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僕の生きる蹴道  作者: 光太郎
第二幕 ひと月
8/33

目標が出来たんだ

「……」



思い返すと結構酷い。よく逃げなかったなと思ったけれど、そもそも逃げ場が窓しか無かった。ちなみに一年生は三階。一階が三年生、二階が二年生。


そこから先は思い出したく無い。安生さんの次々出るエピソードに周りが色めき、それは始業を告げるチャイムが鳴るまで続いた。


時間にすればさほど長くは無かった筈だが、僕にとっては数時間、数十時間にさえ感じられた。何せ針のむしろ。あれほど居心地の悪かった事は無い。登校拒否になりそう。


まあ、確かに伊藤の言う通り僕に何かとんでもない欠点があった訳でもないし、時間が経てばそれも収まるだろう。人の噂も七十五日。そう思うしか……無いのだろうか。


それにしても、僕が美少年。今でも実感が湧かない。


何せそんな事を言われたのは親戚や近所の年配の方以外では初めてだったし、第一彼女はおろか告白さえ受けた事が無い。これでどうやって気付けばいいのか。


安生さんに言わせれば不可侵条約があったとか、サッカーに夢中になっていて邪魔しちゃいけないと思ったとか。それを学校単位、町単位で行っていたと言う事には驚きだ。


喘息の過去もあって、気遣われているとばかり思っていた僕も僕だけれども。思春期特有の勘違いをしていたと勘違いしていたと言う事。……それはそれで充分恥ずべき事では無いのだろうか。


とにかく、受ける視線が悪い物では無い事は分かった。僕は注目を浴びて喜ぶ人間では無いけれど、それでもこれがむしろ好意を持って向けられていると思えば、少なくとも悪い気分にはならない。


ならないけれど、居心地は悪い。収まるまでがまた長く感じられそうだ。


それに。サッカー選手として有名になれば、嫌でも注目を浴びる事となる。


例えば、僕と同い年の者達の中では最も知名度の高い”ダイヤの四人”。


彼らは去年、中学生の身ながら17歳以下日本代表に飛び級で選ばれ、Uー17ワールドカップにも出場する程の逸材で、頻繁に雑誌やテレビで取り上げられている。


僕がその様な存在になれるかと言えば、現状では厳しいと言わざるを得ない。でもまあ、それぐらいになった時の予習と思っておけば良いかもしれない。



「──それでは新入生の諸君、頑張って下さい。以上」



どうやら校長先生の話が終わった様だ。立ち上がり礼を行い、着席。何も聞いていなくても、周りと共に動けば問題無い。精神衛生上あまり宜しく無かったが、とにかく良い感じに時間を潰せた。


冒頭で述べられた予定では確か、この後は新入生代表の挨拶のみのはず。それが終われば教室に戻り、ホームルームを行って放課になる。


いよいよ本番。そう意気込み、校長先生の話の時と同じ様に殆ど聞き耳を持っていなかった。


しかし。



「新入生代表、佐倉香澄美さんでした」



挨拶が終わり、進行役の者が名前を告げる。


壇上に居た女生徒は、そこへ向かった時と同じく校長先生、来賓の方に礼をし、此方へ向き直り自分の席へ戻って行く。


挨拶の内容は殆ど聞いていなかったが、用意した原稿に幾らか教師の添削が加えられたであろう文章に特徴は無かったはず。


様式美。それは形通りだからこそ美しく、形以外はどうでもいいとさえ言える事。


しかし。


そこには形だけは無い美が、確かに存在していた。


薄々感じるものはあった。


長い髪を高い位置で一つに纏め、それを姿勢良く揺らしながら歩く後ろ姿。素肌は脚しか見えないのに、その脚だけからでも分かる背中美人。


そして今振り向いた彼女は、その背中が語っていた以上の美少女だった。


眉、目元、鼻筋、口元。それら素材の良さを引き出すメイクは薄くても充分で、特に肌や唇の艶は色気すら感じられる。


何より特徴的なのは胸部。制服、それも冬服に体育館の冷気を予想されたカーディガンを着込んだ厚着、その上からでも分かる程に盛り上がった部分は男子高校生にとっては刺激が強い。


