#1 Prologue/プロローグ
あるところに、一人の少年がいました。
空にはドス黒い雲が広がり、所々で奇妙な渦を巻いています。
少年は右手に黒に赤のラインが入った、独特なデザインのガントレットを着けていました。
少年の周りには、人っ子一人いませんでした。それどころか、あるのは廃墟と何かの骨ぐらいです。その骨が何の骨なのかは、考えると怖いので少年は考えませんでした。
少年の数キロ後方には壁を兼ねた要塞。そのさらに数キロ後方の空からは、光が漏れていました。
とても静かです。少年は一言も喋りません。喋る相手もいません。
すると、少年の奇抜なガントレットから声がしました。
『到達予測地点、現在地より40メートル前方。到達予想時刻まで残り一分です。まずは小さい個体から順に討伐していくのが最善かと』
どうやらガントレットからした声は無線オペレーターの女性の声のようです。それを聞いて、初めて少年が口を開きます。
「アイツが来るまであとどれくらいか分かる?」
その問いに対し、
『恐らくあと三分程度です。』
と、オペレーターの女性が答えます。
その答えを聞いて、どうやら安心したらしい少年は、大きく息を吸い深呼吸しました。深呼吸を終えると、少年は言いました。
「んじゃ、俺は戦闘に集中するためにこれから一旦無線を切ります。作戦終了後、無線を繋いで帰還指示を待つんで」
その言葉に女性は、
『分かりました。ご武運を。』
そう言って無線を切りました。
再び話す相手がいなくなった少年は、今度はよく喋るようになりました。
「さてと、アイツが来るまで一人で戦わないとな…」
アキレス腱を伸ばしながら少年が言っていると、空の怪しい渦が何やらとても大きく蠢きはじめました。
それを見た少年は、口に小さい笑みを浮かべて、
「来やがったな…」
そう言いました。少年のその言葉のすぐ後に、空の蠢きが弾け、小さな黒い滴が地面に落ちました。その滴は大きくなって、塊を作ってから形になり、小人サイズの生物が生まれました。
「ギュルルルル!!」
小人は、まさに典型的な異形と呼べる見た目と動きで、近づいて来ます。獣人種小人型の生物。名称を「ゴブリン」とされているそれは、
端的に言うと、魔物と呼ばれるモノです。
普通の人間なら出てきただけで腰を抜かして動けなくなるような軽くグロい見た目をしたゴブリンを見ても、少年は動じませんでした。ピクリとも動かない少年は、鋭い目でゴブリン達を威圧しました。少年は全く動いていないのに、不思議とその立ち姿は迎撃の体制をとっているように思えました。
「ギュルル…ゴウァッッッ!!」
奇声を上げながら、群がる軍勢の中の一匹が少年に飛び掛かります。異形の爪が、少年の左上半身を捉えようとした瞬間、
「炎よ」
ガントレットを着けた右手を前に出して少年がそう唱えると、ガントレットの前に特殊な文字列が書き込まれた円、いわゆる「魔法陣」が出現し、その円から炎が噴き出しました。いきなり現れた炎に対処できず、燃え尽きるゴブリン。少年はそれを開戦の合図としたかのように、言葉の続きを唱え始めます。
「練成・巨大な剣」
少年の言葉に反応するかのように、噴出した炎が少年の右手に集まり、光と熱を発しながら何かの形になっていきます。長い柄に、少年の身の丈ほどある大きな刀身。文字どうりの大剣を形作った少年は、炎の柄を両手で持ち、重心を低く構えて片足を軸に剣を一回転させました。
すると剣に切られた10体ほどのゴブリンが消滅し、少年はそのまま異形の群れへと突っ込んでいきました。
「よい…しょおっ!!」
少年が叫んで剣を振ると、5体ほどのゴブリンが消滅します。敵陣深くに切り込み、攻め続ける少年と、次々消えてゆくゴブリン。その姿はまさに無双状態です。
しかしその数は一対数十。一人で無双を続けても次から次へとゴブリンが来ます。
「くっそ…限が無えな…」
少年が時計をちらりと伺います。魔物が出現してから3分が過ぎました。
「そろそろ来てもいいんじゃねえか…?」
剣を振りながら、少年は呟きました。誰か来るのでしょうか。
少年が時計に気を取られていると、一匹のゴブリンが少年の背中に飛び掛かろうとしました。不意打ちの対処に間に合わない少年。その時でした。
「召喚」
ぽつり、と小さな声が少年の耳に届いたとほぼ同時に、後方で数体のゴブリンが消滅しました。それに驚いたゴブリンは一瞬動きを止め、その隙を見て少年は異形の腹を大剣の柄で殴り、吹っ飛ばします。
