第74話 『洗車日和』
「教育係」
「はい、如何しましたか?」
「その格好はどうしたんだ?」
よく晴れた日の休日の朝。
目を覚ますと、既に奴は起きていた。
そして、見慣れない服を着ていた。
それは、どう見ても、作業着。
それも、上下が繋がったツナギである。
教育係の激レア☆コスチューム姿。
思わず、まじまじと眺めてしまう。
「気になりますか?」
「ああ、とても気になるな」
勿体振る教育係。
罠だと思いつつも、食いつく。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
ここは敢えて、奴の誘いに乗ろう。
気を引き締めて奴の意図を探る。
それに水を差すように。
教育係は窓の外を眺めて話題を逸らす。
「今日はとても天気が良いですね」
「それがどうした?」
明らかに関係のない無駄話。
だから、警戒が疎かとなった。
そんなボクの隙に、奴は付け入った。
「絶好の洗車日和だと思いませんか?」
絶好の洗車日和。
本日は快晴。雲一つすらない、青空。
確かに、洗車日和と言えよう。
ふむ……洗車、か。
クルマを洗うのか。
なんだか、とっても楽しそう。
洗車という魔法のキーワード。
それに対して、ボクは興味を持った。
それが、教育係の罠だとも知らずに。
「つまり、今日は洗車をするんだな?」
「はい、その為のツナギでございます」
その説明にボクはすんなり納得。
洗車は水を沢山使う。服が濡れる。
だから、教育係は作業着姿なのだ。
よって、洗車をする為には、当然。
「殿下のツナギもご用意しています」
ボクもツナギを着る必要が、ある。
そこでようやく、奴の意図が読めた。
また、着せ替え人形にするつもりだ。
奴はボクにツナギを着せたがっている。
完全に奴の術中に嵌まってしまった。
しかし、今更後には引けない。
だって、洗車、楽しそうだし。
けど、着せ替え人形にされるのは癪だ。
なんとかならないものか。
一応、教育係に尋ねてみる。
「ツナギは着ないといけないのか?」
「はい、着なければ洗車はお預けです」
それならば仕方ない。やむを得ない。
是非もない。選択肢など……なかった。
ボクは教育係に従わざるを得なかった。
「……わかった。着よう」
「くふっ。殿下は素直な良い子ですね」
そうして、ボクはツナギに着替えた。
「ちょっとサイズが大きいぞ?」
「袖と裾を捲れば問題ありません」
用意されたダボダボの真っ赤なツナギ。
余った手足の袖と裾を捲くられた。
すると、黒い裏地がアクセントに。
それを見て、教育係は満足げ。
ジロジロ見られて恥ずかしい。
そして、奴が感想を一言。
「とっても可愛いですよ、殿下」
「い、いいから、早く洗車しようっ!」
「はいはい。かしこまりました」
画して、ボクらは2人で洗車を始める。
「まずは水で洗い流しますね」
玄関前のロータリーに停めた愛車。
ホースを使って水をかける教育係。
降り注ぐ日光に水がキラキラ反射。
ボクらの愛車も気持ち良さそうだ。
「次に、洗剤とスポンジで洗います」
バケツに水を汲んで洗剤を投入。
スポンジを入れてかき混ぜる。
すぐに泡立って、モコモコになった。
「なんだか美味しそうだな」
「とっても苦いですけどね」
まるで、わたあめのような。
そんな、夢のようなふわふわの泡。
それに対して教育係の夢のない一言。
まったく、こいつはいっつもこうだ。
ボクとは価値観が違いすぎる。
それなのに、何故好きになったのか。
恋愛とは本当に不可思議で理解し難い。
「殿下も洗ってみますか?」
「うんっ! やってみる!!」
むすっとしたボクにスポンジを手渡す。
たちまち機嫌は直って、大興奮。
まったく、こいつはいっつもこうだ。
ボクの扱い方が、とても上手い。
だからきっと、好きになったのだろう。
「こんな感じでいいのか?」
「ええ、とってもお上手でございます」
しばらくスポンジでクルマをゴシゴシ。
傷つかないように優しく撫でるように。
やっと、ドア一枚を洗い終えたボク。
すると奴は他の部分を洗い終えていた。
教育係は洗車をするのも早くて上手だ。
「ふぅ……少し、暑いですね」
感心していると、額の汗を拭う奴。
作業着姿も相まって、格好良い。
やっぱり素敵だな〜と、思ってたら。
不意に奴が、ファスナーを下ろす。
すると、その薄い胸元は、真っ白で。
透き通るような素肌が、露出していた。
「教育係」
「はい、なんでしょう?」
「ツナギの下には何も着てないのか?」
「はい、それがマナーですので」
いやいやいや! 何がマナーだよっ!?
信じられない。何考えてんだ。
素敵とか思っていた自分が恥ずかしい。
そこで、ふと思った。
百歩譲って、上はともかくとして。
では、下は? 下はどうなってるんだ?
