少年編 30
館の主が帰って来たのは実に八ヶ月ぶりであった。
秋も終わり、雪の降り始めた南天領の中でも南部に位置するオールズ領は、その年の収穫の大半を帝都と他の大公爵領へ送り出し、束の間の休息を迎えていた。
例年に比べてやや少ない秋の収穫だった為多少の値上げをせざるをえなかったが、それでも冬を越すのに十分な収入を得られた領民は、安心して冬支度を整えることが出来そうだと安堵するのだった。
帰還した領主からは、そんな領民に新たな騎士の誕生の祝儀が酒場に配られ、その賑わいは冬を追い返さんばかりであった。
「新たな騎士の誕生に祝福を!」
マスティフの宣言に広間に杯が掲げられる。
三日間続く宴の初日は館の関係者のみで行われた。
それでも騎士や全ての使用人まで含めると四十人を超える。その全員と挨拶を、と聞かされていたマリオンは逃げ出したくなるような思いであった。
従者となったガラテアは濃い紫と白のエプロンドレスの衣装に着替えていた。一般のメイド達の薄紫とは違い、上質な素材に上品な意匠のそれはガラテアの銀の髪が良く映え、彼女の魅力をより引き出していた。
マリオンに付き従い、館の住人一人ずつその役職と持ち場、それに実績を絡めて主に紹介する。貴族の社交の場に慣れぬマリオンをよくフォローしていた。
食事と飲み物、さらには周囲の挙動にまで視線を送っては細かく周囲のメイドに指示を出す。
少し離れた所でその二人を、というよりはガラテアを眺めていたのは、先日まで彼女の立ち居地にいたシャロンである。
女性的な膨らみこそ控えめだが保護欲をくすぐるような愛らしい身長に細い手足。光沢ある長い髪。どれもが自分とは正反対。
(男というのはやはり、ああいうのを好むというが……)
マリオンと同じ村の出らしいが、その立ち居振る舞いは貴族の館に仕える侍女に相応しく、館の女性には珍しい生気に満ちた瞳もシャロンにとっては驚いていた。
「はぁ。姉さんはすごい。三年経っても余裕なんてなさそうだよ」
「何を言ってるの。私がついてるんだから、もっと上に行かせてあげるわ」
「お手柔らかにお願いします」
「驚いた。貴方が謙虚になるなんて」
「それはひどいよ姉さん」
(負けた、な……これは……)
慣れないながらも従者のフォローを受けながら、笑顔を交わすマリオンから諦めの視線をグラスに落とすと、彼女は波々と注いだワインを一気に流し込んだ。
全員との挨拶が終った頃、改めて杯を交わすマスティフは既に顔を赤らめ、陽気であった。
「おぉ。楽しんで居るか二人とも」
「はい。自分の為にありがとうございます」
「うむうむ。二人並ぶと実に素晴らしい。なかなか大公領から戻って来れずに本当に残念だったぞ」
先の叙勲式後のお披露目を欠席したマスティフとは、今日が初めての顔合わせとなる。シャロンから聞いていた有能な人物像とはどこか違う。とマリオンは僅かに気落ちしていた。
「安全な所でまで気を張るのは愚か者のする事よ。それに、こうなることが出来るのも卿らへの信頼というものだ」
万が一は頼むぞ、と太った貴族はその腕に相応しい力で新米騎士の肩を叩く。
「村のことは不幸だった。だがここに同郷の者がいたのは不幸中の幸い。騎士として経験を積み、身が落ち着くまで遠慮することはないぞ?」
顔こそ赤らんでいるが、その目は酩酊してはいなかった。
「はい。仕事を覚えるまで、お世話になります」
「うむ……そうじゃ。姓が無いのも不便であろう。後見人殿さえ良ければ儂から姓を贈ろうと思うのだがどうじゃ?」
そう聞かれて、マリオンは初めて近くに彼女がいない事を知った。室内を見回すも見慣れたはずの姿が見当たらず、マリオンは急に不安に駆られた。それを見透かしたように主は軽く顎を持ち上げると「行ってきなさい」、と無言で促す。
「シャロン様」
窓辺にワインボトルとグラスを並べた彼女が振り向くと、弟子の横には影のように銀髪の少女が立っていた。
すでにボトルは空に近く、並々と注がれたグラスを持つ彼女の顔は赤らんではいないが、その目がいつになく鋭く見えた。
「……春までだ」
「え?」
「国母殿への挨拶の為に、新人騎士は春に帝都に行く事になる。それが終ったら、私はロンバルディアに戻る」
