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ちいさな夜に

作者: 月見里

どぷん、と不思議な音がして、サヨは目を覚ましました。

部屋の中はまだ暗く、天井近くの丸窓から見える空には、いくつもの星が瞬いています。こんな夜中に一体何の音かしら、とサヨは気になって仕方ありません。ほら今もまた、とぷん、ととぷん。音は続いています。

サヨは起き上がり、枕元に畳まれたカーディガンを着こみました。お母さんがサヨの好きな桃色の毛糸で編んでくれたもので、左胸に、おなじ色の丸い花びらの花飾りが一輪、生きているかのように咲いています。ボタンをしっかり留めて、サヨは寝室を後にしました。しんと冷えた廊下を進み、お父さんのいびきが聞こえてくる扉の前をぬき足さし足して、家の外に出ました。

高い空には月も雲ひとつもなく、一面星でいっぱいでした。サヨは木々の間を分け入り、森を奥へと進んで行きました。地面に盛り上がる、大きな木の根をまたぎ越えた時、サヨは、わっ、と小さな歓声を上げました。

目の前に、とうとうと流れる川が現れたのです。

川の流れは穏やかで、澄んだ水面に星空が映りこんでいます。まるで、足下にも夜空が広がっているかのようでした。

川の水を掌で掬えば、星も掬えるかもしれない。

そう考えたサヨが、川の畔に身をかがめたときでした。

とぷん、ととぷん。とぷん、ととぷん。

あの音でした。サヨはすぐに立ち上がり、音のする方へ向かいました。

まっすぐな川は、少し先で大きく蛇行して、その行く手は崖に隠れて見えなくなっています。ただ近づくにつれて、崖の影から、なにやら明るい光が漏れているのがわかりました。崖を回りこんだサヨは、驚きのあまり、立ち尽くしてしまいました。

そこにあったのは、下半分まで川に浸かった、三日月だったのです。

川の畔に、桟橋に停泊する小舟のように、月は身を寄せていました。流れる水が、月を揺らすたびに、とぷん、ととぷん。と音がするのでした。月は全体が、淡い檸檬色の光に包まれています。さらには、弧の内側が深く大きく窪んでいて、サヨがふたりほど乗り込めそうでした。

サヨは試しに、窪みに右足を入れてみました。足も光に包まれましたが、温かくはありません。左足も入れてみました。その時、見計らったかのように、月が岸を離れたのです。

サヨは慌てて座りこみ、月の赴くままに、川の流れに乗りました。


どのくらいの間、月に運ばれていたでしょうか。

気がつくと、どこかの岸辺でした。

やわらかい芝草の上に、サヨは降り立ちました。

月はまた、とぷんととぷんと微かな音をたてて、停まっています。

目の前から森が始まっていました。家の周囲の森よりも、大きな木々が鬱蒼と繁る、うす暗い森です。

転ばぬよう気をつけながら、進みました。やがて視界が白く明るくなったので、顔を上げると、頭上から枝葉が消えていました。

サヨは、広い草原の端に立っていました。胸まである草たちがどこまでも靡いていく、そのただ中に、人影がありました。

近づいてゆくと、その人が口笛を吹いているのが分かりました。ひゅーり、ひゅるりり。何かに呼びかけているような、物悲しく懸命な響きのように、サヨには聞こえました。声を掛けようと、口を開いたのと同時でした。

背中がぱっ、と振り向いたのです。

サヨと、そう年の変わらなそうな、黒髪黒目の男の子でした。サヨが何も言えずにいると、その子のひどく驚いた表情が、みるみる曇り、怒りのものへと変わってゆくのが分かりました。

「なぜここにいる」

凜と、通る声でした。

サヨは言葉に詰まってしまいました。本当の事を言って、はたして信じてもらえるかしら、と不安になったのです。ところが、サヨの心配を他所に、少年はこう続けました。

「月に乗って来たのか」

サヨはびっくりして、うなづきました。

「不思議な音がして、目が覚めたの。川に行ったら月が舟みたいに停まってて…それで」

サヨの説明を、少年はため息で遮りました。

「お前もか」

重く吐き出すような声でした。

「私も?」

問いかけたサヨに、少年は答えず、歩きだしました。向かって来たと思ったら、脇を通りすぎ、サヨがたった今来た道を引き返して行きます。サヨが動かずにいると、何してるんだ、という顔で、「行くぞ」と促します。

