクは慌てて回れ右。後ろを向いた。
屋敷のトイレはわりと広い。
2人入っても、それなりに余裕はある。
ボクは扉と睨めっこするように立つ。
雑念を捨て去り、平常心を保つ。
たかが、おしっこじゃないか。
そんなの、誰でもすることだ。
やましいことなんて、ひとつもない。
そんなボクの袖を、奴がくいくい引く。
「どうしたんだ?」
「出来れば、見て欲しいのですが……」
は? 何言ってんだ、こいつ。
ボクに見て欲しいだと? おしっこを?
完全に変態の発想だ。教育係は変態だ。
本当に馬鹿げている。お話にならない。
考えるまでもない。そんなの絶対駄目。
だけど……あれ?
いや、ちょっと待て。
それは、早計かもしれない。
ふと、過去に受けた仕打ちがよぎる。
そう言えば以前、ボクは見られた。
おしっこをしてるところを、見られた。
ならば、その仕返しをするべきだ。
そう、これは絶好の好機。チャンスだ。
この機を見過ごす訳には、いかない。
「わかった。見てやろう」
「有難き幸せっ!」
承諾すると、教育係は嬉しそう。
ぱぁっと輝かんばかりの笑顔を見せる。
ボクは、引き受けて良かったと思った。
「さあ、殿下。膝に乗って下さいっ!」
「えっ?」
教育係は現在、便座に座っている。
奴の白い太ももが、とても眩しい。
そんな綺麗な太ももを叩いて誘う。
膝に乗れと、奴はボクを誘惑する。
もちろん、そんなのはよくない。
用を足してる最中に、膝に乗るなど。
絶対にやってはいけない行為だ。
でも、まあ、今日くらいは、いいかな?
頻繁にこんなことをしてはいけない。
けれど、たまになら……いいよね?
「と、特別、だからな……」
「はいっ! とっても嬉しいです!!」
結局誘惑に負けて、膝に乗る。
教育係はすこぶる上機嫌。
すりすりと頬ずりをしてくる。
そのことからもわかる通り。
ボクは向かい合わせに膝に乗った。
ちょっと、色々と間違ったかも。
けれど、今更どうしようもない。
至近距離で奴と向き合う。かなり近い。
改めて、綺麗な顔をしていると思った。
普段は白い頬に、朱が差している。
漆黒の瞳も、ウルウル潤んでいる。
奴の肩に手を置くと、びくりと震えた。
やば。ちょーかわいい。
思わずキスしたくなる。けど、我慢。
この状況は流石にない。駄目すぎる。
大切なキスを、今するのは良くない。
でも、教育係かわいすぎるし。
今なら文句言わないかも……って!
駄目だ。これ以上は我慢できなくなる。
ボクは慌てて、奴に排尿を促す。
「は、早く、おしっこしてっ!」
「したいのは山々なんですが……」
「どうしたの?」
「今更、緊張してしまいまして……」
この、ヘタレっ!
散々人を誘惑してきた癖にっ!
なに今更緊張してんだよっ!?
教育係は、いっつもこうだ。
エロい癖に、変なところで初心なのだ。
まったく、困った奴である。
さて、どうしたものか。
暫し考えて、名案が浮かんだ。
うん。これなら仕返しになるだろう。
「教育係」
「はい、なんでしょう?」
「ぎゅっとするね?」
「へっ?」
ポカンとする奴を、抱きしめる。
力一杯、ぎゅっとしてやった。
教育係はあたふたして、困っている。
「で、殿下、どうしたのですか?」
「教育係も、ぎゅっとして?」
「うぐっ!?……わ、わかりました」
おねだりすると奴が抱き返してくれた。
教育係の首筋に、頬を押し付ける。
すると奴は、優しくボクの背を撫でた。
ボクらは、便座の上で抱き合っていた。
しばらく、お互いの温もりを交換する。
それだけでとても幸せな気持ちになる。
けれど、目的を忘れてはいけない。
教育係に、おしっこをさせる為に。
ボクは、魔法の言葉を、口にした。
「ほら、教育係。しーってして?」
「ッ!? で、殿下っ!?」
「ほらほら、しーしーしー」
「やめて下さい!恥ずかしいですっ!」
しめしめ。教育係が恥ずかしがってる。
これでボクの気持ちがわかっただろう。
仕返しとして、奴の耳元に何度も囁く。
けれどなかなかおしっこが出てこない。
本当にこいつは強情な奴だ。
素直におしっこをすればいいものを。
仕方なく、ボクは最終手段を取る。
教育係から教わった、とどめの一撃だ。
「あむっ!」
「うひゃあんっ!?」
狙ったのはもちろん、耳だ。
奴の耳に嚙りついた。効果抜群だ。
教育係はびくびくしている。
うんうん。その気持ちはよくわかる。
ボクだって、同じ思いをしたのだから。
しばらく、がじがじと囓る。
教育係はよく耐えた。大したものだ。
けれど、呆気なく、決壊した。
「ああ、もうっ……駄目っ!?」
ひときわ大きく身を震わせる奴。
ボクは囓るのをやめて、抱きしめた。
その後のことは、よく覚えていない。
「ふぅ……すっきり爽快ですっ!」
「良かったな」
用を足し終えて、部屋に戻る。
教育係はスキップしそうな勢いだ。
そこまで喜んでくれたらボクも嬉しい。
