⑧シャボン玉
お父さんに戻って来て欲しいなんて、言ってはいけないことだと、和馬は充分に知っているし、それが無理な話だというのも分かっています。でも、毎日疲れた顔をしているお母さんを見るたび、お父さんさえいてくれたら、もっと楽が出来るのに、と思ってしまうのです。本当は和馬が支えられたらいいのですが、クラスで二番目に背が高くても、ちっとも役に立ちません。
それでも、もっともっと大きくなれば、もしかしたら、大人に間違えてくれるかもしれません。そしたら、仕事をして、お母さんを楽させてあげられます。その為に、和馬は牛乳をたくさん飲む必要があるのです。
それにしてもこのサンタ、なんだかヘンテコです。
プレゼントの袋の代わりに、ステッキを持ち、その先から花を咲かせるのです。
トナカイの代わりに、リヤカーです。
そのリヤカーには、マシンガンのようなものが乗せられていて、サンタは付けられているハンドルを、嬉しそうに回し始めます。
すると、どうでしょう。
空一面にたくさんのシャボン玉です。
赤く染まり始めた空に浮かびあがったシャボンを見上げ、ワーっと声を上げて喜ぶ和馬を見て、サンタはピョンピョン跳ね手を叩き喜びます。これではサンタと言うよりも、ピエロです。
明日歩から貰った笛の先にシャボン液をつけ、二人でせーいので、一緒にフーッと吹いてシャボン玉を飛ばします。
どこから持って来たのでしょう。大きな輪っかで作ったシャボン玉で和馬を閉じ込めたサンタは、得意ポーズを取ります。
それを指一本で弾き、和馬もお返しに胸を張って見せます。
もうおかしくて仕方がありません。
和馬はゲラゲラと声を上げて笑ってしまいました。サンタのマジックはまだまだ続きます。
コインを移動させたり、帽子の中からハトが飛び出して来たのは、もうびっくりです。
本当に楽しくて、泣きたい気分はもうどこにもありません。
急に屈んだサンタが、和馬を掬い上げました。
肩車です。
公園を、ウホホホと一周してから、サンタは言いました。
「お父さんを戻す魔法は、私には分かりません。なぜなら、私はサンタの見習いだからです」
どうして、そのことを知っているのでしょう。
そっと地面に降ろされた和馬は、驚きです。
サンタは嬉しそうにウィンクです。
「ウホホホ。でもいいアイディアが、一つあります。今日だけ、私がきみのお父さんになるっていうのはどうです」
でもそれでは、お母さんはちっとも楽にはなりません。
さっきまではしゃぎ声を上げていた和馬は、シュンとなってしまいました。
「どうしました?」
俯く和馬の目から、ボタボタと涙が落ちて行きます。
サンタに顔を覗き込まれた和馬は、しゃくりあげながら言います。
「それじゃ、今すぐオレを大人にしてください」
流石に返答に困ったサンタは、和馬をベンチに誘い、二人で並んですわりました。
サンタは、夕暮れて行く空を見上げました。
「どうしてそんなに、きみは先を急ぐのかね?」
鼻をグスグスいわせながら、和馬は俯いたままです。
空が暗くなり始めた頃、ようやく和馬は口を開きました。
とぎれとぎれに、時間をかけてです。
家を出て行く時、父親が言った言葉や、病気で会えない弟の話。そしてお母さんの話です。
最後には特別だと言って、サンタに魔法の言葉も教えたのです。
サンタは黙ったまま、耳を傾けます。
星が姿を現した空を見上げたまま、サンタは大丈夫と和馬の頭を撫でて言いました。
ようやっと顔を上げた和馬に、サンタは微笑みます。
「今日は七夕じゃ。一年に一度、大事な人に会える大事な日。きみのその優しさは、きっとお母さんに届いているから。今は無理でも、少しずつ少しずつ大きくなって行けば良いんだ。焦る必要なんてないさ。きみがいるだけで、きっと、お母さんは強くなれているはずだから。きみはね、気が付いていないだろうけど、しっかりお母さんに魔法をかけているんだよ」
「本当?」
「本当さ」
サンタはそう言って、和馬の鼻を指で抓みました。
水を張ったバケツの前、サンタが和馬の持つ花火に火をつけます。
お父さんが出て行ってしまってから、和馬は花火などしたことがありませんでした。
シュッと音を立てて、火を噴きだす花火が、少し怖かったのですが、サンタが一緒に握ってくれていたので大丈夫。
パチパチと花を咲かせる花火で、転化した仕掛け花火が赤や青の火の玉を打ち上げて行きます。
線香花火をしいると、遠くのほうで鈴の音が聞こえてきました。
サンタが、肩を窄め、和馬を見ます。
それだけで何を意味しているのか、和馬には分かりました。
お別れの時間です。
「和馬」
不意に名前を呼ばれ、和馬は振り返りました。
「お母さん」
両手を広げたお母さんです。
和馬は嬉しさで、飛んでいきます。
シャンシャンと鈴の音を残して、サンタの姿はもうどこにもありません。あのリヤカーもです。
和馬と母親は顔を見合わせ笑い合います。
二人して花火の後片付けをして、手を繋いで帰って行きました。
”カランコエクエプワフンワカフンワリプーワプワ”
木の陰に隠れていたサンタは呟きました。