第64話 『絶対不可侵な領域』
「教育係」
「えっ? は、はい、なんですか?」
「箸が止まっているぞ」
その日、昼休みに教室で昼食中。
さっきから教育係の箸が止まっている。
最近、奴の様子がおかしい。
「体調でも悪いのか?」
「いえ、少し考えごとを……」
ぼーっとして、考え事をしている。
そして、時折おでこを気にする素振り。
ボクが額にキスして以来こんな調子だ。
今もおでこをこすっている。
どことなく、顔も赤い。
ボクは心配になって、尋ねる。
「熱でもあるのか?」
「だ、大丈夫です」
「本当か?……どれ」
熱の有無を確かめるべく、手を伸ばす。
教育係はきょとんとして、無防備。
そんな奴のおでこに、そっと触れる。
「デ、デンカ様……」
「……ふむ。熱はないようだな」
「そ、そうですか」
「ん? どんどん熱くなってきたぞ?」
「ほ、本当に大丈夫ですからっ!」
ボクの手を振りほどく教育係。
その手をぎゅっと握って健康を示す。
何故か奴と握手する形になった。
そんな不審な教育係の顔は真っ赤。
漆黒の瞳が潤んで、妙に色っぽい。
そんな目で見られるとボクまで照れる。
しばらく、見つめ合う。
きっとボクの顔も真っ赤だろう。
なんだか、おかしな気分になる。
教育係がいつになく、可愛かった。
咳払いをして、視線を逸らす。
そして、握っていた手を離す。
気を取り直して、話題を振る。
最近、気になっていることがあった。
「教育係」
「はい、如何しましたか?」
「桃色髪の姫君のことなんだが……」
「彼女がどうかしましたか?」
小首を傾げる教育係。
どうやら普段の調子を取り戻した様子。
ボクも努めて冷静に、質問をする。
「姫君が履いている靴下が、気になる」
「靴下ですか?」
「ああ、彼女の靴下は随分と長い」
「オーバーニーソックスですからね」
さらっとボクの疑問に答える教育係。
オーバーニーソックス?
何だそれは。特別な靴下なのだろうか?
「オーバーニーソックス?」
「はい。略して、ニーソです」
「それは、特別な靴下なのか?」
「膝よりも丈が長い靴下のことです」
見たまんまの呼び名のようだ。
ちらりと桃色髪の姫君に視線を向ける。
召使いに肩を揉ませて、気怠げ。
優雅に足を組んで、頬杖をついている。
そんな彼女の足には長い靴下が。
なるほど。確かに膝よりも上だ。
だからオーバーニーソックスか。
ふむふむと納得するボク。
そんなボクとは裏腹に教育係は不満げ。
眉根を寄せて、むむむっと睨んでいる。
「どうかしたのか?」
「ニーソには特殊な意味があるのです」
「特殊な意味?」
「メインヒロインがよく着用してます」
「メインヒロイン?」
「はい、主となるヒロインのことです」
そんな特殊効果があるらしい。
メインヒロイン御用達のニーソ。
それが教育係はご不満らしい。
「どうして彼女がニーソを……」
「姫君はメインヒロインなのか?」
「まさか、そんな、縁起でもない」
酷い言いようだ。
まるで親の仇のように睨む教育係。
すると、桃色髪の姫君がこちらを見た。
鳶色の視線が、ボクを射抜く。
咄嗟に目を逸らすが、時既に遅し。
姫君は立ち上がり、こちらに来る。
カツカツと靴音を鳴らして。
ボクのすぐ傍で、仁王立ち。
腰に手を当てて、ふんっと鼻を鳴らす。
そして、キツい口調で、尋ねてきた。
「私に何か御用かしら?」
「えっと、その……靴下が気になって」
「靴下?」
正直に返答すると、ぽかんとした。
ややあって、意味を理解した様子。
ずいっとニーソに包まれた足を出す。
「これが、気になるの?」
「あ、ああ、見慣れなくてな……」
「ふーん」
何気無い口調で返答するボク。
しかし、視線はニーソに釘付け。
スカートとニーソの間の太もも。
ぷにっとしていて、食欲を唆る。
思わず、かぷっと噛みつきたくなる。
「姫さんはニーソが似合うからな」
「こら、うつけ。何をするつもり?」
「ニーソの素晴らしさを教えるのさ」
いつの間にか姫君の背後に召使いが。
そのまましゃがみ込む彼。
おもむろに、ニーソを摘む。
そして、引っ張って、離す。
パチンと、ニーソが太ももに弾ける。
ぷにっとした肉が、波打つ。
それは、とても心踊る光景であった。
「痛いっ! なにすんのよっ!?」
「絶対領域の真価を見せたくてさ」
ベシッ!と平手で叩かれる召使い。
ヘラヘラしながら、弁明した。
絶対領域とやらの、真価を見せる為と。
それが気になって、奴に質問する。
「教育係」
「はい、如何しましたか?」
「絶対領域とはなんだ?」
「絶対不可侵な領域の事でございます」
絶対不可侵な領域。
なるほど。確かに不可侵な領域だ。
スカートとニーソの間の太もも。
唯一露出している、素肌。
触れてみたいけど、憚られる。
それは如何にも冒しがたい神域だ。
絶対領域とは、よく言ったものだ。
感心するボクに、姫君が囁いた。
「欲しい?」
「えっ?」
「私のニーソ……欲しいの?」
突然の問いかけに、時間が静止する。
今、なんと聞かれた?