「やっと来たか。」
少年は溜め息をつきながら言います。どうやら声の主は知り合いのようです。
「ごめんごめん。遅刻しちゃった」
笑顔でごまかす声の主の少女を見て、少年は再び溜め息をつきます。少女は少年のガントレットと共通の小さな宝石のような装飾のついた大きな箒を持っています。
少女はその大きな箒を前に振り、大きな声で何かを呼びました。
「じゃあ…やっちゃって!クー・シー!」
そう少女が呼び掛けると、遠吠えが聞こえ、どこからともなく大きな犬が現れました。強靭な四肢と鋭い爪や牙を持った大きな犬は、伝説上の生物とされている精霊、クー・シーです。
「久しぶりだな、ワン公。手伝ってもらうぜ?」
クー・シーの出現とともに、少年も攻撃を再開しました。今度は一人ではなく、一人と一匹での無双です。三分も経たずに大方のゴブリンを片づけ終わりました。
「そろそろ…メインターゲットのお出ましか…」
少年がそう言った直後、ゴブリン達の様子が変わりました。
「ヒギッ…グギャアアア!!」
呻き声を上げながら出現した時の黒い塊に戻るゴブリン。その黒い塊が集合し、巨大な人間のような形を作りました。北欧神話の巨人「トロール」。全身が毛深く、表情は読み取れませんが、少年たちに敵意を向けていることだけは確かです。
「ブオォォォォ!!」
トロールの剛腕が、少年目掛けて飛んできます。縦は人間一人程もある巨大な拳が、地面をまるでクッキーのように砕き、大きな衝撃が波のように周囲に広がります。
「おっと!」
少年は大きく飛び、見事にトロールの渾身の一撃を避けました。そのまま地面へと刺さったトロールの腕を駆け上がり、肩まで上がりきった後、膝に力を溜めてもう一度大きく飛びました。トロールがその動きに気付いた時には、少年の大剣は、巨人の脳天を捉えていました。
「いっけえええぇぇえぇ!」
少年が自らの落下を利用して剣を空中から地面へ振り下ろしていきます。大きな音を立て着地し、そのままトロールに背を向き、大剣を担いで少女のいる方向へとゆっくり歩いていきました。
「フ…フゴォォォォァァァァ!!」
頭から真っ二つにされた巨人が、断末魔の雄叫びを上げました。巨人の叫びが響く中、少年は気づいたように、
「…解除」
と小さく唱え炎の剣を消しました。
少年が剣を消した直後、トロールは灰のようになり、黒い渦の中へと吸い込まれていきました。
戦いが終わり、一息ついた少年は少女へと顔を向けました。
「お前遅すぎだ。もっと早く来いよ。死んじまう所だった。」
呆けてそう言う少年に少女が、
「作戦開始エリアの場所間違えたのどこの誰よ!?進路変更してこっち来るのに時間がかかったの!」
と反論します。半ギレ状態の少女の相手をするのが面倒臭くなったのか、少年はさっさと帰り支度をして話を逸らしました。
「何はともあれ、今日も無事生きて帰ることができるんだ。とっとと帰ってメシにしようぜ―って、無線で本部に連絡すんの忘れてた。」
少年はガントレットの無線を繋ぎ、連絡を取ろうとしました。
「もしもーし、こちら作戦班。作戦が完了したんで、迎えをよろしくお願いしまーす。」
『……』
「あれ?もしもーし。応答願いまーす。こちらアライスト・クロウィリー。応答願いまーす」
『……』
「こちら作戦班!応答願います!護送班をよこしてください!聞こえてますか!?もしもし?」
しかし、一向に応答はありません。
「……」
少年はついに沈黙しました。
「クロ、どうしたの?」
少年―アライスト・クロウィリーに、ガントレットを覗き込みながら少女が尋ねます。
クロ、という愛称で呼ばれた少年は、ゆっくり少女の方を向いて、
「無線、繋がらない。迎え、来ない。オレタチ、歩いて帰還。」
「…なんでそんなジャングルの奥深くで暮らしていて一度も人に会った経験の無い原住民の人みたいな喋り方なの…」
「そんなテンションにもなるだろ!ここから基地まで一体何キロあると思ってんだよ!」
「そんなの知ってるよ!だからクロとの作戦は嫌なの!」
「うっせーよ!遅刻した癖に!」
「黙れ!ウソ教えたくせに!」
激しい罵り合いをしながら、一歩、また一歩と歩いていく少年と少女。
―彼らは魔術師。
これは、黒く塗り替えられた世界で、目の前の絶望と闘い、抗い続ける人間と、それを嘲笑う悪魔との、永遠にも思える長き戦いの物語です。