少年編 26
翌日から、マイスはルデリックに付き従って集落の酒場を巡った。
各集落に必ず酒場があり、依頼はそこに集まるシステムになっている。これが帝国なら互助会から発展した組合になるのだが、獣人族には請負人の格付けや管理というのがまだまだ未発達だった。もっとも、人間のような命知らずは多くない為、無理な依頼を受ける者はいない。
二人が依頼を受けて来る間、村の外れでファウが眠たそうに日向で舟をこぐ。この気ままな獣人は村に入りたくないと、一人、村の外れで二人を待っていた。
依頼の多くは人探し。魔物退治。野良仕事。物品入手。ごくごく一般的なものだが、人探しが特に多く、張られた紙が色褪せるほど古い物まで残っていた。
「俺達はこっちだ」
そう言ってルデリックは魔物退治の張り紙を数枚手にとってカウンターへと歩いていく。
確かにその為に依頼を受けるのだから問題ないのだが、何となくマイスは色褪せた依頼書を見上げた。
――【探しています】 赤兎族 男 三歳 情報だけでも求む――
(十年も前だ……)
特にここ五年前後で獣人族の若者を誘拐される事件が相次いで表面化したが、獣人の子攫いは昔から確かにあった。その為警備や捜索、戦闘を得意とする部族はその捜査に追われるようになり、結果として国土である森の中に魔獣や魔物が跋扈し始めてしまい、依頼に討伐が増えてきている。
「行くぞマイス。何をしてる?」
今行く。銀髪の少年は壁から目を背ける。探し人の多くが、子供であった。自分と同じ境遇であろう彼等を何とかしたいと思いつつも、今はまだそれだけの力が無い。
――力が欲しい。
子供の夢ではなく、状況に流されてではなく。初めて自分の意思でそう望んだ。少なくとも、超常の力を使役する力が彼にはあるのだ。
右の手首に意識を集中すると、それに応えるように虹色の石を填め込んだ銀環のブレスレットが光を放つ。石と同じ柔らかな虹色がマイスの全身を覆い、透き通る氷が軋むような音を立てて固まっていく。
それは虹色の全身鎧そのもの。しかし実用性や見た目を考慮しない、無粋で無骨な。
氷の人形のような装甲は同時に、神秘的な輝きを放っていた。
「相手との力量差を先ず把握しろ。必要以上の力で戦い続けると魔力も体力ももたんぞ」
その姿への反応は人それぞれだろう。
深い森から顔を出したのは、歪んだ豚の顔に太った男の体を持つ豚人間。家畜を連れ去り、時に人も襲う魔物の一種であり、討伐依頼の対象だった。
彼等は光を纏うその姿に一瞬後ずさったが、恐怖に駆り立てられた精神は逆に襲い掛かるという過失を犯した。
「ブィイイイギイイ!」
――ズシン。
突進からの殴打を交差した腕が受け止めた。
僅かに足元が地面に飲まれるも、マイスは微動だにせず。半透明の鎧も欠ける事無く、静かに輝きを放っていた。
「獣人! お前の武器は早さだ! マイスのフォローと牽制に回れ!」
脂肪と筋肉の固まりはゆうにマイスの三人前はあろうかという巨体である。当然の如く吹き飛ぶと予想していたオークは、不可解な現象に首を傾げる。そのオークの膝をファウが蹴り抜いた。巨体が沈み、獣の声で痛みを訴えるその顔はますます困惑の色を濃くする。
『大地の力は不動の物。根を張る大樹のように自身を思いなさい。そしてその硬さと重さが武器になるのです』
真紅のガーネットは大地の熱の力を司る。
紺碧のラピスラズリは穏やかながら全てを押し流す水の如き力が。
黄色のトパーズには鋭利なる刃の意思を。
そして虹色のオパールには純粋な大地の精霊が宿っている、とフォーリアは言った。
同じ大地に属しながら、司る力は大きく違う。それは精霊の性格とも、特性とも言えるもの。カーロンが何故四面の壁から石を選ばせたのか。彼はその特性を見抜いていたのだろう。
「はああああ!」
