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僕の生きる蹴道  作者: 光太郎
第一幕 終わりの始まり
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圭、準備しろ

全国中学校サッカー大会、通称全中。


一般的な中学の部活動では、三年生の最後になる大会。負けたら終わりの一発トーナメント。


その県予選大会で、僕ら市立宇野森中学校サッカー部は劣勢に立たされていた。


残り時間20分、スコアは0-2。万年市予選敗退を繰り返していた宇野森においては、市予選を抜けて県予選に出れただけでも快挙に等しい。


それに、今の相手である日野中学は全国大会出場候補筆頭。今年もゴールキーパーを中心とした堅い守備からのカウンターが特徴的で、攻めあぐねた僕らは完全に相手の術中に嵌っていた。


だからこの点差は当然で、このまま負けても仕方が無いのかもしれない。


だけど、僕はもっとこのメンバーとサッカーを続けたいと思っていた。


生まれついての喘息持ちで、スポーツは疎かまともに外を出歩くことすらままならなかった幼少時代。


歳を重ねるにつれ症状は改善していったものの、小学校を卒業するまで毎週病院を行き来し。


やっと中学に上がる際に、軽い運動はしていいと医師から言われて、僕が一番初めにした事はサッカー部への入部だった。


狭い地域なので、宇野森へ入る者は殆どが顔馴染み。つまり、僕の症状は周知の事実であり、まさか運動部へ入るとは思われていなかったらしい。


それでも。


そんな僕を、初めはマネージャーという名の雑用係兼用とは言え、快く受け入れてくれた顧問の先生。卒業していった先輩方。そして今の仲間達。


最高の環境の中でサッカーが出来ることが嬉しくて、楽しくて、あっという間に過ぎていった二年と少し。それを、まだ終わらせたく無い。



「圭、準備しろ」



顧問の先生から、僕の名前が呼ばれる。獅堂圭、それが僕の名前だ。


ベンチから立ち上がり、アップを始める前に目を瞑り、思いっきり深呼吸。


喘息が改善されていくにつれて、いつしかこの動作が自分の身体の調子を測る術になっていた。咳き込むならあまり良くない。咽るようなら外は出歩かない。


全快してからは、もう咳き込む事も咽る事も無い。それが分かっていても、ついついしてしまう。今では僕のルーチンワークみたいなものだ。


医師からはっきりと全快と言われて信じない訳では無いが、ついつい不安に思う時もある。なにせ物心ついた時からずっとそうだったんだから。


そういう時は身体に聞いてみる。そして、何もない事に安心する。心が落ち着く。


うん、大丈夫。


目を開けて、アップを始める。後はやるべき事をやるだけだ。


体格に恵まれている訳でも無い。全快したのは三年になってから。つまりまだ三ヶ月ぐらいしか経っておらず、当然僕に体力はない。


それまでも激しい運動は出来なかったので、細かなテクニックがある訳でも無い。


そんな僕に出来る事。求められる事。それは、



「よし、行ってこい。いつも通り、しっかり止めてしっかり蹴れ」


「はい」



ボールを止めて、蹴る。ただそれだけ。


走り回る事が殆ど出来ない僕に、唯一出来る事。それをするだけだ。


顧問の先生と共に、僕がピッチの外で交代の準備をすると、会場が少し湧く。


宇野森サッカー部において、僕はちょっとした有名人だ。


とは言っても、それは実力を評価された訳では無く、ただ単に”ハンデを背負いながらもそれを克服した”と言うドラマがあるから。


僕自身、喘息が重荷になっていたし、その事を周りに過度に心配されるのは嫌だった。


けれども治って、ふと振り返ってみて分かった。僕が、どんなに周りに支えられてここまで来れたか。


悲劇のヒーローぶっていたのは、他ならぬ僕だった。それを周りは戒めず、献身的にフォローしてきてくれたんだ。


そんな皆の声援を、同情するなと邪険にするなんてとんでもない。


そう、同情。


可哀想な可哀想な僕の、中学最後になるかもしれない舞台。


ここは皆さんに同情して貰って、会場を少しでも味方に付けるとしよう。



「獅堂、先生はなんだって?」


「いつも通り。そのまま空いたところに入るよ」


「おう」



5分ほどのアップを終え、交代する二年の後輩の手を軽く叩き、フィールドに出る。


このチームのキャプテンである向井正広と軽く会話し、空いている位置、ボランチに入る。


ボランチとは、日本では一般的に守備的ミッドフィールダーの事を指す。真ん中少し後ろ目、中盤の底。


守備的と言うのはあくまで位置の関係で、ボランチ自体の役割はいくつかに分けられる。


前への飛び出しを積極的に行ったり、本当に守備専門として走り回ったり。僕の前に入っていた二年は後者のタイプだ。


僕の役割はそのどちらでもなく、俗に言うレジスタという、司令塔的な役割。


前線に比べて相手のプレッシャーも少なく、長短のパスの精度が重要になってくるポジション。


司令塔とは言ったが、止めて蹴るぐらいしか能のない僕にはここしか闘える位置がなかったと言うだけだ。


四月に全快してからフィジカルトレーニングも積んできたが、三ヶ月でどうにかなるものでもない。


それより今は止めて蹴る技術を伸ばせ、と言ってくれたのは顧問の先生。僕の両足の感覚が殆ど同じだと言う事に気付いたのもあるだろう。


共すればお荷物になりかねない僕を、精一杯使おうとしてくれた先生には頭が下がる。


実際に役に立っている自信はあまりない。本当にお荷物かもしれない。