マリオンの顔を直視しなかっ為に、彼女はマリオンの安堵した顔を見落としていた。
シャロンは窓にもたれたままグラスを揺らす。
「ここにはここの流儀があるだろう。変な癖が付く前に、後はここの騎士から学べ。輝石に慣れたかったら私の部屋に来い」
「マリオン様。シャロン卿は酒精を召されすぎのようです。お部屋へ送って差し上げるべきかと」
「良い侍従っぷりだ……確かに飲み過ぎたようだ。これで部屋に戻らせてもらう」
温かみを感じない笑みを浮かべたシャロンはそのまま扉へ向かう。足取りはしっかりしているものの、雰囲気が尋常ではない事を感じ取った者は道を開け、マリオンはガラテアを置いて一人追いかける。
追いすがるマリオンを、シャロンは省みずもせず自分の部屋へ向かった。
「待って! シャロン様! なんで!?」
「言った通りだ。ここの騎士ならここの騎士長に学べ」
「そういう事じゃない! 自分を輝士にしてくれるって!」
「マスティフ卿はお前に輝士の素質があることすら知っていた。お前をただの騎士で終らせるわけがない。いずれむこうがお前を輝士にしてくれるさ。良かったな?」
「自分は貴女から学びたいんだ! まだ全然教えてもらってない!」
「あの可愛らしい侍従がいるじゃないか。昨日だって仲良く抱き合って!」
扉は乱暴に閉められたせいで鍵がかからずに半開きに戻り、その扉を押し開いて彼女の部屋に踏み込む。断りも無く、などと考えるだけの余裕は二人には無かった。
初めて入る部屋はもともとあった家具を別室に移されベッドとテーブルセット。そしてクローゼットだけの簡素な部屋になっていた。
「姉さんとはそんなんじゃない! 俺は! 貴女の!」
「私のなにを知ってるというんだ!」
シャロンのそれは悲鳴に近かった。
言いながら襟元にかけた左手が開かれ、ブラウスのボタンがはじけ飛ぶ。その下のキャミソールまでを引き裂いて彼女は半身を露にした。
無駄な肉の無い引き締まった体はうっすらと赤みが差し、首元からくびれた胴、張りのある乳房にいたるまで刃傷の痕が赤く浮き上がっていた。
普段は肌色に同化していても、僅かに盛り上がった瘢痕は酒精が入るたびに赤く蚯蚓腫れのように主張する体に、
――綺麗だ。
マリオンはそう目を奪われた。
「私は闘いしか知らないんだ……もういいじゃないか。これ以上は……めだ……」
思考までを奪われていたマリオンだったが、徐々に力を失って行く声と同時に倒れこんだシャロンをとっさに抱きとめた。
静かに呼吸を繰り返すシャロンの顔を見て安堵し、そしてその下の素肌に再び目を奪われる。鼓動が酒精のせいだけでなく早鐘のようにうち、頭にその音が響いた。
頭を振ってベッドに横たえると、
「姉さん……着替えをお願いします」
部屋の前に立っていたガラテアにマリオンはそう告げた。
「ガラテア、とお呼び捨て下さい。私は貴方の従者ですから」
「……判りました……ガラテア、シャロン様の着替えを。自分は部屋に戻ります」
畏まりました。と頭を下げる姉に、マリオンは初めて騎士という立場に煩わしさを感じていた。
エプロンドレスの隙間から差し込んだ腕が体を這うたびに、メイドの意思に関係なく小さく体がはねる。
押し付けられた巨大な窓の眼下には、芝生で剣の型を繰り返す金髪の主の姿。
快楽になれた体と、それを知り尽くした指先がメイドから体のコントロールを奪っていく。だが次第に息を荒くしながらも、メイドの目からは抵抗が消える事は無かった。
「それでいい。南天は春には荒れるぞ? 財務官どもが持ち帰った数字にな。お前の騎士が名を上げるには都合がいいと思わんか?」
唇を噛むメイドは背中を向けたままスカートをたくし上げる。下着の変わりに革の貞操帯をはいた下半身を晒した。
「……殺してやる」
「それでこそお前よ。お前はいつも私を楽しませてくれる」
本来受け入れる機能の無い場所が蹂躙される。それもいつもの事であった。
「早くあの小僧を篭絡して見せよ。お前を乙女のまま生かすのも壊さぬのも、その為だぞ?」
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