まだ、迷ってるかな
全中予選に敗れ、僕達三年生はこれで宇野森サッカー部卒業と言う事になった。
キャプテンには緒方が選ばれ、新生宇野森サッカー部は始動した。
僕と同じ三年の元サッカー部員達は、中学でサッカーを辞める者も居れば、高校でもサッカーを続けると言う者も居る。
僕は、勿論後者。
そもそもサッカー自体に触れたのはまだ二年前、本格的に始めたのも三ヶ月前。それまではただのボール遊びに過ぎない。
まだまだ足りないし、もっとサッカーを続けたい。ただそれだけだ。
僕が何故ここまでサッカーを好きになったのかは、正直分からない。
ただ物心ついた時から、僕の部屋にはサッカーボールがあった。喘息でベッドから動くこともままならないのに、だ。
両親曰く、赤ん坊の頃からサッカーボールで遊ぶのが好きだったようだ。喘息で起き上がれない時は、ベッドでサッカーボールを抱いていたらしい。
当時は、観るだけしか出来なかった。だが、徐々に喘息が改善されていくにつれて、自然とサッカーがやりたい、と思うようになっていった。
それに、家に篭りがちで、学校へさえよく休む僕にとって、サッカーがなければ友人を作る事さえままならなかっただろう。
サッカーを通じて友人が出来て、僕がサッカーを本当に好きな事を本当に知って貰っていなければ、宇野森でサッカー部に入る事は出来なかったのかもしれない。
ボールは友達とはよく言ったものだと思う。
最早僕にとって、サッカーは欠かせない存在で、また一つの友人、恩人みたいなものだ。
「獅堂、今日も行く?」
「勿論。僕の方からお願いしたいくらいだからね」
夏休みが終わり、九月。
まだまだ残暑が厳しい中で、二学期が始まった。
三年のこの時期、受験勉強に追われる者もいる中で、しかし僕はそれとは正反対の事を繰り返していた。
それは、
「あんた達またフットサル? 懲りないわねー」
と声を掛けてきたのは、クラスメイトの安生実里さん。女性にしてはショートヘアの明るい少女。
その性格から男女区別なく誰とでも仲良くなる事で有名な、彼女の言い分の通り。
全中予選で負けてから、僕はフィジカルトレーニングの合間にフットサルに参加すると言う、とても受験生とは思えない行動をしていた。
フィジカルトレーニングとは、主に体力作り。
四月以降ずっと行ってきた事だが、まだまだ体力不足と言わざるを得ない。
どのポジションだろうと、体力がなければやっていけない。問題外と言うやつだ。
サッカー経験も浅く、止めて蹴るという技術以外はダメダメな僕は、せめて体力だけでも付けておかなければならない。
そうしないと、恐らく練習参加さえさせてもらえないだろう。
ただ、それでも少しはボールを触っておかなければ不安になる。そんな時に、今日の様に向井がフットサルに誘ってくれた。
フットサル。
分かり易く言えばサッカーの縮小版、バスケのサッカー版で、コートやゴール、ボールまでも小さく、人数も五人。内一人はゴールキーパーだ。
人数も少なくて済み、そこまで広い場所でなくても出来る為、サッカーより気軽に始められるスポーツとして知名度が上がっている。
スライディングやタックルなど危険なプレーも禁止。なので屋外だけでなく屋内でも行われる事もあり、怪我の危険性も少ない。
狭い分幅広い視野、展開力は養われないものの、よりボールに触れる機会が多く、足元の技術が身に付く。プレーエリアが限定される分、一瞬の閃き、状況判断力も養われる。
また狭いからと言ってサッカーより楽かと言えばそうでもなく、常に動き回らなければいけないので体力も必要になる。
フットサルの主な特徴はこんな感じだろうか。
元々高校入学までサッカーコートでプレーする事は出来ないと思っていた為、この誘いは願ってもみなかった。
足元の技術、体力が鍛えられる事は、僕にとっては大きい。
特に足元、ボールの置き所に関しては特に意識している。出来る限り懐を深く、相手に不用意に飛び込ませない様に。その為にはボールタッチの回数を増やし、常にボールを扱える位置へコントロールする。
止まっている状態では出来ていた事を、今度は動きの中で。足元は殆ど見ずに、いつでもパスが出せる態勢を取りながら。
勿論両足の感覚は出来る限り同じに。止めて蹴る事は出来るのだから、この際全ての事を両足で出来る様にしておいて損は無い。それが僕の特徴の一つにまで昇華出来るのかもしれないし。
身体の接触がない分、当たりに対しては諦めるしかない。特に恵まれている訳でもない体格の僕にとって、当たりへの耐性も養っておきたいところだが、その点を差し引いても充分過ぎるメリットがある。
何より、部を卒業しても、仲間として僕を想い、経験不足を少しでも解消しようとフットサルに誘ってくれた。
