いつも通りやれ
週末。
天気予報によると微妙な空模様の様子だったが、実際雲は多くても雨雲では無さそうで、肌寒さも暑苦しくも無いちょうどいい気温になった。
風はある。だがこの程度なら慣れたもので、風向きを少し気にする程度。
今日からインハイ県予選の二次リーグが始まる。プリンスリーグでは苦戦が続いているので若干の不安は残るが、全国を目指す中間にとっては通過点。
何より新戦力が加わって初試合と言う事もあり、まずは初戦をきっちり勝って勢いを付けたい所だ。
「……以上がスタメンだ」
場所は県立海城高等学校グラウンド。相手もその海城で、レベルは県内中堅と言った所。一次トーナメントは毎回抜けてくるが、二次リーグ敗退の常連。
弱くはないが、正直中間とは比べるまでも無いし、先輩方もレベルが分かっているのか気負いは見られない。僕ら一年からすると未知の相手だが、その姿を見ると緊張するのも馬鹿らしくなってくる。頼もしい先輩方だ。
「前半で勝負を決めろ。後半は一年を試す意味もある」
前半は現状のレギュラー陣で戦い、後半は新戦力を試す。
既にプリンスリーグを戦って来たとは言え、インハイではあくまで初陣。初めが肝心と言う事を改めて言い聞かす。
言われるまでも無いと思う者も居るかもしれないが、そう言う基本的な事こそ忘れがちだ。
それをいつも通り、よりも少し強めに言う事で、場の雰囲気を締めると共に重要性を暗に示す。この辺は流石の前澤監督と言った所だ。
「今呼ばれなかった者も、状況次第では前半から出す事も有り得る。そのつもりで見る様に」
「はい!」
おそらく、いや確実に勝負は前半で決まる。場合によっては10分、15分で決まる事さえ有り得る。
予想通りベンチスタートになってしまった訳だけど、言われた通り心の準備だけはしておこう。
審判が笛を鳴らし、試合開始。
コイントスに負けた様で、ボールは相手から。後ろに下げる海城に対し、鏑木達が即座にチェックに行く。
富屋先輩は中央で位置し、フォワードやボランチがボール奪取するのを待つ。海城の一人がマンマークに付いているが、それでは甘い。
ボール回し一つ取ってもレベル差がある。
パスの質、受け方、視野の広さ。適切な強さのボールを出せるか、適切な位置にボールをコントロール出来るか、適切なタイミングで味方にパスが出来るか。
海城は開始後後ろに下げたが、中間のチェックが速く、思う様に前に運べない。結果としてゴールキーパーまで下げてしまい、大きく蹴り出す事になった。
悪手とまでは言わないが、好手とも言えない。ハイボールの処理は難しいし、運も絡んでくる。長いボールを正確な位置に蹴り出す事は難しいし、落下点に先に陣取れるかは時と場合によるからだ。
また、頭で競る事になるのでどうしても浮き球になる。如何に速く足元に収めれるかどうかも技術。
サッカーに限らず、運が絡んでくる事は何にでもある。しかし大部分を占めるのは日々の積み重ねから来る確かな技術であり──
「不味い、当たれ!」
海城の一人が叫ぶ。上手く足元に収まらなかったボールを、中間のボランチである夏木先輩が奪取した。
そして、
「富屋!」
即座に富屋先輩へ。マンマークを背中に、ボールを受け取ると同時に右足の裏で左へ転がし、即座に左足で相手を背負いつつ転がして反転する。
一般的にルーレットと呼ばれる、後ろから来る相手に対して背を向けつつ前を向くテクニック。足元の繊細さと優れたボディバランスが必要で、見た目は美しい反面タイミングが難しい。
相手が止まれない程近付いた時に、両足を巧みに素早く動かす事が出来なければ成功しない。だが極めればその行動を読んでいても止めれない事さえある。
富屋先輩はそのままドリブルを初め、また一人、二人と抜いて行く。
余計なフェイントは殆ど無い。相手の重心を見て逆を付き、身体を入れてボールを奪われない様にしつつボールをコントロールする。
半端に身体を入れ様とした者が、逆に弾き返される程の力強いドリブル。そして、何が何でも止めに掛かった所で、
「決まったな」
「そうだね」
ベンチで一緒に見ていた伊藤の呟きに同意する。
ボールは富屋先輩から離れ、岡野先輩へ。ゴールキーパーとの一対一をかわし、無人のゴールへ。鏑木がマークを引き付け、空いたスペースを岡野先輩が飛び出したのだ。
何一つ変わった事はやっていない。富屋先輩がこじ開け、フォワードが点を決める。練習通りの、典型的な中間のサッカーと言えた。
ボールが中央へ戻り、1-0で試合再開。
海城に焦りは、まだ見られない。出会い頭の失点とも言えるし、まだ時間はたっぷりある。
だが再開後も、相変わらずボールを前に運べない。素早いチェックに翻弄され、またゴールキーパーへ。
其処へも詰め寄る中間に、またしても前に蹴り出すしか無い海城。先程の再現を思わせるプレーで、其処から先も変わらない。
ボールは落ち着かずセンターサークル付近から海城サイドを行き来し、程なくしてボールを奪った中間はまた富屋先輩へ……
「甘い」
とは行かず。いつの間にか上がっていた歳内先輩に一旦預け、前線へ。富屋先輩にマークを集中させていた海城は虚を付かれた形だ。
富屋先輩は大体の場合、ボールと相手ゴールまでの直線上に居る。正確には、其処に居る様にしている。
だが、直線で繋げばゴールまでの”最短”になるのかと言われれば、そうでは無い。富屋先輩に渡れば大抵の人数はかわしてくれるが、時間は掛かってしまう。それでは”最短”とは言えない。