そう思って、奴の尻を眺める。
ふむ……やはり、ない。
パンツラインが、どこにも、ない。
どうやらツナギの下は、全裸らしい。
もう本当に……何なんだろうこいつは。
一体何が目的で、何がしたいのか。
頭を抱えて尻を眺めていると叱られた。
「殿下、私のお尻を見すぎです」
「いや、だって、パンツラインが……」
「まったく殿下は最近いやらしいです」
ぷんぷん怒って尻を両手で隠す奴。
何だろう、この理不尽さ。酷すぎる。
よりにもよっていやらしいと言われた。
ツナギの下が真っ裸な、教育係に。
堪らず、ボクは奴に反論した。
「お前の方が普段から変態だろうが」
「それが私の仕事ですから」
「全裸でツナギを着ることが仕事か?」
「はい、それが私の職務でございます」
飄々と反論を受け流す教育係。
とんでもない奴だ。とんでもない変態。
だからこそ、不思議に思う。
こんなに変態なのに、どうして。
どうして、キスはしてくれないのか。
唇との、本物のキスを、避けるのか。
それが、どうにも、気になった。
「教育係」
「はい、どうしましたか?」
「お前は変態だよな?」
「ええ、左様でございますね」
「なのに、なんでキスはしないの?」
あっさり自分を変態と認めた教育係。
しかし、キスの質問には、固まった。
みるみる内に、顔が赤く染まっていく。
やはり妙だと思って、問いただす。
「どうして唇にキスしてくれないの?」
「だからそれはまだ早すぎるので……」
「じゃあ、いつになったらいいの?」
矢継ぎ早に、問う。
すると奴は赤い顔で困った顔をした。
そして、どうにもならず、暴挙に出た。
「もうっ! しつこいですよ、殿下!」
「うひゃあっ!? つ、冷たいっ!?」
返答に窮した奴のホース攻撃。
冷たい水をボクにかけてきた。
水をかけられるなんて、初めてだ。
ボクは王位継承者なのに。偉いのに。
怒って、バケツの水を奴にぶっかける。
「うぷっ!? 洗剤が目に染みます!」
「どうだっ! 参ったか!?」
「目が……目がぁっ!?」
泡だらけの教育係。
目を押さえて、かなり痛そう。
さ、流石にやり過ぎだったかな?
教育係からホースを貰って、洗い流す。
「だ、大丈夫……?」
「……よくも、やってくれましたね?」
「ひっ!?」
視界を取り戻した教育係。
その漆黒の瞳が充血して赤らむ。怖い。
堪らず逃げようとしたら、捕まった。
そのまま水を、背中に流し込まれる。
「ひぃやあああっ!? 冷たいよぉ!」
「悪い子には、お仕置きですっ!!」
「ごめんなさぁいっ! 許してっ!!」
しばらく水攻めを食らったボク。
下着まですっかりびしょ濡れだ。
そんなボクにタオルをかける教育係。
そのまま、濡れた髪を拭いてくれた。
「あ、ありがと」
「くふっ。どういたしまして」
こいつは突然優しくなるから困る。
さっきまであんなに怒ってたのに。
優しい手つきで、ボクの赤髪を拭く。
拭き終えたら今度は自分の黒髪を拭く。
濡れて、艶やかな奴の黒髪。綺麗だ。
それを拭く様子に、見惚れてしまう。
そこで、不意に、教育係が口を開いた。
「初めてのキスは、大切なものです」
「えっ?」
突然そんなことを言われて、困惑。
恐らく、キスを避ける理由だろう。
その訳を、教育係は説明してくれた。
「唇とのキスは、特別なキスです」
「特別なキス……?」
「はい、とてもとても大切なキスです」
唇とのキスを大切なキスだと奴は語る。
それは、なんとなくボクにもわかる。
他のどの場所よりも、刺激的なキス。
これまでの未遂の経験から察していた。
「ですから、いまはまだ早いのです」
大切で、大事で、特別なキス。
だから、まだ早いと奴は諭す。
だけど、それだけでは、わからない。
具体的に、いつならば、良いのだろう。
「いつになったら出来るんだ?」
「本当に相手を大切だと感じた時です」
本当に相手を大切だと感じた時。
その時が来たらしていいらしい。
ならば、大人しく、その時を待とう。
「わかった。覚えておこう」
「くふっ。素直でよろしい」
この話は終わりと言わんばかりに。
奴は話題を打ち切り、クルマを洗う。
泡を洗い流していく教育係。
そんな奴に、ボクは懲りずに質問する。
「教育係」
「はい、なんですか?」
「お前はそのキスをしたことあるか?」
ピタッと動きを止める教育係。
またもや顔が赤くなっている。
そして返事の代わりに水をかけてきた。
「な、何をするっ!?」
「失礼。頭は冷えましたか?」
「ふざけるなっ!?」
真面目に聞いたのに、この仕打ち。
憤慨しつつも、なんとなくわかった。
そろそろこいつとも長い付き合いだ。
恐らく、これは奴なりの、照れ隠し。
つまり、教育係は、経験がないのだ。
本物のキスをしたことが、ないのだ。
それは、ボクにとっては嬉しいことだ。
お互い初めてならば、焦る必要はない。
ゆっくりとその時を待つだけだ。
冷静に分析して、落ち着きを取り戻す。
すると、教育係は、戸惑った様子。
そんな奴に、ボクは仕返しをしてやる。
「教育係」
「な、なんですか……?」
「お前は意外と初心なんだな」
「うぅ……殿下の意地悪」
ボクの教育係は、この手の話題に弱い。




