第65話 『クロスライン』
この物語はフィクションです。
ここに描かれている走行シーンは決して真似しないでください。車を運転する際は交通ルールを守り、安全運転を心がけてください。
「開始の合図を頼めるかしら?」
「ボ、ボクが……?」
「ええ、よろしくね」
桃色髪の無茶ぶり。それも当然か。
他に合図を出せる者はいない。
教育係と召使いは神経を尖らせている。
桃色髪の姫君はバイクに2ケツ。
発進時に合図など出せる筈もない。
助手席に座ってるだけのボクが適任だ。
よって、ボクが合図を出すことになる。
なんだか緊張するな。
舌を噛まないように気をつけよう。
その前に。
気になっていたことを尋ねる。
「プロテクターは付けないのか?」
桃色髪の姫君に尋ねる。
彼女はスカートを穿いていた。
召使いのジャケットを腰に巻いている。
けれど薄着であることには変わりない。
転んだら、大怪我をしてしまう。
そんなボクの懸念は、杞憂だった。
「平気よ」
「いや、しかし……」
「うつけが私を怪我させるわけないわ」
きっぱりと言い切る桃色髪の姫君。
召使いに対して相当な信頼寄せている。
そして、彼の背中にぎゅっと抱きつく。
それに伴い、豊満な胸が彼の背中に。
「うはっ! たまらんっ!!」
召使いが下品な歓声をあげる。
ちなみに首輪の鎖は首に巻いてある。
走行中に鎖が邪魔にならないように。
意外と気が回る、姫君の召使い。
そんな彼のメットを無言で叩く桃色髪。
けれど、腰には手を回したまま。
またもや、見せつけられてしまった。
教育係が苛ついて、苦言を呈す。
「お喋りはそのくらいにして下さい」
グォングォンと、アクセルを吹かす奴。
これ以上機嫌が悪くなる前に始めよう。
「それじゃあ、始めるぞ」
「ええ、いつでもよくってよ」
同意を得て、片手を掲げる。
漫画ではこうして合図を出していた。
ええと、こんな感じかな?
「カウントいくぞっ!!」
声を張り上げ、注目を集める。
恥ずかしいけど、ちょっとウキウキ。
指を折って、カウントダウンを開始。
「5!」
教育係が1速にギアを入れる。
召使いもガチャンとギアを入れた。
「4!」
両者、アクセルを煽る。
凄まじい排気音と熱気。
張り詰めた緊張感が辺りに漂う。
「3!」
教育係がちらりとこちらを見た。
ボクは視線に力を込めて、見返す。
奴は頷いて、再び視線を前に向ける。
「2!」
召使いの姿勢が下がる。
桃色髪も彼に寄り添い、腹ばいに。
ニーソに包まれた膝で彼を挟み込む。
完全に2人は一体化していた。
「1!」
両者一気にアクセルを開ける。
回転数を自分の望む位置に固定。
あとはクラッチを離すだけ。
「GO!!」
掲げていた手を、振り下ろす。
フライングはなく、綺麗なスタート。
両者、絶妙なクラッチミート。
ホイルスピンは一瞬。
すぐに路面をタイヤが捉える。
猛烈な加速感が、ボクを襲う。
背中をシートに押し付けられる。
教育係はゼロヨンの天才だ。
ボクは興奮して、叫んだ。
「いっけぇぇええええええっ!!!!」
教育係と召使いのバトルが幕を開けた。
出だしを制したのは、教育係。
ミッドシップのトラクションの良さ。
それを生かして、飛び出す。
その斜め後方。
出遅れた召使いがスロットルを全開。
超高回転域まであっと言う間に到達。
桃色髪の嬌声が、響き渡った。
「きゃっほー! さいこーっ!!」
パァーンッ!と吐き出される排気音。