欲しい? ニーソが欲しいと?
質問の意味を理解して、吟味する。
欲しいかと聞かれたら、欲しい。
欲しくないと言えば、嘘になる。
嘘をつくのは、いけないことだ。
それが自分の気持ちにつく嘘なら尚更。
ボクは、嘘をつくのは、嫌だった。
「欲しい」
「そ。なら、あげるわ」
欲しいと言ったら、くれると言う。
なんて良いお姫様なのだろう。
しかし、ボクは知らなかった。
タダより高いものは、ないのだと。
「その代わり、あなたの秘密を教えて」
「へっ?」
呆気に取られるボク。
桃色髪の姫君は意地悪な笑みをしてる。
どうやらボクは、嵌められたらしい。
「ひ、秘密って……?」
「その瞳と髪の秘密」
瞳と髪の秘密。
つまり、ボクの変装についてだろう。
ダラダラと冷や汗が流れる。
すこぶる不味い状況だ。
極めて遺憾だ。どうしてこうなった?
理由は単純だ。
ニーソに目が眩んだボクが悪い。
阿呆らしすぎて恥ずかしくなってきた。
そんな愚かなボクを見かねて。
教育係が助け船を出した。
「あまり詮索はしないで下さい」
「私はこの子と話してるのよ」
「まずは私に話を通して下さい」
「そんなの嫌よ。面倒くさい」
高慢な態度であしらう桃色髪の姫君。
教育係はカチンときた様子。
むっとして言い返すよりも、早く。
姫君の召使いが、間に割って入った。
「まあまあ、ここはひとまず冷静に」
「貴方に窘められる筋合いはないです」
「そう言うなって。逆に考えてみろ」
「逆に?」
「あの子のニーソ姿、見たくないか?」
何やら教育係を唆し始めた召使い。
彼の髪と瞳は奴と同じく、漆黒だ。
けれど、彼の顔はヘラヘラしている。
ボクの教育係はそんな顔はしない。
髪もふわっとした癖っ毛。
直毛の教育係とは違う黒髪。
似ているようで、似ても似つかない。
そんなことは、さておき。
ボクの……ニーソ姿? なんだそれは。
ボクはただ、ニーソが欲しいだけだ。
履くなんて、一言も言ってない。
慌てて文句を言うよりも、早く。
教育係が、決断を下した。
「やむを得ませんね」
「んじゃ、決まりだな」
「ええ、背に腹は代えられません」
ええっ!? それでいいのか!?
そんな理由で秘密バラしていいの!?
仰天するボクをよそに、話がまとまる。
「それじゃあ、秘密を教えて貰うわ」
「い、今、ここで……?」
得意げな姫君に、たじたじ。
教室には他の生徒も多数居る。
ここで正体を暴露するのは避けたい。
すると彼女は、こんな提案をしてきた。
「放課後、あなたの家にお邪魔するわ」
「えっ?」
「今日は一緒に帰りましょう」
それだけ告げて、彼女は去った。
あまりに一方的な自宅訪問宣言。
桃色髪の姫君が、ボクの離宮に来る。
それを理解して、教育係に縋り付く。
「た、大変なことになってしまった」
「まったく、デンカ様のせいですよ?」
「お、お前が勝手に許可した癖にっ!」
「だって、ニーソ姿が見たかったので」
だってじゃないっ!