そして彼女は、そんな周りの目も取り立てて気にするような仕草は見せず、最後まで美しい立ち居を崩す事無く自らの席へ戻って行く。


その姿に、僕は心の中で彼女に敬意を払った。


注目を浴びる事を受け入れ、それに応えるかの様な佇まい。新入生代表とはつまり入試の成績が一番良かった者が推薦される為、彼女は眉目秀麗な上に頭脳明晰でもあるらしい。


自らの価値を認識し、それを更に磨き上げようとしている。その事が有り有りと伝わって来て、僕は感嘆の言葉しか思い付かない。


だから。


素直に、こうなりたいと思った。


僕は今日気付かせられ、自覚した。少なくとも僕は、どうやら容姿が良いらしい。


だけど、それ以外が駄目なら意味が無い。自分に自信が無いし、極めるべき物も全く極められていない。


僕が持っている容姿は与えられたものであって、僕自身はまだ何も持っていない。言わば張りぼて。外観で誤魔化しているアトラクションに過ぎない。


彼女の様に、努力して勝ち取ったものが欲しい。そうして初めて、彼女の様に自信を持つ事が出来るだろう。


元々頑張るつもりだった。死ぬ気でやるつもりだった。そして、更に目標が出来た。


彼女に認められる事。彼女の横に立つ事。それが出来た時、初めて僕は自分に自信が持てる。成長出来る。


落ち込んでいる暇は無い。居心地悪いと言っている場合じゃない。見た目だけじゃなく、中身でも注目して貰える様に、彼女に早く追い付けるように頑張ろう。


この気持ちを恋と言うのなら、確かにそうなのかもしれない。


生まれて初めての恋。そう思うと心が温かくなって、どんな困難にも向かって行ける気がする。


僕は、サッカーが好きだ。もうこれは未来永劫変わらない事だと思うし、死ぬまでサッカーと共に生きて行くと誓った。


だが、彼女が彼女である限り、僕は尊敬の念を抱き続ける事を辞めないだろう。


何時までも変わらず、彼女を想い続けるだろう。


恋って、こんなに素晴らしい事だったんだ。人生を掛けると誓った事と同列に考えられる程の事だったんだ。


これが一時の感情だとは思わない。初恋は叶わないと聞くけれど、それでもいい。


桜が咲く季節、新たな門出の日に、僕は彼女に恋をした。





入学式が終わり、また担任に連れられて教室へ戻り、即座にホームルームが始まった。


まずは軽く自己紹介。出席番号順に名前、出身中学、誕生日、他何か言いたい事を述べるもの。


手始めに担任の自己紹介があった。水原将司、中間OB、四月二日、三十一歳で結婚相手募集中。僕達にそんな事を伝えてどうする気なのだろうか。女生徒の目が心なしか冷たい。


伊藤は誕生日が二月二十八日で、本当は閏年の二月二十九日に生まれたらしい。彼女募集中のコメントに今度は笑いが起きる。水原先生にも苦笑が見えた。


そして、前の席の者が終わり、僕の番。立ち上がると視線だけでなく、女生徒の歓声が上がる。


ついさっきまでの僕なら、それに対しどう応えていいのか分からなかった。自覚した所で、何だか自分に向いているのでは無い様な気さえしていた。


だが。



「獅堂圭、宇野森中学出身。誕生日は十二月一日。平穏無事に過ごして行きたいと思いますし、早くクラスに馴染んで行きたいので皆さん宜しくお願いします」



最後に少し笑顔を見せると、起立した時程とは考えられない程小さな歓声が上がる。


心持ちが変わって、少しは周りが見えて来た。周りが期待する事。僕がすべき事。いつもの調子が戻って来た。


男生徒の表情から読み取れるのは困惑。迷惑と言ってもいい感情。自分以外に上がる歓声を聞きたいと思う筈も無い。


女生徒は、多分僕が何を言っても良い。なのでまず釘を刺す。少し顔を硬くして、直接迷惑とは言わないもののあまり五月蝿くするのは好ましく無いと。


そこで”馴染む”と言うワードを付け加えれば、遠目で色めく事なく対等に接して欲しい、仲良くなりたいと言う気持ちが伝わる。最後に笑顔を添えて、終わった時の反応を伺うとどうやら成功した様だ。


