01:プロローグ前編
刻印術師とは生まれながらに刻印を持ち、刻印術という古の術式を使いこなす者のことだ。
俺、三上 大和も、そんな刻印術師の家に生まれた普通の高校生だ。
え?普通の高校生はそんな特殊な家に生まれない?そんなことは知らん。それにそんなに珍しいことでもない。親戚や幼馴染も、ほとんどが刻印術師だからな。まあ、普通の刻印術師よりハードな家に生まれたのは間違いない。修業は本気でキツかったなぁ……。そのおかげで今の俺があるわけなんだが。
だが今は、おそらくは俺の師匠でもある父さんや親戚の人達であっても、普通に驚く事態だろう。
「ここは……どこだ……?」
気が付くと俺は、森が近くにある草原にいた。さっきまで俺は、見たことも聞いたこともない化け物と戦っていたはずで……。
「日本じゃないみたいだな。とりあえず、こんなとこにいても仕方がない。兄貴か姉さんに連絡してみるか」
俺はポケットから携帯型の刻印具を取り出し、姉に電話をかけた。
「ん?つながらない?なんでだ?」
よく見れば電波が届いていなかった。これは想定外だ。
「あっちゃあ、まさかの圏外か。今時こんな地域があるとは思わなかったな」
電波がなければ通話はできないし、現在地を確認することもできない。俺は少し、途方に暮れてしまった。
「それにしても、マジでここはどこなんだ?あんなのは地球にはいないしな」
まさかとは思うが、ここは異世界なんてオチじゃないだろうな?
うん、ないな。地球だってまだ見ぬ秘境はあるって話だし、未知の生物だっているだろうしな。
そういやさっき、誰かに話しかけられた気がするな。その後気が付いたらここにいたわけだから、無関係ってわけではないだろうが……。
「何にしても、ここで考えてても仕方ない。町でも村でもなんでもいいから、人がいそうなとこ探してみるか」
軽く腹も減ってきたし、さすがにこんなとこで野宿は勘弁だ。
俺は水性C級探索系術式ドルフィン・アイと、同じく水性C級探索系術式ソナー・ウェーブを同時発動させ、周囲の様子を確認しながら森沿いに歩き出した。
「それにしても、見たことない木だな。印子も活性化してるっぽい気がするし、何となく嫌な予感がする……」
地球の植生全てを把握してるわけじゃないが、さすがにそんな植物があればニュースになってるか。
それに印子が、刻印術を使うための生命エネルギーみたいなもんなんだが、それが活性化してるのか、普段以上に体が軽く感じられるんだよな。
だいたい30分ぐらい歩いただろうか、森から二人の女性が飛び出してきた。二人ともドレス姿で何かに追われてるような感じがするが、それはいい。どうやら親子らしいが、娘と思しき女の子が槍を持ってるのも、何かの襲撃があったと考えればわからなくもない。問題なのは二人とも、頭に犬系の耳がついてることだ。女の子なんて、背中に白い翼まで生えてるし。
聞きたいことは山ほどあるが、まずはあの人達を助けてからだな。
「アクセサリー……ってことはないよな。もしかして、本物なのか?」
「そこのあんた!早く逃げなさい!」
「俺のことは気にするな。というか聞きたいことがあるんだが、後で時間とってもらってもいいか?」
「あたし達にはそんな時間ないのよ!」
女の子が声を荒げると同時に、森から追手が姿を見せた。
「いたぞ!」
「手間取らせやがって!」
現れたのはどこからどう見ても立派な盗賊だった。何人かは手傷を負ってるみたいだが、多分この女の子がやったんだろうな。ドレスなんか着てるのに、けっこう腕が立つみたいだな。
「プリム!私のことはいいから、あなただけでも逃げなさい!」
「そんなこと、できないわ!母様を置いていくぐらいなら、死んだほうがマシよ!」
なるほど、親子なのか。確かに二人とも犬系っぽいし、外見もよく似てる。ま、それもこいつらを追っ払ってからだな。
「これだけは聞いておきたいんだが、こいつらもしかして盗賊か?」
「……見ればわかるでしょ」