この町から外にあまり出た事がない僕だが、それは身体の事があったから。今では多少の遠出も問題無いし、断る理由は何処にも無い。
「懲りるも何も。僕は高校までに、少しでも周りとの差を縮めないといけないし」
「俺にしたって、高校でもサッカーは続けるつもりだ。ボールの扱い下手だしな」
自分で言うように、向井はボールの扱いがあまり上手くない。リフティングはぽろぽろ落とすし、トラップも大分適当。フェイントもぎこちない。
ただし、足が速く、シュートが上手い。それだけでフォワードをやっていたようなものだ。
それと、強面な顔なのに案外気配り上手。人望の厚さもあってキャプテンに選ばれていたし、僕を誘ってくれたのだってそう。
彼と同じ三年間ずっとクラスで、本当に良かったと思う。
「そうは言うけど……肝心の高校に入れなかったら意味ないでしょ?」
「忘れていた事を思い出させるなよ……」
「いや、忘れちゃ駄目でしょ。特にあんたは」
呆れ顔の安生さんにもっともな事を言われ、向井は項垂れた。
サッカー部が盛んな高校は、一概に全てそうとは言い切れないが、偏差値はあまり高くない。
僕もかなりのサッカー馬鹿だが、少なくとも近隣のサッカー校には問題なく入れる、と思う。
それでも心配される向井は……まあ、そう言う事だ。
「……いいんだよ。いざとなったら獅堂になんとかして貰うから」
何とか出来る程の余裕も無いけど、
「うん、一緒に頑張ろう」
頼られるのは、嬉しい。
頑張ろうって気になれる。これまで頼られるってことあまり無かったしね。
「獅堂君もねー、甘やかすのは良くないわよ?」
「これまでずっと甘えっぱなしだったんだし、今度は僕が返す番だよ」
「おおっ! 心の友よ!!」
「あんたらは、ほんとに……」
眉間のあたりを抑えて言葉を失う。
それでも仕方がない。
お互い助け合っての友人なんだしね。
「あー向井だけずるーい。」
「獅堂君、そんな馬鹿相手にしてないで私にも勉強教えて?」
「私もー」
と、僕らが漫才をしていると他のクラスメイトの子達もノってくる。
僕自身サッカー部の中ではマシという程度で、実際それほど頭の良い方でもないのだけれども、どういう訳か良く勉強の事を聞かれる。
いや、勉強だけじゃない。今回のような他愛のない話から、移動教室の場所や昼食のお誘いなど、気のせいじゃなければ事あるごとに接点を持とうとして来るような……
「よっ人気者」
「よっ千両役者」
「もう……」
先程までとは打って変わって、息ピッタリで僕を弄ってくる向井と安生さん。千両役者はどうも違う気がする。
こんな風に弄られるのも常。まあつまり、そういうキャラクターとして地位を築いてしまったんだろう。
悪い事でも無いし、皆が笑顔で居てくれるのならむしろ光栄。
その後も少し談笑して、僕らはフットサル場へ向かった。
「いやー、獅堂もみるみる上手くなっていくな!」
「そうそう、元々貰い方とか上手かったけど、動きながらのボールの扱いも様になってきてるわ!」
「あはは、ありがとう」
少々声が大きかったのか、車内から注目を集めてしまった。
僕はお世辞とも言える賞賛に礼を言いつつ、人差し指を立てて口元に近付けて声のトーンを下げる様ジェスチャーする。
時刻は19時。
九月に入ってもこの時間ではまだ陽は落ちず、冷房の効いている電車の中で今日の感想を述べ合う。
地元から三駅ほど行ったところにある、すっかり馴染みの屋内フットサル場を後にし、僕らは帰路についていた。
メンバーは、元宇野森サッカー部の三年生面々。小学校から一緒の者もいれば、中学校からの者もいる。けれど過ごした時間に関係なく、僕にとっては気兼ねなく過ごせる仲間達だ。
今日は五人揃ったが、少ない時は空いている人を探して臨時チームを組んだりする。
本来フットサルは交代もあるが、いつも行っているところは原則交代なし。
試合時間も15分の一本で、試合の初めに設置されているタイマーを動かし、終了までは触らない。審判もおらず、揉めた時はコイントス。
場所代も一人二時間五百円と安価で、気軽に楽しめるスポーツとして来る人が多く、結構栄えている場所だ。
「体力もついてきてるし、このまま行けば高校入学時は無名の新人として旋風を起こすかもしれないぞ」
「流石にそれはないと思うけど」
「いやいや。先輩達が入った高校に行けば無名とはいかなくても、今の獅堂は想像できないだろうしな」
「両足使えるし、実際獅堂ぐらいパスが上手い奴って中々いないと思うぜ」
「僕なんてまだまだだよ。でも、ありがとう」
謙遜しているつもりはない。そりゃあ日に日に上手くなっている感じはするし、皆も少しは入っているだろうけど、全てお世辞で言ってるとも思えない。
ただ、やっぱりサッカーとフットサルは違うし、そもそも僕はスタートラインから違う。
まともに動き回れなかった僕が、少しは動けるようになっただけ。