それでも。


こうして使ってくれる先生、贔屓とも言わずにいてくれる後輩達に。


相手の隙を必死になって探して、ようやく奪ってくれたボールを、何の躊躇いもなく僕に預けてくれるチームメイトに、精一杯恩返しをしたい。



「──ふっ……!」



振り向き、即座に前に蹴り出す。待ってましたと言わんばかりに、味方のフォワードである向井が走り出す。


虚を疲れた相手デイフェンダー陣の動き出しは遅く、完全にフリーの状態で向井にボールが渡った。


当てずっぽうではないし、まぐれでもない。止めて蹴るしか能がないのは確かだが、勿論それだけではいけない。


常に周りを見て、瞬時に判断し、フリーでボールを受け、自分の支配下に置く。そこで初めて止めて蹴る動作が生まれる。


外に出歩けない時に励ましてくれた両親。調子がいい時でも、少し咳き込むだけで心配してくれた学校の皆。


それが本当に申し訳なくて、いつも人の視線を気にして、顔色を伺ってきた。


また、いつか全快する事を夢見て。外に出歩けない時はテレビで、出歩ける時はスタジアムへ連れて行って貰い、可能な限りサッカーを見てきた。


調子が良ければ、一人で公園へ赴いてボールを足で捏ね回し、また壁に向かってボール蹴りやリフティング。何処に当てれば何処に飛んで、何処にコントロール出来るか。咳き込まない程度にゆっくりと、確実に。


そして実際にサッカーに触れてからは、上から見る景色とピッチ上から見る景色のギャップを埋めるように、常に努力してきた。


ボールの扱いに関しては止めて蹴るしか能がない僕だが、それを行う為に、それまで常に嫌悪し続けてきた喘息が思わぬ副産物を産んでくれたのだ。



向井はゴールキーパーと一対一になり、蹴り出したボールは見事ゴールネットを揺らした。


1-2。一点返したが、同点まではまだ足りない。


僕らは喜ぶ間もなく踵を返し、自軍へ戻る。向井も同様に、顔色一つ変えずボールを持ってセンターサークルへ。


もう一点。


もう一点決めることが出来れば、僕はまだ皆とサッカーが続けられる──




結局そのままの点差で、僕らは負けた。


時間が足りなかったのもあるが、かと言って僕がもっと早く出ていたら、とも思わない。


あれから相手は僕に一人マークをつけてきた。全員が自陣に戻り、何が何でも一点を守る体制に入ってきたのだ。


僕の運動量ではフリーになるのも難しく、何とかフリーでボールを受けても、前線にパスの出しどころがない。


フルタイムで出る程の体力も無く、出ようと思ったら多くの時間僕らは一人少ない状態で戦う事になる。どの道、僕にはあのタイミングでしか出る所がなかった。


残り15分前後。これまでもそういう使い方をされてきたし、僕自身その時間帯に出るのが一番いいと思っていた。



「すみません……自分達が二点も取られるから……」



宇野森サッカー部の中でも大柄な男、緒方健が僕に項垂れてくる。


二年生ながらディフェンスリーダーの彼は普段から熱く、涙脆い性格で、今も大粒の涙を流していた。


だが、今回は彼だけじゃない。


向井にしてもそうだし、他のメンバーも皆泣いていた。


皆泣いて、皆僕に申し訳なさそうな顔をしていた。



「やめてよ。あの一点は相手が油断してたのもあるし、一点差だとどの道点を決めるのは難しかった」



そもそもあの隙は、もう一点取ってやろうという慢心、歓声と共に来る勢いを止めようとして生まれたものだった。


最後のように守備を固めて、リスクを抑えてボールを回されたら、隙なんか存在しなかっただろう。


事実、相手ベンチでは部員を叱責する顧問の姿が見える。全国を目指している彼らにとって、今回の様な慢心はアキレス腱になりかねない。


そんな守備を崩すには、



「とにかく動いて隙を作らなきゃいけなかったのに、それすら僕は出来なかった」



それまで以上に必死に走って、ボールを奪いに行く。


奪ったら奪ったでまた必死に走って、相手の守備をかき回す。


そんな動きが必要なのに、交代で入って本来なら体力も充分残っている僕には、それが出来なかった。



「それに、こんな僕を信じて走り出してくれた向井がいなければ。こんな僕の為にボールを追いかけてくれた皆がいなかったら、そもそも僕は此処にいないよ」



まともに運動すらした事が無かった僕を受け入れて。


皆にとってはつまらない、けれど基礎練習しかすることのない僕に、笑顔で付き合ってくれて。


たまに咳き込んでも、心配はしても決して部活を辞めろとは言わなくて。


全快してからは、更につまらないフィジカルトレーニングにも、やっぱり笑顔で付き合ってくれて。


数が限られるベンチ入りの、ユニフォームが貰えるメンバーにそんな僕が入っても、嫌味どころかおめでとうと言ってくれて。


残り15分かそこらで出てきて、全然仕事が出来なくても恨み一つ言わなくて。


たまに仕事をすれば、それこそ大騒ぎして喜んでくれて。


だから。



「だから……ありがとう。僕は、皆とサッカーが出来て、幸せだったよ……!」



偽らざる本心。


本当に、心から、そう思ったんだ。



「獅堂ー!!」


「獅堂先輩ー!!」



緒方も、向井も、他の部員達も、顧問の先生も。


皆、泣いていた。


会場にいる、応援に来てくれた人達も。


そして、僕も。


辛くて、悲しくて、でもそれ以上に嬉しくて。



僕達の中学三年の夏は、幕を閉じた。





「……ふむ」



それが新たな幕開けとは、まだ知らなかった。

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