こうして僕の自己紹介が伝わって行けば、当初予想していたよりよっぽど早く騒ぎは収まってくれる筈だ。


男生徒にとっても、女生徒にとっても、僕にとっても望む展開。それがこの自己紹介でどこまで達成されるかは分からないが、一先ずこのクラスにおいては問題無いだろう。


今は繕う事しか出来ない。けど、今はそれでもいいと思う。


まだ中身が伴っていなくても、僕自身が何か成した訳でもなく、ただ両親から与えられた物しか無いとしても。


今の僕に出来る事。それを精一杯やって行くしか他に無い。


いつかそれが、本物になると信じて。周りの期待に応えれる様にに自分のハードルを上げて上げて、それを越えられる様にするしか無い。



「よし、では今日のホームルームを終わる。相内、済まないがクラス委員が決まるまで号令を掛けてくれないか」



出席番号で一番にしかなった事のないと言っていた彼は、慣れた様に号令を掛ける。恐らく今までもそうやって言われた事があるのだろう。


さて待ちに待った放課後。此処へ来た意味。本物になる目標への初めの一歩。それがいよいよ訪れる。



「獅堂、いよいよ始動だな」


「伊藤、君とはこれまでの様だね」


「……犯罪者を見る様な目はやめろ。俺は違うぞ」



水原先生とは、と小声で呟きつつ一緒に部室へ向かう。先生もああ言ったからって生徒に手を出す事まではしないと思う。多分。


周りからは相変わらずの視線が飛び込んでくるが、そこにもう居心地の悪さは感じない。


外観を見るなら好きにするといい。今はまだ完成してないけれど、何時かは中身を完成させてみせる。


そこにあるのは決意。サッカー選手として大成する為に、彼女に認めて貰う為に、僕はこんな所でまごついている暇は無い。



「何かお前、変わったな」


「そう?」


「ああ、まだちゃんと出会って少ししか経ってないのにな。何かあったのか?」



そう思って貰えるなら、素直に嬉しい。


実際、僕の何が変わったかと言われれば何も変わっていない。


言うなら、元に戻った。宇野森に居た時みたいにする事が出来る様になった。


周りに期待され、それを出来る限り全力で応えようとする。何も変わっていない、此処に来るまでの僕そのもの。


ただ。



「うん、目標が出来たんだ」


「目標?」


「佐倉香澄美さん。彼女に追いつく為には、こんな所で躓いてる場合じゃないと思ってね」


「ああ、佐倉か」


「知ってるの?」


「知ってるも何も同じ中学だし。あんま接点無いけどな」



少し驚く。こんな偶然もあるかもしれないが、少しだけ縁を感じる。



「顔良し頭良し身体良し。体育で男女合同になったらさあ大変」


「伊藤……」


「冗談だよ。でも、そこまで目立つのに、当の本人はそこまで気にしてないと言うか。どんな時でも堂々としてるんだよな」



堂々と。


あんなに見られて、しかも男生徒からは特に不躾な視線をぶつけられて、恥ずかしく無い訳が無いのに。


その羞恥心以上に、彼女は彼女であろうとしていた。誰もが望み、誰もが憧れる、新入生代表に相応しい姿を。その責務に彼女は勝ってみせた。


そこに至るまでに何があったのかは分からない。想像も付かない。



「そうだね。だから僕は、彼女の様になりたい」


「……いいんじゃね? お前ならなれる。そんな気がするよ」


「ありがとう」



だから。



「失礼します、入部希望の新入生一年、獅堂圭です!」



僕は、一歩踏み出す。


彼女が彼女に至るまでの道程を。


何者でもない僕が、本物になる為に。



「ようこそ、県立中間高等学校サッカー部へ」



号砲が、鳴り響いた。

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