そう叱ろうにも原因を作ったのはボク。
頭を抱えて項垂れることしか出来ない。
そんなボクの背を教育係が撫でる。
まるで、慰さめるように、優しく。
そして、優しく尻を触られた。
それに怒る余裕すらない。
桃色髪の来訪にびくつきながら。
ボクは放課後を迎えた。
「そう言えば、教育係」
「はい、なんでしょう?」
「ボクらのクルマは2人乗りだろう?」
「はい、左様でございますね」
授業を終え、学校を後にする。
桃色髪と召使いは後ろをついてくる。
そんな彼らの移動手段が、気になった。
「彼女達はどうするのだろう?」
「さあ? 歩いて参られるのでは?」
教育係は特に気にしていない様子。
さすがに来客を歩かせるのは良くない。
しかしボクらのクルマは2シーター。
だから、ボクは2人に尋ねた。
「お前達はどうやって移動するんだ?」
「気にしなくて平気よ。手段はあるわ」
聞くと、手段はあるとのこと。
ならば、気にせず帰ろう。
連絡をして車を手配する必要はない。
そのままボクらは、学校の裏手に。
「それでは、クルマを取ってきます」
「ああ、頼む」
教育係がクルマを取りに向かう。
とはいえ、クルマはすぐそこだ。
目に見える位置に置いてある。
すると、召使いも動いた。
「んじゃ、俺も取って来るわ」
「ええ、待ってるわ」
姫君を残して、何処かに向かう召使い。
そのすぐ後に、教育係が戻ってきた。
真紅のスポーツカーがボクらの前に。
姫君はそのクルマをしげしげと眺めた。
「へぇ。随分と速そうなクルマね」
「ああ、すっごく速いんだ」
褒められたので、ボクは得意げ。
すると彼女は、にやりと笑った。
まるで、獲物を見つけたように。
「なら、うちのうつけと勝負しない?」
「勝負?」
「ええ。うつけも、かなり速いわよ?」
そう嘯き、勝負を持ちかける姫君。
それを怪訝に思っていると、爆音が。
ヴォンッ! ヴォンッ! ヴォンッ!
小刻みに鳴り響く、排気音。
あまりにキレの良い、レスポンス。
それはクルマのエンジンとは異なる音。
目を見開いて、音源を視界に入れる。
校舎の影から、それはやってきた。
召使いが跨る、漆黒の、バイクの姿。
つや消しで、影のような色合い。
全体的にとんがっていて、攻撃的。
金色の倒立フォークが素性を物語る。
ホイールも、チェーンも、金色。
黒と金のコントラストが、眩しい。
とても太いタイヤを履いている。
腰の位置まで下げられたセパハン。
ステップの位置も、かなり後ろ。
それは紛れもなくスーパースポーツの証。
「よっ。待たせたな」
メットのシールドを持ち上げる召使い。
そのヘルメットもまた、つや消しの黒。
そんな彼は、何やら姫君に手渡す。
「荷物は姫さんが持っててくれ」
「わかったわ」
「それと、メットな」
リュックサックを彼女に背負わせる。
そして、恭しく、メットを被せる。
そのヘルメットの色は、鮮烈な桃色。
とても可愛らしい、フルフェイス。
「よし、顎を上げろ」
「ん。これでいい?」
「はいよ。準備完了だ」
あご紐まで付けてあげている。
随分と大事にされているようだ。
なんだか、ちょっぴり憧れる。
その時、クルマの屋根が開いた。
教育係が、バイクを見据えて呟く。
「相手にとって不足無し、ですね」
「勝てるのか?」
「殿下が私に、勝てと命じるならば」
教育係がボクに手を差し伸べる。
その手をしっかりと握り、命じた。
「必ず、勝て」
「くふっ。かしこまりました」
それだけ交わして、助手席に乗り込む。
桃色髪の姫君も、バイクの後ろに乗る。
タンデムシートに跨る間際。
召使いがブレザーを彼女の腰に巻いた。
恐らく、スカートに配慮したのだろう。
普段はあんなにヘラヘラしてる召使い。
随分と、見せつけてくれるじゃないか。
ボクは対抗心を刺激された。
「教育係」
「はい、如何しましたか?」
「お前の方が……100倍、格好良い」
「……ならば、気を引き締めましょう」
くっと顎を引いて、クルマを操る。
そして、バイクの隣につける。
教育係が空ぶかし。バイクも空ぶかし。
グォンッ! グォンッ! グォンッ!
ヴォンッ! ヴォンッ! ヴォンッ!
辺りに生徒の姿はない。
見咎める教員の姿もない。
目の前にあるのは離宮へと続く道。
桃色髪の姫君が、挑戦的に宣言する。
「さあ、バトルを始めるわよ」
桃色髪の姫君が、バトルを挑んできた。