その音と、姫君の声が、混じり合う。
僅かにフロントタイヤが持ち上がる。
すぐにそれは、ボクらを追い抜いた。
「やはり、軽さは強力な武器ですね」
躍り出たバイクを見据えて奴が呟く。
軽さは武器だ。それも非常に強力な。
パワーウェイトレシオ。
馬力と車重の比率を表したものだ。
それが小さい程、高い加速性能を誇る。
バイクはその点クルマに比べて有利だ。
絶対的な馬力数値はクルマの方が上。
しかしバイクの車重はクルマより軽い。
車重1キログラム当たりの馬力で勝る。
もちろん、トラクションも重要だ。
軽すぎて力を伝えられなければ無意味。
トルクも太さもまた、同様。
けれど、あまりにも、バイクは軽い。
それでも、最高速度はクルマが有利。
安定性も高く、伸び代は豊富。
けれど、バイクに追いつくよりも早く。
離宮へと向かう峠道に、到達する。
待ち構える第1コーナー。
そこに、ボクらは、飛び込んだ。
先に前を走る召使いが減速。
彼のバイクとの距離が詰まる。
続いて教育係も減速。
ぐんっと、フルブレーキング。
その間に、バイクがアクセルを開く。
パタンと車体を倒しながら、曲がる。
まるで、吸い付くようなコーナリング。
教育係もそれを追う。
アウト・イン・アウト。
両者、コースの幅を目一杯使っている。
そして、ストレートを立ち上がる。
その立ち上がり加速に、違和感。
別にミスをしたわけではない。
それなのに、一歩、先を行かれる。
「バイクのコーナーが遅すぎますね」
教育係が恨み言を漏らす。
どうも、コーナーが遅すぎるらしい。
それもその筈、何せ向こうは2ケツだ。
召使いはハンデを背負っている。
特に減速時とコーナリングの際。
荷重が重要な場面では致命的だ。
けれど、それでも、バイクは、速い。
「加速が無駄に良いのがむかつきます」
教育係はイライラしてる様子。
バイクのペースに付き合うと失速する。
当然、回転数も落ち込む。
すると、パワーバンドに乗せられない。
エンジンの一番美味しい回転数。
そこまで上げる間に、引き離される。
では、コーナリングで抜けばいい。
しかし、そう簡単にはいかない。
コースの横幅いっぱいのバイクの走り。
それが、難点だった。抜くに抜けない。
しばらく、苦しい展開が続く。
バイクのペースに付き合うこと、数分。
離宮の裏山の山頂まで来てしまった。
残りは半分。
離宮まで下る、ダウンヒル。
ここで勝負を決めないと、負ける。
召使いは大したものだった。
ハンデを物ともせずに、走り抜ける。
ヒラヒラと、まるで木の葉のように。
それに感心していると教育係が動いた。
「仕方ありません。あの手を使います」
何やら秘策がある模様。
ボクは漫画の知識から閃いた。
もしや、あの技だろうか?
「路肩の溝を使う走りか?」
「下回りを擦るので無理ですね」
ばっさりと却下。
教育係はこんな時でも至ってクール。
「じゃあ、地元スペシャルか?」
「殿下を危険に晒すことはできません」
跳んだり、側溝を飛び越えたり。
そんなのを期待していたのに、却下。
ボクの安全の為なら文句も言えない。
「だったら、どうするんだ?」
「くふっ。こうするのですっ!」
次のコーナに差し掛かる、直前。
ガンッ!と、教育係がクラッチを蹴る。
その瞬間、一瞬駆動力が失われる。
次の瞬間には、またクラッチが繋がる。
エンジンの駆動力が、一気に伝わった。
そして、タイヤのグリップが失われた。
ギャッギャッギャーッ!!