警戒されてるな。当然だから別にそれはいいんだが、相手が盗賊ってことは犯罪者ってことだから、俺も特に遠慮する必要はないだろう。手加減はしておくけどな。
「えっ!?」
「氷の……結界?」
俺は右手の刻印から短剣状消費型刻印法具マルチ・エッジを、左手の刻印から腕輪状装飾型刻印法具ミラー・リングを生成し、水性A級広域対象系術式ニブルヘイムを発動させた。犬系獣人の親子はニブルヘイムに驚いているが、それは盗賊達も同様で、中には逃げ出そうとしてる奴もいる。
だがニブルヘイムに限らず、A級術式は結界としても高い効果がある。だから連中はニブルヘイムの外には出られない。正直ニブルヘイムを使う必要はないんだが、ここがどこかわからないし、連中の強さもわからないから念のためってやつだな。
刻印法具は生刻印と呼ばれる、生まれ持った刻印からしか生成することができず、しかも刻印術師でも三割ぐらいしか生成できないと言われている。
さらに俺は両手に刻印があるが、普通は片手にしかない。世界中で見ても両手に刻印を持つ刻印術師は少なく、日本じゃ俺と父さん、母さんの三人しかいない。まあ両手に刻印があるから強いってわけでもないんだが。実際兄さんや姉さんにもまだ勝てないし、親戚や師匠達にいたっては世界でも知らない者はいないってぐらいの有名人だからな。
あ、なんか凹んできたな。俺だって同世代じゃトップクラスの実力者って言われてるんだぞ?
「な、なんだよ、この結界!」
「く、くそっ!破れねえぞっ!」
「あ、慌てるな!あのガキを始末すればいいだけだっ!」
「できるもんならな。よっと」
ニブルヘイムは広域対象系術式であり、領域内全域だけじゃなく指定対象にも効果を及ぼす。俺は作り出した氷塊を手近な盗賊、三人程に向けて打ち出した。
「ぎゃああああっ!」
「げはああああっ!」
「げうっ!」
印子が活性化してることも考慮して打ち出したはずの氷塊が、標的にされた盗賊達を簡単に押しつぶし、命を奪った。
相手の命を奪ったのは初めてじゃないとはいえ、さすがにこれはキツい。というか、ちゃんと手加減したぞ!?
「や、やるじゃない、あんた」
「……殺すつもりはなかったんだけどな」
「例え無力化させても、この数を町まで連れていくのは無理よ。それに盗賊なんだから、討伐したことが証明されれば報酬が貰えるわ!」
女の子は翼を広げると、炎を纏わせながら盗賊に突っ込んだ。それだけで二人ほどが体を焼かれながら息絶え、さらに手近な奴に槍を振るった。
「へえ、やるじゃないか。そういうことなら俺も遠慮しなくてよさそうだ」
刻印術が実用化されている今の時代、犯罪やテロにも刻印術は使用されている。刻印具と呼ばれるツールは通信やファッションに幅広く使われていることもあって、持ち込みを制限することが難しいし、仮に制限しても俺みたいに刻印法具を生成できる、いわゆる生成者と呼ばれる者は刻印法具を生成することで対応することができる。しかも生成者の力は通常の刻印術師とは一線を画すから、もしそんな輩に襲われたりすれば自分の命が危ない。
そのため刻印術管理法という法律によって、自分の命が脅かされる場合に限り、相手の命を奪うこともやむなしと定められており、毎年何人かがこの法律によって守られている。俺も去年、刻印法具を生成したばかりの頃にこの法律のお世話になったもんだ。
それに刻印術師の多くの家系は、それぞれの家庭の教育によって犯罪者やテロリストを相手にした場合の対処方法を学んでいる。当然だがうちもそうで、しかも両親だけじゃなく親戚まで世界的に有名な生成者ばかりだから、俺や兄さん、姉さんが狙われたことも一度や二度じゃなかった。
そういう事情もあって、俺は既に何人もの命を奪った経験がある。罪悪感がないわけじゃないが、犯罪者やテロリスト相手に容赦するつもりは、情状酌量の余地がない限りはするつもりはない。
そんなわけで俺はニブルヘイムに水性C級攻撃形術式アイシクル・ランスを発動させ、盗賊達を次々と撃ち貫いた。
「あなた……一体何者?こんな魔法、今まで聞いたこともないわ……」
