少年編 3
序盤のゴブリン退治はファンタジーの王道ですね
少しずつ物語りは動き始めます
「弓捨てて構えて!行くわよ!」
一匹は胸を射抜かれ即死し、肩と腹に矢を受けた2匹が悶えている子鬼の群れに向かって、ガラテアは茂みを飛び出した。左右後ろから足音がついて来る。言いつけ通りにガラテアを先頭にした三角形を維持してマリオンとマイスは駆けていた。
二匹の無傷のゴブリンは突然の襲撃者に混乱したものの、それが子供で少数。そのうえ女まで居る事に歓喜した。上質な餌と嫁が向うからやってきた、と。
小さな体で蜘蛛のように這って醜悪な顔を歪ませて咆哮し、涎を飛ばす。空気を裂いて振るわれた短槍を、二匹は人の頭を越えるほどの跳躍でもってかわした。そこへ金と銀の風が白刃を煌かせて迫っていた。
いかにすばしっこくとも、空中では身動きは取れない。マリオンとマリスが哀れなゴブリンを両断し、残るは手負いと視線をめぐらせると、「ピギャッ」と短くも耳障りな悲鳴が響いた。
「マイス、マリオン。後一匹」
腹に矢が刺さったゴブリンの胸を突いたガラテアが、油断無く最後の一匹をにらみつけていた。自分達で仕留めろと暗に言うガラテアに、二人は頷いて剣を構え間合いを詰める。二人に挟まれたゴブリンは歯を剥き地面を叩いて威嚇を繰り返していたが、二人との距離が縮まるにつれて後ずさり始めていた。
茂みに飛び込ませないよう、マイスが大きく動く。それにゴブリンの威嚇の矛先が向いた瞬間、マリオンが斬りかった。振り下ろされる白刃を横へ飛びのいてかわしたゴブリンは、怒りのままにマリオンへ乱杭歯を突き立てるべく突進した。
「ぅわわっこっのお!」
初めての恐怖と敵意に、マリオンは後退りながら剣で払う。それすらもかわされ、初めてマリオンは魔物の強さを垣間見た。そして
「ガアアアアアアア!!」
決して適わない相手ではない事も学ぶ。大振りの剣をかわしたゴブリンの脚を、マイスが斬り飛ばす。
「俺達二人なら、もう大人にだって負けないんだよっ」
秋近く、緑は少しずつ色あせて黄金色へ近付き川の水は透明度を増していた。髪を伝って流れ落ちる雫に時折朱色が混じる。ゴブリンの返り血だ。緊張と興奮から覚めれば、汗だけでなく血の匂いまでしていた。
冷たい川の水が上気した肌に気持ちがいい。村までの距離を走りきった体の芯からの熱はもう暫く残るだろうけど、それすらも気持ちよく感じる疲労感にまどろみながら、ガラテアは腰まで川に浸かって体を清めていた。
胸元まで伸びた髪を切るべきか迷いながら、ガラテアはその胸を押さえる。川面に映る雲に劣らぬ白い肌は傷ひとつなく。しかしその顔は儚く、今にも泣き出しそうなほどに曇っていた。
弟達は良い闘いをした。向けられる敵意を覚え、恐怖を覚え、そして立ち向かえる仲間がいる事を覚えた。今日の勝利はきっと自信と勇気に繋がるだろう。それは恐怖を克服する最大の力となる。
(! また……怖い……っ)
悪意。あるいは敵意。川と空気の冷たさで無い何かに体が震え、奥歯が鳴る。
それを村の中に居る時まで感じ取るようになったのは、そう。魔物相手の実戦を経験してからだ。彼等もこの得体の知れない恐怖に恐れるようになるのだろうか。知らずの内に両手で抱いていた肩を離すと、小さな胸の前で両手を組み祈る。
「母なる世界樹ユグドラシルよ……どうか……皆をお守り下さい」
世界の創造者であり、知恵を授けた女神達は常に調和を尊び、終末の鐘を鳴らす。
大陸の管理を任された世界樹ユグドラシルは、中央の遥か天空の空中庭園よりマナを降らせ、精霊を介して自然を育むという。
そんな世界で偉業を成した英雄は終末戦争を越えて語り継がれ、三女神と世界樹、そして英雄達が大陸での信仰を集めていた。
ガラテア達のような自然に近い場所で生きている者達は自然の恩恵なくして生きていけず、世界樹と聖霊への崇拝はごく自然な物であった。逆に社会的地位が高い者になれば自戒の為に女神信仰者が多くなる。信仰によって奇跡の力が与えられるわけでもなく、ただ生活の中に根ざした極めて実務的な習慣にすぎないものであるが故に。
近く収穫を迎える畑は小麦色に染まり始め、それが終れば川は凍る。
春になったら、ガラテアは村を出る事になっていた。
「マリオン。どんな時も顔を上げてなさい。あなたは強い子だから」
「わがった……」
無事に春を迎えた村に、行商人達が訪れる。薬や武具を村におろした馬車の荷台からガラテアは弟分の金髪を撫で、優しく微笑んでいた。その一歩後ろでマイスは泣き出しそうなのを懸命にこらえながら優しい姉を見上げていた。
村で育った子供達の役目で、領主の下へ奉公に出なければならないからだ。男なら兵役であり、女であれば行儀見習いという名目で数年は村に帰れない。
まるでいつもと変わらない笑顔を浮かべ、弟妹達一人一人に声をかけていく。大人たちに代わって年少達を纏め、面倒を見てきた優しい姉との別れに泣き出さない子供達はいなかった。
「マイスも。いらっしゃい。皆を護ってあげてね」
両手に弟妹達の手を繋ぐマイスはただ一人、気丈にも泣いていないが、誰よりも面倒見が良い事を知るガラテアは泣かないのではなく泣けないのだと知っていた。
もう片方の手をマイスに伸ばすと彼の銀髪に頬を寄せながら、自分達と距離を置いて出立を見守る大人達に僅かに視線を向けて、マイスの耳に小さな唇を寄せた。
視界一杯の銀の髪は、干草の太陽と風の匂いがした。一瞬、マイスは自分が刈り取りの終った畑の中に立っているかのように錯覚したが、彼女の言葉に現実へと引き戻された。
「大人達に、気をつけなさい」
村の暮らしは決して豊かではないが、不思議と不自由が無かった。食べ物は当然、着る物にもたいして困らず、怪我や病気には薬の備えがあり、苦しい思いや別れがあるとすれば、ガラテアのように村から出て行く兄姉を見送るだけ。
辺境の村がそれだけの生活を維持できるのも、奉公に出た兄姉達の功績が大きいのだという事を二人が知るのは、村の子供達の最年長となる一年後となる。
つまるところ、貴族や有力者に気に入られて専属の給仕になったとか、中には騎士に召し上げられた者すらいるという。だからこそ辺境の果てにあっても十分な流通があるのだという。
まるで吟遊詩人の英雄譚のような夢物語を初めて聞いた二人の少年は、目を輝かせて信じられないと飛び跳ねたのだった。
「俺も騎士になる!」
興奮するマリオンが剣を掲げれば
「なら俺はもっと強くなって森の魔獣を蹴散らしてやる!」
マイスもまた声高に拳を振り回した。しかし
(気をつけなさい)
ガラテアが残したあの言葉が、マイスの中で小さな棘のように残り続けていた。