第一話 夏秋 二十四日
空はどこまでも高く青く、晴れ渡っていた。風は穏やかで、乾いた空気が街路樹の葉を優しく揺らし、擦れ合う音が心地好い。
長年手入れが行き届いていない所為で石畳は所々崩れて窪みができ、建物は立派だが造りは粗く、ごつごつとした角が多く立つ。窓ガラスの代わりに、木製の庇が設置されている。壊れたままの家屋や瓦礫も、所々に放置されている。
多くの商人が石畳の上に麻のシートを広げ、自慢の商品を並べている。それは果物や野菜が大半を占め、食用の羊や鶏、麻や絹の衣類や反物が続く。路往く人は多く、集客の声が飛び交い、活気付いていた。
そんな昼下がりの、賑やかな商店街を、一人の少女が歩いていた。麻を編んだ継ぎ接ぎだらけの衣服を纏い、目深に被った臙脂色のフードローブが表情と身体を覆い隠す。その風貌からは性別すら判別し難く、まるで女性である事を隠しているかのようにも見える。華奢で背は低く、十代前半か、半ば位。フードの隙間から見える髪は澄んだ水色。人ごみの中を縫うように進む。
少女は、やがて果物を並べている露店に目を付けた。数歩離れた所から店主の男の様子を窺う。店主はその視線に気付かず、目の前の客と談笑していた。それを確認した少女は、素早い動作で近付くと並んでいた林檎を一つ掴み、早足でその場を離れようとした。
その時、
「待て! そこのガキ!」
店主の怒声。フードがびくりと跳ねると、咄嗟に駆け出した。その勢いでフードが捲れあがる。
光沢のある水色の短い髪の毛が風に踊る。振り向いて店主が追いかけて来るのを見るや大きな瞳を更に見開き、少女は南東に向け全力で逃走した。
商店街を抜け、路地裏に入る。木箱やゴミが散乱した、狭く暗い路を、慣れたステップで突き進む。複雑な曲がり角を猛スピードで駆け巡る。野良猫を踏み付けそうになって慌てて避けた。
手にしっかりと林檎を持ったまま、息を切らして必死に走る。細い体躯は暑さと澱んだ湿気にたちまち体力を奪われ、止め処ない汗が流れ出る。
やがて、先程とは違う大通りが、明るい日差しの向こうに見えてくる。
「……」
一度後ろを振り向いて、誰も追って来ないのを確認すると、乱れた髪の毛を整えながら一面に広がる景色を眺める。
目の前に、大きな河が流れている。どこまでも澄んだ水を豊かに湛えた広大な河で、向こう側にあるはずの岸は水平線の彼方に消え、背の高い森の木々が蜃気楼のように霞んで見える。この辺りの石畳は綺麗に舗装されていて、河辺には橋渡し役の商人が筏を浮かべて客引きをしている。白い野鳥が間の抜けた鳴き声を上げながらのんびり飛び交う。空は快晴。日を追うごとに温度を下げる風が、水面に細波を立てて通り過ぎる。
青髪の少女は手に入れた林檎を弄び、近くに積み上げられていた木箱によじ登った。いちばん高い所で胡坐をかき、真紅の林檎に噛り付く。
「ラクショー」
甘く爽やかな蜜の味を楽しみながら、たっぷりと時間をかけて食べた。