止めて蹴るしか能の無かった僕が、少しだけドリブルやフェイントを覚えただけ。
接触プレーが禁止されている中で、密集地帯でのボールキープが少しは出来る様になっただけ。
どれも皆からすればやれて当然の事だ。それにやっと追い付いただけ。いや、まだまだ追い付けてすらいないかもしれない。
それに、今はどんどん成長して行けても、いつか躓く時は必ず来る。この程度で満足している暇はない。
「高校と言えば、向井は何処にすんの?」
「……俺の頭で入れるとこ」
「こいつ本気で獅堂に泣きつく気かよ……獅堂は?」
「まだ、迷ってるかな」
高校。このメンバーは全員進学希望だが、受験するところはバラバラ。
彼らが選んでいる高校は、サッカーの強豪校というよりは進学率、就職率に長けたところばかり。
勿論サッカー部はちゃんと活動している所ばかりだし、高校からもサッカーは続けるらしいけど。
向井にしても、サッカーは好きだからやっているというだけで、強豪校に入って選手権に出る! と言うほどの熱意はないらしい。
選手権とは、冬に行われる全国高等学校サッカー選手権大会の通称。
本選ではテレビ中継も行われる程の人気を誇る、高校サッカーに携わった者なら誰もが憧れる舞台だ。
当然この大会に出る為には高校選びから重要になってくる。
監督、選手、設備や遠征などの学校側からのバックアップ、これらが揃った高校でないと厳しいのが現状だ。
特に重要なのが、学校側からのバックアップ。環境が整えば自然と優秀な選手も集まってくるし、有名なコーチ等も招致し易い。
中には飛び抜けた選手や監督が無名校で選手権に出場、なんてこともあるがそれは極稀。
初出場校でも、背景には近年サッカー部に力を入れてそれが身を結んだ高校が多く、やはり環境面が最重要と言わざるを得ない。
僕としては、初めは向井達と同様の事しか考えていなかった。
高校卒業後は就職して、これまで迷惑を掛けた両親に恩返ししたい。その気持ちが強かった。
家がそこまで家計簿が貧窮している訳でもないが、僕のこれまでの治療費だって馬鹿にならない。サッカー用品だって高くない。
それに、サッカー部さえあればサッカーが出来る。僕にとってはそれが全てだ。
ただ、高校には行きたかった。全快して、普通の学生生活をもっと送りたかった。
両親としても、少なくとも高校へとは思ってくれていたらしい。
ごめんね、もう少しだけ迷惑を掛けさせてと言ったら泣かれてしまった。迷惑だなんて思った事も無い。その言葉が何より嬉しかった。
だから。
本来は、悩む要素なんてなかった。
就職率のいい高校へ行って、大好きなサッカーを楽しみつつ、新たな友人達と過ごす。それだけで良かった。
良かった筈、なのに。
「まあ……難しいところだよな」
「あの前澤監督直々に、だもんなあ」
県立中間高等学校サッカー部前澤繁監督。
普通科のみでスポーツ推薦が無く、偏差値も高めな進学校。生徒数約800。二年前までは申し訳程度に運動部が存在している程度で、通称中間。
その中でサッカー部はまだ活動している方だったが、全国は程遠い成績。それを変えたのが、去年の春に新任教師として中間に来た前澤監督だ。
以前でも異なる高校で結果を残してきた『名将』と呼ばれる前澤監督が、運動部が盛んでない中間に来た理由は定かではない。
しかし、監督が中間に来て、サッカー部は飛躍的に進化を遂げた。
他の運動部が殆ど活躍していない為、予算を有効に使え環境を整えれた事を差し置いても、たった一年で中間は県内屈指の強豪校となった。
その際たる象徴が、去年の新人戦。
一月の選手権が終わった直後に開かれる、三年生が抜けた新チームの初陣とも呼ばれる大会で、中間は優勝した。
県内大会とは言え、それまで無名だった中間が優勝した事で、中間の名を広めると共に改めて前澤監督の手腕が評価される結果となった。
そんな前澤監督を慕う者も多く、現に今年の二年、つまり前澤監督就任時に入学した部員の中には、それまでならまず他の強豪校に入るような中学サッカーの有名どころもいる。
一般入試しかない為に数は少ないが、裏を返せばそれでも是非前澤監督の元でサッカーを、と思わせる程のものがあるからだ。
それは、選手を育てる能力。
前沢監督の元、プロになった者も多い。その中の殆ど全ての者が、『前澤監督のお陰で成長できた』と発言している。その中には、『思いもよらなかった適正を見出された』と言う者も多い。
育成の前澤。それは高校サッカー界に限らずプロサッカー界でも有名な話で、プロクラブの監督就任要請さえあったという噂もある。
それ程までに有名な、その前澤監督が、だ。
「僕なんかを誘ってくれるだなんて、思ってもみなかったから」
それは、二ヶ月程前。
まだ記憶に新しい、県大会敗退後のことだった。