体は硬く、重く。しかし速度はそのままに、むしろ輝石の力で常人以上であった。気合とともに突き出した拳がミシリとオークの厚い胸板にめり込み、その巨体は一瞬送れて後方へと吹き飛んだ。
マイスは体は小さくとも、内包する質量は巨大な岩そのものであった。
「力を入れすぎるなよ。次だ」
ルデリックは押さえ込んでいた一匹のオークをマイスに向けて追いやる。全部を同時に相手にさせないだけ優しいのだろうが、指導に関して手を抜くつもりはないらしい。
「常に込めた力を意識しろ。力を込めすぎるのも、抜きすぎるのも命に関わる。力の差を見切って『相手より僅かに強い』程度に自分を維持するんだ」
力み、気負いすぎては長期戦と突発的なトラブルの際に魔力切れという事もありえる。そして相手を弱く見すぎるのも足元をすくわれる。それが自然体になるまで経験を積ませるのが、ルデリックの方針だった。
町は日々活気に満ちていき、ざわめきは大きくなっていく。
(空が……高いなぁ。村に似てるけど、ここは少しうるさい……)
マリオンは額に乗せたタオルを目深に掛けなおした。水気を大量に含んでるにも関わらずそれはすぐにぬるくなり、じわりと顔のふちを流れ落ちた。耳には騒音だけが届くようになる。
豊作を願う祭りの準備は人と物流を盛んにし、人々の心は楽しみに浮き足立っていたが、そんなものを知らない少年はただただ訓練に明け暮れていた。
とはいえ、まだ全体の訓練には参加できない体だ。無理をさせず、とはいえ変な癖が付かないようシャロンが個別指導にあたっていた。
(まだ十五だったか……まだまだ遊びたい盛り――)
シャロン自身は娯楽を知らずに育ち、今でこそ話に聞いて、時に騎士としてに参加することはあっても決して楽しむ側ではなかった。
足元に仰向けに倒れるマリオン。長距離走の後にひたすら剣の型と素振り。腕の上がらなくなったマリオンは限界までそれを続けた後、ばったりと動かなくなった。
(意地の強さは認められるんだけどな……)
なにもそこまで意地にならなくてもと思うシャロンだが、なぜか教育係だった老騎士がたまに見せた困った顔を思い出した。
「あぁ、いい。動けるなら木陰に行け。熱にやられるぞ」
見下ろす視線に応えようとしたのか、立ち上がろうとしたマリオンを影に追いやる。ふらふらと歩くその姿にかつての自分を見、今の自分の隣に老騎士がいるような既視感に目を細めた。
(あぁ、あれはそういう事だったのか)
真上に昇った太陽は地面に陽炎を生み、町の喧騒と鳥の声を運ぶ風は爽やかにそよぐ。
同じ木陰に腰を下ろすシャロンは、教育係がそうだったように訓練意外にも目を向けるように促した。
「近々、祭りがあるが見に行ったらどうだ? ここのは見た事ないが馬鹿騒ぎは何処も同じみたいだぞ」
「……シャロン様となら」
「な……」
返って来たのは予想外の答えだった。
同僚と行けばいい……と言いたい所だったが村での一件以来、どこかマリオンは周囲から浮いた所がある。
あの戦闘で傷を負った仲間からの視線。輝士としての才能への妬み。色々と思うところがあり、しかしそこにシャロンが口を挟む所ではない事をお互いにわかっていたので、何も言わなかったが。
だが、仮に関係が良好でも、浮かれてまた如何わしい娼館の様な所に行かれるのでは、と思うとシャロンは言い知れないもどかしいジレンマに陥った。
騎士としての役目以外で、異性と二人で並んで歩く。その姿を想像し、周りから見られてどう思われるか。
(で、でぇとではないか……!)
「なっ……なっ……」
未知なる戦場に非武装で孤立無援。
かつてこれほど困難な任務があっただろうか。
押し寄せる|大群(民衆)に身を寄せ合い、降り注ぐ白刃に無防備な自身を晒し、行き着く先は目くるめく官能の世界!?