俺の近くにいる母親が、驚愕の表情で俺を見る。実際A級術式を見る機会なんて、滅多にないから驚くのも無理はない。というか、魔法ってなんだ?確かに魔法っぽいけど、そう言われたのは初めてだ。
「連中を始末して、落ち着いたらお話ししますよ。俺も教えてほしいことがありますし」
「何の話?」
「この後のことについて、かな。お疲れさん。けっこうやるじゃないか」
母親とそんな話をしていると、女の子が戻ってきた。
「あんたもね。見たことも聞いたこともない魔法もそうだけど、一体どこのハンターなの?少なくとも今のバリエンテや隣国のアミスターでも、あんたの噂は聞いたことがないわ」
「ハンター?なんだそれ?それにバリエンテやアミスターって国、聞いたこともないな」
「え?」
「それ、本気で言ってるの?」
「ああ。というか、話の流れからすると、ここはバリエンテっていう国なのか?」
「そうだけど……バリエンテも小さな国じゃないし、アミスターに至ってはこの大陸の最大国家だから、知らない人はいないはずなんだけど……」
まったく聞いたことない国だな。大陸最大国家ぐらい俺も知ってるが、どの国にも当てはまらない。いよいよもって嫌な予感が現実になってきたか。
「もしかしてあなたは……。失礼だけどライブラリーを見せてもらってもいいかしら?」
「ライブラリー?」
またしても聞いたことない言葉だな。図書館なんぞ持てるわけがないから別の意味なんだろうが、そもそも意味がわからん。
「ライブラリーも知らないの?これよ。『ライブラリング』」
「うおっ!?」
突然女の子の左手から、カードみたいなものが現れた。
「見てもいいわよ」
「では失礼して」
何かわからないが、見てもいいってことは見ることに意味があるものなんだろう。俺はお言葉に甘えて、そのライブラリーとやらを見せてもらうと、そこにはこう記されていた。
プリムローズ・ハイドランシア
17歳
Lv.48
獣族・翼族・フォクシー
白狐の翼族、元ハイドランシア公爵令嬢
それはいわゆるステータスというやつで、身分証にもなるものだった。
というか突っ込みどころが多すぎる。17歳ってことは俺とタメだってことはいい。犬かと思ってたら狐だったのも、同じ犬系だから良しとしよう。だが獣族って何だ?公爵令嬢ってことはいいとこのお嬢様だろうに、なんでこんなとこに母親、公爵夫人と二人で、しかも盗賊なんかに襲われてたんだ?さらにレベル48って、けっこう強いんじゃないか?
「色々と言いたいことや聞きたいことが増えたが、それはどうやれば見れるんだ?」
「まさか、ライブラリングも知らないの?」
「ああ、知らない。少なくとも俺の周囲で知ってる奴はいないな」
女の子、プリムローズは俺に呆れた視線を向けるが、知らないものは知らないし、聞いたこともないから仕方がない。
「プリム、おそらくだけど彼のライブラリーを見れば、疑問は解けるわ。片手を前に出して、『ライブラリング』と唱えれば出てきますよ。こんな風にね」
前半はプリムローズ、後半は俺に向けて、公爵夫人が教えてくれた。
アプリコット・ハイドランシア
36歳
Lv.32
獣族・フォクシー
元ハイドランシア公爵夫人、未亡人
見せてもらったライブラリーで、このご夫人の名前がアプリコットさんだとわかった。というか、未亡人だったのかよ。
っと、人のもんばっか見せてもらうってのも問題だから、俺もやってみるか。
「こうですか?『ライブラリング』。うおっ!?」
出た。これがライブラリーか。どれどれ。
ヤマト・ミカミ
17歳
Lv.55
人族・ハイヒューマン
双刻の生成者、異界からの客人、異世界の刻印術師
「えーっと……」
まてまてまてまて!なんだこれは!レベル55って、強さの基準がわかりにくいから即断はできんが、けっこう高いよな?それに種族、ハイヒューマンって何だ!?俺は普通の人間だぞ!それに異界からの客人とか異世界の刻印術師って、明らかにここが異世界だって言ってるよね!?