けたたましいスキール音。
それと共に、向きを変える車体。
教育係は逆側にハンドルを当てている。
ボクはこの日……
初めて、『ドリフト』を経験した。
「怖いですか?」
「ううんっ! すっごく楽しいっ!!」
真横に振られながら、はしゃぐボク。
教育係は口の端を上げて格好良く笑う。
ボクの教育係は本当に運転が上手い。
流れるように軽やかに。
ハンドル捌きは緩やかに。
グリップを失いながらの制御。
絶妙なアクセルワークで立ち上がる。
するとさっきよりもバイクに近づく。
一般的にドリフト走行は遅い。
タイヤを空転させてるから当たり前だ。
しかし、コーナー時のストレスを発散。
回転数を落とすことなく曲がる術。
教育係はそこに目を付けたのだろう。
ドリフト走行で、勝機を見出した。
「さて、反撃返しといきましょう」
次のコーナーが迫る。
差し掛かる直前に逆向きに振る。
その慣性力を活かしてスライド。
慣性ドリフトを披露する教育係。
どんどん差は詰まる。
バイクはもう目と鼻の先だ。
けれど、峠道の終わりも近い。
残すコーナーは、あと1つのみ。
最終コーナーの先にはすぐに離宮が。
このコーナーを制した者が、勝者だ。
コーナリングは内側が有利。
インを抜けるのが、最短のライン。
だからこそ何としてもインに入りたい。
バイクをせっつくように動向を伺う。
すると、召使いはラインをブロック。
右に左に、邪魔をしてくる。
インに入りたいのに、入れない。
「そっちがその気ならばっ!!」
教育係がステアリングを切る。
奴はアウトからアプローチを仕掛ける。
けど、駄目だ。それじゃあ抜けない!
インだっ! インにいけぇぇええっ!!
思わず叫びそうになる。けど、我慢。
ボクが教育係を信じなくてどうする!
ギリギリのレイトブレーキング。
教育係が、召使いと、並んだ。
けれど、インを走る彼の方が、速い。
すぐにバイクが前に躍り出る。
そこで、ちらりと、翻る。
桃色髪のスカートが、風に靡く。
ブレザーが巻かれた彼女の腰元。
しかし、横からの風圧には弱い。
桃色髪の姫君のパンツのゴムが露わに。
見ると、くりっと、捻れている。
桃色パンツのゴムが、クロスしていた。
衝撃的な光景に、思わずボクは呟く。
「パンツラインが、クロスする……?」
時を同じくして。
クルマのラインが切り替わる。
まるでパンツのゴムと同じように。
ラインが拗れ、クロスしていく。
突っ込みすぎてアウトに膨らむ召使い。
それによって、インがガラ空きに。
そこに教育係が飛び込んだ。
ぐぐぐっと、鼻先がバイクに並ぶ。
そしてコーナーを抜け、立ち上がる。
そのまま、サイドバイサイド。
けれど、こちらの回転数は十分。
失速したバイクをゆっくり引き離す。
このまま……! このまま、いけっ!
ここはボクの離宮のホームストレート。
召使いには、絶対抜けないっ!!
「ぶっちぎれぇぇええええっ!!!!」
ボクの命令に答えるように引き離す。
やがて、召使いがアクセルを抜いた。
上体を持ち上げ、戦闘姿勢を解除した。
その時点で、勝敗は、決した。
まるで夢のようなひと時。
見果てぬ夢の果てに、勝利を掴んだ。
ボクの教育係の……勝ちである。
教育係はそのままサブロクターン。
駒みたいに回り、一回転する。
真後ろを向いて、敗者を迎える。
召使いのバイクと正面から対峙する。
彼はヘルメットを脱いで肩を竦めた。
「まったく、ヒヤヒヤしたぜ」
「ブロックラインなんてするからです」
互いに呆れた口調の両者。
それでも微笑み合っている。
バトルの醍醐味がそこにあった。
桃色髪の姫君がすたっと降り立つ。
ヘルメットを脱いで桃髪を振り払う。
そして、腰に手を当てて、敗北宣言。
「負けたわ。あなた達は……速かった」
「お前達も、速かったよ」
ボクと彼女は互いの健闘を讃え合う。
いや、ボクらは運転してないけどね?
けど、バトル後の余韻に浸りたかった。
そのくらいは、許して欲しい。
すると、彼女はボクの背後を指差した。
「あれが、あなたの離宮ね?」
そう、ここが、ボクの家だ。
長らく幽閉され軟禁生活を送った場所。
そして、それを彼女は、離宮と呼んだ。
ならば、もはや隠す意味は、あるまい。
「そうだ。そして、ボクこそが……」
ウィッグを脱いで、カラコンを外す。
露わとなった赤髪、そして赤い瞳。
それを見ても桃髪の姫君は動じない。
腕を組み、鼻を鳴らして見据える彼女。
鳶色の視線から目を逸らさず、告げる。
「この国で唯一の、王位継承者である」
ボクは桃色髪の姫君に正体を暴露した。