侍女が夢見心地で語った逢瀬。少年との睦事を初めて想像し、シャロンは一瞬にして頭が沸騰してしまったように思えた。
「……な、にか、い言ったか?」
耳の先まで真っ赤にして、ぎこちない笑顔を浮かべる。シャロンの選択は絶対に無理があると自分で判っていながら聞こえなかった振りをして話題を変える事だった。
「そっそうだ……竜が何を食べてるか知ってるか!?」
「感情だ」
ルデリックの言葉を反芻しながらマイスは考える。感情を、食べる? それであの巨体が維持されるのだろうか。思考がずれ始めたのが顔に出たのか、ルデリックが苦笑いしていた。
「物理的に食べるわけじゃない。喜びや希望。人を思い遣る心。そういった善意の波長を受けて竜は成長し、善き竜になる。これが悪意や害意に当てられると、邪竜になるらしい」
龍は大きく分けて三種。翼のある細い蜥蜴のような飛龍。飛ばないが太く強靭な体の陸龍。そして蛇のような海龍。いずれも巨大で鋭利な牙と爪、強固な鱗を持っており、種としては最強の肉体と極めて高度な知性を有する生物だ。
森の中の小さな広場で、倒れた木を椅子に二人は剣に付いた血を拭っていた。少し離れた木々の中に倒れた二匹のオーガの血だ。
白銀輝士ルデリックはオークを遥かに凌駕するオーガと真っ向から切り結び、押し切る実力を持っていた。マイスという未熟者に格上との戦闘を経験させながら、輝石の扱いの感覚を教えながらだ。
ルデリックは戦っていない間は会話に多く時間を割いた。貴族の発祥やあり方、騎士の心得。帝国の歴史。そして龍の食事。
「人もそうだが、そう言う善意はやはり気持ちの良いものだ。だが悪意が世界に満ちれば、邪竜が人を襲う。考えようによっては、悪意を溜め込み、悪意を放つ人を減らす為に暴れ、そして英雄に討たれる事で希望を広める為にいるのかもしれん」
「だとしたら、竜は治世のバロメーター?」
「そういう見方もある。だからこそ、騎士はそういった存在が出ないように常に悪意を挫く為にいるんだ。まぁ、本来貴族の統治レベルで問題が出ないようにするのが理想なんだが」
「だから『騎士が求められるは治世の乱れ』、か」
ルデリックは頷くと「意外と聡いな」とマイスを見つめた。
(不思議な奴だ……知識は全くないのに、随分と簡単に覚えて他の教えと結び付けていきやがる)
自分ほど体格に恵まれていないが、柔軟な体さばきはシャロンに近いかもしれない。だがそれ以上に気になるのはその瞳。
「この時代に銀眼なんてなぁ……国母殿か、数代前のうちくらいだと思ってたぜ」
「ジェノアも銀眼の家系なんだ」
「……いや、うちは特殊だ……『ジェノアの悲願』って知らんよな」
どうせ頷くだろうと勝手に語り始めるルデリックと、その予想通りに頷くマイス。
それはどこにでもある、悲恋話。
一人の娘が、一人の男に恋をした。
娘は剣に生き、男は政治を取り仕切る。
娘と生きる世界の違う男へ恋に落ちるが、それは許されない恋だった。
騎士でもあり、地位のある二人は人目を眩ます事が出来ず、駆け落ちも出来ない。
身を焦がす程の娘は姿を変え、幾多の手段を駆使して一晩の逢瀬を遂げる。
娘は身篭り、愛した男との子供を産んだが男に告げる事も無く。
子供に精一杯の愛情を注いで、一人で立派に育て上げる。
「コレには続きがあってな、有名な話なんだががこの先はあまり語られん」
男との逢瀬が叶った娘。
それが、全ての悲劇の始まりだった。
男には妻がいた。
妻は娘に怒り、男を恨んだ。
賢聖と謳われた男の統治に口を挟むようになり、現在にも残る悪法はこの時作られたという。
さらに、娘の血統は男の領地において忌み嫌われるようになり、必ず不幸に見舞われるようになった。
全ての原因は娘が、男の妹だったから。
「以来、血の濃くなったジェノア家には稀にだが傍系にも髪と同じ色の瞳を持つ『聖者の寵児』が生まれるようになった」
統一帝への禅譲以降ジェノア領の貴族は優先的に血を取り入れ、銀髪の貴族はすでにいない。
お前が金髪金眼なら、ジェノア貴族だったかもな、とルデリックはにやりと笑う。
「その、特別な瞳を持った子供はどうなるの?」
「……わからん。青い血である以上、闇に葬られてはいないと思うが……人知れず生きてるかもしれん。それも当主にしか判らない事だ」
さて、もう一狩り行くか。そう言ってルデリックが目を逸らして首筋に手をやる。その仕草が、あまりにも良く似ていた。
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