あ、双刻の生成者ってのは、両手に生刻印を持つ生成者のことだから、これは除外ね。
「あ、あんた……客人だったの!?」
「やはりそうですか。客人とは類稀な知識と膨大な魔力を持つ、この世界とは別の世界から来た人のことです。もっともその存在は、ここ百年ほど確認されていませんでしたが」
「……」
「ちょっと、大丈夫?」
「……一応、としか言えないけどな」
さすがに衝撃が大きすぎるが、ここで二人に会えたことはラッキーかもしれない。だけどこれだけは聞いておきたい。
「聞きたいことは山ほどあるが、最初にこれだけは聞いておきたい。俺は元の世界に帰れるのか?」
「それは……」
「何と言ったらいいかわからないけど、おそらくは無理でしょう。この世界、ヘリオスオーブの歴史上、客人は何人か確認されていますが、その全てがヘリオスオーブで亡くなっていますから。それにそもそも、あなたがどのようにしてヘリオスオーブに来たのか……」
「そうですか……」
予想はしてたが、さすがにキツイな。確かに俺だって、どうやってこの世界に来たのかわからない。心当たりがないわけじゃないが、もし予想通りなら帰還は絶望的だ。
「その……大丈夫?」
「え?ああ、予想してなかったわけじゃないからな。よし、切り替え切り替えっと」
アプリコットさんの話を反芻しながらこの世界にきてしまった理由を考えていると、プリムローズに心配そうな顔をされてしまった。
帰ることを諦めたわけじゃないが、だからってすぐにどうすることもできない。俺は思考を切り替え、今をどうするかを考えることにした。
「そんな簡単に切り替えられるもんなの?」
「どうだろうな。さすがにこんなことは初めてだから何とも言えないが、父さんや師匠には何が起きても冷静でいるようにしろって言われてるし、まだ現実だっていう実感がないだけかもしれない。だけど何をするにしても、こんなとこじゃ何もできないから、まずは当面のことを考えようと思ったんだよ」
「なるほどね」
「その当面について、私から提案があります。私達が公爵家の者だということは、ライブラリーで確認されたでしょう?」
「ええ。と言っても俺の世界には貴族なんていないから、どう接していいかわからないんですが」
いないわけじゃないだろうけど、少なくとも日本には貴族はいない。皇族はいるけど、そっちは説明すると長くなるから省略でいいだろう。
「普通で構いませんよ。そもそもハイドランシア公爵家は、当主である夫が無実の罪を着せられ処刑されてしまったことで、お取り潰しになっていますから」
ああ、だから元公爵家になってるのか。というか無実の罪って、この国、バリエンテって言ったか、それなりにヤバい国なんじゃないのか?
「それについては後ほどお話ししますが、主人はこうなることを見越し、私とプリムを隣国であるアミスター王国に逃がす手筈を整えていました。ですがバリエンテ王は私やプリムの命をも狙い、刺客を送ってきています」
「刺客って、さっきの盗賊みたいな?」
「あれは刺客と戦ってる時に偶然現れたのよ。だけどそのせいで従者や御者が殺されちゃって、私は母様を守りながらアミスターとの国境の町、ポルトンに向かうつもりだったの。そしたらあんたが現れた、ってとこね」
なるほど。予期せぬ襲来ってことで、隙をつかれたわけか。ということはアプリコットさんの言いたいことも、だいたい予想つくな。
後編は19時投稿予定です。