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つばきひめ-4

「ねえさん、最近ちょっと顔色がいいのね」


窓の外をまた、ぼんやり眺めていると、背中に柔らかい圧がかかった。するん、と腕が巻き付く。


「どうしたのすず、今日は甘えたね。最近は、まぁ、ちょっとはいいんだと思うわ」


「相変わらず、お食事は取ってくださらないけど……ねえ、その、履き物、なぁに」


「……あの御大名さんからの贈り物よ」


こつん、と隣に置いてある履き物を指の関節で叩いた。下駄とは違う形の靴。伴天連のものだよ、と言っていた。細い細い棒が踵をきゅっと上げている。はいひいる、という、らしいんだけど。


「こんなの、履けっこないじゃないの。いくらねえさんが軽くっても、こんな棒ぽっきり折れるわ。そんなことしてねえさんが転けたらどうするつもりなのかしら」


「私が来る時にはその靴を履いて待っててくれ、ですって」


「それってこの店から出ないで待ってなさいってこと?」


「そうよ」


「……ねえさん、」


「仕方がないわ」


きゅっ、と回された腕に力が入った。今日は甘えたね、とまた言って、その腕をぽんぽんと叩いた。


「……違うの。甘えた、じゃなくて、……ねえさんが窓から落っこちそうで」


「そんなヘマする人がいるわけないでしょ」


「だって、つばきねえさん、だから」


つばきってぽとんと落ちるでしょう、と消え入りそうな声ですずが言う。わたしは黙ってすずの腕をさすった。いったいこの子にはどんな事情があるのだろう。まぁ、事情のない女なんて、ここにはいないんだけど。


「失礼しますよ」


「はぁい」


ふすまが開いた音がした。すずがぴゃっと飛び退いたので、わたしはゆっくりと振り返る。こぼれ、だった。まぁ声でわかってた、訳だけど。


「つばきの花を」


「今日もありがとう」


すずがつばきを受け取って、部屋の隅の一輪挿しに飾るのを見る。いつもはすぐに出ていくこぼれが、ずっとそこにいるので、ちらりと見たら、目が合った。


「……どうしたの?」


「ええと……いや、これを、差し上げたくて」


こっちにおいで、と目線だけで促した。猫みたいな静かな動きでこぼれが部屋に入ってきて、ちいさな包みをわたしに差し出す。


「開けてもいい?」


「はい」


「……金平糖ね。こんなの、高いんじゃないの」


「ちっさな包みなんで」


白のちいさな塊をつまみ上げて、口に入れてみる。甘い、ような、ないような。わたしの舌は、もう味を伝えてくれない。ただ、口に放り込む前にほのかに香った甘い匂いが、とても懐かしかった。


「……父さんが買ってきてくれたの思い出したわ。博打狂いの、父さんだったけど。すず、おいで」


部屋の隅でちょんと正座をしていたすずを呼んで、すずのちいさな手のひらに幾つか金平糖を落とした。


「こぼれ、あんたも一緒に食べましょうよ。金平糖、食べたことあるの?」


「……一度だけ。父さんが買ってきたので」


「美味しかった?」


「とても」


すっ、とこぼれが正座する。やはり猫みたいな静かで敏捷な動作だった。おおきな手に金平糖を幾つか落とす。


「ねぇこぼれ、」


「はい」


「あんたの父さんも博打狂い?」


「……えぇ、そうです。それでは失礼しますね」


するん、とこぼれは部屋から出ていく。すずがわたしをじっ、と見つめているのがわかった。


「どうしたの?」


「つばきねえさんは、あのにいさんが、好き?」


「えぇ、そうね。とってもいい人だもの」


「すずも好きよ。あの人、あたしたちをぶったりしないから」


そう、とわたしは言う。そうよ、あの人は優しい人。すずぅー、と遠くから声がした。ぱっと弾けるようにすずが部屋から飛び出していく。赤いつばきが目に染みる。そろそろ夕が近い。今日はあの方が来るだろうか。違う方が来るだろうか。ゆらんゆらんと揺れる提灯を見て、わたし達もゆらんゆらんと男達を待つのだ。


籠の鳥、という言い方はあんまり綺麗すぎると思ったので。


枝からぱちんと切られたつばきに、わたしはわたし達の姿をいつも見ている。


           *


立ち上がろうとしたら、ふらん、と倒れた。


「ねえさん!」


「すず、大声上げないで……めまいがしちゃったのね。大丈夫よ」


「大丈夫じゃありません!なんも食べないからですよ!」


ほら、とすずがお椀をわたしに押し付ける。苦笑いして受け取って、ちょっとだけ口を付けた。味噌汁のにおいはするけど、味はしない。とん、とお膳に戻したらすずがまなじりをきっと上げた。


「ねえさん!」


「だって、大丈夫よ、わたし」


ふふ、と笑う。そんなこと言って、立ち去ろうとして、立てなかった、んだけど。だって今日はあの御大名さんが来る日だから、準備をしなくてはいけない。はいひいるを履いて、ふわん、と笑むのだ。籠の鳥をあの方は所望なのだ。


「そんなこと、言ったって――」


すん、と鼻をすする音がした。いつもきりっと顔を上げているすずがぐずぐずと鼻を鳴らしてぼろぼろと涙をこぼしていた。


「あたしのおっかさんも、大丈夫、大丈夫って言いながら死んだんだもの。つばきねえさんだって、あたしを置いて死ぬんでしょうッ」


「おや――すず、すず、落ち着いて。わたしは死なないわよぅ。ねぇすず、わたしの方を見て」


そろそろ御触れの鐘が鳴るだろう。からんからんとゆらんゆらんと、眠らない街の目覚ましの鐘が鳴るだろう。わたしはあの御大名のためにかかとの高い靴を履いて柔らかく笑わなくてはいけない。


「すず、わたしは死なないよ。ねぇ、もう少しで春だから、春になったらさくらを見に行こう?ねぇ、すず、泣き止みなさいよ」


すずのほほに手を添えたら、恐る恐るすずの顔が上がった。わたしは笑顔を作れているだろうか。なんてったってわたしは遊女。表情を作れなかったら死ぬのだから。


「……そうね、ねえさん。さくらを、見に行こうね……」


切られたつばきは、枯れるだけ、なのに。

思いのほか長くなってきたなぁ、とか思いつつ。次回最終話の予定だったりじゃなかったり。

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