「戻るってこと? 」

今度はサヨが、まだ来たばかりなのに、という顔で抵抗すると、

「ぐずぐずしていると、帰れなくなる」

答えた声が、あまりに真剣な響きなので、サヨもそれ以上何も言えなくなってしまいました。同時に、サヨの意識は、少年の右手の先に向かいました。草に隠れて気付くのが遅れましたが、少年は手に、古びた人形を一体持っていたのです。ドレスを着て、髪を巻いた、お姫さま風のお人形でした。少年の持ち物でしょうか。少し似合わない感じもします。

サヨの視線に気付いたのか、少年は人形を隠すように、再び踵を返し、歩き始めました。今度はサヨも、おとなしく後に従いました。

うす暗い森の中を、少年に付いて戻りました。前に背中がひとつあるというだけで、行きにはなかった余裕が、生まれていました。

見回してみると、緑の濃い森でした。木の太い幹にも、足下の土にも、至るところが苔むしています。その苔が、よく見ると、呼吸するかのごとく淡く強く、光るようでした。暗く見える森なのに、灯りもなく進めたのは、そのためなのでした。

木々は見上げるほど高く、はるか遠く頭上に、無数の葉に虫食いされた空がわずかに見えます。鳥や虫の音も聞こえません。息を潜めるほど静かな森に、少年とサヨの足音だけが、響いていました。

いつもここにいるのかな。

ぽつりと、サヨは思いました。

ちゃんと家に帰るのかな。心配する家族はいないのかしら。

サヨは自分にも家族がいることを思い出しました。両親が起きるより前に帰らなくちゃ、とも思いました。

「早く乗れ」

低い声に、我に帰ると、はじめに降り立った岸辺にいました。少年が示す先に、ちゃんと月がありました。とぷんととぷん、とぷんととぷん。

「一緒に帰らない?」

少年の目をまっすぐ見つめて、サヨは尋ねました。

「帰れない。やることがある。」

サヨの足下を見つめて、少年は答えました。その時サヨには、少年の右手にぎゅっ、と力が入ったように見えました。

「また来るね。今度は色々持ってくる」

とっさに出たのは、そんな言葉でした。

少年は、うんとも、いやとも応えず、もう一度繰り返しました。

「早く乗れ」

のろのろと、サヨは月に乗り込みました。月の先端を、少年が両手でぐいっ、と押しやりました。

月は、陸地を離れて、水上を滑りはじめました。ゆっくりと、着実に、少年の立つ岸辺は遠のいてゆきます。

返してくれないとわかっても、サヨは少年に手を振りました。遠くに見えるものが、岸なのか少年なのか、葉なのか木なのか、わからなくなってからも、いつまでも、振り続けました。


ばたん、と 大きな音がして、サヨは目を覚ましました。

天井近くの丸窓からは、日の光が射し込んでいます。自分の部屋のベッドの上でした。どうやって戻ってきたんだろう、とサヨは思いました。少年と別れた後のことが、はっきり思い出せません。

廊下から、お母さんの声が聞こえてきました。

「サヨー、起きてるのー?」

「起きてるよー」

大声で答えると、意識がはっきりしました。

起き上がり、枕元に手を伸ばすと、カーディガンがありません。そこで、着ている服の袖が桃色であることに、気づきました。着たまま眠ってしまったようでした。

居間に行くと、食卓では、お父さんが、家族分の紅茶をカップに注いでいました。

サヨが「おはよう」と言って、席に着くと、

「おそよう、サヨ。お寝坊さんだなあ」

と、寝癖でぐしゃぐしゃの頭で、笑いました。

「あなたもね」

案の定、料理を運んできたお母さんに言われ、「そうだった」と、ますます笑っています。

「お母さん、おはよう」

挨拶したサヨの胸元を見て、お母さんが言いました。

「あら。お花、自分で新しくしたの?」

サヨは左胸を見ました。

深紅色の花飾りが一輪、まるで生きているかのように咲いていました。お母さんが、カーディガンと同じ、桃色の毛糸で作ってくれたはずの花飾りでした。

「綺麗な色ね」

褒められて、驚きから覚めたサヨは、言いました。

「染まったの」

今度はお母さんが、へえ、と驚きます。

「そんなに上手に出来るのね、でも、染めたの、でしょう?」

サヨは笑って、「いただきます」

焼きたてのパンを、頬張りました。


以来、サヨの枕元には、カーディガンと共に、小ぶりのリュックが置かれるようになりました。

サヨは毎夜ベッドの中で耳をすまし、川にも足を運んでいますが、月は未だに流れてきません。


fin


はじめての投稿作品です。読んでいただけたら、幸せです。

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