その場合の”最短”とは、富屋先輩にマークが集中した分、緩くなったサイドに一旦預け、其処から前へ展開して行く事。
急がば回れ。渋滞を考慮して迂回する事が、結果的に近道となる。この場合も同様だ。
ボールを受け取った岡野先輩はサイドに向かって突き進む。足が速く、スピードに乗ったドリブルはそう簡単に止められない。
中央付近から一気に海城側コーナー付近まで駆け上がり、そのままセンタリング。
其処に走り込んでいたのは鏑木。身長差だけで無く、明らかに相手より高く飛び上がり、頭一つ抜け出してヘディングシュート。
本来勢いが付き難い頭でのシュートだが、流石の鏑木。上半身の力で強烈且つ正確に叩き付けて見事ゴールネットを揺らした。
「これで試合も決まったかなー」
「……まだ二点。とは言え」
「全員、アップしろ」
直江が何か言おうとした所で、前澤監督から声が掛かる。
続きを聞くまでも無い。僕ら控えが呼ばれたのは、つまりそう言う事だ。
短い距離でストップとダッシュを繰り返し、身体が温まった所で柔軟。試合が20分程過ぎた所で、
「高木、直江。準備をしろ」
「はい!」
呼ばれた二人は着替えを行い、ユニフォーム姿になる。
点差こそまだ2-0だが、相変わらずボール回しが上手く行かず、前へ蹴り出すしかない海城には焦りが見えてくる頃だ。
対して中間も得意のカウンターを警戒され始め、奪ったら直ぐにゴールへと言う展開には至り難くなっている。だが日頃から基礎的な技術をみっちり叩き込まれ、体力もあれば余裕もある中間のパス回しは淀みない。
プリンスリーグを戦って来た中間にとって、海城のチェックの甘さは目に付く。たとえ点差が無くとも余裕は生まれていただろう。
明らかな実力差。それは時間と共に焦りを産み、やがて諦めへと変わってくる。そうならない為にも、海城は必死に道を探している。
「高木、お前はどんどん攻め上がり、しっかり戻れ。直江は普段通りでいい。行け」
試合開始25分程で交代。高木は右サイドバック、直江は右センターバックに入る様で、そのポジションに居た先輩達が引き上げて行く。
高木は本来中盤よりの選手。歳内先輩から色々教えて貰っているとは言え、サイドバックとしての動きはまだ心許無い。
だが、今は守りに関してはさほど気にする必要は無い。一先ず攻撃面での貢献度を測ると言った所だろう。
直江に関しては、現状で既に準レギュラー的な扱いだと思う。小柄な印象が強い、以前の中間色を払拭したい意図もあるかもしれない。もしくは試合慣れか。
「次は俺かー?」
「ゴールキーパーにとってこの試合は……」
「いやそーなんだけどさ。あいつらが出たら俺も! って感じになるじゃん?」
「まあ、そうかもね」
言われた通り、高木はサイドバックと言うより中盤、ウィングバックの様に動いている。
ただ上がり終えた時は戻る位置が深い為、長い距離を走る事になる。幾ら体力に自信があっても、フルタイムで戦う為にはそう何度も上がって下がってを繰り返す訳には行かない。
今はおそらく、ペース配分を身体に覚えさせている段階なのだろう。マラソンの様に一定のペースで走るのではなく、全力で走り、時には止まってまた走る。帰りは最後まで全力疾走。それを何度行えるのか。
直江は直江で言われた通り無難にこなす。ハイボールの処理は安心して見ていられるし、複数人の波状攻撃も慌てず対処している。
二人共、自分の仕事をしっかりと行っている。チームへのフィット感も悪くない。もっとも、今は楽な展開での投入なので真価を問われるのはこれからかもしれないが。
「良いスコアだ。これに甘んじず、最後まで続ける様に」
ハーフタイム。アディショナルタイム、別の言い方でロスタイムは殆ど取られずに前半を終えて3-0。
二人の投入後も攻撃、守備共に安定しており、試合前の言葉通り前半でほぼ勝負を決める事が出来た。
「獅堂」
名前が呼ばれ、心が踊る。どうやら僕にも出番が回ってくるみたいで、伊藤が悔しそうな顔をしているのがちょっと面白い。
これで勘違いだったら僕も面白い奴だ。悪い意味で。
「夏木のポジションに入れ」
「はい」
夏木昌雄先輩、三年で3ボランチの中央。夏木先輩に限らず、ボランチの三人は献身的な守備とカバーリングが上手い。全員が三年で、お互いの事を理解し合っている事もあるのだろう。
其処に、中間に入って日の浅い僕が入る。ほぼ勝負が決まっているし、練習では問題無く馴染めていたと思うが、試合となるとまた違ってくる。
それに、夏木先輩と同じでは意味が無い。チームとしてしっかり馴染みつつも、自分の色を出さなければいけない。
「いつも通りやれ。私の指示はそれだけだ」
「……はい」
前澤監督もそれは分かっている。
僕は夏木先輩の代わりでは無い。僕は僕。それを、証明しに行く。
「俺の分まで頑張って来いよー」
「心配すんな。普段通りやればいいんだよ」
「ありがとうございます」
伊藤や夏木先輩等の励ましを有り難く頂き、ユニフォーム姿で白線の内側へ。
キックオフ前の定位置に着き、目を瞑り大きく息を吸う。そしてゆっくりと吐き出し、目を開けると。
「……」
背を向けつつ、顔だけ此方を見る富屋先輩。センターサークル上で半身になりながら見る鏑木。
──ああ、僕は彼らと一緒の場所に立っている。その事が嬉しい。
だから、次も彼らと同じ所に立てる様に、精一杯頑張ろう。