つばきひめ-3
「つばきの花は首折れて、さくらは散る散る……」
「またその歌ですか。お好きですね」
「だってとても綺麗じゃない?」
窓の外から聞こえた声にくすくすと笑って答えた。つばきの木に梯子をかけて、鋏を片手にあの男があの柔らかい笑みを浮かべていた。
こぼれ、とわたしは彼の名前を呼ぶ。
「今日もつばきの花を持ってくるの?」
「えぇ。いらないですか?」
「いいえ、でも丸裸にならなったら大変と思って」
「そこは調節します」
ぱちん、と木が切れる音。赤い花が差し出されたので受け取る。数日前に作ってしまった怪我は、もう癒えている。
「でもちょっと不吉ですね」
「え?」
「その歌。つばきの花は首折れて、さくらは散る散るって。つばき太夫のお名前がつばきですから」
「元々でしょう?つばきは元々不吉な花、だから……」
「まぁ、そうですけど。……ああそうだ、俺にとっても不吉なんだ」
「あら、そうなの?」
「零れ桜、のこぼれから名前を取ったから」
「花から取ったの?不思議なことをしたのね」
「姉の名前が、花の名前だったので」
おぉーい、と遠くから声がした。途端にこぼれが背筋を伸ばす。
「……もしかして、抜け出して来たの?」
「いや、そんなことは……でもちょっと行ってきますね。失礼します」
猫みたいに素早くこぼれが走り去る。窓枠に頬杖をついて、わたしはつばきの花を見つめることにする。つばきの花は首折れて、さくらは散る散る……。
「つばきねえさん」
「……なんだい、すず」
「またご飯残してる……」
きっ、とすずが眉間にしわを寄せる。ちょっとつついただけのお膳。
「なにか体調が優れないんですか」
「いいえ、そんなことはないけど」
「もうかれこれ数日はなにも食べてないじゃないですか」
「そう……だった、かしら。でも大丈夫よ。特に体に変なこともないから」
「でも、よくないです。なにか食べたいものはないんですか?あたしがなんでも用意します」
「あら、ありがとう……じゃあ、なにか甘味でも頂戴な」
「はぁいっ!」
たたたっ、とすずがお膳を持って走り去る。甘味を持ってきたら、そのまますずにあげてしまうつもりだった。なにも食べたくない、というのではなく、なにも食べなくてもいい、と感じる自分の身体は本当に異常だわ、と思うけど。
なにも食べなくなったのは、つばきの枝で指先を引っ掻いたあの日から、と気付いている。
*
つばきの花は首折れて、さくらは散る散る……。
首、が、折、れ、た、後、は?
*
琴を引き寄せたら、あまり力の入らない指先ががたがたと震えた。駄目ねぇ、と笑う。表情だけは自由に操れることを知って、少し安心する。
「つばき、どうかしたのか」
「いいえ。なんもありんせん」
御大名に笑いかけて、わたしはどうにか琴を弾き始める。かなしい曲。いつもお前は歌わないね、と肩を抱かれながら言われる。
「あんまり、歌は得意ではありんせんから」
「お前の歌を聞いたことがある者はいるのか」
「わっちの歌を……」
すぃ、と視線が自然と宙をさまよった。あの妹女郎は、聞けていたか定かではないし、客前で歌ったことはない。ああ、そうか、
「……弟になら」
「弟?」
「いつつほど歳が離れた弟が、もう会えんせんけど……こんな話はもうよいでありんしょう?」
ねぇ、と笑ったら、男は満足するだろう。紅を引いた唇は婉然と、色を重ねた目元はきっと艶色。このお方はわたしに誰を重ねているのだろう、と思う。時折わたしより遠くを見る、この人は。
わたしの手首を掴んだ御大名は、訝しげにまゆをひそめた。
「……痩せたか?」
「そうかしら」
「ああ、痩せた。よく見たら顔色も悪いじゃないか」
「えぇと」
「ご飯はきちんと食べているのか?いまなにか持ってこさせるから」
「あ、」
御大名は部屋から出ていく。取り残された気持ちになったので、わたしはため息をつくことにする。はぁ。大丈夫なのに。壁にもたれて目をつむる。女の嬌声と、男の怒鳴り声と、なにかの弦を弾いている音がした。遊郭はいつまでも眠らない。
「つばきの花は首折れて、」
ふっ、と目を開いたら部屋に飾ってあるつばきの花が目に入った。手を伸ばして花びらを一枚、むしり取った。その、赤が、りんご飴よりきらきらとして、見えたので。
口に含んだ。
―――涙が出そうな、甘さだった。
花魁言葉って艶っぽくて、とても好みです。きちんと使えてる自信はありませんけれど、まぁ大目に見てあげてください。そもそも遊郭にそんなに詳しくないんだよねーとか今更言っちゃいます。てへ。
いよいよ確信、の、気配。