そこで思い出したように奴が質問した。
「そう言えば、殿下」
「なんだ?」
「どうして起きていらしたのですか?」
「えっと、それはだな……」
「怖い夢でも見たのですか?」
ボクを気遣うような教育係。
心配させるのは、良くないよね。うん。
少しばかり逡巡して、決断した。
あの足音について、相談してみよう。
ボクらは一緒にトイレをした仲だ。
教育係ならば、力になってくれる筈。
話し終えると、奴は難しい表情をした。
「ふむ。足音……ですか」
「ああ。もしかして侵入者だろうか?」
「侵入者ならば警報が作動する筈です」
教育係は侵入者ではないと言う。
警備システムをかいくぐるのは不可能。
つまり、本当に怪異現象かもしれない。
「では、やはり幽霊なのか……?」
「くふっ。殿下は怖がりですね」
「う、うるさいっ!怖くなんてない!」
ここぞとばかりに揶揄う教育係。
真っ赤になって否定するが効果なし、
畜生。やっぱり話すんじゃなかった。
すっかり拗ねていると、部屋に着いた。
中に入ろうとしたら、異変に気付いた。
閉めて出た筈の扉が……開いている。
「きょ、教育係! 扉が開いてるっ!」
「ええ、侵入の形跡がありますね」
堪らず奴の腕にしがみつく。
教育係は冷静に現状を見定めた。
しかし、屋敷の警報は鳴っていない。
よって、外部からの侵入者ではない。
つまり、それが意味するところは。
「や、やっぱり、幽霊なのか……?」
「いえ、そう決めつけるのは早計です」
教育係はそう言って、部屋の中を覗く。
ボクも恐る恐る、覗いてみた。
すると、不思議な音が、聞こえてくる。
くちゅ……くちゅくちゅ……くちゅ。
またあの水音だ。一体何の音なのか。
薄闇に目を凝らし、音の発生源を探る。
すると、それはベッドから響いてくる。
誰もいない筈の、ボクのベッド。
しかし、その布団には膨らみがあって。
まるで、誰かが、寝ているようだった。
やばいやばいやばい! 怖すぎる!?
「なるほど。そう言うことですか」
パニックに陥りかけたボク。
しかし、教育係は何やら納得した模様。
そのままズカズカと部屋に入っていく。
慌てて止めようとしたが、時既に遅し。
教育係が布団をむんずと掴んだ。
そして幽霊ごと、こちらに放り投げる。
「むぎゃっ!?」
「ぎゃあああああああああっ!?!!」
「うぐぅ……い、痛いです……!」
べちゃっと床に落下した幽霊。
扉の前に立つボクの前に転がる。
それは、ホラー映画のラストのようで。
堪らず叫ぶと、幽霊が呻く。
背中をしたたかに打ち付けた様子。
しかし、痛いだって? 幽霊なのに?
怪訝に思って、よく見ると。
それは幽霊などではなく。
見知った、ボクの銀髪メイドだった。
「ぎ、銀髪メイドか……?」
「あぅ……見つかってしまいました」
寝巻き姿の銀髪メイド。
ゆったりとしたワンピースを着ている。
何故か、片足にパンツをひっかけて。
困惑してると、奴が解説してくれた。
「足音の正体はこのメイドです」
「そ、そうなのか……?」
「はぃ……ごめんなさぃ」
メイドは項垂れて反省している。
片足にはパンツを引っ掛けたままだ。
とりあえず、パンツを穿いてくれ。
「くちゅくちゅ目当ての犯行ですね?」
「はぃ……申し訳ありません」
教育係の追求に素直に自白したメイド。
くちゅくちゅ目当ての犯行らしい。
いや、それが何かは知らないけど。
とにかく、ボクはほっとしていた。
幽霊じゃなくて、本当に良かった。
それだけで、全てを許せる程に。
「銀髪メイド」
「ご、ごめんなさぁいっ!!」
口を開くと、メイドは平伏した。
怒られると思ったのだろう。
そんなメイドに顔を上げるよう促す。
「いや、いいんだ」
「ふぇっ?」
「くちゅりたかったら、ボクに言え」
「よ、よろしいのですか……?」
「ああ、だから隠れてしないでくれ」
「あ、ありがとうございますっ!!」
それが何かは知らないが。
くちゅりたければ、堂々として欲しい。
隠れてするから、事件になるのだ。
そう諭すと、メイドは嬉しげに頷いた。
そのやり取りを見て、奴が文句を言う。
「殿下はメイドに甘すぎです」
「お前もくちゅっていただろう?」
「それは、そうですが……」
「ならば、固いことは言うな」
教育係を言いくるめて、話は終わりだ。
ボクはもう眠い。ベッドに入る。
メイドの体温が残っていてあったかい。
「では、殿下。くちゅりますね!」
早速メイドがくちゅり宣言。
いそいそと、ボクの左隣に横になる。
右隣の教育係が呆れた口調で忠告した。
「終わったら自室に戻りなさい」
「はいっ! かしこまりましたっ!!」
元気に返事をして、くちゅるメイド。
その水音を聞きながら、眠りにつく。
何の音かなんて、どうでも良かった。
ボクは心底、安堵していた。
微睡みの淵で、しみじみ思う。
幽霊の正体がメイドで良かった、と。




